積極的安楽死について2002.6.17担当;3班(小栢.成石.松木) 1. 「尊厳ある死」と安楽死「尊厳ある死」・・・自己の尊厳を守る方法で死を迎えること。「安楽死」・・・自己の尊厳を守るために「死」という方法しかない場合に、意図的に死に向かうこと。 安楽死は、「尊厳ある死」のためにとりうる一手段 2. 「安楽死」の分類(1) 積極的安楽死不治の病による苦しい生から開放するために、患者の意思に基いて安らかに「死なせる」こと。(2) 消極的安楽死(=尊厳死)寿命がきたら自然に息が引き取れるよう、人工呼吸器などの生命維持装置を使う延命治療をしないで、人間としての尊厳を保たせつつ「死ぬに任せる」こと。例:脳死 自発的呼吸がなく、人工呼吸器をはずすと自然に死に至る。 (3) 間接的安楽死(=治療型安楽死)激しい肉体的苦痛を和らげるための行為を、結果として生命を短縮する可能性があるにもかかわらず行うこと。例:苦痛を除くための睡眠薬投与 啖の排出が低下し、それにより肺炎を引き起こして死亡することがある。 主な目的が「苦痛の緩和」であることより、医学的適性性のある治療の一環として認められている (4) 慈悲殺(=反自発的積極的安楽死)患者の身近で世話をする者が患者の苦しむ様子を見かねて、本人の意思によらず、また同意を得ることもなく殺すこと。一見よさそうに見えるが、これは単なる殺人であって、認めてはならないとされている。 3. 積極的安楽死積極的安楽死とは、「はなはだしい苦痛にさいなまれている時に、知的精神的判断能力のある患者自身が自発的に医師に真摯で持続的な要請をし、医師が絶え難い苦痛の期間を短縮する目的で、患者を苦しめない方法で短期間に死亡させる死」とされる。◆重要ポイント @ 判断能力のあること A 患者自身の意思によること B 真摯で継続的に要請をしていること C 医師が死なせること @にあてはまらないものとして、重度障害をもつ新生児を安楽死させる場合などがある。また、慈悲殺はAにあてはまらないものの例。 一時の苦しさのために「殺して欲しい」と言っただけでは、Bの真摯で継続的な要請とはいえないため、安楽死は認められない。 Cの、医師が死なせる方法としては、主に ・ 医師が致死薬を注射する ・ 医師が致死薬を処方し、患者本人が服用する の2通りがある。後者は「医師による自殺幇助」と呼ばれることもある。 4. 安楽死は「自殺」か ―自殺に関する伝統的見解―(1) 自己を超える原理の存在「自殺は二重の意味で犯罪である。一つは宗教上の罪。神の特権の侵害、呼ばれもしないのに神の御前に駆け込むようなものだ。そしてもう一つは、世俗の罪。国王の全ての臣民を保護する権利を侵すものだ。」(ブラックストーン卿『英国法の解説』)→儒教では、「親からもらった身体を粗末にする不孝」 (2) 自己決定「身体上問題がなければ、老年期の人生を自ら放棄しようとは思わない。しかし老いに心むしばまれ身体機能も衰えて、ただ呼吸しているだけのような、名ばかりの人生になったなら、さっさとくたびれた肉体から逃げ出そう。治る見込みがあり正常な精神生活が続けられる限り、病気から逃げ出して死を求めるようなことはしない。苦しいからといって自殺するつもりもない。そんな状況で死を選ぶのは敗北だ。だが苦しみが際限なく続くとわかったとき、苦痛そのものより、苦痛によって生きる意味が失われるために、私はこの世に別れを告げるだろう。」(セネカ)→武士道の精神「潔い死」 5. 安楽死をめぐって ―SOL論とQOL論―SOL(Sanctity Of Life)・・・生の不可侵性→治療(cure)QOL(Quality Of Life)・・・生の質→看護(care) 「生きるべき」か「よく生きる」かの問題。 医師の使命は病気の治療。治癒の見込みのない病気でも治療方法が見つかるまで延命させるのも医療。どんな場合でも「死なせる」という選択をしてはならない。 しかし、治る見込みもなく苦痛に満ちた生は果たして「よい生」といえるか。 参考文献:星野一正『わたしの生命(いのち)はだれのもの』(大蔵省印刷局)坂井昭宏『安楽死か尊厳死か』(北海道大学図書刊行会) |