【第1回】文化人類学に親しもう

まずは、音楽で世界の旅に出かけよう。

YouTubeでしばし世界を駆けめぐってみたい。





まずは、日本から南下してインドネシアに行ってみよう。

↓ST12(エステードゥアブラス) 




その東側パプア・ニュー・ギニア

dAdiiGii "Pasin Barata" 



↓太平洋を渡って、一路、
メキシコへ。


1982年夏、私はメキシコにいた。
メキシコのミリオンレコード、ロス・ブキスの「偽りの愛」(Falso Amor)




↓さらに、南へ、ラテンアメリカに入ってコロンビアへ。

お姉さんたちがクネクネ踊る、クンビア
Sonora Dinamika "Ciclon"




↓そのまた南へ下って、ブラジルへ。

そこは、ボサノバ、サンバの国。




↓大西洋を超えて一路アフリカへ、西アフリカのマリ
行ったことはないが、音楽は素敵だ。
Habib Koite "Wassiye"




↓そこから北上しよう、そして、トルコへ。


1984年、厳寒のイスタンブールに行ったことがある。
泊まったホテルは、行き止まりにある安宿、ホテル・ストップ。

Bendeniz "Kirmizi Biber"






↓ヨーロッパに入って、
イタリアに行ってみよう。


イタリア男の熱唱、洗練されてるって感じ。
Mannarino" Me so 'mbriacato"





↓ソフィスティケートされてるというとこっちのほうがうわて?


フランス
のいかしたポップスだ。


アルデベルトの「カルペ・ディエム!」
(勝機を逃すな!)





↓ヨーロッパをあとにしてアジアへ、その最深部?、
インドへ。

美しい曲だ(美しい方だ)。

Cyrine ”Law Bass Fi Aini”




モンゴル
"Altain Magdaar"
(アルタイ山をたたえる歌)




私たちは居ながらにして、音楽をつうじて、パソコン上で世界を見て回ることができる。

きわめて表面的なレベルながら、遠い国の音楽や文化に触れることができる。

それが、異文化や他者について考え、人間を探究する学問、文化人類学の出発点だ。

地球は、私たちの馴染みのない言葉や文化で溢れ返っている。

試しに全ビデオをONにしてみよう、この雑音が世界だ、人間だ。



世界にはいったいどんな人が暮らしているのだろうか?

今日、YouTubeは、その一端もまざまざと垣間見せてくれる。


↓「神々の島、芸術の島」バリは、インドネシアにある。

死体を土葬し掘り返して洗骨し、火葬した上で灰を水葬する(海水に流す)。

そこには、地球上で行われている最も複雑な弔いのかたちがある。




パプア・ニュー・ギニア
セピック川流域の男性イニシエーション儀礼。




↓1982年の夏、私はメキシコのシエラマドレ山脈の山中を旅した。

そのときは、テペワノという名の先住民と一ヶ月弱暮らした。
近隣のウイチョル人は夢で会った事物から図柄をつくるという。
人びとは数日間歩き回って幻覚植物・ペヨーテを探す旅に出る。




ベネズエラのアマゾン川上流域に、ヤノマミの人びとは暮らしている。

↓ヤノマミは、2009年に日本でも紹介された。
生まれた赤ん坊はそのまま天に返すか、抱き上げて育てるのかを母が決める。




西アフリカのマリに住むドゴン人。

死者を祖先として位置づけるための仮面儀礼。。




トルコ
のイスタンブール、アンカラ、ディアルバクル・・・




ヨーロッパには、「ジプシー」と呼ばれる移動民がいる。。

キャラバンを組んで移動し、独自の芸術と文化を発展させてきた。




インドのヒンドゥーの聖地・ヴァナラシ(ベナレス)

ガンジス河沿いに発展した人口百万超の町。
そこには毎日死体が運び込まれ、火葬が行われる。




↓インドの北、ヒマラヤの一部では、一人の女性が複数の夫を持つ。

一妻多夫制(Polyandry)が行われている。




モンゴルシャーマニズム

神の言葉を話しているという。




今日、私たちは居ながらにして、パソコン上で世界を見て回ることができる。

そこでは、表層的なレベルながら、異文化の雰囲気に触れられる。

それが、異文化や他者について考え、人間を探究する学問、文化人類学の出発点だ。

地球は、私たちの馴染みのない言葉や文化で溢れ返っている。

それぞれの土地で一体何が行われているのかを探ってみよう。

それが文化人類学だ。



さて、

文化人類学とは何か?


Cultural      Anthropo logy
文化    人類(人間) 学




 
私たちは、私たちのやり方や考え方こそが、正しいものであると思っている。

 私たちの価値観は、その意味で、盤石であるように感じられるかもしれない。

 ところが、私たちになじみのある価値観以外の価値観を知るようになると、上のマグリットの『ピレネーの城』の絵のように、私たちは、海の上に浮かぶ硬い岩の上に建てられたちっぽけなお城にしか暮らしていないということに気づくであろう。

 私たちが、信じて疑わなかったやり方や考え方の土台は、宙に浮いていて、不安定なのである。

 そうした見方によって、私たちは、やり方や考え方の根源にまで立ち至って、考え直してみる手がかりを得る。

 文化人類学は、私たちの知の仕組みを組み替えようとする知の体系なのである。



映画
『トゥルーマン・ショー』



トゥルーマン(ジム・キャリー)は、生まれてから一度も島から出たことがなく、妻子と幸せな生活を送っている。

ところが、日常のなかで、彼は、しだいに、自分の周囲に違和感や不信感を感じるようになる。

実は、トゥルーマンは、生まれたときからずっとその生活を撮影され、その様子が全世界に放映されていたのである。

彼が住む町はテレビ・セットであり、家族を含めて、彼の周囲の人たちは全て俳優なのであった。

そのことを知らないのは彼本人だけで、やがて彼は島から脱出するために、船をこぎ出すがそれもセットであった。


文化とは、
トゥルーマンが演じる主人公が
経験する日常のようなものである。

私たちは容易にそこから逃れることができない。



文化人類学のページへ

奥野克巳のホームページ