ポールラッシュフィールド


 6月。清里、清泉寮。
 初夏とばかりに色づき始めた緑を横に清泉寮から山へ向かって少し歩くと、ラグビーかアメフトか見覚えのあるゴールが見えてくる。ポールラッシュフィールド。清里の自然と同化するフィールドは普段選手たちがプレーするそれとは比べものにならないほどの場所にある。いつもは観客席を埋め尽くす人が、ここでは放牧されている牛だ。それでもこの場所がラッシャーズにとって、そして日本におけるアメリカンフットボールというスポーツにとって大切な場所であることには違いない。

自然の中にたたずむポールラッシュフィールド
 立大アメフト部では年に一度「ポールラッシュメモリアルゲーム」と題して、清里に対戦相手を招き試合を催している。それはポールラッシュフィールドでラッシャーズが試合をする数少ないとき。選手たちは言う「負けられない。特別な場所だから」と。ポールラッシュフィールドはラッシャーズにとってのホームグラウンドなのだ。
 しかし、それはラッシャーズに限られたものではない。ポール・ラッシュ。グラウンドの名とももなっている彼が目指したものは日本でのアメリカンフットボールの普及=A誰にでも簡単に触れることのできるスポーツとすること。そのためには人と同等に環境を整えることが大事な要素のひとつとなる。そもそもポールの生前、アメフトは日本で無名に等しいスポーツだったはずだ。加えてアメフトではフィールドに最も多くのラインが引かれ、最も複雑なルールを持つスポーツである(一時期危険なスポーツとして本国アメリカで禁止になったことから様々な規制ができた)と言われる。だからアメフトには誰にでも簡単にできるスポーツとは言い難い一面がある。それでもポールはアメフトにこだわった。そしてその普及≠ノ生涯をささげた。現在、ポールラッシュフィールドをホームグラウンドとするチームはラッシャーズ以外にもある。それはポールの思いを基礎として建設された場所だからに他ならない。アメフトをする場所はいつでも誰かひとりのものではないからということなのだろう。

 「勝敗よりもまず先に、いつでも整った環境と健康な体でアメリカンフットボールができるということを改めて思い出し、それを支えてくれる人すべてに感謝しよう」。ポールラッシュメモリアルゲームの開催にはこんな思いが込められている。それは常に結果を求め、求められる日常とはまったく意味の異なる試合。純粋にただアメフトを楽しむ「初心」を思い出すということ。勝敗は二の次。そこに年に一度ポールラッシュフィールドで試合をすることの意味がある。

 そしてもうひとつ。

 「立教が清里で試合をしなくていい日を待っている」。
 試合前夜、ラッシャーズ幹部の方が語った言葉だ。

試合前チームを鼓舞する選手たち
 ポールラッシュフィールドはポールの意志を尊重した場所としてアメフトの聖地清里に建てられた。そこでは誰でもアメフトを楽しむことができる。そしてアメフトをするすべての人のホームとなり得る場所。そのことが実現されたとき、ポールラッシュメモリアルゲームは立教のものだけではなくなる。そこへ向けられた言葉。そんな意味の込められた試合。ラッシャーズはポールの意志を継ぐ後継者として、どんな事情に先駆けても清里で、ポールラッシュフィールドで試合をすることをいとわない。求めるもの、ポールの目指したものをかたちにするまでは、いつまでもラッシャーズのミッションとして続いていく。

 それがルーツ校を名乗る≠ニいうことだから。

(2010年12月12日:粟ヶ窪勇大)



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