存在と所有

担当:池田・岡・加藤・長澤


1.フロム「生きるということ」より“持つ様式”と“ある様式”について

鈴木大拙「禅に関する講義」より

テニソン(19世紀のイギリスの詩人)
 ひび割れた壁に咲く花よ
 私はお前を割れ目から摘み取る
 私はお前をこのように、根ごと手に取る
 小さな花よ――もしも私に理解できたら
 お前が何であるのか、根ばかりでなく、お前のすべてを――
 そのとき私は神が何か、人間が何かを知るだろう

*人々や自然を理解するために花を所有する必要がある。
そのことにより、花が破壊されてしまう。
テニソンと花との関係は持つ様式

松尾芭蕉
 よく見れば なずな花咲く 垣根かな
*花を摘むことを望まないばかりか、手に取ることもしない。
彼が望んでいるのは見ること。それもただ眺めるだけでなく、一体化すること、それと自分自身を<一にする>こと。
芭蕉と花との関係はある様式
→人が何ももつことなく、何かを持とうと渇望することもなく、喜びにあふれ、自分の能力を生産的に使用し、世界と一になる存在様式。

☆あることと持つことの違いは、本質的に西洋と東洋の違いではない。


日常経験における持つこととあること

i. 学習すること

持つ様式の学生
・講義に耳を傾け、講義の言葉を聞き、それらの言葉の論理構造と意味とを理解し、できるかぎりすべての言葉をノートに書き込む。
しかし、その内容が彼ら自身の個々の思想体系の一部となり、それを豊かにし、広げることにはならない。
誰か他の人の所説の集積の所有者となっただけ。
・持つ様式の学生の目的は、学んだことを固守すること。
新しい思想や観念に出会うと狼狽する。
→新しいものは彼らの持っている決まった量の情報に疑いを挟むから。

ある様式の学生
・1回目の講義であっても、その講義が扱うはずの諸問題についてあらかじめ思いをめぐらしており、彼らの頭には彼らなりのある種の疑問や問題がある。
よって、言葉や観念の受動的な入れものとなることはなく、彼らは関心を持って講師の言うことに耳を傾け、聞くことに反応して自発的に生命を得る。
講義を聴いたあとで、講義を聞く前の人間とは別の人間になる。

ii. 想起すること

持つ様式の想起
・ 想起するときの結合がまったく機械的、論理的。

ある様式の想起
・ 生きた結合…能動的に言葉、観念、光景などを思い出すこと。
想起すべき単一のデータとそれが結びつく他の多くのデータとを結びつけること。

iii. 会話すること

持つ様式の人物
・ 会話をするとき持っているものにたよる。
例:持つ人の会話→準備していった会話

ある様式の人物
・ 会話するときに、あるという事実、生きているという事実、そして抑制を捨てて反応する勇気がありさえすれば、何か新しいものが生まれるという事実にたよる。

iv. 読書すること

持つ様式の読者
・ 結末を知ったとき、彼らはすべての物語を持つ。
→しかし彼らは自分の知識を増してはいない。
また小説の中の人物を理解することによって、人間性の洞察を深めたり、自分自身についての知識を得たりしたわけでもない。

ある様式の読者
・しばしば大いに賞賛されている本でも価値がないという結論に達する。
ある本を著者よりも理解しているかもしれない。
→著者は自分が書いたものがみな同じように重要だと思っているかもしれないから。

v. 権威を行使すること

権威→合法的権威…能力に基づいている権威
   非合法的権威…力に基づいている権威

権威をもつこと
・ 権威であるためにはまったく無能であっても権威を持つことがある。

権威であること
・ 一個人が或る社会的機能を果たすための能力に基づくばかりでなく、高度の成長と結合を達成したパーソナリティの本質そのものにも基づいている。

vi. 知識をもつことと知ること

持つ様式 「私は知識を持っている」
・ 利用できる知識を手に入れ保持すること。

ある様式 「私は知っている」
・ 機能的であり、生産的な思考の過程における一つの方法。
・ 幻想を打ち砕き、幻想から覚めること。
・ 真実を所有することを意味しない。
・ 真実によりいっそう近づくためにうわべを突き抜け、批判的かつ能動的に努力する。

vii. 信念

持つ様式の信念
・ 何の合理的な証明もない答えを所有すること。
・ 権力を持つ他人の創造した定式を受け入れること。
*信念→(権力に基づいた)確実性を与えてくれるもの
神→一個の偶像

ある様式の信念
・ 或る観念を信じることではなくて、一つの内的方向づけであり態度である。
・ 確実性を含んでいる(この確実性は私自身の経験に基づく確信であり、あることを信じよと命じる権威への屈服に基づくものではない)。

viii. 愛すること

持つ様式
・自分の<愛する>対象を拘束し、閉じ込め、あるいは支配することを含む。
→それは、圧迫し、弱め、窒息させ、殺すことであって、生命を与えることではない

ある様式
・ 相手に与え、相手を刺激すること。
・ 愛すべき人間になろう、愛を生み出そうという努力をする。

持つ様式とは何か

* 私有財産の性質に由来。
問題となるのは、ただ財産を取得すること、そして取得したものを守る無制限の権利を持つことだけ。

* 他人を排斥する

* 財産と利益を中心とした態度であって、必然的に力への欲求(というより必要)を生む。
→私有財産の支配権を維持するためには、他人からそれを守るだけの力を用いなければならない。
また、私有財産を持とうとする欲求は、顕在的あるいは潜在的な方法で他人のものを奪うために、暴力を用いようという欲求を生み出す。

* 持つ様式において幸福とは、他人に対する自己の優越性の中に、自己の力の中に、そして究極的には征服し、奪い、殺すための自己の能力の中にある。

* 持つ様式の根拠
生きる欲求
肉体は不滅を求めて努力するように、私たちを促す。
しかし私たちは経験的に死ぬ身であることを知っているので、不滅であると自分に信じ込ませるような解決策を求める。
例:ピラミッドに葬られた自分の肉体が不滅になるというファラオたちの信念
しかし、他の何ものにも増して、財産の所有が不滅への渇望の実現を生み出す。
もし私の自己が私の持つものによって構成されているとすれば、持っている物が不朽であれば、私も不滅ということになる
例:遺産相続

* 持つ様式はただ時の中にのみ、すなわち過去、現在、未来の中にのみ存在する。
過去に蓄積したものに縛られる。

* 持つことが関係するのは物であって、物は固定していて記述することができる。


ある様式とは何か

* 前提条件として、独立、自由、批判的理性の存在がある。

* 基本的特徴は能動的であること。
 →自分の人間的な力を生産的に使用するという、内面的能動性。
 自分の能力や才能を、すべての人間に与えられている豊富な人間的天賦を表現すること。

* あることは、自己中心性と利己心を捨てることを要求する。

* ある様式において幸福とは、愛すること、分かち合うこと、与えることの中にある。

* ある様式の根拠
→人間存在の独特の条件と、他人と一体になることによって孤立を克服しようとする生来の欲求にある。

* ある様式は今ここにのみ存在する。
あることは必ずしも時の外にはないが、時はあることを支配する次元ではない。

* あることが関係するのは経験であり、人間経験は原則として記述できない。


持つこととあることの新たな側面

死ぬことの恐れ−生きることの肯定
財産に執着しないこと、それを失うことを恐れないことは可能かも。
では、生命そのものを失う恐れ、つまり死ぬことの恐れはどうか。
→不滅への深く刻み込まれた欲求
  例:人間の肉体の保存を目指す儀礼や信仰

死ぬことの恐れを真に克服するには、生命に執着しないこと、生命を所有として経験しないことしかない。
持つ様式に生きている限り、それだけ私たちは死ぬことを恐れなければならない。
いかに死ぬべきかの教えは、実際いかに生きるべきかの教えと同じである。
あらゆる形の所有への渇望、特に自我の束縛を捨てれば捨てるほど、死ぬことの恐れは強さを減じる。
→失うものは何もないから。


2.アイデンティティとは

正確にはego-identity
自我同一性、自己の存在証明、自己確信などの多義的な言葉。

エリクソン(アメリカの心理学者)の理論。
二つの側面

@主体的確信:私は独自の存在であり、過去・現在・未来を通して私だという確信。
         時間的な連続性が必要不可欠。
         他者とは異なる個性があるということ。
A社会的自信:私は他者と共存し、その中で一定の役割を果たしているという自信。
         社会や集団に属するメンバーであるということ。

アイデンティティの確立
→自分が自分だと思えること。
 主体的確信と社会的自信とが生まれ、自己肯定的な感情が生まれ出ること。

アイデンティティの拡散(危機)
→自分は自分だという確信・自信がもてない状況。
 現代社会に多い(昔のように生命の危機的状況にはないので、意識が内に向くため)

☆「アイデンティティとは、自分が自分に語って聞かせるストーリーである」(R.C.レイン、精神科医)
→私が「わたし」であるためには、そしてその私の幸福を見定めるにも、物語が必要。


3.持つことは持たれること

持つこと

近代社会の曙においては、私的所有の権利は個人の自由の根拠をなすものだった。
→自分の財産を他者によってみだりに侵害されない権利
=社会の正義の基礎
人は何かの所有者であることによって、誰かでありえた。
例:名前、属性、財産、言語
しかし、あるものをわがものとして所有する権限が、だからそれを意のままにしてもよいという権限へとスライドされるとき、所有の観念は本来それがなじまないような存在領域にまで及ぶ。
例:環境、土地、雇用関係、家族関係、性関係、恋愛
あるいは学歴、健康、性別、国籍

古来より道徳は「貪欲」、つまり過度の所有を戒めてきた。

→おそらく、所有への欲望の果てしのなさを知ってのこと。

持たれること

所有するものは、所有そのものの奴隷となる
例:貨幣をより多く所有すればするほど、それを失わないかと不安になる。守銭奴として貨幣に縛られる。

「持たれること」が「肩書」・「選好」に及んでくると…
 例:リストラされたくないばかりに、過労死するまで働く。
  借金してまでブランド物を買い集める。
「持つこと」を放棄することによって、「持たれること」から開放されることも…
 例:自ら進んで、フリーターになる若者の増加

「持つこと」の安心感・「持たれること」のわずらわしさか?
「持たないこと」の不安定さ・「持たれないこと」の開放感か?

★論点★

あなたは就職活動をしているか、あるいは公務員試験・その他資格試験を目指しているとする。
第1・第2志望はうまくいかなかったが、第3・第4志望以下に内定した場合、妥協してその内定先に就職するだろうか。
それとも、1〜2年フリーターをしつつ、当初の目標に向かって努力し続けるだろうか。


4.所有は自分と他人を分ける境界線

「これは私のものだ」という所有の感情は、それなしに自分がありえないと思われるほどに、「わたし」というものの存在の核をなしている。
私の身体、私の持ち物、私の家、それらを他人が思いのままにするとき、私たちは自分の存在が否定された、凌辱されたと感じる。
それだけでなく、自分のものと他人のものとを混同することは、社会の秩序を根底から揺るがすような出来事となる。
実際、自己の生命と財産の私的所有が公的に認められていることが、長らく市民の自由の基礎とされてきた
(20世紀の世界は、公有か私有かという、生産手段の所有様式と生産物の分配方法とによって、社会主義的な国家体制と自由主義的な国家体制とに大きく二分されてきた)。

しかしその所有の制度が、今、社会のいろいろな場面できしみだしている。
例:
・ 土地…かつての高度成長期やバブル期に投機の対象として統制不能なまでに高騰し、バブル崩壊後は企業にとって不良資産として重い荷物になっている。
・ マイホーム…一生かけてローンを返済する条件でようやく手に入れられるささやかな「夢」の象徴であったが、バブル崩壊後の地価の下落で引っ越せば借金だけが残るという状況。
・ 知的所有権…関係者が多くまた公開後の別メディアでの放送権などもからんでくる事業(映画など)の場合には、費用と手続きがかさばって制作行為そのものが困難に。
・ 身体の所有権(臓器の提供・美容整形・売春など)…
身体の自己所有という視点から正当化が試みられる。
「私の体は私のものなんだから、私がどうしようと勝手じゃない」

・ アイデンティティの問題…
人生という時間の中で、決定権を持つという意味で「わたし」を所有するのはいったい誰なのか、「わたし」はどういう意味で家族に、会社に帰属するのか、あるいはどういう理由で私のものなのか、といった問題。

「所有」という概念と制度が、私たちの社会的な存在から個人的な存在まで、さまざまなレベルで問い直されつつある。

「所有」から「利用」へ(大野剛義)

所有」…長期的・継続的で固定的な関係。
事物との安定的な関係をもたらすが、抱え込み・囲い込みによって閉鎖的なものとなる。

利用」…柔軟で流動的な関係。
その速度と開放性を時代が要請している。


★論点★

現代は、今まで見てきたように、所有という概念と制度について根本的な見直しが必要な時代だと思われる。そんな中、大野による『「所有」から「利用」へ』という議論や、松井孝典による環境問題を背景とした『「所有」から「レンタル」へ』という提言(大野に大きなヒントを与えた)が出てきている。
これらの議論を踏まえると、今後の所有はどうあるべきだろうか。


5.参考文献

フロム 「生きるということ」 紀伊国屋書店 1977年
「改訂版 高等学校 倫理」 数研出版 1997年
鷲田清一 「死なないでいる理由」 小学館 2002年
生命学ホームページ http://www.lifestudies.org/jp/washida01.htm
2003/7/9
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