臓器は所有できるか―臓器移植

若山朋代・岡元まゆり・府内憲子・西田汐里


臓器移植の是非

脳死
これまでは、死=三兆候死(呼吸の停止、心臓の停止、瞳孔が散大し光に反応がないこと)
脳死とは、回復不能な脳機能(大脳のみならず脳幹の機能も)の喪失
日本では大脳、小脳、納棺全体の死である全脳死を採用。心臓死より脳死が先に訪れるのは死のうち1%程度。

脳死基準
1. 深昏睡
2. 両側瞳孔散大、対抗反射及び角膜反射の喪失
3. 自発呼吸停止
4. 急激な血圧降下とそれに続く低血圧
5. 平坦脳波
6. 1から5までの全てが確認された時点より6時間後まで継続的にこれらの条件が満たされていること

脳死者からの臓器提供は認められるべきか?

* 肯定
1. どうせ灰にするなら誰かの役に立ててからのほうが効率的。
2. 死体に対する医療行為は税金の無駄遣い。治療を必要としている人にもっと力を注ぐ
べき。
3. 医大生やドナーの家族など脳死について詳しく知った人に肯定派が多い。
4. 日本人が臓器提供をすることは拒みながら海外へ移植に行くというのはムシが良すぎる。

* 否定
1. 脳死は人の死ではない。
・ 脳死という呼び名に惑わされている
・ 温かい死へのためらい
・ 脳死判定に対する不信感
・ 科学的判断と日常生活判断の対立
2. 人の死を前提とする臓器移植へのためらい。
3. 遺体へのこだわり。
4. 日本独特の習俗があるのだから、「欧米がやっているから」といって何もかもあわせる必要はない。


臓器移植における本人の意思と遺族の意思

本人の意思と遺族の意思に関する条文または改正案

・旧角膜腎臓移植法第3条B

医師は、死体からの眼球又は腎臓を摘出しようとするときは、あらかじめ、その遺族    の書面による承諾を受けなければならない。ただし、死亡した者が生存中に書面による承諾をしており、かつ、遺族がその摘出を拒まない時、または遺族がない時はこの限りではない。

本人の意思不明な場合、拒否している場合にも遺族の承諾により摘出可能に… 

・臓器移植法第2条

@ 死亡した者が生存中に有していた自己の臓器の移植術に使用されるための提供に関する意思は、尊重しなければいけない。
A 移植術に使用されるための臓器の提供は、任意にされたものでなければならない。

同法第6条
@ 医師は、死亡した者が生存中に臓器を移植術に使用されるために提供される意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の提出を拒まない時又は遺族がないときは、この法律に基づき、臓器を死体から摘出することができる。

臓器の提供や脳死判定について本人の自己決定権を強く打ち出した反面、遺族や家族にも拒否権が認められているため、その整合性が問題となる。

町野改正案(2000年8月厚生省提出)
脳死状態に陥った者が、臓器提供について明確な意思表示をしていない場合
遺族の意思のみで臓器提供を可能とすること。 
(本人が拒否する場合、または、本人が同意していても遺族が拒否する場合は従来どおり
摘出できないものとする。)

本人の意思がない場合において遺族の意思のみで移植が可能となるのはなぜか?

死体の法的性質

A説:死体は「物」であり、その上に所有権が成立する。死体は慣習法によって埋葬       
 祭祀等を行う「喪主」に原始的に帰属する。 
……現在の通説,判例

B説:死体は相続の対象となる。死亡によって死体が「物」へと転化し所有権の客体となるのと同時に、相続財産の一部として相続人に継承される。
……昔の通説,判例
               
AB両説を臓器移植の場合にあてはめると、喪主・相続人等死体の支配権をもつ者の意思が優先される。本人が生前に意思表示している場合でも、本人の意思の尊重はあくまで「道義的問題にとどまる」。旧角腎法はこれに基づき、本人の意思よりも遺族の意思を優先した規定になっている。

C説:人格権残存説
死体は「物」ではなく、死体には人格権が残存する。生前有していた人格権は死後も残存するため、死者は死後も権利能力の主体になることができ、死者本人に自らの死体の処分権が属する。
……権利能力が死によって消滅する事自体を修正 

D説:期待権説(刑法190条における死体損壊罪の保護法益の観点から)
死体損壊罪の保護法益を「自分の身体が自分の意思に反した取り扱いがなされないことへの期待。」と考えることによって間接的に死者本人の自己決定権を保護しようとする。
 
臓器移植法において、死者本人の臓器提供意思を法的根拠に基づいて尊重する学説として、近年有力になりつつある。が、本人の自己決定権と遺族の拒否権との整合性の問題は残る。 

死者と遺族の権利の具体的中身

 死者―自分の死体の処分権としての人格権(自己決定権)
 遺族―葬祭等の権利を主な内容とする人格権(死者保護権)


両者の人格権が利益衝突した場合、臓器提供は他人を救うための愛他的行為として最も尊重されるべき利益である。これに対し遺族の固有の権利は死者に対する哀惜の念と敬虔感情を害されない利益であるといえる。死者による明示の臓器提供を拒否することは死者の敬虔感情を損なうことになる。そうすると死者の人格権は遺族の人格権に優先することは明らかになり本人の自己決定権は遺族の人格権により覆されることはない。
本人の意思が不明な場合に遺族は保護権によって決定することができる。

 死者―同上
 遺族―精神的共同性


死者と遺族が共に生活してきたという精神の領域での相互浸透性といった精神的共同性があるので、遺族は死体の一部の処分=摘出に対して承諾を与えることができる。しかし、両者の利益が衝突した場合にはどちらかが当然に優先するとはいえないので最終的には立法の目的によるものとする。
本人の意思が不明な場合には上記のようにどちらかが優先するものではないため、両者の意見が一致したときにのみ、臓器提出はできる。

町野改正案における自己決定権
死者の自己決定権
=生きている人の期待の集合のこと。
 死後、自分の体あるいは自分の意思が尊重されてほしいという権利。

人間は他人に対して善意を示す資質を持っている存在であることを前提とするならば、本人の臓器提供拒否の意思が表示されてない以上、臓器を提供することは本人の自己決定権に沿うものである。

臓器売買

そもそも、臓器には・・・
医療資源としての経済的、財産的価値有り
商品のように、商品として流通する潜在的能力有り
自己決定権にもとづく臓器提供自由の原則はすでに確立

しかし、臓器売買については 多数の人がよくないと考える。
日本では禁止されている。
臓器移植法→臓器売買禁止。臓器の提供・対価としてお金を与えたり、要求したりしてはならない。

では、なぜいけないのか?
   自分が自分の意思に基づいて自分の腎臓を売ってなぜ悪い?
   腎臓病で死に瀕してる人が腎臓を買ってなぜ悪い?
   そもそも、なぜ臓器売買が法律で禁止されなければならない?

臓器売買反対派=臓器売買の立法による禁止
・ 臓器ひいては人体はそもそも物ではないから。
・ ドナーとなる貧困者からの搾取になるから。
・ ドナーの人権、健康を侵害するから。
・ 裕福な者が優先的に移植の機会を獲得してしまうから。
・ 感情的に許せないから。

臓器売買賛成派
・ 臓器を売る権利、買う権利があるのでは?
・ 臓器売買を禁ずることで提供可能な臓器を無駄にしているから。
・ 対価をもらうことに正当性があるから。
・ 命を金で買う時代

あなたは臓器売買賛成or反対?


《世界の状況》

*アメリカ
1983年、バリー・ジャコブ博士が臓器商業化の試みにとりかかる。
1984年、臓器売買を禁じる歴史的な法案であるアメリカ臓器移植法(NOTA)成立。しかし、この法律は移植に関する臓器売買のみを禁じ、研究用のものは認めている。
禁止立法がなされているにもかかわらず、賛成論が根強いのも現状。

*イギリス
1989年、ヨーロッパ市場の開拓をめざす国際的臓器売買の計画が企てられる。
同年、政府は臓器売買を違法とした〜トルコ人の事件の影響

*インド
 臓器移植が許されている。(アフリカ、ラテンアメリカでも同じ。)
1994年7月臓器売買を包括的に禁止する法律(ヒト臓器移植法)成立。ただし適用される州は限定されており、実効性について疑問が示されている。
ブローカー主導型、病院主導型、患者主導型の3つの臓器売買形態。
 多くの腎臓ドナーがいることで有名な「腎臓村」といわれるビリバッカム。
ボンベイのV・N・コラバラク博士;「私たちは、人間のモラルを功利主義の犠牲にしてしまう商売への水門を開いてしまったようだ」

*アルゼンチン
 州立精神病院で患者の血、角膜、その他の臓器を取り出して売っていた。この研究所では、患者を殺して臓器を取った後、家族には脱走、死亡したと伝えていた。

*世界保健機構(WHO)
 1991年、第三世界における臓器売買は危険なほどの勢いで拡大しつつあると報告。参加諸国に臓器売買の禁止を要請。

《事件》
1 ウズベキスタン(2001年1月5日)
 低価格の海外旅行を売り物にした旅行代理店は、甘い言葉で客を誘い込んでいたが、実際は客を殺していくつかの臓器を摘出し、売りさばいていた。家宅捜索したところ、6人の遺体から刈り取られた人体部品と、60枚以上の盗んできたパスポート、4万ドル相当の米国紙幣が見つかった。
 ⇒旧ソ連時代に非合法の臓器売買を行なっていたことが確認された。

2 中国(2001年6月27日)
米国へ亡命希望の中国人警察医が、米・下院外交委員会で、中国当局が死刑囚の遺体から腎臓などの臓器と皮膚を摘出、移植を希望する国内外の患者に売りさばいていると告発した。中には絶命前の体から摘出した例もあり。

3 ウクライナ(2003年2月6日)
 これまでに約8000人の子供が、養子縁組を装って海外に人身売買され、臓器移植の提供者にされたり、売春させられている疑いがあるとして、検察当局は捜査を始めた。人身売買は、養子縁組を仲介する政府の養子センターとブローカーが協力して行われたとみられる。


《胎児革命》

胎児や新生児も臓器の供給源となりつつある←免疫機構が不完全で移植に最適
1920年代後半〜胎児臓器移植の試みや胎児組織を医療に使おうとする試みが始まる
1928年 ヨーロッパで胎児の膵臓を糖尿病患者に移植(失敗)
1939年 アメリカで初の胎児の膵臓移植(失敗)
1950年代 医療分野で初の胎児組織の利用が成功
1960年代始め アメリカとイギリスで、研究者に対して胎児組織を供給するために胎児を収集する組織が結成
1988年 胎児の神経組織の移植が行われる

→胎児臓器移植が期待される病気として、パーキンソン病患者、アルツハイマー病患者、ハンチントン病患者、糖尿病患者が考えられている。

⇒「胎児飼育」のような事態(倫理的問題)が生じる可能性〜アヤラ家の事例
代替部品として胎児を使うために、意図的に妊娠・中絶する風潮にはずみ。
無制限に胎児を利用することは、果たして許されるのだろうか?

無脳症の赤ちゃん⇒誕生後急速に内臓の機能が低下してしまう
                 ↓
実際に死ぬ以前に、法的に「死んでいる」とみなし、臓器を有効利用しよう
批判;一方を救うために他方を殺すというのは単なる蛮行。
   無脳症の事件は最前線の一例であり、常に前進していく。
“望みのない状態にあるものから、何か役立つものを取り出して何が悪い”という考え方の恐怖〜昏睡に陥った成人の利用、アルツハイマー病患者の利用など。 


《参考文献》

『反脳死論−いのちの挽歌』西村克彦(信山社、1992年)
『臓器移植−生きるための選択』岸永三(東洋経済新報社、1993年)
『臓器移植』野本亀久雄(ダイヤモンド社、1999年)
『脳死 ドナーカードを書く前に読む本』水谷弘(革恩社、1999年)
『なぜ日本では臓器移植がむずかしいのか−経済・法律、倫理の側面から−』
後藤正親ほか(東海大学出版社、1999年)
『死生学がわかる。』(朝日新聞社、2000年)
『人体部品ビジネス』粟屋剛(講談社、1999年)
『ヒューマンボディショップ』アンドリュー・キンブレル(科学同人、1995年)
『臓器は商品か 移植される心』出口顯(講談社現代新書、2001年)

《参考ホームページ》

臓器移植法改正を考える http://www.lifestudies.org/jp/ishokuho.html
臓器売買−インドの事例−の論文
 http://homepage1.nifty.com/awaya/hp/ronbun/r001.html


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