【第2回】文化人類学解放講座

今日は、小田マサノリ先生の【文化人類学解放講座】から学ぼう!

文化人類学とは、どのような学問か?



@.タイトル、人物、人類学になりそこねた人たちの観点から、文化人類学の輪郭を探ってみよう。


【文化人類学タイトルリーディング】

カバーやタイトルだけ寄せ集めてみると、どことなく「雑種の学問」あるいは「雑学」のようなものに思えてこないでしょうか。
(小田マサノリ)



【文化人類学者たちの肖像写真】

「ある学問がどんな学問なのかを知りたければ、その学問を研究している人びとが実際にどんなことをしてるかをまず見るべきである。」
(クリフォード・ギアツ)
(小田マサノリ)



【文化人類学者の語り口】

最近の文化人類学では「文化の語り口(かたりくち)」が問題にされます。
つまり「文化をどのように語ればよいのか」ということですが、この問題について考 えるまえに、まず、文化人類学者たちの「口調(くちょう)」や物腰(ものごし)」を実際に動画と音声でみてきいてみたいと思います。
(小田マサノリ)



【文化人類学者になりそこねた人たち】

なった人がいるところには「なりそこねた人たち」が必ずいます。
そこで今度は、「なりそこねた人たち」の姿や生き方、またその作品をみることで、
文化人類学がどんな学問なのかを考えてみたいと思います。
(小田マサノリ)

岡本太郎 「芸術は爆発だ!」

1938年、パリ大学ソルボンヌ校の民族学科入学。
ミシェル・レリスらとマルセル・モースから民族学を学ぶ。



川崎市岡本太郎美術館



アーシュラ・クローバー・ルグイン
ゲド戦記



父は、アメリカの人類学者、アルフレッド・クローバー。
母は、『イシ:北米最後のインディアン』の著者、
シオドーラ・クローバー。



Ishi, the Last of His Tribe







A.文化人類学の考え方について、ワールドカップ・サッカーを題材として考えてみよう。


2002年FIFAワールドカップ
日韓共同開催
決勝戦
ドイツ対ブラジル戦

2002年6月30日、横浜
 ブラジル

GK 1 マルコス
DF 2 カフー
DF 3 ルシオ
DF 4 ロッキ・ジュニオール
DF 5 エジミウソン
DF 6 ロベルト・カルロス
MF 8 ジウベルト・シウバ
FW 9 ロナウド
MF 10 リバウド
MF 11 ロナウジーニョ
MF 15 クレベルソン
ドイツ

GK 1 オリバー・カーン
DF 2 トーマス・リンケ
DF 5 カルステン・ラメロウ
FW 7 オリバー・ノイビル
MF 8 ディートマー・ハマン
FW 11 ミロスラフ・クローゼ
MF 16 イェンス・イエレミース
MF 17 マルコ・ボーデ
MF 19 ベルント・シュナイダー
DF 21 クリストフ・メッツェルダー
MF 22 トルステン・フリンクス



もうひとつのワールドカップ


 「2002FIFAワールドカップの決勝戦が横浜市の横浜国際総合競技場で行われた6月30日に、ブータンの首都ティンプーのチャンリミタン競技場で、当時、FIFAランキング最下位のモントセラトと、その一つ上のブータンの間で「もう一つの決勝戦」と題して最下位決定戦となるFIFAインターナショナルAマッチが行われた。」

 「文化」とは長期にわたって持続した「流行」であり、「流行」とは長期にわたって持続しなかった「文化」である。そして「流行」も「文化」も決して不変ではない。

 今回の「文化人類学開放講座」では、映画「アザーファイナル」を見ることをとおして、いまわたしたちの目の前にある「ワールドカップ・セントリズムの流行/文化」を相対化します。

 文化人類学は、世の中を異なる視点や角度からみて考える学問で、ものごとをその反対の側や逆の側からみて考える姿勢や態度が身につきます。キャリアアップにはつながらないかもしれませんが、ものの見方はゆたかになります。

 また、この映画をとおして、日本の社会や政治をみていると、想像すらできなかったような、こんなものの考えかたに出会うこともできます。

(小田マサノリさんの「文化人類学解放講座」より)

頂点があれば底辺もある、
戦いもあれば友好もある。
注目されるものもあれば、
そうでもないものもある。

見方によって、世界は実に多様なものになる。
別の視点から眺めることによって、ものの見方は豊かになる。


映画
『ザ・カップ』

チベット仏教の寺院で修行中の少年僧たちは、1998年のワールドカップのサッカーに熱中するあまり、修行に身が入らないばかりか、喧嘩騒ぎを起こす。
少年僧は、決勝戦を観れば、修行に励むと約束する。



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