2002年7月1日 瀧川ゼミ 担当:加藤 黒田 三浦 「積極的安楽死は法的に認めるべきである」―否定側立論一、「積極的安楽死は認めるべきでない」・自己決定権の限界―死の自己決定は許されない。自己決定権:憲法13条の幸福追求権に基づき、公共の福祉に反しない限り認められる権利。ミル『自由論』の自由主義原則:自己決定は、「判断能力のある場合」で、かつ、「他人に害を及ぼさない、純粋な私事に関する場合」にのみ適用される。 ↓ 目前に死が迫った時に判断能力があるか疑問が残る。 死は周囲に大きく関与することであり、純粋な私事ではない。 ・生命の不可侵性本人にとって利益があろうとなかろうと、生命そのものが尊重されるべきものである。↓ 積極的安楽死がそもそも合理主義で、生命の尊重を無視または軽視している。 生存そのものが利益を有するので、いかなる状態であろうと、死ぬ権利は当然認められない。 二、積極的安楽死法制化の危険性(デメリット)・医療倫理の崩壊ヒポクラテスの誓い―「何人に請るとも致死薬を与えず、またかかる指導をせず…」 医師は治療しかしてはならない。 ・医師も人間だから余命判定等、間違いが起こる可能性がある。 ・患者への自己決定の押し付けとなる。 …そもそも自己決定を出来る状態ではないにも関わらずの押し付け ・患者の意思確認の困難 …どの時点でなした決定を患者の意思ととらえるか。 三、その他、法制化肯定理由への反論・自己決定の尊重←法制化自体、自己決定が純然たる私事に基づくことを無視するものである。自己決定に政府が関与することがおかしい。 倫理観は人それぞれ異なるので、集団の決定に左右されるべきでない。 ・肉体的苦痛からの解放←現在の医療において、肉体的苦痛はほぼ完全に除去しうる。 WHO方式に従ったモルヒネ投与により、95%程度の末期癌患者の痛みを除去できる。 ・精神的苦痛からの解放←積極的安楽死以外の方法で改善すべきであるし、改善可能である。 ・介護負担や経済的負担←負担から逃れようと生命を合理主義的に扱い、生命の価値を尊重していない。 保険制度など、積極的安楽死以外の解決方法を見つけるべきである。 また、たとえ積極的安楽死により介護負担や経済負担から解放されても、そのために肉親を犠牲にすることはより大きな精神的負担となりうる。 ・日本の医療現場の変革←問題があるならば、変革が先にあるべきである。 |