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フィリピンの基礎共同体 ( Base Community )

− 地域教会の教育活動 −



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       はじめに

     I  基礎共同体の事例

     II 社会参加の体験による貧困層へのインバクトと教会内部での課題



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はじめに

 低開発諸国において、人口の大きな部分を占める貧困層への対応が積年の課題であることは周知の事実である。フィリピンにおいても全体の59%にあたる5700万戸の家庭が貧困ライン以下の生活をしていると報告されている。1)この貧困の問題を考える時に、生活水準など物質的な問題と並んで忘れてはならないのが、貧困下で暮らす人々の自己認識や社会意識の問題である。貧しい生活を強いられ窮状を甘受することが習慣となった人々が、自分達の可能性を信じなくなり、周囲の状況を変革していこうとする主体的な意志をもたなくなるという問題である。

「貧しい人々は、自身や他の貧しい人々を信頼していない。自分達の置かれた状況から抜け出すことができると考えていない。彼らは状況が改善されるとは思わない」2)

現状を受け容れるだけで周囲への働きかけをしなくなった人々が、社会を構成する一員であるという自覚をなくし、ひいては自身の能力や人間としての尊厳も自覚できなくなるならば、これは重大な問題といわざるをえない。
 学校教育の拡充は、このような状態にある貧しい人々に十分意味のあるインパクトを与えることができずにきた。フィリピンの場合でみると、地域社会と切り離された学校で教えられる内容は退学や卒業と共に失われ、学歴志向だけが高まったという指摘がされている。そもそも貧しい家庭には、貴重な働き手や家事の担い手である子供を学校へ通わせることのできる経済的余裕がなかったため、学校が無償化されても、貧困家庭の子供に就学の道が開かれたことにはならなかったのである。3)途上国政府に容易ならぬ財政負担を強いてきた学校教育であったが、貧しい人々はその蚊帳の外に置かれてきたのである。このため近年になり、貧しい人々を特に対象とした、学校と異なる形の新しい教育のあり方が途上国において模索されるようになり、これまで疎外されてきた貧しい人々に参加の機会を与えて社会への帰属意識や社会変革の担い手としての自覚を形成していくことが、そこでの課題であるとみられるようになってきた。
 以下で取り上げる基礎共同体は、貧しい人々に自己実現と社会参加の場を提供することで、この課題に応えている運動である。基礎共同体とは、貧困をはじめとする地域の問題に、その貧困の内に生きる人々自身を主な担い手として取り組むという、これまでの教会活動にみられない特徴を具えた新しい形の地域的カトリック生活の運動である。聖職者でなく一般の信徒が主体になるという、従来のものと異なる運動の形態が、貧しい人々の参加を促進するものとなり、その社会意識の形成につながったのである。50年代にブラジルで始まりその後雨後の筍のような増加の途を辿り、70年代半ばまでに、カトリック信徒が多数を占める地域の殆ど総てで農村か都市のスラム地区の貧しい人々の間にみられるようになった基礎共同体は、総数が全世界で20万近くに上ると推計されている。4)「16世紀の宗教改革と同じ位教会を変えることになるだろう第2の宗教改革」と呼ばれ、その政治的積極性ゆえに一部の軍事政権からは弾圧の対象にもなるなど、様々な面で注目されてきたこの運動は、途上国のこれまでの教育制度が果たせずにきた課題に応えているという点からも看過することができないものなのである。
 本研究では日本の周辺にある東南アジア諸国の内で唯一基礎共同体の興隆しているフィリピンの場合について、直接観察したものを含む事例報告5)に基づいて、運動の形態を明らかにした後、貧しい人々に与えてきたインパクトについてその意味および課題を考察していく。人口5200万の内84%をカトリックが占めるフィリピンでは、2000を超える数の基礎共同体に60万以上の信徒が参加していると報告されている。6)


I.基礎共同体の事例

 基礎共同体運動の、伝統的な教会のあり方との最大の相違は、その脱中央集権的な構造にある。それまで一握りの聖職者に任されていた責務が一般の信徒に託され、町の中心にある教会で執り行われていた行事が周辺の集落にある集会所で催されるようになるのである。このような構造の再組織化は小教区7)単位で、小教区の担当司祭のイニシアチブによって始められるのが一般的である。定期的に集まって聖書を学ぶ小規模なグループ(Bible Study Group) を各地に形成することが、この小教区再編成の基盤となる。聖書研究グループでは中心になる司会進行係(facilitator)が選出され、礼拝等の典礼もグループで自主的に行うようになる。このようにして信徒の主体的な活動の場となるときに、グループの一つひとつが基礎共同体と呼ばれるのである。聖書研究が、この信徒参加の方向性に沿って具体的にはどの様に行われるのかを、直接観察した小教区における事例を紹介しながらみていくことにする。

<聖書研究とラジオ学校(Radio School)>
 小教区はルソン島中部の東岸に位置し3万の人口を擁する。8)通信手段の確保という地域の課題に対応して、小教区の教会が小規模なラジオ局を開設したのは68年のことである。9)スタッフ10人とボランティア25人が1日15時間、ニュース(130分)伝言サービス(215分)生活情報(150分)音楽その他の娯楽(390分)および祈祷や聖書朗読(15分)を提供する番組は、720kHz出力5KWの信号にのせて送られ、450km 離れたパナイ島でも傍受される。79年の調査によると小教区の家庭のラジオ保有率は80%で、その内教会からの放送を好んで選局している家庭が79%に上った。82年にこの地域全体に給電が開始された後ラジオの保有がより一般化したと推察される一方、テレビの普及率がまだ低いことから、教会のラジオ局がメディアとして人々に与えるインパクトは小さくないとみられる。
 日常は宗教的色合いの薄い番組編成のなかで特筆されるものの1つが日曜の放送ミサ(Broadcasting Mass) で、教会で行われるミサの司式が放送される。司祭が訪れてミサを挙げることのできない遠隔地に住む信徒達は、各地で地元の小さな聖堂に集まってこの放送を聴くことで、間接にではあるがミサに与かることができる。広範囲の人々が同時に1つのミサに与かることは、小教区の精神的な一致を助けている。これと並んで教会の活動として重要な意味をもつ番組が金曜夜7時半から8時までの「ラジオ学校」で、小教区の聖書研究グループはこれにより組織されてきた。担当の司祭とスタッフの対話形式で進行する番組は、聖書から1つの箇所を選んで解説を加え、小教区やフィリピンの状況と関連させた解釈をした上で、話し合いのための課題を提供する。信徒達は放送ミサの時と同様に、各地で集まって放送を聴いた後、引き続き話し合いと祈りの時間をもつ。平均15人の参加する85のグループが、地元の信徒の内から選ばれた司会進行係を中心とする自主的な運営で、週1回の聖書研究を行っている。86年8月1日に観察した1グループの様子は以下のようであった。

 大きめの家に集まった21人には小学生も含まれたが主婦層が多く、男性は4人と少なかった。進行係を務めるのも小学校へ通う2人の息子をもつ43才の母親である。ラジオが「愚かな金持ちの譬え話」として知られるルカ福音書12章13〜21節から「神は利己的な行動でなく、能力や時間を人々と分かち合うことを望んでいる」と解説し「日々の生活で自分達がどのように利己的になっていたか、社会において特に自分達より困窮にある人々のために何をするのか」という課題で結んだ後、進行係の司会で1時間余の話し合いに入った。最初は進行係が指名してやっと短い発言が出ているが、次第に一人ひとりの話が長くなり、途中に横からの口出しが混ざるようになって話し合いが活発になる。特に発言の多かったのは5人で、寡黙な参加者には時折進行係が発言を求める。話が混乱すると進行係が聖書を再読して説明を加える。冗談の含まれた発言が多く、皆よく笑う。楽な姿勢で座り、団扇を扇ぐ者も多い。寛いだ雰囲気ではあるが、全体の注意は終始話し合いの方を向いていた。最後に皆で短い祈りを唱えてから散会した。

 発言内容は、他者との関わりについてが多くを占めた。その主なものは

−人々は互いに対する責任がある。自分のことばかりに囚われず他の人が何を必要として いるのかを考えねばならない。神はいつでも私達を見ている。
−お金があるならば、必要な人に貸したり地域のために用いるのが良い。お金も物もない ならば、力を貸したり協力することで、分かち合いをすることができる。
−神のための時間=ミサや祈りの時間を設けなければならないし、助けが必要な人には手 を差し出さねばならない。
−神が創造した物は、個人のためでなく総ての人のためにある。用いる時には慎重でなけ ればならない。
−利己的に豊かになるのではなく、人と分かち合うことで、神の前に豊かになる。
 神の眼差しを意識して、援助や協力の義務に言及するものが目立つ。これと並び多かっ たのが、分かち合いについての各人の経験の省察であった。その例としては
−魚を売る時に、殆どが信用売りとなってしまった。後日の支払いが期待できないことは 分かっていた。結果として自分は皆との分かち合いをしたのではないか。
−宿題が解けても、友達に教えないで自分だけできるようにするのは利己的だと思う。
−お金がある人に、困った時に助けを求めたが断られた。利己的な人だったと思う。

 稚拙ではあるが各人の生活現実に具体的に関わる内容が多い。こうして聖書解釈が、人 々の日々の行動に変化を与え得るものとなっていることが注目される。
 司会進行係を中心にして、聖職者の手を借りずに信徒達自身の手で運営されるこのラジオ学校の導入によって、小教区では信徒の参加の姿勢が形成されてきた。このことは、76年のラジオ学校開始から2年後に小教区がまとめた報告の内で次のように評価されている。
 1 ラジオと司会進行係とによって、遠隔地とのコミュニケーションが容易になった。
 2 各地で地域の指導者としての資質のある者を見つけることができた。
 3 近隣での集会と祈祷の機会になった。
 4 近隣の人々がお互いをより身近に感じるようになった。盗みが減った。
 5 家庭や親族内の問題、地域の問題の解決に役立った。
 6 祭の準備や教会の活動に積極的に参加する人々が増え、実行が容易になった。
聖書研究グループの組織を通じて地域の指導者が発掘され、それを核としてコミュニティーとしての結びつきが強められ、人々が地域の活動に積極的に参加する基盤が築かれたとみることができよう。
 このように、基礎共同体においては信徒を活動の主体的な担い手にし、その一層の参加を促すことが一貫した方向性となっている。その実現のために、信徒の内から資質のある者を見出して、指導者として養成するというアプローチが一般に採られてきている。養成された指導者を、信徒による意志決定や計画、実行の中心とし、基礎共同体の核とすることが、そのねらいとするところである。司会進行係はこの養成の対象となる指導者である。養成の第1の方法は実地に役割を担って経験を積むことである。集まりの世話や司会進行の役割を引き受けることや、昼間に家を一軒ずつ訪問して参加を促すことで近隣の人々を把握し、祭や他の教会の活動においても中心となることで、司会進行係の指導者としての力量は高められてきたのである。こうした実地の養成を補うために、小教区の司会進行係全員が月に1度、教会に隣接するミッションハイスクールの教室を借りて開かれるセミナーを受け、ハイスクールの教員から司会進行の技術を、司祭から聖書についての知識を学ぶ。このセミナーは指導者としての知識と技術を習得する場であると同時に、司会進行係同士が横の繋がりを保つための交流の機会にもなっている。この司会進行係は、無償のボランティアであるが必ずしも時間的余裕のある人が務めているとは限らないものであるが、積極的に役割を引き受ける意識の高い信徒達に担われて、小教区の基礎共同体を支える不可欠の基盤となっている。

<世俗的なプログラム>
 こうしてラジオ学校を通じて形成されてきた一般信徒の参加の姿勢を背景に、小教区では近年様々なプログラムが行われてきた。農業技術指導や信用組合等その多くは人々の現実の問題に関わるものであったが、特に85年頃から農業、漁業等の分野毎に人々の組織作りが推進され始めたことで、その傾向が顕著となった。同じ分野の人々は共通の問題を抱えているので、それらの人々により構成される組織では具体的な協力が容易であり、団結して対処し問題を解決することも可能なので、活動の内容が人々の経済・政治的な問題に深く関わるものとなったのである。例えば漁民の組織では、沿岸で養殖用稚魚の捕獲権をミュニシパリティ10) が毎年入札する際に、 700人の構成員が組合となって卸売業者と対抗し、85年以降は毎年権利を競り落として、稚魚の卸値が卸売業者によって下げられるのを防ぎ、漁民の利益を守ってきた。現在小教区ではこれらの組織を援助するために7名のコミュニティー・オーガナイザーが働いている。
 10才未満の児童の80%が栄養不良と診断される小教区では、保健や栄養の知識の普及と家庭の栄養生活改善のために母親達の組織も作られており、活動が盛んである。日常は各地で月1回もたれる栄養についての学習会を中心とするプログラムは、教会スタッフ2名に補助されながらも母親達自身の手で運営がなされている。1000人を超える構成員の中心となるのは各地で母親達の内から選ばれた協力者 (coordinator)で、学習会やその他の活動のまとめ役を引き受け、教会スタッフと母親達の間のパイプとしての役目も果たしている。ラジオ学校の司会進行係が兼任していることもある。この協力者も、小教区の信徒達の中心となる指導者として養成の対象になっている。協力者にとって実地に役割を担って経験を積むことが最も効果のある養成になると考えられていることも、司会進行係と同様である。学習会のための知識や運営技術の習得および協力者同士の結束を目的とした月1回の協力者会合がこれを補っている。こうして養成された協力者は、母親達を組織して年1回小教区全体で集まる行事の準備・開催ができる指導力を具えるまでになっている。
 これらの組織は普段はそれぞれが別個の活動をしているが、小教区全体で対応する必要が生じた時には各組織が協調体制を作って取り組む。86年2月の政変期の大統領選挙に際し貴重な貢献をし、その後も選挙の度に活躍する自由選挙全国市民運動(National Citizens Movement for Free Election)は全国のボランティアに支えられているが、この地域では教会がその運営の母体となっている。各組織は役割を分担し、選挙前の賄賂防止キャンペーン、選挙中の投票所の監視、および開票中の連絡・集計・広報の仕事にそれぞれの指導者達を中心として携わる。小教区をあげての祭儀の時も、同様な協力関係の下で多くの人々がその実行に携わるようになっている。こうして政治や経済、文化的なものも含めた活動が、信徒達の手で幅広く行われている。
 このように、基礎共同体の導入された小教区では宗教外の領域の活動が盛んに行われることも、重要な特徴である。保健衛生プログラムから共同組合や共同農場等の経済活動、人権擁護その他の政治活動に至るまで、地域の状況に応じて多様な取組がされている。これまで教会が関与するのを避けてきた世俗的 (secular)な分野に敢てコミットするのは、人間の発展が精神面に限定されることなく全体的であるべきである(total human development)という、新しい信仰理解に基づいてのことである。これらの世俗的な活動においても、指導者を中心として信徒が主な役割を引き受けていることは聖書研究や典礼の場合と同様である。
 以上みてきたように、小教区では聖書研究グループの組織を通じて信徒の参加の姿勢が形成され、それを基盤にして人々の生活現実に関わる様々なプログラムが、信徒達の内から選ばれた指導者を中心として実行されている。これらの特徴は、ひとりこの小教区にみられるものではなく、フィリピンの基礎共同体についての記録でしばしば報告されている。11)

 
II.社会参加の体験による貧困層へのインパクトと教会内部での課題

   基礎共同体が小教区の貧しい人々に与えてきたインパクトを評価する際に、聖書研究や栄養についての学習会で得られる知識や技術の内容だけをみるのでは十分でない。それらの活動が多くの人々に参加の機会を与えていることと、その参加の体験を通じて獲得されるものがあることの方に、より重要な意味があるからである。活動において役割を担い、目標の実現に貢献する体験は、自身の尊厳や能力を発見させ、自分が社会を構成する一員であるという自覚を促す。このことは、社会の底辺に位置し、これまでそうした体験をする機会に恵まれなかった人々にとり特に重要な意味をもつ。初めに述べたように、発展途上諸国の貧しい人々は学校教育その他から恩恵を受けることなく、窮状を甘受して生きることを強いられてきた。基礎共同体は、信徒の参加を促すという方向性の特徴によって、これらの貧しい人々に自己実現と社会参加の場を提供してきたのである。従来少数の聖職者が掌握してきた意志決定のプロセスや運営の責務が一般の信徒に託されるようになることや、これまでになかった世俗的な分野にコミットしていくという基礎共同体のあり方は、その宗教的重要性もさることながら、貧しい人々に社会参加の体験によるインパクトを与えているという点にも看過できない意味があるのである。このインパクトによって、基礎共同体の導入された小教区では人々の姿勢が積極的なものへと転換していく。上述の小教区の司牧責任者である司教は、その成果を 「金の鉱脈を掘り当てた」と評し「人々の信仰が深まり、お互いへの関わりが増して心が開かれ、コミュニティが形成されてきた。完全ではないにしても、基礎共同体は他のいかなる過去のプログラムよりも遥かに深く人々の心にふれてきた」と述べている。12) フィリピンの他の地域や他の国においても同様な評価がしばしばなされてきた。13)
 さて、一部の聖職者と意識の高い信徒に支えられて展開してきた基礎共同体に対して、司教を中心とする教会の指導者層(hierarchical leadership)はどのような働きかけをしてきたのであろうか。71年にミンダナオ・スル司牧協議会(Mindanao-Sulu Pastoral Conference)が基礎共同体を推進していくことを決議して以降、フィリピンの教会指導者層は基礎共同体に対する積極的評価を、様々の場で繰り返し言明してきた。多くの司教が 「福音宣教が効果的に行われるために基礎共同体の形成が欠くことができない」 と認識し 「基礎共同体は教会の刷新の主要な方向である」14) とみなしていたのである。
 このような教会指導者層の認識と対照的なのが、地域の富裕者層や治安当局の反応で、基礎共同体との間に緊張関係の生じる場合もある。それまで貧困に喘ぎながらもその現状に甘んじてきた人々が、基礎共同体を通じて主体的に行動していくことを学んだ結果、自分達の周囲の状況を変革していこうとして経済政治その他の世俗的なプロジェクトに着手する時、それは既存の体制の利益や権力構造を脅かす動きとなるからである。「宗教界ラディカルから現れてきた最も危険なものが、いわゆる基礎共同体であり、農村と都市の両方に存在している。それらは全国に政治的な力の下部構造を築いている」15) という国軍の報告に、当局の懸念を読み取ることができる。このため貧困層と大土地所有者等地元の有力者との間で抗争の激しいような地域では、基礎共同体の構成員が殺傷されたり軍や警察に逮捕されるケースが後を絶たない。
 司教を中心とする教会指導者層は、このような弾圧の状況に置かれた基礎共同体を擁護する声明を出し、これを支持する立場を公にしてきた。教会−軍連絡委員会(Church-Military Liaison Committee)の教会側代表である司教達は、このような事態を極めて遺憾なことと主張している。16) また別な司教の会議では 「基礎共同体の大きな躍進に驚きを禁じえない・・・教会の草の根が危険を冒し、聖霊に導かれて奉仕に遣わされるならばなおさらのこと、教会の頂点(司教)も同様でなければならない」17) と決議され、司教が基礎共同体の側に立つ明確な姿勢が示されている。指導者層によるこのような支持が、フィリピンにおける基礎共同体の発展に寄与したところは小さくないと思われる。
 ところで、教会指導者層による基礎共同体への働きかけには、その推進という側面とは別に基礎共同体における信徒参加のあり方に一定の枠をはめようとする側面があることにも注目しなければならない。一般信徒に任せる役割の領域を拡大して、その参加を主体的なものにしていくという、これまでみてきた基礎共同体の方向性は 「聖職者の言葉に従順に従うだけの信徒」 という過去のイメージを払拭するものであったが、見方を変えればそれは聖職者の裁量を圧迫し、従来の教会統治構造を揺さぶるものでもあった。多くの信徒の参加を招来し、教会を活性化してきたという点では基礎共同体の発展を歓迎した指導者層も、教会の権威や伝統的な体制を脅かす動きとは対峙せざるをえなかったのである。基礎共同体が 「福音、聖体、教会、司教および聖霊とい5つの要素」 を具えているべきであると司教団が主張し、また 「その地域の教会と結びつき、教皇の指導の下にいなければならない」18) と記していることに、それはよく現れている。基礎共同体とそこでの信徒参加のあり方をめぐる教会内部での論争が、活動の経験を積んで養成された信徒の指導者も巻き込み様々の場で生起してきたのはこのためである。前述のミンダナオ・スル司牧協議会における論争は、その典型的なものとして知られている。
 71年の第1回開催以後3年毎に、ミンダナオ島全域の司教と聖職者および信徒の代表が集まって開かれてきた協議会は、その都度基礎共同体を支持することを明確に謳った勧告を採択してきたが、その内部では当初から、信徒の裁量拡大に反発する一部の司教を中心とする集団との間に確執が存在していた。この対立は徐々に深刻化しやがて修復不可能な亀裂となり、83年の第5回開催に際し、司教全員が分離を宣言した上で別な協議会を独自に招集したことによって、2つの協議会が別個に開かれるに至っている。当時の協議会執行委員は両者の見解の相違を整理して、司教達の多くが 「自分達の言うことに『アーメン』と答える(従順に受け入れる)範囲内での信徒の参加に賛成していた」 のに対し、他の協議会運営者は 「人々の最大限の参加がなければ教会は人々と無縁で無関係なものとなってしまう」19) と考えていたと記している。大部分の教会指導者層が基礎共同体による信徒参加に関してもつヴィジョンは、信徒の主体的な意志決定領域の拡大を志向するものではなく、教会の統治構造を維持する範囲のものに留まっていたとみることができよう。
 ここで見落としてはならないのは、先に述べた基礎共同体の貧しい人々へのインパクトが、他でもないこの信徒参加の方向性によってもたらされたものであったということである。主体的な信徒参加の拡大は、貧しい人々には活動において役割を担うという貴重な体験の機会を与えながら、その一方で教会指導者層に対しては、伝統的に保有していた権限の縮小を迫っていたのである。宗教上の論争を離れてその意義を考察する時には貧しい人々の社会参加と自己実現の場として評価される基礎共同体のあり方が、その拠って立つ教会の内にあっては聖職者層の指導体制を脅かす挑戦と受け取られるものであったのである。
 教会指導者層の基礎共同体への働きかけが、信徒の主体的な参加に制約を課すものとなるなら、それは直ちに、基礎共同体を構成する人々が体験を通して獲得できるものの縮小に結びつく。信徒参加の様式と教会の統治構造とをめぐる教会内部のせめぎ合いが、基礎共同体がどれだけ意味のあるインパクトを人々に与え得るかということを左右しているのである。このことから人々の主体的な参加をいかに確立していくかということが、基礎共同体にとり主要な課題であるいうことができる。
 生まれたばかりの若い運動である基礎共同体は、まだ新しい形式と新しい神学とを探り求める最中にある。それは貧しい人々の自己認識や社会意識の形成という、低開発諸国においてこれまで学校が十分に寄与することのできなかった課題に取り組むものであり、オータナティブな教育の一つの可能性を示唆するものなのである。


(1) この割合は農村にいく程高くなる。Ibon Facts & Figures Vol.X No.3 (1987)
(2) 基礎共同体が導入される以前のブラジルの一農村の記述である。 Barreiro,Alvaro (1982) Basic Ecclesial Communities:The Evangelization of the Poor Orbis p.56.
(3) 以上の指摘については Jocano,Landa (1969) Growing up in a Philippine Barrio Holt, Rinehart and Winston. Manalang,Priscila (1977) A Philippine Rural School: It's Cultural Dimension Univ. of Philippine Press. Ibon Facts & Figures Vol. X No.11 (1987).
(4) 基礎共同体の世界全体の概観は Pro Mundi Vita 62 (1976), 81 (1980). Cox,Harvey Religion in the Secular City (1984) Simon and Schuster.
(5) 84〜88年に7回の調査を計 123日間に渡り行った。詳しくは 拙論「農村と教会−フィリピンの地域指導者養成の事例を中心として−」昭和62年度東京大学修士論文
(6) Bishop's-Businessmen's Conference (1985) Basic Christian Communities : A Threat or a Challange? Manila p.57. 60万という数字には、活動的でない名目上の構成員も数えられていると思われる。実際に運動を支えているのはこの内の2〜3割ではないかと推察される。
(7) 司牧のためのカトリックの地理区分の単位。フィリピンは2127の小教区に分けられている。Philippine Studies Vol.32 No.1 (1984) p.94.
(8) 沖積層平野に位置し、四方を海岸線と山脈とで囲まれ外界と隔てられたこの地域は、行政区分上も1つのミュニシパリティ(注10参照)に数えられる。米・椰子・バナナを3大作物とする農業、淡水・沿岸漁業および林業が営まれ、人々は椰子の葉で葺いた高床式の家に平均6人の家族で住む。
(9) ラジオ局に関する資料は Bayanihan Broadcasting Corporation (1979)10th Anniversary 1968-1978, (1980) Researchand Feedback (mimeo.) .
(10) municipality:全国が60のcityと1524の municipality に区分される。 Ministry of Education Statical Bulletin 1983-84.
(11) Kroger,James (1985) The PhilippineChurch and Evangelization Pontificiate Univ. Moraleda, Domingo (1987) BCCs Catalysts for Liberation Part I&II Claretian. Mendoza,Gabino (1988) Church of the People Manila, St.Paul Press.
(12) Labayen,Julio (1986) To Be the Church of the Poor Manila, Communication Foundation for Asia p.53.
(13) Barreiro,Alvaro (1982) Basic Ecclesial Communities: The Evangelization of the Poor Orbis. Cook,Guillermo (1985) The Expectation of the Poor: Basic Ecclesial Communities Orbis. Mendoz op.cit.
(14) それぞれ Catholic Bishops'Conference of the Philippines (1974) Collated Reflections and Recommendations on Evangelization, (1981) Posotion Paper for the 1981 International Vocation Congress.
(15) 79年の報告であるが、報告者名は記されていない。Pro Mundi Vita No.34 (1985) p.60.で引用されている。
(16) Cuurch-Military Liaison Committee (1982) Aide-Memorie: On-going Church- Military Dialogue.
(17) Pansol Colloquium of Bishops (1982) Reflections on the Philippine Church
(18) Catholic Bishops' Conference of the Philippines (1977) Posotion Paper on the Synod. Church-Military Liaison Committee op.cit.
(19) Pro Mundi Vita No.34 (1985) p.63.


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以上は,『 比較教育学 』 第15号 (1989年3月) のための最終ドラフトにもとづき,ウェッブ上での掲載のために若干の加筆・修正を行ったものです。刊行された論文とは異なるところがあります。

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