第11章 承認

01.12.10. 担当 亀村俊樹

承認を求めての闘い

<肩書の社会学>

階層制社会では
・肩書・敬称は1人の人間につく身分の名前であり、それで1人の人を呼ぶことは、彼を社会的秩序の中に置くことである。・・・各人に1つの肩書・称号がある限り、各人は承認される。
・階級の同等者と下位の者を称賛し、非難することは可能だが、上位の者は無条件で承認されなくてはならない。

近代の民主革命
 肩書・敬称の位階制を単一の敬称に入れ替える。
→英語では一般的な敬称は「マスター」、省略され「ミスター」
適用の上限はなく、名誉の称号が、一般的な敬称となる(ヨーロッパにおいても)
  ・・・「ミスターの社会」
敬称の平等によって、承認を得るための機会の平等が与えられる。

公共的な名誉と個人的な功績

・公共的名誉のために決定的に重要な基準は功績(デザート)である。
・それは客観的な尺度に従っている必要がある。
・公共的な名誉は、成員が(意見ではなく)評決を出す、陪審によって配分されるべき。
  Ex)国家が英雄を選定する時・・・勇敢な行為は行われたか行われなかったか。という絶対的な判断が求められている。

<スターリンのスタハーノフ運動>

スタハーノフは求められている割り当て量よりもたくさんの石炭を掘り出す、尋常でない強さを持つ炭坑夫であった。スターリンは彼に名誉を与え、パブロフ主義の採用によって、他の労働者も彼と同様に行動するように条件づけることを目的とした実験。それによって生産量が上がると考えた。当然、名誉を与えられるに値するとは思えず、労働者達は反対した。
 ・・・本当に受けるに値するものを与えるということを求めている。
陪審は単なる意見ではない評決を本当に下すことができるか?
 →基準をあまり高く設定しすぎないようにすることが重要である。私たちは他の人間の資質や行為について完全真理を話せるほど十分に知っているのではない。
私たちが陪審について行う批判は陪審の目的を基本的には承認している。というのは、私たちが言うことは彼らはもっとよくすべきであったとか、わたしならもっとよくできた、ということであって、なされるべきことは何もないということではないからである。「原則としての真実のスピーチは可能である。」

・罰は強制と苦痛を伴う。
・罰は特殊な判断、陪審の評決を必要とする。
・名誉と同様に罰は選び出されるものである。
・人を悪しき生活のためにではなく、個々の具体的な行為のゆえに罰する。
また、
@ 特定の犯罪を選び出すことなしに、他の人々に犯罪をやめさせることはできない。
やめさせるには1つの例が必要であり、例は特定のものでなくてはならない。
A 行為者を非難することなしに、ある種類の行為を非難することはできない。
また、表現は具体的でなくてはならない。
B 矯正の必要な者として特定の人々を指定せずには、法を犯した者を矯正することはできない。
 
・罰は評決に従い、評決なしでは不可能である。
・裁判が欺瞞であるなら、罰によって不名誉ではなく名誉が与えられる可能性がある

もしも、罰を別の形で配分するのなら、それは全然罰ではない。
→2つの相異なる配分の仕組み 「選出(エレクション)」、「調査(サーチ)」

<アテネの陶片追放(オストラシズム)>・・・「選出」

陶片追放:独裁者をめざす者、その者たちの対立関係が都市の平和を脅かす、有力なもしくは野心的な個人を取り除くことを市民に許す。
   (陶器の破片などに追放したい者の名を書く)
票の過半数を受けたものは上訴なしに10年間追放される。

裁判と評決の結果としての流罪と大きく異なっていた点。
・・・追放される市民が仲間達によって判断されるのではなく選出される
   この手続きから、陶片追放は社会的不名誉を伴わない“名誉ある追放”であるということになった。

社会的不名誉が正しく配分されるべきであるのなら、それは評決の結果生じるものでなくてはならない。

<予防拘留>・・・「調査」

予防拘留:悪しき行いをする可能性のある者、資質をもった候補者を調査して、拘留する
 必要なのは、判断ではなく予報 陪審ではなく調査委員会

予報と評決の決定的な相違:予報に基づいて行動するなら、それが真の陳述であったかどうかを知ることは不可能である。拘留されている人が、犯罪を犯したかどうかは決してわからない。※

この場合の拘留は、専制の1つの形である。

自己評価と自己尊重

自己評価:人々は他者との比較のなかで自らを評価する。
     自己評価は関係性を示す概念である。

自己尊重:自らが自らを尊重するのは、他の人々との関係においてではない。
     自分の固有の尊厳についての理解と、成員間の平等な尊重に依存している。


論点

1.承認の領域において、複合的平等が成り立っているのはどういう状態か
2.自己評価と自己尊重の違いについて
3.自己尊重に成員間の平等な尊重は必要か
4.陶片追放における名誉ある追放とは

私見

1.例えば、名誉が富や権力に不当に変換されず、功績により分配されている状態。
2.自己評価は階層制の身分に密接に関わっており、他者との関係、意見の中にそれを見いだすのに対し、自己尊重は規範的な概念を理解、自己確認することである。
3.自らを責任ある状態に保ち、またなかまの市民に責任ある状態に保たれるという相互保持状態から、自己尊重の可能性が生じる(p.422l.10〜)という部分が、市民性という観点からもあてはまるのではないか。
4.そもそも罰(不名誉)は、それを受けるに値する者に評決という形で配分すべ
きである。それによらない配分であることがみな分かっているならば、責任ある者
に不名誉を配分するという形での罰ではなく、この追放は不名誉にならない。

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