マルチスピーシーズ人類学研究会

人類学は、この20年ほどのあいだに、文化表象をめぐる議論から、動植物やモノなどを含む自然と人間が絡まりあって生みだす世界をめぐる学問へと、その研究の方向を大きく転換させてきた。人類学は、いま、人間を超え出たところから人間について語る学問へと大きく生長を遂げつつある。その中心に位置するもののひとつが、異種間の創発的な出会いを取り上げ、人間を超えた領域へと人類学を拡張しようとする「マルチスピーシーズ人類学」である。本研究会では、複数種のあり方を取り上げて、種=横断的な絡まりあいを主題化する人類学の調査研究を発表し、討議する。

2016年5月吉日

研究会幹事
石倉敏明(秋田公立美術大学)
大村敬一(大阪大学)
大石高典(東京外国語大学)
奥野克巳(立教大学)
近藤祉秋(北海道大学)
シンジルト(熊本大学)
相馬拓也(早稲田大学)


第18回研究会
環境文学/環境人文学を読む


日時 2018年5月19日(土)14:00~18:00
場所 立教大学池袋キャンパス 12号館 地下 第3会議室 MAP
備考 どなたでもご参加いただけます。
問い合わせ先
奥野克巳 katsumiokuno[]rikkyo.ac.jp
     []を@に代えてください。


第18回研究会サイトへ

【趣旨】
 本研究会では、2017年から2018年にかけて出版された環境文学・環境人文学の著作のうち大きな収穫である2冊を取り上げる。一つめは、山田悠介著『反復のレトリックー梨木香歩と石牟礼道子とー』(2018年、水声社)である。山田は、二人の環境文学作家(梨木と石牟礼)のテクストを取り上げて、人と人ならざる存在のコミュニケーションにおける音、語句、構文などの「反復」の持つ重要性を、言語学、哲学、認知科学を用いながら考察分析している。もう一つは、結城正美・黒田智編著『里山という物語―環境人文学の対話―』(2017年、勉誠出版)である。そこでは、里山は、近年勃興しつつある環境人文学という領域横断的な枠組みに位置づけられた上で、その保全や生態系のあり方を含む実体的・具体的な側面と人間の価値観や欲望によってつくり出される幻想の側面という2面に分けられ、その二面の関係、ズレ、絡まりあいに注目しながら「里山という物語」が考察される。本研究会では、意見交換やディスカッションをつうじて、環境文学/環境人文学の今後の展望を探ってみたい。

【プログラム】
14:00~14:05 趣旨説明、司会(奥野克巳 立教大学異文化コミュニケーション学部教授)
14:05~14:45 『反復のレトリック』のレヴュー(工藤顕太 早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程)
14:45~15:15 ディスカッション①
15:15~15:30 著者からの応答(山田悠介 大東文化大学文学部講師)
15:30~15:45 休憩①
15:45~16:25 『里山という物語』のレヴュー(宮崎幸子 立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科博士後期課程)
16:25~16:55 ディスカッション①
16:55~17:00 休憩②
17:00~17:15 コメント①(北條勝貴 上智大学文学部准教授)
17:15~17:30 コメント②(野田研一 立教大学名誉教授)
17:30~18:00 総合ディスカッション


第17回研究会
犬と人の関わり


日時 ①2018年4月21日(土)13:00~18:00
②2018年4月22日(日)13:00~17:00
場所 ①北海道大学東京オフィス
②大阪大学豊中キャンパス 大阪大学COデザインセンター 412室
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/co/access/
備考 非公開研究会

◆1日目「犬をめぐる文学と物語」(東京会場)

発表者:
山田仁史(東北大学)
溝口元(立正大学)
菅原和孝(京都大学)
大石高典(東京外国語大学)

◆2日目「人から犬へ(犬から人へ)のケア」(大阪会場)

発表者:
池田光穂(大阪大学)
志村真幸(京都外国語大学)
加藤秀雄(成城大学)



第16回研究会
インゴルド的なるものの人類学的現在


日時 2月26日(月)13:00~17:30
場所 立教大学12号館2階
ミーティングルームA,B MAP
備考 どなたでもご参加いただけます。
座席と資料配布の関係で、2月23日(金)までにご連絡ください。

奥野克巳 katsumiokuno[]rikkyo.ac.jp
     []を@に代えてください。

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趣旨  
人類学者ティム・インゴルドの研究活動は、わが国ではこれまで主に、人類学外の領域の研究会で議論されたり、翻訳されて紹介され、浸透するようになった。一方、人類学の中にもインゴルドの理論や着想に近い立場から研究や活動を行ってきた人たちがいる。本研究会では、そのうち、インゴルドのアイデアに拠りながら調査研究を続けてきた人類学者である古川不可知さんと、インゴルド的な構えをもつ人類学的な活動に従事する実践者である山崎剛さん/木田歩さんに、それぞれの関心領域に関して、順に話題提供をしていただく。インゴルドのいう「4つのA」(『メイキング』)のうち、人類学(Anthropology)は、考古学(Archeology)と同じく、「つくられた事物を読み解く学問分野」だったとされるが、そうした学問の見取り図は、この二つの発表をつうじて、すでに崩壊していることが実感されるはずである。二つのプレゼンテーションを踏まえ、その後、「4つのA」のうち、「事物をつくりだす領域」とされる芸術(Art)と建築(Architecture)をバックグラウンドとする二人の専門家からのコメントを交えて、「インゴルド的なるものの人類学的現在」を、マルチスピーシーズ人類学を含む、近未来の人文知という枠組みにいかに位置づければいいのかについて考えてみたい。

プログラム
13:00~13:05
趣旨説明

13:05~14:05
発表1 「シェルパ」と道の人類学
        古川不可知(大阪大学大学院 博士後期課程)
       
【概要】ネパール東部のエベレスト南麓地域を対象とし、天候に応じて絶えず変動する山岳地域の環境下において歩くという実践のなかに立ち現れる「道」のありかたを、ティム・インゴルドの歩行論および天候世界の概念を援用しつつ考察する。

14:05~15:05
発表2  人類学から「学問」を引いてみる:「研究」することのほかでもありえる人類学の道
        山崎剛(南山大学人類学研究所 非常勤研究員)/木田歩(南山大学人類学研究所 非常勤研究員)        

【概要】発表者が所属するホモ・サピエンスの道具研究会は、人間を超えたものとしてある「道具」に注目することで実践的な活動を始めた。実践をきっかけに、「研究」することそのものを見つめ直すことになったが、この発表では、インゴルドが考える人類学という「(反)学問」との関係についても考えてみたい。

       
休憩

15:20~15:50
コメント1 上妻世海(文筆家、アートキューレーター)

15:50~16:20
コメント2 柄沢祐輔(建築家、柄沢祐輔建築設計事務所 代表)

       
休憩

16:30~17:30
ディスカッション

第16回研究会レポート

 古川氏は、厳しい環境の中で消えては現れるエベレスト地域の山道を取り上げて、人間(シェルパ)と道の関係を調査研究することの意義に触れ、道とは何か、シェルパとは誰か、世界の内にあるとはいかなることかを考察することが研究テーマであることを示した上で、媒質の流れとしての天候世界の中で、道が身体の差異に応じて立ち現われるさまを描きだした。今日トレッキングガイドとして働く「シェルパ」に触れ、人々が流動する環境の中の諸要素と一回的な関係を持ちながら生きていることを明らかにして、道を問うことは自明な世界の成り立ちを問うことであるという見通しを語った。山崎氏からは、生活とともにある研究のあたらしいあり方を探る中で、人類学を中心メンバーとするリサーチ・グループ、ホモ・サピエンスの道具研究会の課題を示した上で、それは、わかりたいというより、わからなくなりたいという動機に基づいて、学問未満のものを対象として、インゴルドよりも、高木正勝や佐藤雅彦に近い活動であるとの考えが述べられた。また、学問とは上の世界であり、その下に広がるのはただ知を用いて住まう者の世界であり、インゴルドに言われなくとも、存在論に実装されるまでもなく、爪を切り、植木鉢を家の中に入れたりするといったかたちで、私たちは日常的に学問の手前で知を用いている。まだ伸びていない人類学の道はいくらでもありうるのではないかという見通しが述べられた。この二つの発表に対して、上妻氏からは、道やインゴルド的なるものというテーマに対して、古川さんのかっちりとした学術発表、山崎さんの学術発表っぽくない何かという、二組のプレゼンテーションが対照的であったという印象が述べられ、それぞれの部分的なつながり状況に目を向けることもできるのではないかという点がコメントされた。柄沢さんからは、そもそも中国の道教的な道の概念と、空間の隙間というほどの意味合いの西洋の道概念は異なるということを視野に入れなければならないというのではないかという点が述べられ、ホモ・サピエンスの道具研究会のやっている試みはすでに美術史の中に事例があり、美術史も取り入れて今後より発展的に活動がなされることが期待されると表明された。口頭発表とコメントを踏まえて、その後、フロアーの参加者と発表者・コメンテータの間で活発な意見のやり取りと議論が行われた。

 第16回研究会には、全部で16名の参加があった。


第15回研究会
『環境人文学』I,II 合評会・検討会

日時 2018年1月27日(土)12:30
~1月28日(日)16:00
場所

立教大学新座キャンパス 太刀川記念交流会館

(最寄り駅:東武東上線志木駅)

キャンパスへのアクセス

キャンパスマップ

備考 クローズドな研究会です。
問い合わせがある場合は;
奥野克巳 katsumiokuno[]rikkyo.ac.jp
山本洋平 yohei[]meiji.ac.jp
[]を@にかえてください。

第15回研究会サイトへ

趣旨
 <アントロポセン>、<プラネタリティ>、<ディープ・タイム>、<ガイア>など、一昔前の<グローバリゼーション>という言葉に変えて、次々に繰りだされる地球および地球環境をめぐる新しい言葉の数々。それらは、自然科学のみが取り組むべき課題ではなく、今日、人文・社会諸科学が総力を挙げてあたるべき課題として新しい世紀になって急浮上してきたのである。そうした流れと軌を一にして、地球の生態環境だけでなく、私たちヒトが暮らす周囲にある自然や環境をも研究の視野に入れた人文科学の学際的な領域として、「環境人文学(Environmental Humanities)」がゆるやかに形成されてきた。わが国における環境人文学はこれまで、環境文学(エコクリティシズム)の研究によって主導されてきている。2017年4月に、環境文学を中心に、『環境人文学I 文化の中の自然』および『環境人文学II 他者としての自然』が、勉誠出版から刊行された(ともに、野田研一・山本洋平・森田系太郎編)。

 本合評会・検討会では、二日間にわたって、この2巻本をめぐって、意見・情報交換と討議を行う。初日には、ブックレヴューを行う。二日目には、人類学とその隣接領域という外側の視点から評価と展望を示した上で、環境文学を環境人文学の視点から再展望し、最後に、この学際領域の抱える課題とは何か、今後どのような展望が可能かなどに関して、参加者全員で総合討論を行う。

<1月28日:Day 1>
【イントロダクション】
12:50~13:00 趣旨説明 野田研一(立教大学名誉教授)、山田悠介(東洋大学非常勤講師)

【ブック・レヴュー】
第1部
13:00~14:00 チェア:山田悠介  
[1-1]第2巻III 「これからの環境人文学」レヴュワー:豊里真弓(札幌大学)

第2部
14:15-16:45 チェア:結城正美(金沢大学)
[1-2]14:15-第1巻I 「場所と記憶のあいだ」レヴュワー:北條勝貴(上智大学)
[1-3]15:05-第1巻II 「文化と言葉のあいだ」レヴュワー:山田悠介
[1-4]15:55-第1巻III「自然と生きもののあいだ」レヴュワー:中村優子(東京都市大学非常勤講師)
                              中川直子(立教大学大学院)
第3部
17:15~18:30 チェア:浅井優一(東京農工大学)
[1-5]17:15-第2巻I 「人間と動物のあいだ」レヴュワー:山田悠介
[1-6]17:55-第2巻II 「日本とアメリカのあいだ」レヴュワー:戸張雅登(日英協会ジュニア・フェロー)

夕食  19:00
懇親会 20:00~

<1月28日:Day 2>
【人類学セッション】「人類学とその隣接領域(人類学、神話学、地理学、アート)による『環境人文学』の評価と展望」
[2-1] 09:00-12:00 チェア:奥野克巳(立教大学)

ディスカッサント
近藤祉秋(北海道大学)、山田祥子
相馬拓也(早稲田大学)、石倉敏明(秋田公立美術大学)
上妻世海(文筆家、アートキューレーター)、シンジルト(熊本大学)

12:00-13:00 昼食

【環境文学セッション】
[2-2] 13:00-14:00  チェア:山田悠介
13:00-13:20環境文学を環境人文学の観点から再展望する 話題提供:野田研一
13:20-14:00 ディスカッション

【総合討論】「環境人文学の実践はいかに可能か:「学際」のアクチュアリティをめぐって」
[2-3]14:15-16:00 チェア:山本洋平(明治大学)、奥野克巳、山田悠介

話題提供:森田系太郎(会議通訳・翻訳者)
コメンテータ:小谷一朗(新潟県立大学)
指定発言者:中村邦生(大東文化大学名誉教授)、渡辺憲司(自由学園最高学部長)
討論:鳥飼玖美子(立教大学名誉教授)、宮崎幸子(立教大学大学院)+参加者全員

第15回研究会レポート


 初日は1部から3部に分けて2巻本のレヴューが行われ、多様な論点が取り出された。それらは、以下のようなものであった。エコ・クリティシズムの「波」とは何か、第四波において唯物論的な課題が取り上げられるのはどのような経緯なのか。文芸批評がテキストを扱い、人類学が調査と記述を基礎とする学問だとしても、ものや身体という物質など、人文知はいま同じような課題に目を向けているのではないだろうか。エコ・クリティシズムでは「身体」というテーマは等閑視されてきたが、それは現在「食べる」というテーマとつながることによって、より大きな課題となりつつある。内臓と外臓をめぐる議論。動物から人間、狩猟から農耕・牧畜の食行動。文学において比喩表現とは何か。メタファーやメトニミーが人類にとっていかなる思考かを考えてみることなしに、比喩を含めたレトリックの問題は深めることはできないのではないか。さらに、テキストにおける形式やリズムとは何か。ゲイリー・スナイダー的な惑星思考とアメリカ文学はいかなる関係にあるのか。惑星思考を含め、人新世や地質学的時間は、今日、地球環境を考える時の人文知を大きく方向づけている。人類学では、宇宙人類学も登場してきた・・・というような論点が、順に討議された。

 二日目の午前中の「人類学セッション」では、ディスカッサントのそれぞれの関心や専門領域から論評がなされた。石牟礼道子・野田研一対談の「亡所」が、アンナ・ツィンらによる『傷ついた惑星の生きる技芸』論集との関係で取り上げられ、ジオス、ビオス、アントロポスという「三つの自然」に基づいて今日の人類学や哲学などの議論が整理され、イマニュエル・カントの相関主義批判との関連で「もの」をめぐる問題から出発して今日の人文知の問題が俎上に載せられ、自然科学的な知と人文知の交差が検討された。また、バイオアートの今日的限界、均一化されたナラティヴや環境決定論をめぐる諸問題などが検討された。

 二日目の午後からは、まず、環境人文学という新領域の中で環境文学が再展望され、文学固有の問題を検討することの重要性が指摘され、その後、現在の環境人文学の研究や教育をめぐる欧米の動向が整理・紹介された後に、総合討論が行われた。総合討論では、1980年代に「私」をめぐる問題が大きくクローズアップされた後、今日、その検討がどのようになっているのかというというのが人文知をめぐる大きな問いであるという点が発せられた。議論を世代によって括る世代論は不毛であり、全世代の真正面から行われる議論が重要だという意見も出された。

全体のまとめとして示されたのは、まずは、環境人文学の学問横断的な試みにおいて生じる学問間の「違和感」は実は大切なのではないか、隣接学問と接することで自学問を問い直す機会になるのではないかという点であった。考古学者によって提起された環境人文学の見取り図(IIの結城論考所収)は再検討の必要があるとの意見が多く出された。また、自然や環境と人間という環境人文学のテーマを考える上では、私たちの社会が深く依存している西洋思考の問題、哲学的な課題を掘り下げて検討する必要があるという意見が述べられた。さらには、人類学と文学の間で、R.ネルソンなどを取り上げて共通テーマを追究することや、同一のフィールドを複数の研究者が経験し、互いの感性や知の交差を行うことを今後やってはどうかという提言もなされた。

 この研究会合宿には、全部で26名の参加があった。



第14回研究会
二元論を考える


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日時 12月25日(月)10:00~17:00
場所 立教大学12号館2階
ミーティングルームA,B MAP
備考 クローズドな研究会です。
奥野克巳 katsumiokuno[]rikkyo.ac.jp
     []を@に代えてください。


趣旨
「種」の問題を考えるにあたっては、人間/動物、文化/自然といった二元論思考に深く囚われているということが、これまで多くの研究者によって指摘されてきている。人間を主体、動物を客体として位置づけるデカルト主義的な二元論は、例えば、ウィラースレフによるユカギールの狩猟民族誌(『ソウルハンターズ』亜紀書房・近刊)の中で徹底的に批判されている。狩猟者が、世界の中に被投された「世界―内―存在」として、狩猟実践の過程で、人間が「動物でもなく、動物でもなくはない」事態を経験するさまが描きだされている。人々の日常の実践的な関わりにおいては、自己と世界は切り離すことはできないのではないか。二元論思考は、主/客、心/身、生/死、聖/俗、男/女など、私たちの身の回りに広く、深く浸透している。本研究会では、二元論思考をめぐって、倫理学、宗教学、人類学、アート、演劇、文学などのさまざまな分野から意見を出し合って、問題の広がりを確認し、課題を掲げ、それらを究明するための手がかりを探ってみたい。

10:00~10:20 イントロダクション~古典的二元論、身の回りの二元論 奥野 克巳(立教大学・教授)
10:20~10:40 環境倫理学から二元論を考える            戸張 雅登(一般社団法人・日英協会のジュニア・コミッティ
10:40~11:00 沖縄の民間巫者の世界から二元論を考える       佐藤 壮広(立教大学・兼任講師)
11:00~11:20 性風俗世界から二元論を考える            熊田 陽子(首都大学東京・客員研究員)
11:20~11:40 道具から二元論を考える               山崎  剛(南山大学・非常勤研究員)
11:40~12:00 仏像から二元論を考える               君島 彩子(としまコミニュティー大学講師、仏教文化資源研究会事務局長)
12:00~12:45 昼食 休憩
12:45~13:05 制作から二元論を考える               上妻 世海(文筆家・アートキューレーター)
13:05~13:25 ファシリテーションから二元論を考える        佐々木 薫(INTEG・代表)
13:25~13:45 演劇から二元論を考える               嶽本あゆ美(メメントC・劇作家・演出家)
13:45~14:05 反奴隷制思想から二元論を考える           山本 洋平(明治大学・専任講師)
14:05~14:25 文学の言葉から二元論を考える            山田 悠介(東洋大学・非常勤講師)
14:25~14:45 休 憩
14:45~15:30 質疑応答                      参加者全員
15:30~17:00 総合討論                      参加者全員

第14回研究会レポート


 最初に、二元論思考の枠で拾い集めた思想の断片が紹介され、その後、各発表者から順に話題提供がなされた。戸張氏は、環境倫理学の観点から、創世記を経てギリシア哲学の流れにおける自然と人間の二元論を取り上げた上で、ダーウィニズムによって自然と人間の連続性が発見された後の、20世紀後半のアメリカにおける環境倫理を論じた。佐藤氏は、医者半分、ユタ半分とされる沖縄の病いをめぐる二元論を取り上げ、ユタには治す、治されるという二項の関係ではとらえきれない部分があることを強調した。性風俗それ自体は、こちら側の日常に対する向こう側の世界なのか、また、性風俗は「善悪」という単純な二元論に回収されえないと論じたのは、熊田氏である。続いて山崎氏は、二元論で考えるのが有効である面と、二元論を考えずにたんに用いるだけの面がある(ハイデガーの「用具存在論」のようなもの)という二元論の二面性に着目した。君島氏は、宗教性と物質性が切り分けられないという問題構制を、にぎり仏の制作の中に見ようとした。上妻氏は、近代絵画や小説を取り上げて、近代に公と私が切り分けられたことと、逆に、そもそも公と私が分けられるものでないさまを、人類学や人間の情、演劇に影響を受けた移人称小説などを例にあげて説明した。佐々木氏は、ファシリテーションとは、あれかこれかという合目的的な活動ではなく、第3の道、第4の道を見いだす活動であることを示した。虚構とリアル、演者と観客という演劇の二元論を主題化したのは、嶽本氏であった。アメリカは、南北戦争の時代に、奴隷制と反奴隷制、白人と黒人と二項によって二元論の王国として誕生したと見る山本氏は、19世紀に政治論と自然描写でそれに抵抗したヘンリー・ソローの思想に着目した。山田氏は、石牟礼文学に焦点を当てて、表現形式という仕掛けによって、現実から文学テキストの中へのトランスポジションが可能になり、ことばによって文学が力になりうることを示した。全員の発表後、それぞれの発表についての質疑応答がなされ、活発な討議が行われた。


13th meeting of Multispecies Anthropology in Japan

Fisheries Management and Multispecies Relations in Anthropocene
Perspectives from Environmental Humanities

13th meeting page
Date
&Time
December 10th 2017, Sunday
13: 00 ~ 17: 00
Place Meeting Room A&B, 2nd Floor, Bldg No.12
Rikkyo University
Access MAP
Campus MAP
Host: J-ARC Net Research Project "Arctic Subsistence Systems in Anthropocene"
Co-host: Multispeices Anthropology Workshop (as the 13th Meeting)
Language: English (No translation)
Fisheries management is a bone of contention in recent times. Climate change is expected to bring a huge impact on the distribution of commercially important species across the globe. Local indigenous and non-indigenous groups continue to practice subsistence and/or commercial fishing in the midst of the change. While we start to have a rough global forecast for the situation of the fisheries in the era called anthropocene, we are still in need of detailed case-studies describing how local multispecies communities adapt to the changing environment. This workshop brings together the results of ethnographic studies in the U.S. and Japan to discuss how multispecies approach can shed light on the changing contexts of fishing and fisheries management in anthropocene.

Program:
13: 00 ~ 14: 00
Shiaki Kondo, Assistant Professor, Hokkaido University
Salmon and Other-than-human Engineering: Cultivating Human and Non-human Domus in Interior Alaska

14: 00 ~ 15: 00
Mariko Yoshida, Ph.D. Candidate/ Part-time Lecturer, The Australian National University
Harvested in Suspension: Ecological Disturbances and Japanese Oyster Practices in an age of Uncertainty

15: 10 ~ 16: 30
Heather Swanson, Associate Professor, Aarhus University
The Material Politics of Fishing Gear: Lower Columbia River fish traps and the making of salmon populations


16: 40 ~ 17: 00
Discusssant
Jun Akamine, Professor, Hitotsubashi University

17: 00 ~ 18: 00
General Discussion


第13回研究会レポート

本研究会では、デンマーク、オーストラリア、日本の大学に所属する若手研究者3名が人新世における漁業管理と複数種の関係について文化人類学的な観点から発表した。

近藤の発表では、内陸アラスカ・クスコクィム川上流域のサケ管理を扱い、先住民が用いてきたサケ漁用の簗禁止、先住民会社と州政府によるサケ個体数の調査、サケ遡上地におけるクマ猟などの事例を通して、北方狩猟民研究と科学技術の民族誌の交差点を探る試みがおこなわれた。近藤は、先住民による「資源管理」実践と非先住民による環境破壊とが同じ複数種の絡まり合いのなかで展開されているという観察に基づき、キーストン種と人との相互構築的な関わり合いに焦点化する「マルチ・キーストン種民族誌」を提案した。

吉田氏の発表では、殖産興業を旨としてカキ養殖が導入された明治期から、海洋の酸性化や東日本大震災による海洋環境の変化といった新たな不確実性に悩まされる現代までにわたる、宮城県を中心とした日本のカキ養殖の状況が紹介された。カキ養殖は、さまざまなリスクに対応することによって形作られる。例えば、カキを媒介としたノロウィルスの流行は、食産業にとって大きな悩みの種であるが、カキ養殖業者のなかには陸上で養殖する設備を作ることによってこの問題に対処しようとする者もいる。吉田氏は、カキが新しく登場するリスクに対応しながら、さまざまな場所に移動し、その動きのなかで新しいアクターたちとの関係を築いていくさまを描き出した。

スワンソン氏の発表では、アメリカ西海岸コロンビア川におけるサケ漁具をめぐる「物質的なポリティクス」が扱われた。現地の先住民であるチヌークが作ってきた漁具とは対照的に、19世紀後半、ヨーロッパ系の入植者は、缶詰産業に供給するため、資本主義的な収奪に最適化した大規模な定置網漁法を導入した。しかし、この動きは、その数十年前から刺し網で漁をしていた北欧出身の移民たちを怒らすことになり、刺し網漁師と定置網漁業者の闘争が始まった。近年では、遺伝学にもとづいた生物多様性保全がサケ管理に導入されると、今度は漁獲するサケを選別できる定置網が環境に配慮した漁法とされ、逆に刺し網は糾弾されることとなった。スワンソン氏は、同じ特性を有する漁具でも、どのような経済的、環境的な配置のなかに置かれるかによって全く異なる姿を見せることを指摘した。

発表の後、赤嶺氏によるコメントがあった。赤嶺氏は、3本の発表に共通して、商品・社会・歴史というテーマが見られるが、市場との関係性、とりわけ商品流通を可能とする保存技術に着目する考察を加えるとよいのではないかと指摘した。研究会中の議論では、マルチスピーシーズ民族誌における「種」概念、漁具のマテリアリティ、カキのドメスティケーション、インフラストラクチャーとしての漁具、サケ漁業に関する北環太平洋をまたぐ人・技術・観念・資本の移動、more-than-humanという用語のニュアンスなど、さまざまな論点に及ぶ闊達な意見交換がおこなわれた。本研究会の参加者は合計で11名であった。(近藤祉秋)


第12回研究会
Arts of Living on a Damaged Planetを読む


第12回研究会サイトへ
日時 12月9日(土)10:30~17:30
場所 立教大学12号館2階
ミーティングルームA,B MAP
備考 参加希望者は、11月24日(金)までにお申し込みください。
奥野克巳 katsumiokuno[]rikkyo.ac.jp
近藤祉秋  shiaki.kondo[]gmail.com
     []を@に代えてください。
*引き続き、章担当・発表者を募集しています。

人間が地球環境に甚大な影響を与えたとされる人間の時代=「人新世(アントロポセン)」において、消えっていったもの(幽霊)たちや怪物化した生きものたちを取り上げて論じた学際的な論集が、アナ・ツィンやヘザー・スワンソンらによって、2017年に編まれた。Anna Lowenhaupt Tsing, Heather Anne Swanson, Elaine Gan, and Nils Bubandt(eds.) Arts of Living on a Damaged Planet: Ghosts and Monsters of the Anthropocene. University of Minnesota Press, 2017. 本研究会では、その論集の幾つかの章を読みながら意見・情報交換し、人間ー以上のー人類学・人文学の近未来を展望してみたい。

森田 系太郎(会議通訳・翻訳者)
Introduction: Haunted Landscapes of the Anthropocene(G序, Gan et al.)

戸張 雅登(立教大学大学院・博士後期課程)
Future Megafaunas: A Historical Perspective on the Scope for a Wilder Anthropocene (G4, Svenning)

山田 祥子
Haunted Geologies: Spirits, Stones, and the Necropolitics of the Anthropocene (G7, Bubandt)

奥野 克巳(立教大学)
Ghostly Forms and Forest Histories(G8, Mathews)

上妻 世海(文筆家、キューレーター)
Deep in Admiration(M1,Le Guin)

猪口 智広(東京大学大学院・博士後期課程)
Symbiogenesis, Sympoiesis, and Art Science Activisms for Staying with the Trouble (M2, Haraway)

石倉 敏明(秋田公立美術大学)
Wolf, or Homo Momini Lups(M5, Freccero)

藤田 周(東京大学大学院・博士後期課程)
Unruly Appetites: Salmon Domestication “All the Way Down” (M6, Lien)

近藤 祉秋(北海道大学)
Synchronies at Risk: The Intertwined Lives of Horseshoe Crabs and Red Knot Birds(M8, Funch)

阿部 朋恒(立教大学・非常勤講師)
Remembering in Our Amnesia, Seeing in Our Blindness (M9, Parker)

第12回研究会レポート

Arts of Living on the Damaged Planetは、デンマーク・オーフス大学人新世研究ユニットの研究成果として出版された。科学史、文化人類学、保全生態学、生物学、文学などの諸分野の書き手が集う、非常に学際的な論集である。この本は、Ghost編とMonster編に分かれているが、編者らはGhost編を「近代の暴力が憑りついた景観」、Monster編を「種間および種内の社会性」と特徴づけている。

本研究会では、10名のレジュメ発表者が各自ひとつの章を選び、その内容を報告した後、全体で意見交換をおこなった。扱われた話題は、人新世研究の状況、現代における詩の意義、ジャワ島における資源開発と地震、大型哺乳類の大量絶滅と再野生化、自然誌的観察と民族誌を組み合わせる研究手法、アート・サイエンス運動、西洋社会におけるオオカミの記号論とそれへの現代的応答、ノルウェーのサケ養殖、カリフォルニアの外来植物、デラウェア湾のカブトガニと渡り鳥の保全であり、多岐にわたる。

本研究会では、レジュメ発表の内容にもまして様々な議論が飛び交った。いくつか例を挙げれば、”anthropocene”や”chthulucene”の訳語選択、Ghostという言葉とデリダの憑在論との関係を問う意見、マルチスピーシーズ研究の「型」の存在(ツィンの議論との対応を意識した書き方)、再野生化のゲルマン起源とアメリカの猟獣保全、物質的なものと非物質的なもの狭間にあるものとしてのGhost、「流れ」という物質性の在り方、情報革命が人間と非人間をフラットに捉える考え方を生み出したという見解、宮崎駿とハラウェイの関係、哲学界隈でのクトゥルフ神話の静かなブーム、自然科学者との対話、この論集の想定されるオーディエンスはどのような人たちなのかという問い、などである。

本研究会は、人新世をめぐる研究の多様さ、そして、各分野によるアプローチ、修辞戦略の違いを浮き彫りにするものだったと言えるが、この論集は、そのような多様な書き手による多様な話題をGhostとMonsterという2つのアプローチにまとめてみることによって、整理しようとする試みであった。研究会の終盤からは共編者のヘザー・スワンソンさんも参加し、参加者の質問に答えてくれた。研究会は盛況のうちに閉会し、その後の懇親会でも熱心な意見交換が続けられた。参加者は合計で12名であった。(近藤祉秋) 





第11回研究会

ディヴィッド・エイブラム著
『感応の呪文:〈人間以上の世界〉における知覚と言語』を読む
~訳者・結城正美さんを囲んで~

上妻世海、山田悠介、奥野克巳、野田研一

第11回研究会サイトへ

日時 2017年12月1日(金)10:30~18:10
場所 立教大学12号館2階
ミーティングルームA,B MAP
備考 問い合わせ
奥野克巳 katsumiokuno[]rikkyo.ac.jp
     []を@に代えてください。
〈人間以上 more-than-human〉という言葉をいまから20年以上前に用いて、今日の人間的なるものを超えた人文学、人間以上の人文学を先取りしたディヴィッド・エイブラムの『感応の呪文:〈人間以上の世界〉における知覚と言語』が、このたび、結城正美さん(金沢大学教授)によって翻訳され、水声社から刊行されました。訳者の結城正美さんをお招きして、環境人文学のこの重要著作を読み、内容について理解を深めたいと思います。

10:30~10:40   イントロダクション、進め方など
10:40~11:10   上妻世海(文筆家、キューレーター)☞序~第3章、9頁~130頁
11:10~12:10   質疑、ディスカッション
12:10~13:10   昼食休憩
13:10~13:40   山田悠介(東洋大学非常勤講師)☞第4章~第5章、131頁~236頁
13:40~14:40   質疑、ディスカッション
14:40~15:00   休憩
15:00~15:30   奥野克巳(立教大学教授)☞6章~結び、237頁~353頁
15:30~16:30   質疑、ディスカッション
16:30~16:40   休憩
16:40~18:10   コメント 野田研一(立教大学名誉教授)
           その後、総合ディスカッション

第11回研究会レポート

  それぞれのパートが、3人のレヴューアー(上妻世海氏、山田悠介氏、奥野克巳)によって整理され、感想や疑問などが述べられた後に、訳者である結城正美氏からの応答がなされた。そのようにして、この本の持つ可能性や課題、細かい術語使用などを含めた論点が出され、情報・意見交換が行われた。その後、野田研一氏から全体にわたるコメントが呈示され、参加者全員で総合的なディスカッションが行われた。休憩時間を含め、8時間の長丁場にわたる研究会であった。

 パーソナルな序論と理論的な序論が置かれた最初のパート(序~3章)が、まずはレヴューされた。パーソナルな序論では、旅人であり、手品師である著者が、インドネシアやネパールなどの「口承文化」での直接的な経験を、近代以降の文明化された社会に持ち帰った後に、その経験を振り返って考えてみるという手続きのうちに始められた。続く理論的な序論で、その点に関して、理論的な糸口を著者は、人間と自然、主体と客体を分断し、能動と受動の別に分けられることにより独我論に陥ってしまった科学的な西洋思考の解決を見いだそうとした現象学に求めている。現象学は、私たちの生きる世界の本質を問う学問だからである。その先に、主体と客体の移行性と可逆性を、知覚するものが知覚されるものであると考えたメルロ=ポンティの「肉」の思想の重要性を見いだしている。こうしたレヴューに対し、結城氏は、エイブラムは、観察者から経験する者へ、さらには沈黙とともにある自然へと進めていくというふうに、書き方を工夫しているのではないかと応じた。また、障壁や膜という言葉が使われる一方で、多孔が開いて、人間と人間以上の世界が流動するというイメージが主題になっているのではないかという見通しを語った。

 続いて(4,5章では)、言語の問題が扱われる。自然そのものが自らを表現しうる口承文化には形式的な書記体系がなく、そこではアニミズムないしは融即的経験が主流であった。その後、表音文字が出現し普及するにつれ、自然は声を失い始めるが、その後、アニミズムは必ずしも完全に失われてしまったわけではない。口承文化に対比される文字文化では、自己再帰的なア二ミズムの様態が支配的になった。自然との間で交わされていた「呪文(スペル)」は「文字を綴る(スペル)こと」により、人間自身の力として経験されるようになったのである。そのようにして、伝統的なアニミズムは、実は、近代以降の我々の社会にも残存している。ディスカッションでは、漢字の書家の筆法の中に残る自然的要素、文字を介してこその人間と人間以上の世界とのコミュニケーションなどをめぐる問題が取り上げられるとともに、アニミズムそれ自体が文字文化では完全に失われてしまったのではないというエイブラムの主要な論点に関して、活発な議論が行われた。

 最後(6章~結び)で、著者は、場所と物語が分かれていなかった口承文化が、文字のテクノロジーによって切り離される経緯が、時間と空間が数学と言語表記によって分離される流れとパラレルであるという見通しを示した上で、その点を探るために、ハイデガーやメルロ=ポンティを召喚している。その上で、地面(空間)と地平(時間)が区別されることなく混ざり合い、深みと奥行きを持っていた感覚世界の本源を射程に収めている。エイブラムは、それが文字化によって失われた過程を知るためには、「空気」について考えるというアイデアを提起する。風や息や空気はかつて空っぽではなく力があった。息とは母音であり、最初作られたアルファベットには母音がなかった。ヘブライ語では、子音に外部の息が吹き込まれて意味が与えられた。その後、子音と母音からなるギリシア語が成立し、息=空気から霊的な奥行きが取り除かれる。母音を加えることにより、人間と人間以上の世界に壁ができ、人間の言語は自己再帰的なものとなったのである。結城氏は、ヘブライ語で子音表記の実用は、息の吸い込みと息の吐き出しに連動しており、そのことが、風や空気が出て入り、入っては出るという自然の律動とパラレルであるが、そのアイデアがエイブラムのオリジナルかどうかははっきりしないと指摘した。また、合理的思考を促すことになったギリシア交易の開始、交感と融即論の関係などに関して、意見・情報交換がなされた。

 コメンテータの野田氏からは、まず、この本の日本語訳の素晴らしさに関して指摘がなされた上で、本書には、時間と空間、主体と客体の意味が失効する世界が描かれているという大きな見通しが語られた。また、「真に生態学的なアプローチ」とは、私たちの注意を、知覚できる現在である感応的な世界から逸らすものであってはならないのだというエイブラムの主張が取り上げられた。その後、参加者を含め、全員によるディスカッションでは、文化人類学から見た本書における民族誌データの扱い、人間以上や人間を超えるものというタームをめぐる問題、アニミズム論、融即という用語、パルパラビリティ(触知可能性)、本作品の文学への外挿…などをめぐって活発な議論が行われた。

 本研究会には、のべ23名の参加があった。


10th meeting of Multispecies Anthropology in Japan
in collaboration with Associate Professor Kentaro Kanazawa's Lab, Shinshu University

10th meeting page
Date
&Time
October 30th 2017
15:00~18:00
Place Meeting Room A&B, 2nd Floor, Bldg No.12
Rikkyo University
Access MAP
Campus MAP
Please contact katsumiokuno@rikkyo.ac.jp if you wish to participate in this half-closed meeting.
This research meeting is held in English.


Penan Resource Tenure and Mode of Life 

Jayl Langub

Institute of Borneo Studies, Universiti Malaysia Sarawak                                                                                                                                                                                                                     
For generations the Penan have made a living and maintain a long-term relationship with the land and forest.  In their interactions with the surrounding area, the Penan have left their ‘footprints’ (uban) through a series of former campsites (la’a in Eastern Penan; laa’ lamin in Western Penan) over the landscape, as they moved from one resource-area to another within a specific river system or area.  As they harvest resources they establish ‘tenure’ (olong) over them to ensure systematic management.  The practice of leaving behind their ‘footprints’ and the idea of a resource tenure system are ways they establish long-term relationship with, and rights to the land and its resources.  The Penan have a word tawai that expresses in a particular way their sentiment to the landscape.  It binds the group and individuals to the landscape.  Penan feeling for the landscape, expressed through tawai, is told and retold through tesok (oral narratives) to succeeding generations.  It is also expressed and passed down the generations through sinui (Western Penan) or jajan (Eastern Penan) sung for entertainment.

第10回研究会レポート

 発表者のマレーシア大学サラワク校ボルネオ研究所のジャイル・ラングブ氏より、サラワク州の先住民であり、狩猟採集を重要な生業とするプナンの現況が報告された上で、サゴ採集とデンプンの抽出作業、毒矢や吹矢の作り方、戦後のマレーシア新政府による交易システムなどが順次紹介された。プナンにとって、「タナ」と呼ばれる土地は、特別な意味を持つ。これまで多くの研究者が指摘してきたように、プナンは河川、森林および山々との間で親密な関係を築き上げてた。そうしたタナとの親密な関係を示す用語として重要なのが、「タワイ」という情動語句である。タワイとは、人間に対してだけでなく、周囲の景観に対して、ノスタルジアや憧憬などを示すための表現でもある。とりわけ、景観に対するタワイの感情は、民話や歌などの口承文芸の中で豊に表現され、継承されてきた。

 州政府が定めた土地法について、景観へのタワイという情動の持つ意味について、タワイがいかに口承文芸の中に現れるのか、などという質疑がなされ、サラワク州に住む他の先住民との比較において、活発な議論と意見交換が行われた。サラワク研究者を中心に、全部で8名の参加があった。


9th meeting of Multispecies Anthropology in Japan
in collaboration with WIAS

9th meeting page
Date
&Time
October 14th 2017
12:30~18:10
Place Waseda Institute of Advanced Study
1-6-1 Nishi Waseda, Shinjuku-ku, Tokyo 169-8050, JAPAN
MAP
This research meeting is held in English
Opening Remarks  12:30~12:40

 1. Nastasha Fijn (Assistant Professor, The National University of Australia)   12:40~14:10
    'Medicinal Treatment of Humans and Domestic Animals in Mongolia'

 2.  Kazuyoshi Sugawara (Professor Emeritus, Kyoto University)  14:25~15:55
    'On the G|ui Experiences of 'Being Hunted': An Analysis of Oral Discourses on Man-Killing by Lions'

Comments  16:10~17:00

     1) Takuya Soma (Assitant Professor, Waseda Univeisity)
     2) Motomitsu Uchibori (Professor, University of Air)

Disccussion  17:10~18:10


第9回研究会レポート

 本シンポジウムでは、「ドメスティケーション」と「ハンティング」という人類史における初現的営みにおける、ヒトと動物の関係性を個別の民族誌から描き出し、かつその象徴的・質的側面に焦点を当てた発表がなされた。

 まず1人目のオーストラリア国立大学のナターシャ・フィン氏は、モンゴル国の遊牧民による薬草利用と家畜管理について発表および映像作品の上映を行った。モンゴル中部アルハンガイ県で2015年から集中的に行われた、長期滞在型フィールド調査の結果と、民族誌的ドキュメンタリーフィルムの作成による視覚化の試みについての報告がなされた。発表では、フィン氏の核となる言説であるCo-domesticationについて独自の理論と経験から説明が行われた。

 2人目の菅原和考氏(京都大学名誉教授)は、ボツワナの狩猟採集民/ブッシュマンのグイにおける「ライオンに狩られる」逸話に見られる、ヒトと動物の関係論について発表が行われた。「人間がライオンに狩られる」伝承は、いわば男性性や男性の社会的役割の規定したメタファーでもあり、自然界の諸相を象徴する存在として描き出されるライオン像と狩猟民の関係性が指摘された。また、オーラルヒストリーを独自のタッチによる絵画によって視覚化し、クローズドな伝承知を共有知として展開する試みも行われた。

 コメンテーターとして、主催者・相馬拓也、および内堀基光(放送大学教授)による総括とコメントのあと、1時間にわたる活発な議論が行われた。本シンポジウムでは20歳代~70歳代まで世代を超えた参加者が12名あり、研究発表・討論の終了後にも闊達な交流が行われた。

※本研究会は発表・議論はすべて英語で行われた。(相馬拓也) 



(通算)第8回研究会(終了)

みんぱく共同研究(若手)「消費からみた狩猟研究の新展開」との共催
2017年度第2回公開研究会

日時 2017年7月29日(金)10:00~17:00
場所 国立民族学博物館 第7セミナー室
備考
みんぱく共同研究(若手)「消費からみた狩猟研究の新展開」2017年度第1回公開研究会
【共催】第8回マルチスピーシーズ人類学研究会(科研「種の人類学的転回:マルチスピーシーズ研究の可能性」)
スケジュール:
10: 00 ~ 11: 00 近藤祉秋(北海道大学)、合原織部(京都大学大学院)「Industrialization of Deer Hunting in Nishimera, Miyazaki」
11: 00 ~ 12: 00 大石高典(東京外国語大学)「アフリカ都市住民の動物蛋白源嗜好性――コンゴ共和国ブラザビルの事例」
13: 00 ~ 14: 00 John Knight(Queen’s University Belfast)「Hunters and the meat–animal association」
14: 00 ~ 15: 00 山口未花子(岐阜大学)「西表島のイノシシ猟の地域比較――肉の嗜好と捕獲・止め刺し・解体方法」
15: 00 ~ 15: 20 休憩
15: 20 ~ 15: 35 濵田信吾(大阪樟蔭女子大学)「コメント」
15: 35 ~ 15: 50 安田章人(九州大学)「コメント」
15: 50 ~ 17: 00 全員「総合討論」
【参考】共同研究「消費からみる狩猟研究の新展開」ページ
http://www.minpaku.ac.jp/research/activity/project/iurp/16jrw012

会場準備・資料配付の都合上、研究会参加を希望される方は、できるだけ2日前までに大石(takanori@tufs.ac.jp)までご連絡下さい。

第8回研究会レポート

  近藤・合原発表は、狩猟文化で有名な九州山地の文脈において、獣害対策として注目されている野生獣肉の商品化がどのように展開されているかを扱った。宮崎においては、イノシシ肉は以前から商品価値を有していたが、シカ肉はあくまで自家消費されるのみであった。近年の「ジビエ」ブームは、シカ肉に商品価値を与え、宮崎で穫れたシカ肉が県外の都市圏のレストランで消費されるようになっている。発表では、現地の狩猟者と消費者との間にある加工過程に焦点が当てられ、シカがさまざまな場所に住む人とイヌ、地元のイノシシなどの食物となる選択肢のなかで、「衛生」面の配慮を含む様々な加工を経て(都市圏の住民が食べる)「ジビエ」となっていく過程を指して、「ジビエ化」というキーワードとして提示した。

大石発表では、人口増加が顕著な熱帯アフリカ都市住民の獣肉消費についての実態調査の結果がコンゴ共和国の首都ブラザビルを事例として報告された。金銭を介した獣肉交易は非合法化後も継続しており、農村部での過剰狩猟問題との関わりから問題となっている。都市住民は、タンパク源消費の半分近くを海水魚や輸入家畜肉などの冷凍食品に依存している一方で、獣肉は値段が決して安くはないにも関わらず世帯収入や階級を越えて根強い人気を維持している。「冷凍家畜肉を毎日食べると病気になる」とするような言説がある一方で、獣肉は健康食品としても人気を博している。都市住民の世代交代が進んでも獣肉への嗜好性が維持される要因として、キャッサバ葉を用いた調理法や都市食文化との結びつきが指摘された。

ナイト発表では、食肉における「不在の指示物」(absent referent)をめぐるキャロル・アダムスの議論を頼りとしながら、「肉—動物のつながり」が論じられた。近代的な食肉産業においては、「肉」と「動物」の間のつながりは隠蔽されており、消費者はみずからが食べる「肉」が元々「動物」であったものをと殺して、食用に加工したものであることを考えずとも生活できるようになっている。「肉」と「動物」のつながりが全く意識されない状態から、「肉」となった「動物」の個体と継続的な個人的な関係を有しており、「肉」と「動物」のつながりが最大限意識されている状態まで、「肉ー動物のつながり」がさまざまなスペクトラムを有していることが「新肉食運動」や狩猟の匿名性(第5回研究会を参照)をめぐる事例などを通して示された。

 山口発表では、沖縄県西表島のリュウキュウイノシシ猟が取り上げられた。島全体では、銃を用いた猟法よりも罠猟が中心になっている。同じ罠猟でも、島の東部と西部では、捕獲・止め刺し・解体の方法が異なることが写真や映像資料を用いて示された。例えば、東部ではイノシシは止めが刺された後に集落に持ち帰られるが、東部では生きたまま持ち帰られる。捕獲から解体までのやり方の差異が、肉のにおいへの嗜好が島の東西で異なることに対応していることが示され、その違いの背景として、伝統的な猟法が維持されている西部、移民を中心とした猟師によって観光客など都市消費者への肉の販売が見られる東部という狩猟の担い手や消費形態をめぐる対照的な地域特性への言及がなされた。

 濵田コメントでは、一連の発表で味わいをデザインする調理の立場に立った研究視点が不十分である点が指摘された。産業化された獣肉消費が、ともすれば「エコな食」を装おうグリーンウォッシュになりかねないことなどを事例に、現代社会における食の選択と政治の関係について研究する上で獣肉研究の持つポテンシャルへの言及があった。
 安田コメントでは、個別の発表について「半研究半狩猟者」の立場から突っ込んだ質問が投げかけられた。これらを受けた総合討論では、フロアから日本における獣肉とジビエの相違が他地域での獣肉消費の変化とどう関連があるか、獣肉研究の多様な側面を包括する研究枠組みについて、さらに行政が諸手を挙げてジビエ消費を推進している日本の現状についての問題提起があり、これらをめぐって意見交換がなされた。

第8回研究会にはのべ27名の参加があった。(大石高典/近藤祉秋)


(通算)第7回研究会(終了)

科研費研究・基盤(A)(一般)
「種の人類学的転回:マルチスピーシーズ研究の可能性」
2017年度第1回 研究集会


日時 2017年5月26日(金)13:00~22:00
場所 御影荘 神戸市東灘区御影郡家2丁目16-11 
備考 非公開研究会

プログラム 

1300 開会の挨拶    奥野克巳

1305 自己紹介

1400 マルチスピーシーズ研究の可能性 奥野克巳+シンジルト+近藤祉秋+相馬拓也

1800 夕食

2000 第51回日本文化人類学会研究大会分科会「他種と「ともに生きること」」予行会

2200 終了

 


第6回研究会(終了)

擬人主義、複数種の民族誌、動物の境界、ネイチャーライティング

第6回研究会サイトへ
日時 2017年2月10日(金)13:00~17:50
場所 北海道大学 東京オフィス(東京駅日本橋口 サピアタワー内) MAP
備考 参加される方は、申し込みが必要です。

【2月6日(月)】までに、参加者の方のお名前とご所属(大学名、会社名など)を近藤祉秋(shiaki.kondo★let.hokudai.ac.jp)宛に連絡ください(★は@に代えてください)。

Vol.11 アニミズムの生物学:生物学史における「擬人主義」の再検討 

13:00~14:20

野口泰弥(北海道立北方博物館)


【発表概要】
 人間の社会、文化を語る人文科学のパラダイムと、動物行動を語る自然科学のパラダイムは大きく乖離している。原則的に自然科学のパラダイムから「ヒト」について語ることは許されるが、人文科学のパラダイムで動物行動を語ることは許されていない。こういった乖離は人文/自然科学における対象の「心」(志向性)の取り扱われ方の違いを背景とし、極論すると心を持つ存在を研究する人文諸科学と、心を持たない自然を研究する自然科学という、特殊な世界観(または存在論)が前提とされている。
 ヴィヴェイロス・デ・カストロが南米先住民を事例に提起した「多自然主義」は自然/文化(社会)の二領域に配分される各要素を再シャッフルし、上記の枠組みにも再考を迫る。彼の主張の射程は、人類学のみならず異文化のアニミズム的言説を一括してローカルな世界観の一つとして展示してきた民族学博物館の活動も含まれていると言って良いだろう。
しかしそのような自己相対化を念頭に異文化を提示(展示)しようとも、異文化の信念が我々の日常実践系とかみ合わない限り、本質的な相対化が期待できないという批判がある。従って本発表では我々の日常実践と連動していると考えられる自然科学的言説の内部から、自然と文化の領域の融解を試みる。
 そのために、特に動物行動を扱う自然科学の中で、行動を志向性に基づくものとして解釈する「擬人主義(Anthropomorphism)」が認められうるかを、ダーウィン以降の初期進化論者、行動主義心理学者、動物行動学者、日本の初期「サル学」者、また現代の霊長類研究などを事例に検討する。

マルチスピーシーズ人類学 文献レヴュー5


14:30~15:50


■ファシリテータ 近藤祉秋(北海道大学)

マルチスピーシーズ人類学の重要な基本文献であるカークセイとヘルムライヒのCultural Anthropology誌の2010年の論考が、このたび、近藤祉秋訳で刊行された(S.E. カークセイ+S.ヘルムライヒ「複数種の民族誌の創発」96ー127頁、『現代思想』2017年3月臨時増刊 「人類学の時代」)。この機にこの論文を読み、マルチスピーシーズ人類学への理解を深めたい。研究会では、主に邦訳文献を用いる。
Kirksey, S. E. and Helmreich, S. 2010 The Emergence of Multispecies Ethnography. Cultural Anthropology 25 (4): 545–576.

15:50~16:20

■ファシリテータ 奥野克巳(立教大学)

 菅原和孝の待望の新著『動物の境界』(弘文堂、2017年)を取り上げて、そこから何を学ぶことができるのかを考えたい。

Vol.12 リチャード・K・ネルソンの「文学」――〈ことば〉の〈かたち〉のメッセージ 


16:30~17:50

山田悠介(立教大学大学院)

【発表概要】
 リチャード・K・ネルソンは、アラスカ先住民を対象とした文化人類学研究にとどまらず、アラスカの自然と人間をめぐる文学的エッセイの執筆など幅広い活動によって知られている。その文学および文体は、とりわけ、エコクリティシズムや環境文学研究のなかで高く評価されてきた。
 本発表では、〈ことば〉をたんなる意味の容器ではなく、様々な解釈を導くための手がかりと見る視点に立って、ネルソンのネイチャーライティング(一人称形式のノンフィクション)を分析することを試みる。とくに、多様な形態、意味、機能をもつ「反復」という文彩(フィギュール)に注目し、テクストの形式的な側面から「人間の自然化」の可能性について考えていく。
 ネルソンを介して、環境文学研究と人類学がクロスオーバーするような地点を探ってみたい。

*研究会には、関心のある方ならどなたでも参加いただけます。
 関連諸文献に関しては、各自で入手願います。
 入手できない場合には、以下の連絡先まで問い合わせてください。
 katsumiokuno@rikkyo.ac.jp



第6回研究会レポート

 野口発表では、社会生物学と人類学的な研究課題の間で引き裂かれている、動物を人類学の研究対象とすることの困難に触れ、 動物をめぐる人類学を前進させる一つの指針として、人間と動物の連続性の問題を考えるために、生物学における「擬人主義」の系譜が取り上げられた。動物を扱う際の擬人主義が、人間中心主義的なやり方で概念化された点を出発点として、ユクスキュルの環世界論やローレンツの動物行動学では擬人主義が入りこむ余地がなかったが、今西錦司による霊長類学が、サルを個体識別する観察方法により、内的過程が人間以外にも認められるべきであるとする見方が緩やかに拡張されてきた。今日、人間と動物の二元論に還元されないようにするために、生物学では擬人主義は歓迎される傾向があることが示唆された。その後の議論では、人類学の研究対象地の人々の語りにおける擬人主義をめぐる問題、擬人主義と擬「自然」主義、矢野智司による逆擬人法をめぐる問題、生物学における狭義の擬人主義と広義の一般用法としての擬人主義などに関して、活発な意見交換が行われた。

 文献レヴューでは、第一に、「複数種の民族誌の創発」が取り上げられ、ファシリテータからは、最初、マルチスピーシーズ民族誌の議論がアニミズムやSTSを含む議論だと思っていたが、薄々は感じていたが、カルチュラル・スタディーズとつながっている可能性が垣間見れる点が指摘された。まずは、ハラウェイやフェミニズム研究から影響を受ける一方、スター的な民族誌家に小さな場所しか与えられないマルチスピーシーズ民族誌の流れ、つづいて、バイオアートとエコアートというアート実践へと広げられるもう一つの活動の側面が紹介された。議論では、カルチュラル・スタディーズとの関係、Emergence(創発)の意味内容、ビオスとゾーエーをどう捉えるか、「種」の境界やその志向性(心)や潜勢力、アートにおける表現の可能性などに関して、活発な意見情報交換が行われた。第二に、菅原和孝の『動物の境界』が取り上げられ、ファシリテータから、それが、著者の全実存を投じた思索の書である点が示され後、動物に対する驚きに与えられた自然誌的態度や生鮮性、戯曲的な構成、環境と虚環境をめぐる現象学的な問題提起などに関して、フロアーからも意見が述べられた。

 山田発表では、アラスカの民族誌家であるリチャード・ネルソンおよび彼のテキストが、エコ・クリティシズムの観点から取り上げられた。ネルソンの一人称的なテキストには、ネイチャーライティングのモデルともなりうるとの高い評価が与えられている。テキストの内容ではなく、言葉の「形式」に着目する立場から、ネルソンの著作『内なる島』が解析され、その中にABBA形式のキアスムス(交差配列)構造が潜んでいることが指摘された。それは、全体が部分に分節化されることではなく、部分と部分が組み上げられ、全体が構成されていくさまを示している。言葉のかたちから見えてくる意味があり、それは言語や文学に何ができるのかという大きな課題につながっているとされた。つづく議論では、ネルソンの完成テキストに至る経緯が調べられるといいのではないか、キアスムスは人類学・哲学でも重要な概念であり、それらを参照することで今後深められる可能性があるのではという意見などが出された。

 第6回研究会には、全部で8名の参加があった。


第5回研究会(終了)

ハラウェイ、ローズ、ナイト&フィン

第5回研究会サイトへ

日時 2017年1月22日(日)13:00~17:30
場所 立教大学12号館2階
ミーティングルームA,B MAP
備考

マルチスピーシーズ人類学 特集セッション1 種間関係の「愛と非-愛」



13:00~15:00
■ファシリテータ シンジルト(熊本大学)、近藤祉秋(北海道大学)、奥野克巳(立教大学)

【趣旨】
ダナ・ハラウェイは、『伴侶種宣言』の中で、イヌと人の間の「重要な他者性」を語るとき「愛」を強調した。ハラウェイのもう一つの重要な著作『犬と人が出会うとき』では、種間の「愛」はいかに論じられているのだろうか?他方、『オーストラリアン・ヒューマニティーズ・レヴュー』誌の2011年の特集「嫌われものたち」(Australian Humanities Review 50, May 2011 “Unloved Others: Death of the Disregarded in the Time of Extinctions”)では、「愛」ではなく、人間と他種との「非-愛」というべき事態が一つの軸となっている。本特集セッションでは、ハラウェイの「愛」論と「嫌われものたち」の特集論文を並行して読んで、マルチスピーシーズ人類学における「愛」をめぐる問題について検討する。さらには、「アントロポセン(人新世)」「キャピタロセン(資本世)」に代えて、「クトゥル-セン」を提唱するハラウェイの最新論考を読み、ハラウェイの「愛」とその後を追ってみたい。取り上げる文献は以下である。


・ダナ・ハラウェイ 『犬と人が出会うとき:異種協働のポリティクス』高橋さきの訳、2013年、青土社
・Deborah Bird Rose  “Flying Fox: Kin, Keystone, Kontaminant”. Australian Humanities Review 50
・Donna Haraway “Tentacular Thinking: Anthropocene, Capitalocene, Chthulucene". e-flux 75

マルチスピーシーズ人類学 文献レヴュー4




15:15~16:15
■ファシリテータ 相馬拓也(早稲田大学)

ハチ及び蜂蜜は、人間にとっての食料としてだけでなく、文化的にも重要な対象であった。モンゴルの人と家畜との「ともに生きる」関係を描きだしたナスターシャ・フィン(Living With Herds: Human Animal Coexistence In Mongolia. 2011)によるオーストラリアのYolnguの人々の、人間とハチの多層的な関係性を取り上げた論文を読み、議論する。

・Natasha Fijn "Sugarbag Dreaming: the significance of bees to Yolngu in Arnhem Land, Australia". HUMaNIMALA 6(1): 41-61

16:30~17:30
■ファシリテータ 奥野克巳(立教大学)

1980年代後半から日本の山村でフィールドワークを行い、日本人と野生動物の関係に関して、”When timber grows wild: the desocialisation of Japanese mountain forests” In Nature and Society. Descola, Ph. and Gisli Pallson(ed.), 1996, Waiting for Wolves in Japan. 2006, Herding Monkeys to Paradise. 2011などの研究を精力的に発表してきたジョン・ナイトの狩猟に関する近年の論文を取り上げて検討する。

・John Knight  “The Anonymity of the Hunt: A Critique of hunting as Sharing”. Current Anthropology 53(3)

*研究会には、関心のある方ならどなたでも参加いただけます。
 関連諸文献に関しては、各自で入手願います。
 入手できない場合には、以下の連絡先まで問い合わせてください。
 配布資料準備のため、参加者は、研究会の3日前までに参加の旨をご連絡ください。
 連絡先:奥野克巳 katsumiokuno@rikkyo.ac.jp



第5回研究会レポート

  特集セッション1「種間関係をめぐる愛と非ー愛」では、まず、ハラウェイの『犬が人と出会うとき』が取り上げられた。ハラウェイは、デリダとドゥルーズの動物論を「人間例外主義」であると退けた上で、マルクスが生そのものを論じることを称揚したことに沿って、『生資本論』が書かれるべきであると唱える。彼女の視点は、イヌと人間が互いに自由を創出するような関係に向けられ、イヌとの関係の中で人もまた学ぶのだという点が強調される。ハラウェイは、自らの伴侶種であるカイエンヌとともに参加するアジリティ―競技の中のプレーを取り上げ、そのことが人間とイヌを新しいものにしてくれることにも着目している。評者からは、『伴侶種宣言』で強調された人間とイヌとの「愛」を考える手がかりが散見されるという指摘がなされた。また、カイエンヌという特定の個体との関係が「種」に拡張されて議論されているのが不思議であるという疑問が提示された。それに応じて、生物学から科学史へと転じたハラウェイには、そもそも「種」で考える傾向があったのではないかという意見が出された。また、評者の指摘に従って、電子メール文の長々とした記述などをめぐる記述のスタイルをめぐって、人類学の手法とは大きく異なる点が議論の俎上に挙げられた。さらに、いわゆる人類学の「ポストモダン」の議論以降、それへの反動として、ラトゥール、ハラウェイなどの影響を受けて、人間以外の種を視野に入れた人類学が出現したのではなくて、両者(ポストモダン人類学と「人類学の静かなる革命」はゆるやかに連続しているのではないかという点についても、活発な意見交換がなされた。
 続いて、人間と他種とのいわゆる「愛」を相対化する「非ー愛」をめぐる状況を探るために、デボラ・バード・ローズの「オオコオモリ」と題した論文が取り上げられた。その論文では、コロニーから飛び出した後にコロニーへと戻るものがいる「斧を忘れたもの」であるオオコオモリは、アボリジニの神話の中では、虹の蛇をつついて雨を降らすなどとして語られる点、鳥類なのに霊長類とよく似た脳を持つ存在であるという点などが紹介された後に、オーストラリアの果樹園経営者にとって、害獣であるオオコオモリをめぐる実態が描きだされている。オオコオモリの食料であった原生林を伐採したために、飢餓に陥ったオオコオモリは果樹園を襲わざるを得なくなった。果樹園ではオオコオモリ駆除のために電気柵を取り付け、オオコオモリは死ぬ。その後、別のオオコオモリの群れが食料を求めて果樹園の電気柵で死ぬ。オオコオモリには飢餓か電気ショックという「死のブラックホール」が待ち構えている。さらに、そうしたストレスによってオオコオモリが強毒化したウィルスを持つようになると、絡まりあったマルチスピーシーズ的なネットワークの中で、オオコオモリはさらに悪者になる。「ポストヒューマニティーズの議論の理論武装に向かう」ような感のある、ローズの論考に関して、参加者の間で意見・情報交換がなされた。
 また、「触覚思考」と題するハラウェイの最新論考を取り上げたが、ハラウェイは、その中で、アントロポセンをめぐる議論に挑んでいる。「天神の不信心な子孫とともにマルチスピーシーズに豊かな堕落を見いだす同腹の子らとともに、決定的かつ楽しい騒ぎを起こしたい」と述べて、八本足の触手のある土食性の節足動物であるクモのイメージを用いて、アントロポセンに代えて、「クトゥルーセン」を提唱する。それは、現在進行中のマルチスピーシーズ的な物語とともに危険にさらされる時代において、「ともになること」の実践から構成されると、ハラウエィは述べる。参加者の間では、アントロポセンや絶滅の議論が人文科学の領域に広がっている現状について、触覚をつうじた問題提起などに関して、活発な議論がなされた。
 総合討論では、ハラウェイの造語の意味の複雑さや文章の読みにくさ、ハラウェイと彼女の学生との生産的な共同作業のあり方、ハラウェイの「愛」の概念などに関して、意見情報交換がなされた。

 文献レヴューでは、最初に、ナスターシャ・フィンの「シュガーバッグ・ドリーミング」が取り上げられた。その論文では、オーストラリアのアーネムランドで行われているオオハリナシバチのハチミツ採集をめぐるエスノグラフィーと、ハチミツと人間の間の接続関係をめぐるコスモロジーが論じられており、それらを踏まえて、定量データをどう扱うのか、マルチスピーシーズ民族誌の目指すのはいかなる方向であるべきのか、という点に関して活発な議論が行われた。続いて、ジョン・ナイトの「狩猟の匿名性」と題する論文が取り上げられた。ナイトによれば、人間と人間の間の社会性は、狩猟の文脈において、人間と動物の間の関係に拡張されてきた。動物が身を捧げるとするオートドネーションという考え方においては、人間と動物の個的な関係ではなく、匿名的な関係が支配的である。人間と動物の間の匿名的な関係が現れるのは、動物を飼育するようになってからである、とナイトは主張する。これに対して、参加者間では、著者が北方系先住民社会における動物と動物の霊の間の議論を誤解しているのではないか、個体とは何か、種とは何かという「スピーシーズ」をめぐる議論が示唆されているのではないかなどに関して、活発が議論が行われた。

 第5回研究会には、全部で8名の参加があった。


第4回研究会(終了)

マルチスピーシーズ人類学研究会
および
「カメルーン東南部狩猟採集社会における遅延報酬の許容と萌芽的な社会階層化」
(科学研究費補助金若手研究(B)、代表:大石高典)
共催

日時 2016年11月27日(日) 13:00~18:30 
場所 東京外国語大学 本郷サテライトキャンパス
4階セミナー室
備考 チラシはこちら

マルチスピーシーズ人類学 文献レヴュー3



13:00~14:00

■ファシリテータ 近藤祉秋(北海道大学)

Lorimer, J., Sandom, C., Jepson, P., Doughty, C., Barua, M. and Kirby, K. (2015)  'Rewilding: Science, practice and politics", Annual Review of Environment and Resources, 40

■ファシリテータ 奥野克巳(立教大学)

van Dooren, Thom. (2010)  ‘Pain of Extinction: The Death of a Vulture’, Cultural Studies Review, 16(2), pp. 271-289

入手できない場合には、メールでご相談ください

Vol.8 トポロジー的往還としての獣害問題:宮崎県椎葉村における種=横断的交渉をめぐって



14:10~15:25

合原織部(京都大学 大学院)

【発表概要】
ジョン・ナイトは、日本の獣害問題を、山村で過疎化が進んだ結果、人的活動が縮小し野生の自然が人間の領域へと侵犯する現象であると説明する。すなわち、獣害とは、里と山の領域の境界をめぐる問題として捉えられる。本研究では、椎葉村を対象に、獣害を契機とする、猟師、猟犬、シシやシカの領域間の移動の諸相に着目する。集落に進出するシカ、限界集落において獣害に悩まされながらも耕地を手放さず土地が山に戻らぬよう耕作を続ける老人たち、そして害獣駆除のために山へと分け入る猟師と犬。それらの事例から、里における耕作や山での狩猟という行為のなかで、各領域に特有の種横断的交渉が生起し、各々の属性が変化するさまを考察したい。

Vol.9. オランダ再野生化地域OVPにみる環境倫理:体系的価値の考察


15:35~16:50

戸張雅登(立教大学 大学院)


【発表概要】
ロルストン(Holmes Rolston Ⅲ, 1991)はイエローストーン国立公園への灰色オオカミ再導入に見られる生態系復元を題材に、自然は動物個々の命ではなく、生態系全体のバランス維持に価値があるという体系的価値を唱えた。筆者はオランダ、アムステルダム近郊の再野生化地域OVP (Oostvaardersplassen)における議論―越冬できずに飢え死にしていく牛や鹿を見殺しにするべきか安楽死に導くかべきか―を取り上げ、再野生化された環境下で体系的価値は適応されうるのかをレオポルドの土地倫理とロルストンの種間倫理を対比させつつ考察する。

Vol.10. ニホンミツバチの養蜂におけるマルチスピーシーズな関係―送粉共生系の人類学に向けた研究構想


17:00~18:15

大石高典(東京外国語大学)

【発表概要】
養蜂は、植物と動物が長い時間をかけて築いてきた送粉共生関係を人が巧みに利用することによって成り立つ多種間相互作用である。群れを移動させず、地域内で放し飼いにする在来種をもちいた養蜂はまた、局所的な景観変化と同時に気候変動のような全球的な環境変動をも敏感に反映する。本発表では、日本列島で唯一、在来のミツバチのみが棲息している長崎県対馬を事例に、農林業政策の変化や気候変動のもとで、人、ニホンミツバチ、天敵(外来スズメバチ、病原ウィルスなど)、蜜源植物、野生動物が織りなすマルチスピーシーズな関係をどのように民族誌として描き出すことができるかについて、仮説的に提示してみたい。

*研究会には、関心のある方ならどなたでも参加いただけます。
配布資料準備のため、参加者は、研究会の3日前までに参加の旨をご連絡ください。
連絡先:大石高典 takanori@tufs.ac.jp
    奥野克巳 katsumiokuno@rikkyo.ac.jp



第4回研究会レポート

  文献レヴューでは、①ジェイミー・ロリマーらの'Rewilding: Science, practice and politics"が取り上げられ、北米での再野生化では肉食動物が、欧州での再野生化では草食動物が導入されてた傾向があることが示された。再野生化には、どの時点に遡って「野生」に戻すのか、マンモスの復元なのか、オオカミの再導入なのかという議論がある。更新世末の巨大動物の絶滅、完新世の定住農耕、人新世の産業化・都市化の過程では、自然の影響よりも徐々に人間の影響が高まってきたが、再野生化は、人間の影響を排し、自然の影響を増大させる方向へと向かうのかという問題提起が、論文中の図表に示されていた。著者たちの意見としては、人為的に開始された再野生化がまだまだ実験段階であり、社会経済的な側面での影響が大きいことから、理想的な「野生環境」をつくりだすには至っていないという見通しが示された。

 ②トム・ヴァン・ドゥーレンの“Pain of Extinction: The Death of a Vulture”では、絶滅の危機にあるハゲワシの痛みが取り上げられた。生物のマネジメントと種の保全に焦点があてられる裏で、死と苦悩の中で個体が見失われてしまっている。レヴィナスを援用しながらハゲワシの痛みについて書くことは、それらの個体を倫理的主体としてみることへとつながる。インドでは、年間何百万という牛が死ぬが、神聖視されているため、食べられることはない。牛は死にかけると、遺体ごみ置き場に連れて行かれる。その世話をするのがハゲワシで、30分できれいに解体する。しかし、今日、ハゲワシが牛を食べることがハゲワシを殺すことになる。というのは、貧困層が牛を使って作業を続けるために、また、牛の足の病気、乳腺炎、出産困難などの処置で、非ステロイド系の抗炎症の安価な薬ディフロフェナクが投与されるが、それがハゲワシに腎障害をもたらすからである。ハゲワシの減少に比して、イヌが増加している。イヌは、ハゲワシほどのスピードと完璧さで動物の死骸を片付けない。イヌは町をうろついて人を襲い、狂犬病などをもたらす。インドの生態系にハゲワシがいないと、人や動物の健康に重篤な影響がある。個体は関係論的な存在であり、生と死を含むマルチスピーシーズの文脈は、他者の苦しみへの純粋な反応を考慮しなければならない。ある種が絶えると、多くの有機体が依存する相互作用もなくなるので、関係論こそが重要である。ハゲワシの痛みとは、すべての生命が埋め込まれている結びつきの中へと増幅される痛みであると言う。

 合原発表では、1980年代に和歌山県の山村を調査研究したジョン・ナイトが、人間の領域への野生の侵入が土地の喪失に結びついたと論じたことを踏まえて、宮崎県の椎葉村では、限界集落の住人、猟師、先祖などの人間、野生動物、田んぼなどの種やものの関係が変容した結果、人が土地を守ろうとする気持ちが高まり、人々は「害獣」である猪との対決姿勢を今日強める傾向があることが、民族誌の中に示された。続く議論では、ナイトの議論の論文の中での位置づけ、日本の農村の近代化、獣肉の消費流通、人と野生動物の「社会性」と多自然主義をめぐる課題などにわたって、活発な議論が行われた。

 戸張発表では、オランダ・アムステルダム近郊のOVP干拓地での更新世末の再野生化をめぐる試みが取り上げられ、頂点捕食者の不在、近隣住民の懸念、動物愛護派の主張などによるOVPの再野生化への批判や問題点が紹介された。その後、統合性、安定性、美観をベースにして倫理的全体論を唱えたレオポルドの土地倫理、人間の固有の価値を自然に拡張したキャリコットによるレオポルド批判、人間がいないと自然に価値はないと唱えてキャリコットを批判したロルストンらの所説が取り上げられ、OVPをめぐる倫理問題が検討された。その後の議論では、人間の手を離れると自然が多様性を生みだすという見方、欧州における原生生物としての「牛」、動物が囲い込まれていることに対するキムリカとドナルドソンによる議論などが提示されて、活発な意見交換が行われた。

 大石発表では、養蜂を植物と動物が長い期間にわたって築き上げてきた送粉共生関係を人が利用することによって成立する複数種間の協働だと捉えることで、とりわけ、明治期に日本に導入されたセイヨウミツバチと在来種のニホンミツバチの行動特性養蜂のやり方の違いなどに焦点があてられて、説明された。続いて、これまでの何度かの短期調査により明らかになった対馬の状況や、世界農業遺産登録が目指されている南紀、東京の都市のど真ん中で行われている養蜂を比較しながら、ヒト、ミツバチ、蜜源植物、天敵、野生動物、気候変動などの他種・多要因をつうじて展望される今後の研究の見通しが述べられた。その後の議論では、上橋ファンタジー文学の蜂、狩猟民と蜂蜜の関係と無関係、都市における養蜂ブームなどに関して、意見・情報交換がなされた。

 第4回研究会には、全部で8名の参加があった。


第3回研究会(終了)

ヒトと動物をめぐる「種」の再考:
関係の学からマルチスピーシーズ人類学へ

早稲田大学高等研究所主催
マルチスピーシーズ人類学研究会共催

日時 2016年10月2日(日) 12:00~17:40 
場所 早稲田大学 高等研究所
早稲田キャンパス9号館5階【第1会議室】
備考 チラシはこちら

マルチスピーシーズ人類学 文献レヴュー2

12:00~13:30


■ファシリテータ 吉田真理子(オーストラリア国立大学・大学院)

Tsing, A. (2009) ‘Unruly Edges: Mushrooms as Companion Species’, Environmental Humanities, vol. 1 (November 2012): 141–54.

■ファシリテータ 相馬拓也(早稲田大学)

Kelly, A. H. & Lezaun, J. (2014) 'Urban mosquitoes, situational publics, and the pursuit of interspecies separation in Dar es Salaam', American Ethnologist, 41 (2): 368-383.


■ファシリテータ 近藤祉秋(北海道大学)

Hugo Reinert (2016)  'About a Stone: Some Notes on Geologic Conviviality', Environmental Humanities 8: 95-117. 

*参加者各位で入手をお願いいたします。
(論文タイトルをクリックするとリンク先へ飛ぶことができます)

Vol.5  「猪」観を考える:獣害問題の現場から


13:45~15:00

安田章人(九州大学)

【発表概要】
猪は、古くから人間の生活圏と近い場所に生きる大型哺乳類である。近年、猪による農業被害や人的被害が、いわゆる獣害問題として問題視されている。そのなかで、猪は人間に危害を与える危険生物として認識されている一方で、ウリボウ(猪のコドモ)をキャラクター化したり、愛玩する事例もみられる。こうした人間の猪に対する多面的な見方は、狩猟者や農業者にも確認することができる。しかし、獣害問題の現場において猪と対峙する人びとと、都市部に住みメディアを通してしか猪との関係をもたない人びとの間には、同じ種間関係であっても異質性があるように思われる。本報告では、現場性に着目し、人と猪の関係をひもとくことを試みる。

Vol.6  人間の先祖、ハワイ島マウナケア山:聖地の開発問題をマルチスピーシーズ人類学から考察する


15:10~16:15

軽部紀子 (早稲田大学・大学院)

【発表概要】
アメリカ・ハワイ州ハワイ島では、現在、ハワイ先住民文化にとって最も神聖なる場所のひとつである、マウナケア山の山頂における新たな天文台施設の建設をめぐって大きな社会問題が起きている。地球外生命体及び第二の地球の発見という人類にとって重要な課題を携えた国際的プロジェクトに対し、ハワイ先住民を中心とする反対派は、「マウナケア山は私たちの家族だから」という主張を以って大きな壁に立ち向かう。本発表では、ハワイ先住民文化の根底にある、人・動物・植物・自然現象・環境・先祖・神々といった広い枠組みでの複数種間の複雑に絡まり合う関係を考察し、「科学vs先住民文化」という言説によって曇りガラスの向こう側へと置かれてしまう反対派の主張に、透明度の高い解釈を提示したい。

Vol.7  伴侶であり食材である:中国の「犬肉祭」で問われる人畜境界


16:25~17:40

シンジルト (熊本大学)

【発表概要】
最古の家畜、犬の扱い方はデリケートである。この問題で、国際的に注目されているのが中国の犬肉祭(狗肉節)である。夏至前日、玉林市で開かれる犬肉祭で一万匹以上の犬が殺され食される。その是非を巡り、動物愛護団体・行政機関・食肉業者・地域住民の間で激しい論争が繰り広げられている。今優勢を占めつつある愛犬派にとって、犬肉食はカニバリズムであり、食犬派はもはや同じ「人間」とみなせないのである。「伴侶であり食材である」という人民日報の記事は、両派の対話を促すものである。両派の主張の違いを超えて共通にみられるのは、犬と人間の「種」の境界の流動化である。この流動化の様相をマルチスピーシーズ民族誌的に描き出すのが、本報告である。

*研究会には、関心のある方ならどなたでも参加いただけます。
配布資料準備のため、参加者は、研究会の3日前までに参加の旨をご連絡ください。
連絡先:相馬拓也 takuyasoma326@hotmail.com
    奥野克巳 katsumiokuno@rikkyo.ac.jp



第3回研究会レポート

 文献レヴューでは、①アナ・ツィンの"Unruly Edges"が取り上げられた。その論文では、複数種のランドスケープの中でキノコや菌類が生育し、飼い慣らされたり、他の生物へ病原菌を運んだりするさまが描かれ、人間例外主義によって見えなくなっている種の相互依存性の観点から、グローバルな資本主義の中で、菌類が果たしてきた役割が描写された。『世界の終りの松茸』へとつながるこの重要論文において語られる生物文化的希望とは何であるのだろうか? 評者のレヴューを踏まえて、人新世が人間中心主義な時代であるだけでなく、そうした地質年代区分それ自体が人間中心主義的であるという点について、さらには、マルチスピーシーズ人類学(民族誌)とは何であるのかについて、活発に意見や情報交換が行われた。②アン・ケリーらによる"Urban mosquitoes, situational publics and the pursuit of interspecies seperation in Dar es Salaam"がレヴューされた。その論文では、マラリア媒介虫防除をめぐる人と蚊の隔離政策とモスキート・ワークの実情が取り上げられ、人と蚊のマルチスピーシーズな絡まりあいをシングルスピースへとときほどいていくさまが描かれていた。評者からは、大部分は、公衆衛生史に焦点があてられるだけで、科学的なデータの提示がなく、著者たちには、マラリア対策や衛生環境の向上に対して何ができるのかを考える意識が欠けているのではないかという指摘がなされた。その点を含め、マルチスピーシーズ人類学はいったいいかにあるべきかに関して、議論が行われた。③ユーゴ・レイナートの"About a Stone"では、マルチスピーシーズ民族誌から除外されている「石」、とりわけ、サーミの供儀石であるSieidiが取り上げられ、石は生きものたるのか? をめぐって論述されていた。評者からは、著者の個人的な経験が長く散漫に語られ、非=生命と人間とのコンヴィヴィアルな関係をめぐる先行文献研究が行われておらず、衝撃的なタイトルのわりに深まりがない点という評価がなされた。

  安田発表では、現代日本、とりわけ、九州の都市部における「猪」観が扱われた。日本全国で増える猪やそれに伴う獣害問題の概要が述べられた上で、狩猟者でもある発表者が九州大学の構内で取り組んでいる猪捕獲の現状が示された。狩猟者・農家・都市住民の猪観が比較され、猪との関係が遠い都市住民は、人間を強者、猪を社会的弱者として位置づける傾向にあり、他方で、獣害を被むる農家は、猪なんかいなくなればいいと思っている点で、被傷性にさらされている人々である。「猪」観が、人と人の間に境界をつくり出している点が指摘された。発表後、動物を殺すことに関する人々の感覚、大学の地域貢献、供養塔や儀礼のあり方などに関して、フロアー参加者との間で、活発な意見・情報交換が行われた。

 軽田発表では、ハワイのマウナケア山の聖地における30メートル望遠鏡(TMT)の建設問題が取り上げられた。2001年以降の科学者・行政などの推進者・「賛成派」と、先住民などの「反対派」、さらには「無言派」の間のダイナミズムが詳細に描かれるとともに、この間に先住民の間で再発見・再構築されてきた、人間と他の生物種との間の「マルチスピーシーズ」的なランドスケープの見取り図が提示された。発表後、マナの正しい循環をめぐる世界のあり方や、観念的なレベルの人間と他種との循環のマルチスピーシーズ分析の意義などに関して、様々な意見や情報が寄せられた。

 シンジルト発表では、中国広西チワン族自治区のT市で近年始まった「犬肉祭」をめぐって、「食犬派」と市外からやって来て抗議をする「愛犬派」の間の闘争だけでなく、犬を扱う業者、行政機関、中央政府の言説が取り上げられて、犬食をめぐる構図が整理された。その上で、H市で発表者が行った参与観察のデータに基づいて、諸存在の関係のダイナミクスが考察された。「愛」に基づいて伴侶犬との関係を語ったハラウェイとは違って、犬肉食現象には愛は見られない。ただ、ハラウェイが言うように、関係が先にあって、実体が後で生まれる。つまり、殺して食べ、食べられることによって、ヒトは人間に、イヌは犬となる。さらに、犬肉を食べる人間は、外部から「非人間」となる。発表後、フロアーから、食犬派に内在する愛玩と食肉のないまぜになった感覚について、マルチスピーシーズ的なダイナミクスなどに関して、様々な意見が寄せられ、討議が行われた。

 第3回研究会には、全部で20名の参加があった。


第2回研究会「震災復興⇄官僚政治」(終了)

日時 2016年7月15日(金) 13:00~18:00
場所 立教大学12号館2階
ミーティングルームA,B MAP
備考 チラシはこちら

マルチスピーシーズ人類学 文献レヴュー1

13:00~14:00

■ファシリテータ 奥野克巳(立教大学)

Ogden, L., Hall, B., & Tanita, K. (2013) ‘Animals, Plants, People, and Things: A Review of Multispecies Ethnography’, Environment and Society: Advances in Research 40 (1): 5-24.

■ファシリテータ 近藤祉秋(北海道大学)

Candea, M. (2010) ‘I Fell in Love with Carlos the Meerkat”: Engagement and detachment in human-animal relations.’, American Ethnologist 37 (2): 241-258.

*参加者各位で入手をお願いいたします。
(論文タイトルをクリックするとリンク先へ飛ぶことができます)

Vol.3 「人と馬」の関係から福島県相双地方の復興のありかたを探る:マルチスピーシーズ民族誌の可能性」

14:10~15:40

宮崎幸子(立教大学・大学院)

【発表概要】
福島県相双地方で1000年もの間継承されてきた相馬野馬追は、騎馬武者による甲冑競馬・神旗争奪戦などの武技を行い、最後には素手で捕えた野馬を相馬小高神社に奉納し、相双地方の繁栄と安寧を祈願する伝統祭事である。相双地方は、昔から人と馬のつながりの深い地域であり、東日本大震災では、人も馬も津波や原発などにより、福島県内でも最も深刻かつ甚大な被害を受けたが、人と馬がともに参加する形で相馬野馬追は震災のあった年にも開催されている。本研究は、この相双地方の「人と馬」のインタースピーシーズな関係に焦点を当て、物理面・精神面の両面において、これまで人と馬を含め、人間的なるものを超えたものとの関係においてどのような関係が築かれてきたのかを探り、これまでとは違った角度から被災地のあり方を捉えていくことを試みるものである。

Vol.4 大鹿と鮭の国:内陸アラスカの官僚化をめぐる複数種間の関係

15:50~17:50

近藤祉秋(北海道大学)

【発表概要】
本発表では、内陸アラスカ・クスコクィム川上流域で実施された「サーモン川文化キャンプ」を事例として、土地権益請求以後のディチナニク人社会が主流社会の実践を選択的に取り入れながら、生存の基盤となる複数種間の関係を再構築してきたさまを描写する。分析枠組みとしては、ポール・ナダスディによる先住民の官僚化論を踏まえながら、官僚制におけるフォームのはん濫と複数種が織りなす生態学的な網の目とをひとつなぎに理解する道を模索したい。ナダスディは、先住民社会が官僚制のネットワークに取り込まれることで、主流社会の実践がポストコロニアル的状況において強制されていることを指摘した一方で、本発表の視点は、官僚制の森とトウヒの森とを自在に往還する現代的遊動民として北方アサバスカンの人々の生活をよりダイナミックに描き、複数種間の民族誌の枠組みに開いていこうとするところにある。


第2回研究会レポート

 オグデンたちによるレヴュー論文[Ogden, L., Hall, B., & Tanita, K. 2013] によれば、「マルチスピーシーズ民族誌とは、行為主体である存在の絶えず変化するアッサンブラージュの内部における生命の創発に通じた民族誌調査及び記述」である。それは、欧米中心主義的な、一貫した、特有の「人間」像を脱中心化するポストヒューマニズムの流れの一つであり、複数の有機体との関係において、人間的なるものが創発すると理解しようとする。つまり、人間を、動態的な観点から多種との関係における"human becoming"であると捉える。この論文は、マルチスピーシーズ民族誌が、ラトゥールやドゥルーズ、ハラウェイらに影響を受けた流れを跡づけた上で、動物や植物だけでなく、氷河、微生物、ミツバチ、蚊などと人間の関係を視野に入れた民族誌を多数取り上げた民族誌を紹介している点で、多くのヒントに溢れている。

 マテイ・カンデアは、南アフリカでミーアキャットとケンブリッジ大学のミーアキャット研究者及びボランティア研究者を対象に調査を行った[Candea, M. 2010] 。研究者たちは、ミーアキャットの「人への慣れ」に頼るが、逆に、それらを飼い慣らしてしまったら、調査データを得ることができない。研究者には、ミーアキャットとかみ合う(engagement)一方で、それからの切り離し(detachment)もまた必要となる。そこには、相互に耐える状況が生み出されていると、カンデアは見る。とすれば、忍耐とは、何もしないことの活発な育成である。動物ドキュメンタリー「ミーアキャットの館」が放映され、その番組には熱狂的なファンがいるが、カンデアによれば、それは「あなたの家族にも似た、12インチの家族の日常ドラマ」であり、擬人化ではなく、「擬己化」がなされているという。

 宮崎発表では、相馬野馬追の概要と歴史的背景が取り上げられた上で、今日では、競走馬がもっぱら野馬追の馬になることや、相双地方における人と馬の相互関係のあり方が示された。その中で、日常的に、人との間で信頼関係や友達のような関係が築かれ、人々が損得勘定を超えて、祭事に馬を出させていることなどが描かれた。マルチスピーシーズ民族誌の中に描かれた人と馬の関係がレヴューされた後に、幼い頃から慣れさせていく欧米の人ー馬関係とは異なる、妙見信仰やアニミズムを背景とした日本の人ー馬関係に対する見通しが示された。また、東日本大震災で甚大な被害を受けた相双地域の復興を「人と人の絆」の面からでなく、「人と馬」のインタースピーシーズな関係から見ることで、新たな視野が切り拓かれる可能性があることも示された。富裕層だけでなく、一般の人たちの野馬追への情熱もまた調べられるべきではないか、人と馬の関係を取り上げるこの研究が被災研究者や相双地方の人々にいかに捉えられるのか、などという意見が出されて、議論が行われた。

 近藤発表では、動物をめぐって人間集団の権力のあり方を扱うポストコロニアル研究から脱して、人間と他種が絡み合う関係を扱うマルチスピーシーズ人類学を目指すひとつの試みとして、アラスカ内陸の鮭をめぐる複数種の関係に焦点があてられて、民族誌的な記述・検討がなされた。ノルウェーの鮭養殖を科学人類学の観点から分析した、リーンのマルチスピーシーズ民族誌『鮭に成る』では、人間と鮭が、一種のアッサンブラージュである「鮭の家salmon-domus」を構築していく過程で、獣医を呼んだり、虱の天敵の魚を水槽に入れたりして、鮭の「ケア」がなされることが描かれた。リーンのケア概念を手がかりとしながら、アラスカ内陸の猟師(漁師)、科学者、ビーバーという「森のエンジニアたち」においてもまた、簗やダムを構築したり破壊したりして、瞬間的な「鮭の家」が作られていく過程に注目することの重要性が示された。「カルスタ的民族誌」として紹介されたリーンの民族誌の評価、ビーバーを森のエンジニアと捉える人間と動物の連続性をめぐる問題などに関して、議論が行われた。

 第2回研究会には、全部で8名の参加があった。

第1回研究会「文学的想像力⇄科学的客観性」(終了)

日時 2016年6月18日(土) 13:00~17:00
場所 立教大学12号館2階
ミーティングルームA,B MAP
備考 チラシはこちら

Vol.1 ハキリアリ、締め殺しの無花果、人間:言語を超えて、マルチスピーシーズ人類学の生命論

13:00~14:50

奥野克巳(立教大学)

【発表概要】
言語によって世界を表象する人間はあまりにも言語に縛られているがゆえに、言語を超えた世界でいかに生きものが活動しているのかに関してイメージすらできないでいる。言語を超えた生命のありようを言語を用いて表現することに横たわる根源的矛盾をいかに突破することができるのか。言語中心主義を乗り越えた地平でエクアドル・アヴィラの森の生命活動を記述しようとしたエドゥアルド・コーンの民族誌(『森は考える』)、マレー半島で「木」を主人公として森の世界を超現実との関わりを交えて描きだした谷崎由依の文学作品(「天蓋歩行」)を取り上げながら、マルチスピーシーズ人類学が目指すものについて考えてみたい。

Vol.2 フィールドワーク体験の言語化から視覚化へ:計量民族誌とマルチスピーシーズ人類学

15:00~17:00

相馬拓也(早稲田大学)

【発表概要】
体験を言語(テクスト)として客体化する民族誌的記述は、人類学における主要な言説として作用してきた。しかし文化人類学者の主観的主張の客観性をめぐる議論が、つねに人類学的考察の導き出した言説に挑戦し、その仕事をフィールド・サイエンスから遠ざけてきた事実もある。フィールドワーク体験を言語化にかわり視覚化可能なデータに置き換えて定量的に分析する「計量民族誌」の手法は、高度に研ぎ澄まされた人類学者の感性や言説を補い、新しい民族誌像の創発に相乗効果を発揮する。発表では西部モンゴル遊牧民の「家畜管理技術」、カザフ鷲使いの「イヌワシ馴致プロセス」、中部ネパール中山間地域の「在来植物の民間利用」をケーススタディに取り上げ、マルチスピーシーズ人類学が異分野・多領域を「つなぐ・つむぐ」統合型プラットフォームとしての可能性を示したい。

第1回研究会レポート

 奥野発表では、岩田慶治の「森の思想」を捉えようとする試みに続いて、エドゥアルド・コーンの「森の思考」、谷崎由衣の「天蓋歩行」が取り上げられ、これまで人間を中心に語られてきた人間と非人間の関係性が、マルチスピーシーズ人類学では、いかに記述されるべきなのかという問題提起がなされた。それに対して、発表では、人間の言語の範囲を超えでるような森や樹木の声や思考が、言語を超えて語られるところまでは届いてないし、そうするのであれば言語とは別のメディアを視野に入れて考えなければならないのではないかという意見などが出された。

 相馬発表では、人類学・地理学における計量データの収集とその分析に関して、モンゴルとネパールでの調査研究に基づいて、幾つかの具体的な事例が紹介され、文字言語による記述だけでなく、データを視覚化して提示することの効用に関して、問題が提起された。計量データは文化人類学の調査研究を補強する一方で「解体する」ということはいかなることかに関して活発な議論がなされるとともに、全体として、マルチスピーシーズ人類学を進める上での計量民族誌の可能性についての一つの見通しが示された。

 第1回研究会には、全部で9名の参加があった。


リンク

近藤祉秋(北海道大学)