死の所有2003.5.12西田,乗重,深田,本田 デカルトによる死の考察死への恐怖を克服するためには?→生命を保持する方法を発見するよりも死を恐れないこと。 →「精神は肉体の死後も存続する」と信じる 「生得の理性」二つの物の本性はそれぞれ異なる。 肉体:運動の法則の支配を受けるから物質界(存在界)に属する。 肉体に生命を与えるのは、「心」や「精神」ではなく「動物精気」 精神:延長を持たない思錐的実体(認識物) 死とは何か? 「精神が肉体に運動と熱を与えると信じるのは誤りである」 従来:運動や熱がなくなる原因は精神がなくなるからである。 肉体が生まれながらに持つ熱や一切の運動は精神に依存している。 デカルト:死ぬと同時に精神がなくなる原因は熱がなくなって手足を動かす際に働く諸器官が壊れるからだ。 精神は肉体から独立したものであることの証明になる。 肉体の崩壊後、精神が存続する可能性が高まる。 生きている肉体と死んだ肉体の区別 死は精神の欠如によって起こるのではなく、単に肉体の主要な部分のどれかが壊れることによって起こる。 肉体の本性……肉体はどの器官が取り除かれても、その全体が不完全となるように諸器官が配置されているので不可分の単一である。 精神の本性……精神は体の一部と結合する事はありえず、肉体の全体と実際上結合している。 肉体のある部分とだけ精神が結びつく事はないので、肉体の諸器官の集合が崩れると精神そのものはそっくり肉体から離れる。 論点1 死をどのように考えるか所有について<ロック>○自然状態 この世界は神より人類共有のものとして与えられている。 ○導出 人は誰でも自分自身について所有権を持つ。よって、その労働も当然その人のものとなる。そのため、労働により自然から切り離されたものは共有状態から脱し、その人が所有権を持つ。 ○制約 地上の物は神から人間に善用すべく委ねられているので、 1当該のものが腐敗しない A 余人にも残余がある 限りで所有権を持つ。 <カント> ○自然状態 万人はその力の及ぶ限りで地上の一切の物を使用することが許されている。 ○導出 1.内的なもの−主体に生得的な自由(平等独立を含む) 2.外的なもの−@一般的なものの所有 (一般に各人が彼のものを持ちえることは法的実践理性の要請である。) −A特殊的なものの所有 (所有取得が万人の自由と両立しうる唯一の条件として、時間的に先立つ者が、権利において優先する(先占)) ○制約 占有が所有権の権限たり得るのは、単独な占有意思が全ての人々の選択意思を結合した、絶対的に命令的な意思の中で含まれている限りである。 論点2 死は所有できるのか?我々の見解・・・死とは「生命の消失」である。そして、死の所有とは「生命の消失」の所有することであり、「消失を所有」することはできない。よって、「死の所有」という概念は成立しない。「刑罰」とは何か刑罰は、国家が犯罪者の法益を強制的に剥奪するものであり、剥奪される法益の種類から、死刑は生命刑、懲役・禁固・拘留は自由刑、罰金・科料は財産刑と呼ばれる。「死刑」については、古くからその存廃論が議論されてきたが、わが国はなお死刑を存置している。ここで、刑罰とはどのようなものかを改めて考えてみよう。 刑罰に対する考え方として、いくつかの論が挙げられるが、大きく分けて二つの論が対立している。まず、一つ目の論は応報刑論と呼ばれるものである。 <応報刑論> 絶対的応報刑論 刑罰はそれ自体が目的であり正義の実現に寄与するものとする考え方 相対的応報刑論 刑罰の本質は究極的には応報(過去の行為に対する制裁)にあるとしつつも、同時に特別予防目的(将来の社会復帰)を追求すべきものとする考え方 もう一つの対立している論は目的刑論と呼ばれるもので、この論の中には一般予防論と特別予防論という二つの論が存在する。 <目的刑論> 一般予防論 刑罰を科すのは他の一般人が犯罪を犯すことを防止するためとする考え方 特別予防論 犯罪者の矯正のため(教育刑主義)に刑罰を科すという考え方 −3− なお現在では、絶対的応報刑論(犯罪防止目的を一切考えない純粋の応報刑論)はみられない。相対的応報刑論(応報刑論を基調としつつも予防効果の発生を積極的に承認する立場)が多数説である。 さらに近時は、抑止刑論(刑罰の犯罪抑止効果を重視する学説)も有力化しており、これは罪刑の均衡を要求して応報刑論と結びつくことにより刑罰の上限を画そうとしているものである。 現在では、一般予防と応報の折衷という意味での相対的応報刑論が圧倒的に有力である。つまり、今日でも基本的には応報刑論が維持されており、責任主義の理念を前提としているが、その限度内において犯罪者の改善、更正の促進の要請にこたえるという折衷的な考えがとられている。 →刑罰について、ロックは以下のように考えていた。 ロック以来の近代的思想においては「人権」と生命・身体とは厳密に区別され、「人格」には所有権が帰せられるが、生命・身体はそもそも所有権概念とは無縁のものとされている。 刑罰とは、『侵害者の所有権を被害者が受けた損害分喪失されることにより、被害者が賠償されること』である。 <以上より> →上記の二つの考えに基づいて死刑というものを追求していくと、生命には所有権がないので、生命そのものを失わせ、死をもたらせることは概念上できない、ということになる。 よって →所有権、そしてそれによって規定される刑罰は、「労働」に由来するものなのに、生命・身体そのものはそもそも当人の労働によって獲得できるようなものではない。 つまり →生命・身体というものは厳密に奪われることはできず、喪失や賠償のタームとはカテゴリー的に全く異質なのである。 生命を奪う刑罰として解される死刑は論議的に矛盾しており、不可能である。 このような考えによれば、「死刑不可能論」が導き出される。 ☆死刑存廃論の状況死刑存置論1.民族的法律観念(民族確信、応報的観念)時代精神に大きな影響を与え、見逃すことができない思想 ←国民の応報的観念 これは、賛成者の数や投票によって決まるのではなく、民族的雰囲気の中に自ずから生まれる。 2.威嚇力 生命保護のためには、あらかじめ重い刑罰、すなわち死刑を科することで威嚇し、殺人行為を防止しなければならない。 3.社会契約 人は殺人の犠牲にならないために、自分が殺人者となった場合には死ぬことに同意する。 4.国民性と社会状態 日本人は宗教心が薄く、神の代理として国家が死刑を科すという考え方はない反面、死後神の罰が下るので、それこそが絶対であるという考えもない。そのため遺族にとっては、裁判所による処罰のみが応報心を満足させる唯一のものである。 死刑廃止論1.死刑は残虐であり、非文明的なので廃止すべきである。根拠・・・憲法36条「残虐な刑罰」の禁止 2.死刑には本質的に恣意性を伴うので、正義とは言えない。 3.執行人の苦悩 4.誤判可能性 無実の者が誤審のゆえに死刑を処刑されてしまうことは、誰が考えても不正義であり、そうした可能性が本来的に常にある以上、死刑は廃止されなければならない。 −5− 5.死刑の犯罪抑止効果への疑問 殺人者の処刑が行われることで、どれほどの生命を保全することができるのか。 論点3 死刑は存続すべきか、廃止すべきか?参考文献「市民政府論」ロック 岩波書店 1968年「現代所有論」日本法哲学会 有斐閣 1991年 「死刑存廃論の系譜」三原憲三 成文堂 1991年 「死刑廃止論」団藤重光 有斐閣 「思想」2001年 第4号 岩波書店 「刑法総論」浅田和茂他 共著 青林書店 1993年 「死と西洋思想」ジャック・シャロン 行人社 1994年 参考ホームページ kyoの法律学on the web http://www.houritu.info/index.html 犯罪と刑罰 http://www.osu.ac.jp/~kuramoch/Hogaku/Hanzai.html |