所有と平等〜所有権を認めるといかにして再分配は正当化されるか〜2003.7.7岡村 大貝 若山 三浦 ☆再分配批判 〜ノージックの議論から〜<ノージックの3原則>@ 獲得の原則・・・労働して価値をつくったらその財を所有する資格を持つA 移転の原則・・・自発的な譲渡をしたら財は移転される B 不正の是正の原則・・・@Aの違反は是正される ★チェンバレンの例 <再分配の問題>再分配=「各人に〜に従って配分せよ」(配分パタン)・ その配分パタンの下で受ける取り分の一部を譲渡する個々の当事者の自発的行為によって妨害を受けるのを免れない →その配分パタン維持のためには譲渡を阻止するための不断の介入が必要 →苛烈な個人主義となる ・ 譲渡行為を無視した受け手の正義の理論 ・ 「〜」を埋めることは結果重視 →その配分がいかにして生起したかをも考慮することが適切 ・ 勤労収入への課税は強制労働と同じ−納税かぎりぎりの生活か ・ 選考の差−欲求の実現を許される人と制限される人 ・ 社会の総生産物のうちある一部、つまり、個人的、共同的に生み出された生産物の総計のうちの一部に対する強制力のある請求権を各市民に与える →各市民は他の人々の行動を私する=「部分所有者」 →道徳的制約の侵害 ・再分配によって与えられる物は無機質→顔の見える自発的慈善の方が望ましい 所有権擁護の立場からの平等(から生ずる分配)への批判*リバタリア二ズムの立場より@本来、労働とは苦労して何かを得ることであると考える。ならば苦労して価値を作り出した人がそれに対する権利を持つのは当然という直感が得られる。 更に、天然資源等は、労働が投入されてはじめて価値を持ちうる。(例えば、ダイアモンドは山にあるだけでは価値があるとは言いにくいが、採掘し、研磨するという労力を加えて初めて価値を持つと考えられる) ↓ 資源への権限を持つ者としてふさわしいのは、その価値をうみだした人だろうか?それとも何もしなかった社会だろうか? A人は自らが作り出した不正な損害への責任は負っている。ならば、損害(=価値の滅失)だけでなく、価値の創造(=労働の結果得られた価値)に対してもそれを所有する権利があるのではないか? B私的所有を認めることで資源は活用され、社会は発展するのではないか?逆にいうならば私的所有が認められない社会では、人々の労働意欲をそぎ、社会は停滞してしまうという事実を私達は社会主義から学んだのではないか? C納税とは強制であり、その税は自らの労働の一部なのだから、徴税とは強制労働に他ならない。しかし現在の日本では強制労働は禁止されているので、これは矛盾しているのでは? 以上のようにリバタリア二ズムからの分配への批判が提起できる。 *再分配を目的とする徴税への反論の検討・徴税するのは公共物設営のため←民間企業が設営することにより民間の競争がおこり、むしろ便利で安価な提供が受けられる可能性もある。 ・将来の担保のために ←自分の将来のためには自分で財を蓄えて備えることも十分可能。現に社会では民間の保険会社が同じような役割を担っている。 ・能力は偶然的なものであってこれを基にした私的所有を是正するため ←偶然は偶然のままでも問題ないのではないか。偶然から個性は生み出され社会は発展していくと考えられる。歴史的に見ても、平等を重視した社会はでは市場は停滞し、社会の活性化を鈍らせたと考えられる。 他の人より多く利益を得ているように見える人も、実際には誰かの利益を侵害してまで自己の利益を得ているわけではないので、自己が労働によって得た利益を徴税という形で労働に加担していない人に分配されるのは理不尽だと感じるのではないか? さらにいうならば、例えば破産制度のように自分の失敗により出してしまった損害に対して他者が生活保護を与えてやらなければならないのかという疑問や、一私企業が私利私欲にはしったためにおこした失敗を納税者が公的資金導入という形で負担させられなければならないのか?といった理不尽さを直感的に私達は感じるのではないだろうか。 では前述のどうり分配やそれを目指して行われる徴税に対して多くの批判があるなかで、それでもなお平等を正当化し分配を正当化する根拠はなんであるのか考えてみたいと思う。 再分配の正当化論資源の平等という概念を用いて、再分配を正当化する考え。資源の平等とは・・・どのような資源であろうと個人によって私的に所有されうる資源に関する平等のこと18世紀以来、経済市場は「平等の敵」とみなされるようになり、平等は効率性や自由に対抗するものとして考えられるようになった。平等と自由・効率性は両立できないもので両者の間に妥協点を見出すことが賢明な政策とされた。 どのような私的所有のパターンが私的資源の平等な分割といえるのかを考える時に、資源の平等な分割は何らかの形態の経済市場が前提とされるということが、従来の考え方とは異なるところである。 資源の平等な分割の達成とはどのようになされるのか。 (例)無人島に漂着し助けをあてにできない状況におかれた。生きていくためには島の資源を利用しなければならない。島のどの資源に対しても、他人に先立って権利を与えられている者はおらず、むしろ、これらの資源は人々の間で平等に分割されねばならない。 ・ このような状況でなされる資源の平等な分割とは @ 羨望テストをクリアするような分割 * 羨望テスト・・・分割完成時に、移住者のうちの誰かが、自己の資源の束よりも他のある人間の資源の束を選好するような時には、いかなる資源の分配も平等な分配といえないとする。 資源の分割が分割者によって不公正、恣意的に行われたならば羨望テストに合格しても全ての者が満足するような結果にはならない。 A 競売 元手の金額を同じにした競売によって分割が完成する時、自分が嫌悪するものしか与えられなかったような状態におかれる人間は誰もいない。競売によって人々は自分が送ろうと決断した生活の対価を払うことになる。 競売によって移住者たちの間で、資源の平等は達成された。しかし、時がたつと、才能や運によって当初の資源の束の間に差が生じ、他人の資産の束を選好するようになる。 「運」・・・ 選択の運 リスクを冒すことを辞退することもできた時にそのリスクを受け入れることによって損をするか得をするかという問題 自然の運 慎重な賭けとはいえないリスクがどのように降りかかるかの問題 資源の平等は人々が自ら送る生活の真のコストを支払うべきことを要求するので、選択の運によって、人々の持てる資源に格差が生じてもそれを支持するものである。 自然の運・・・(例)ある人が失明した。その人だけが失明のリスクを冒すということは、その人が選択した生活にとって必要でない。 →自然の不運による再分配は認められる 『保険』・・・自然の運と選択の運を連結する役目を果たす 身体障害に対して、保険が利用可能であれば、自然の不運に対する備えを保険に加入することでするかしないかは、もはや選択の運に関することとなる。 このように、保険市場の観念を用いることによって、資源の平等は現実世界における身体障害の問題に対処することができる。 ◇才能・能力によってついた格差 能力が大雑把に見て平等であれば、競売は常に資源の平等を提供してくれるものである。しかし、現実世界においては人々の能力は不平等であるから競売だけでは常に平等を確保できない。 労働能力は競売にかけられる資源ではないので、人々は自らの意思で選択して能力を獲得したり放棄したりすることはできない。 →資源の平等を確保するためには、再分配が必要となる。 平等を確保するためには、能力の相違から生ずる効果を消し去るが、ある個人が職業を選択することから生じる結果は維持するような再分配の方式が必要となる。 所得税は適切な手段であると考えられる。 ・どのような税制が最適か 能力と身体障害との相違を程度の相違として考えた場合、身体障害による差異を保険でカバーできたように、能力による差異も保険でカバーできる。 保険の内容・・・被保険者が指定した特定の所得レベルの収入を稼げないとなったとき、保険金が支払われるというもの 保険金の額・・・稼ぐ機会を持っている収入と保険の担保範囲との差額 保険の掛金・・・保険料は所得レベルに応じて変化し、競売後、将来の所得から支払われる 予測される経済構造において最も高額な収入を得られないことから自分たちを保護してくれるような、そしてこの収入を得られない場合には、自分たちが現実に稼げる金額とこの高額な収入との差額を支払ってくれるような保険を選ぶと考えられる。しかし、このような保険では、ほぼ常に、そしてほぼ全ての人にとって損な買物であることになってしまう。 保険という装置は所得税による再分配の合理的な指針たりえなくなる このように保険で担保されるレベルが高い場合には、保険に加入した人は奴隷のような状況に置かれることになり現実的でない たいていの人は平等な条件で保険に入る機会が与えられれば低いレベルでなら事実上保険に入ると思われる。 <理由> 所得レベルが低下するにつれて、特定の人間がそのレベルの収入獲得のために必要な能力を持つ確率は増加する。この確率は、所得レベルの低下率よりも早く増大するため、保険の担保範囲が低下するにつれて保険料も低下するとき、少なくともかなり広い領域にわたって保険料は担保範囲の低下よりも早い度合いで低下していくから。 保険の構造を税制度へと転換させると →想定される保険料の上に税率を基礎付け、想定される担保範囲レベルの収入を稼ぐ能力がない人々に彼らが稼げる収入と当のレベルとの差額を支払うことで再配分を行う。この時、保険料は特定の担保範囲に対して定額の保険料を要求するのではなくて、被保険者が後になって稼げるとわかる収入が増大すれば保険料も増大するように定められた保険を保険会社が提供すると収入の多い人ほど保険料が高くなる。保険の仕組みが変化することによって期待される福利が増大するならば、このような保険は受け入れられるであろう。 具体的には、累進的な所得税を設け、これを財源として移転支出を行い、平均レベルの担保額から共同保険の要素を差し引いた値と、保険の申込者が自分の能力で現実に稼げる最高所得額であると説得できる値との差額を彼に支払うだろう。 当初の時点での人々の平等な資産と、平等のリスクを前提に仮想保険を現実へと転換したものとして構成された税制度は、資源の平等のもとで能力の相違に関して生ずる問題に対して適切な解答を与えるものである。 * 論点 * どのような所有体制が最も好ましいのか(自由放任か、再分配の体制に服すか) 集団の中で何かを人々に分配する方式には次の4つがある。A一律平等に分配する。B抽選によって分配する。 C貢献度に応じて分配する。 D各人の必要に応じて分配する。 A →各人が等しいものを受け取ればよかろうという機械的、一律平等主義。 政治に参加する権利(選挙権)、資格などで採用されている。 つまり、チャンスの平等。ゲームの出発点での条件を決めるだけ。 もし、最終の成果にまで一律平等主義を貫くと(結果の平等)問題生じる。 B →運まかせの分配。 例・定員100人の学校に500人の志願者があったとき、抽選であたった100人を入学させる⇒500人の志願者に入学資格が与えられる確率は等しく5分の1⇒人々に公平感を与える C →ライオンとロバとキツネが仲間になって狩りに出かけた。獲物がたくさんあったので、ライオンはロバに命じて分けさせた。ロバは三等分して、「好きなのを取ってください」といった。ライオンは怒ってロバを食い殺した。そしてキツネにわけさせた。キツネは全部を1つにまとめ、自分の分をほんの少しだけ別にすると、「後は全部お取りください」とライオンに言った。「このわけ方を誰に教わった?」とライオンが聞くと、キツネは「ロバの災難から教わったのです。」と答えた。 ↓ 正義とは強者の利益であるという見方と、働きに応じて分配するという見方 キツネがライオンの子分になって行動をともにしていた。キツネが獲物を見つけて知らせるとライオンが襲い掛かってつかまえる。取り分はその働きに応じて、ライオンが多く、キツネは少なかった。キツネはこれが気に入らなくなって、自分もライオンと同じく狩りの役をやってみようと思いたち、羊の群れから一頭をうばおうとしたが、自分の方が猟師の獲物になってしまった。 ↓ 働きに応じて獲物を分配することは当然。自分もより重要で危険な働きをすることで、より多くの分配を得ようとしたキツネ。 ↓ 資本主義という利潤を狩りとるゲームについてもあてはまる。 ライオンは企業家、キツネは従業員(サラリーマンなど) D →特別の場合しか通用しない。年金、失業保険など。 例・人は誰でもその必要とするものを社会または国家から受け取る権利がある。 とすると・・・分配とはある一定のものを分配すること。みんなが欲しがるものを不足なく分配できるとは限らない。国家が国民に分配できるのは、国民から集めたものだけ。あるいは、国家が戦争のような特別の事業によって他国から獲得したものだけ。→必要原理による分配が可能なのは、そのものが有り余っているときに限られる。 再分配を考えるうえで、まず分配についてみてみました。 この分配方法が一番いい!というものではない。どの方法が一番良い効果を生み出すかを 状況に応じて考えることになる。こうあるべきではなく、どの方法がうまくいくかということである。 <参考文献>ロバート.ノージック 『アナーキー、国家、ユートピア』(木鐸社 1992年)竹内 靖雄 『法と正義の経済学』(新潮社 2002年) 竹内 靖雄 『経済倫理学のすすめ』(中央公論新社 1989年) 森村 進 『自由はどこまで可能か(リバタリア二ズム入門)』(講談社 2001年) 『思相』 (岩波書店 2001 3.5.8.11 2003 2.3号) ドナルド ドゥオーキン 『平等とは何か』(木鐸社 2002年) |