自殺幇助について

法哲学ゼミ (2002/5/20)
担当 1班(池田・長澤・和田)

(一)用語説明

(刑法202条)自殺関与罪・同意殺人罪

人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は六月以上七年以下の懲役又は禁錮に処する

(202条前段)→自殺関与(教唆・幇助)罪
自殺に関しての教唆=自殺の意思のない者に、故意に基づいて自殺意思を起こさせ、自殺を行わせること
自殺に関しての幇助=すでに自殺を決意している者に対して、自殺行為に援助を与えて自殺を遂行させること
ex)自殺の方法を教えたり、自殺の用具を提供したりする行為。
 死後、本人の家族の面倒をみてやるがごとき精神的幇助もこれに含まれる。

cf)(202条後段)→同意殺人罪
嘱託=被殺者から殺害を依頼されてこれに応じること
承諾=殺害にあたって被殺者の同意を得ること

cf)刑法199条
人を殺した者は、死刑又は無期若しくは三年以上の懲役に処する

犯罪の実質からすると、自殺関与→同意殺人→[普通]殺人、となるに従って重くなる。

(二)処罰根拠

1 自殺適法説(個人にその生命を処分する権利を全面的に認める立場。)

生命を含め、個人法益については法益全体に処分権・自己決定権が認められているとする。

@生命の一身専属性
※他人の死に干渉すること、それに原因を与える行為=違法
(自己の生命を否定することと他人の生命を否定することでは明らかに異質のものである。)
「自律」と「生命」の価値は等しく、もし自殺を認めるなら「生命」は「自律」より下位にあるものと解される?
→「本人のみが左右できる」というだけでは不十分。同意殺人の可罰性が説明できない。

A生命・自律二分論
自律は生命あってのもの。ゆえに自律と生命とは比べられるものではなく、いくら
「自律」とはいえ生命だけは唯一自由にできない。
→二分して考えたところで結局、「生命」を重視して「自律」を下位においているに過ぎず、自殺が「生命」に対する侵害であるというなら処罰される、されないにかかわらず違法であるべき。

B自殺意思は不自由である。
自殺の意思は瑕疵のあるもの。そもそも命の価値を軽率視している時点で間違いだと解され、そのような不自由な意思に基づいて生命を処分してはならない。
→自殺が軽率だと他人が判断できることではない。
また、原則として“不自由”と決められるものではない。

*自殺関与罪は、適法行為に対する共犯を認める特別規定である
→共犯は少なくとも正犯の一般違法を要件として成立するものではないのか。
*自殺関与罪は、社会的法益ないし国家的法益を侵害する罪である
→本罪の刑法上の立場からしてこれは個人の法益を侵害する罪ではないのか。

2 自殺違法・可罰的違法欠如説(個人にその生命の部分的処分権を認める立場)

@生命には本人のほかに親族や国家も関心を有しており、本人がそれを放棄しても後者の法益の侵害は残る

A被害者にとっても合理的理由のない法益の放棄が安易になされないための後見的配慮に基づく。
=他人の助けがあってはじめて自殺するという場合は、生命放棄の意思自体が不十分である。

3 自殺違法説(個人にその生命に対する処分権を認めない立場)

@パターナリズム
個人のためには本人の意思に反してでも、本人のためになるという理由で、国家が積極的に介入してもよい。
→「自律」は各人の不完全性を含めてもなお尊重されるもの。
合理的、理性的なほぼ完全な国家が介入してもよくなるわけではない。
結果がどうあれ、“自己の選択”という点に最大の価値がある。

A自殺違法・類型的有責性欠如
自殺は違法だが、「責任」の段階での他行為可能性が存在しないので、自殺者本人には「責任」がない。
→自殺を完全に違法であるとする前提に疑問。

B周囲の人々に対する法益侵害
周囲の人々に心理的な衝撃を与える点で違法といえる。
→普通、周囲の利益は“個人の利益”に付随するものであるべき。
国家や社会にとって“よくない”という見地から、個人の決定権が制限されてよいのか。

C自殺は法秩序全体の精神に違反する行為で、その不可罰性は刑罰という手段が自殺者に対して適当な対策ではないとする刑事政策的な趣旨の表明にすぎない。
→生命の保護を個人主義的法価値の根底にすえなければならないとする点はよいが、自己の生命についての最終的な決定権は、やはり自分にあるように思われる。

<現在の通説的見解>
結果無価値が基盤。しかし、自らその生命を放棄する場合には刑法によって保護される利益は存しないとした場合、結果無価値・法益侵害の観点からは根拠付けることは困難。
結果無価値…違法性の実質を外部的な法益侵害にのみ求める
※自殺の形式的な処罰根拠:刑法199条の「人」には自己を含まない。

(三)処罰の対象となる行為−意思能力ある者による自殺意思に基づく自殺行為への関与

行為の種類
@単なる教唆・幇助−合意に基づく心中を含む(生き残った方が処罰される)
判例 福岡高裁宮崎支部平成元年3月24日判決      
<判例の分析>
「自殺者の意思決定に重大な瑕疵を生ぜしめ、自殺者の雌雄内視に基づくものと認められない場合は、もはや自殺教唆とはいえず、殺人に該当」。

※自殺関与罪と殺人罪の限界
 自殺関与における「自殺」…自殺者の自由な意思決定に基づいて、自己の生命を断絶することと一般に定義されている。
本罪が成立するためには、
被害者が、自殺の意味を理解し、自由に意思決定する能力を有していなければならない。したがって、この能力を欠く幼児、精神障害者等の自殺は、本罪の「自殺」と評価されない。
自殺意思が自由な意思決定に基づくものでなければいけない。(真意性ないし任意性)
(この点と関連して、自殺意思に瑕疵のある場合が問題となるが、とくに、自殺意思が脅迫による場合と、欺罔による場合の有効性が争われている。)

学説 自殺関与罪になるが、不可罰の余地もありとの意見もある。

A自殺意思欺罔による錯誤に基づく場合−偽装心中
判例 最判1958・11・21⇒殺人罪     
学説 ア殺人罪になる イ自殺関与罪になる ウ法益関係的錯誤か否かで区別
<判例の分析>
* 欺罔手段を用いて自殺させる行為を殺人として−あるいはこれを同等に−扱おうとする傾向は普遍的であると思われるが、「自殺関与罪と殺人罪の限界は微妙」である。
ex)通常の心中(被害者を欺罔し誤信させて自殺させた心中とは違い合意に基づく心中)で片方が生き残った場合
⇒同意殺として刑法202条適用

自殺についてはそれが違法なのか否かに対してさえ意見が分かれる。((二)を参照))
個人の「自己決定」を尊重する傾向は強まっており、自殺関与罪の処罰根拠も、このことを考慮に入れて判断しなければならないだろう。

・ 十分な考察や自由な決断に基づく自殺行動(自己決定に基づいている?)→比較的少数
・ 状況に追い込まれ熟慮をかいた短絡的な行為(自己決定に基づいていない)→多いのが事実
                         ↓
よって、他人への自殺関与−及び同意による殺人−を刑罰によって禁止することには理由がある。
                         ↓
この点を強調すれば202条による処罰は「真意に添わない」自殺に関与したためで、完全に真意に基づくときは、違法性が阻却される。
                         ↓
殺人と自殺関与の限界でなく「自殺関与と無罪の関係」が考察の対象とされる

*犯人の欺罔行為による被害者の錯誤の問題
法益関係的錯誤(処分される法益、つまり自己の生命に関する事項に直接関係する錯誤)が認められる場合に限って同意を無効⇒殺人罪になる
ex)医師が患者に対し癌で余命がわずかであると欺罔し、その患者の嘱託を受け安楽死を施すような場合は、法益関係的な錯誤であり、「自殺」とはいえないだろう。

                         ↓
この見解によれば本件の場合、被害者は相手の追死を誤信していたけれども、自己の死−「生命」という法益の放棄−に関する錯誤はなかったから同意は有効とされる。(殺人罪を認めるべきではない?)
                         ↓
しかし被殺者に自殺の意思があったときでも、殺人罪の成立を認めるべき場合がないとは言えない。
執拗な自殺の教唆と手を下して殺害する行為又は殺害に準ずる程度の幇助行為(自殺の準備を整えて一挙手一投足の労で足りるようにし、ほとんど傀儡となっている相手方に僅かな心理的努力で最後の障壁を越えさせたりしたとき)とが並存する場合
⇒殺人の行為があったと考えてよいだろう
                         ↓
このような基準のもとに本件を見ると
・ 殺害する行為は存在せず、殺害に準ずる程度の幇助行為(先ほど述べたような幇助行為)ではない。
・ 自殺の意思が形成されたプロセス 被告人が強く教唆したわけではない
⇒本件は自殺幇助罪で処断し、刑法202条前段を適用すべきであった事案であったと思われる(学説イ・ウ)

参考文献:有斐閣Sシリーズ 刑法各論
     通説刑法各論 川端博著 三省堂 1993
     刑法判例百選U各論 1997
     最新重要判例250刑法第三版 弘文堂 2000
     刑法第2部 授業プリント


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