日時 | 2018年5月19日(土)14:00~18:00 |
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場所 | 立教大学池袋キャンパス 12号館 地下 第3会議室 MAP |
備考 | どなたでもご参加いただけます。 問い合わせ先 奥野克巳 katsumiokuno[]rikkyo.ac.jp []を@に代えてください。 |
第18回研究会レポート
『反復のレトリック』に対しては「〈私〉の消失をしるしづけるエクリチュール」と題して、主に、言語活動の根本条件として反復のメカニズムを捉えているジャック・デリダを導きの糸として、レビューと評価が行われた。反復が「マーク」として再認される契機と、他者との出会いにおいて〈私〉の消失が誘発される事態が表裏一体であることが指摘されるとともに、本来声を持たない他者の代弁という言語の暴力性の問題が言及された(工藤顕太氏によるレヴュー)。『里山という物語』に関しては、第1部の4論文、第2部の2論文、2つの鼎談について、それらの要点がまとめられた上で、評者の調査研究対象地である福島県相双地方で「新しいリアリティ」を打ち立てる困難さが取り上げられ、その土地の進取性のために「里山」に原発が設置されたという可能性に関する見通しが述べられた(宮崎幸子氏によるレヴュー)。
コメントとしては、里山の歴史を問うことは日本列島の歴史を問うことだという表明がなされたのちに、石牟礼文学に至る明治以降の詩人や文学者たちの記録の問題が扱われ、東アジアの全近代言説の反復についても考えてみなければならないという指摘がなされた(北條勝貴氏によるコメント)。自然や環境をめぐる人文科学の再編に向けた学問横断的な対話にはつねに困難が伴うが、哲学の立場からの環境文学研究への読み込みは文学研究を開く試みとして評価されるという指摘がなされた。また、本来左翼的な傾向があった日本の環境思想が政策へと転換されていく里山の問題構制、自然の他者性をめぐる視点移動の問題、日本のネイチャーライティング、とりわけ石牟礼文学を考える際の記録の重要性に関しても論評がなされた(野田研一氏によるコメント)。
フロアーとのディスカッションでは、政府によってつくられた里山と実態としての里山の問題、原発「ゾーン」と里山、自然と人間をめぐる問いのあり方について、活発な意見交換が行われた。
研究会には、全部で17名の参加があった。