6分子は普段、エネルギー的に最も安定な基底状態(S0状態)に存在していますが、光エネルギーや化学エネルギーなどのエネルギーを外部から獲得すると、電子励起状態(励起子)とよばれる高エネルギー状態になります。励起状態では、発光やエネルギー移動、電荷移動などの様々な興味深い超高速現象が起こります。太陽光が降り注ぐ自然界では、はるか昔から分子の励起状態を光合成の初期過程で巧みに活用し、生物にとって欠かせない酸素や有機物を産み出してきました。一方、人類による励起状態の活用は現在も急速な発展を続けており、LEDやレーザーなどのオプトエレクトロニクス、太陽電池や光触媒、光アップコンバージョンなどの光エネルギー変換デバイス、光線力学療法や光活性化タンパク質による細胞活動の光機能操作など、今後人類が持続可能な社会を築いていくために欠かせない多岐にわたる用途で活用されています。当研究室では、配位子保護金属クラスターや有機・無機ナノ結晶などのナノ物質を研究対象とし、それらの“励起状態の化学”の学理を探究するとともに、光アップコンバージョンや太陽電池などの光エネルギー変換材料としてそれらを活用する研究に取り組んでいます。そのような基礎研究を通じて、エネルギー・環境問題の解決に理学的な立場から貢献したいと考えています。「ブドウの房」を語源とする「クラスター」と呼ばれるナノ物質は、構成原子数が2〜100個程度の超微粒子です。とりわけ、有機配位子で保護された金や銀などのクラスター(=配位子保護金属クラスター)は、液相中で精密合成することが可能な安定かつ低毒性なナノ物質であり、異種金属元素のドー三重項-三重項消滅(TTA=Triplet-TripletAnnihilation)に基づく光アップコンバージョン(TTA–UC)は、分子の励起三重項状態(T1状態)を効率よく生成する物質(=増感剤)と蛍光を強く発する物質(=発光体)を組合せ、長波長の光を短波長の光に変換する手法です。現状では、TTA–UCは太陽光程度の光強度で機能する唯一の光アップコンバージョンのメカニズムであり、例えば、TTA–UCによって太陽光に豊富に6三井研究室Mitsui Laboratory含まれる近赤外域の光を紫外光や可視光に効率よく変換できれば、太陽電池や光触媒などの光エネルギー変換デバイスの効率を大幅に向上させることが期待されます。溶液中におけるTTA–UCのメカニズムは次のように説明されます。まずS0状態にある増感剤が長波長の入射光(hνa)を吸収することにより増感剤の励起一重項状態(S1状態)が生成し、その後、項間交差(ISC)を経てT1状態になります。このT1状態の増感剤とS0状態の発光体の間で三重項エネルギー移動(TET=TripletEnergyTransfer)が起こり、発光体のT1状態が生成します(=三重項増感)。このT1状態の寿命はマイクロ秒(10−6s)〜ミリ秒(10−3s)と励起状態の寿命としてはかなり長いため、それらは拡散を通じて出会い、TTAを起こして片方がエネルギーの高いS1状態、もう片方がS0状態に戻ります。このようにして生成したS1状態の発光体が入射光(hνa)よりも短波長の蛍光光子(hνf)を放出し、光アップコンバージョン(=より高エネルギーな光子への変換)が達成されます。波長の長い(低エネルギーな)近赤外光を波長の短い(高エネルギーな)紫外・可視光へ変換するためには、S0状態からT1状態への遷移(スピン禁制遷移)を起こしやすい増感剤を利用してISC過程におけるエネルギーロスを抑制することが有効ですが、このような特性を有する増感剤は、一部の重金属錯体や有害元素を含む半導体ナノ粒子に限られていました。■光アップコンバージョン■配位子保護金属クラスター■研究背景
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