第19回マルチスピーシーズ人類学研究会

肉のポリティクス 人獣関係における産業化・権力・宗教

(第52回日本文化人類学会研究大会・分科会)




日時 2018年6月3日(日)15:45~17:45
場所 弘前大学 第52回日本文化人類学会研究大会 B教室(No.306)
備考
研究大会の登録者のみ参加可能です。

趣旨:以下のリンクを参照のこと

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jasca/2018/0/2018_119/_pdf/-char/ja

【趣旨】
 肉を食うことは、もはや政治的なコミットメントである。肉食を男性中心主義と関連づけて論じたキャロル・アダムス(Adams 1990)のフェミニスト=菜食主義的な立場からの議論を引くまでもなく、世界は《肉のポリティクス》に満ち溢れている。クジラ、ゾウ、イヌなど、「動物の権利」や「動物愛護」の観点から批判を受けている事例を挙げればきりがない。 狩猟採集や牧畜、漁撈、農耕を生業とする伝統的な小規模社会の研究を従来的な守備範囲としてきた文化人類学は、「肉食う人びと」とともに歩んできたと言っても過言ではない。アラスカ先住民イヌピアットの捕鯨を調査した岸上伸啓(2014)によれば、彼らは反捕鯨運動家とそうでない者を見分けるために、鯨肉を食べさせてみる。鯨肉を食べた者には写真撮影が許可される。肉は自他を分かつ踏絵でもある。 この点は、肉が分配されることによって「社会」を生み出す力能をもつことと不可分である。肉は社会=文化的アイデンティティを養うのみならず、食べ続けることで身体を徐々に構築していく。「人間の本性(自然)は種間の関係である」というアナ・ツィンの言葉は、この意味で肉食にも当てはまる。私たち人類は、どの肉を食うかによって、どのような「人間」であるかを自己決定する可塑性を有する(もちろん、動物があなたに身を委ねてくれるという幸運に恵まれればの話であるが)。雑食動物としての私たち人類が有する「自由」は、必ずしもフランス革命に発するものではなく、進化史の過程に属するものであり、人類の生物=文化的多様性の根源である。 本分科会で言う「ポリティクス」は、人間界内部の利益調整という側面を捨象するわけではないが、かならずしもそこに回収されてしまうわけではない。ここでは、「共通の世界」を前提とするカント的なコスモポリタニズムを批判したステンゲルスが言う「コスモポリティクス」を想起してほしい。コスモポリティクスにおいては、さまざまな非人間的アクターが入り込むことで「合意形成」が先延ばしにされる。最近では、非人間を政治的主体として見る可能性を模索する「人間以上の政治」(more-than-human politics)というアプローチも登場している。また、アスダルらは、人間と動物の関係を「生政治」の観点から捉え直す議論を提出している(Asdal, Druglitro and Hinchliffe 2017)。

 これらの新しいアプローチは、肉をめぐる「あまりに人間的な」現状を捉える上でどのような知見をもた らしてくれるのだろうか? これまでの議論とどこが違うのだろうか? 民族誌的な検討の次元において、どのような長所と短所をもっているのだろうか? 本分科会では、これらの問いをめぐって、5名の発表者がみずからの現地調査に基づいた発表をおこなう。本分科会は、発表者の多くが関与していた科研プロジェクト「動物殺しの比較民族誌研究」における研究成果(シンジルト・奥野2016)を踏まえながら、新規科研「種の人類学的転回:マルチスピーシーズ研究の可能性」での理論的検討を進める一端として企画されている。 シンジルトは、中国南西部の広西チワン自治区玉林市で開かれるライチ狗肉節(犬肉祭)を事例として、犬肉愛好家と動物愛護団体が繰り広げる騒動を、犬肉祭を中心に据えた視点から描き出す。犬肉の産業化を目指して生まれたこの祭りは、中国政府が「伴侶であり食材である」という見解を出して仲裁を図ろうとするほど国内の世論を二分しているが、同時に妥協も生み出している。 近藤祉秋は、九州山地でおこなわれている「ジビエ」事業において、シカ肉の産業化が寄生虫への懸念からさまざまな実践を現地に導入するさまを、microbiopolitics概念を用いて分析する。国や県がガイドラインを整備し、ペット産業もシカ肉ビジネスに関心を示す状況のなか、シカ肉は誰/何の食物であるべきかという問いは、生政治と切り離すことができない。 宮本万里は、仏教国のブータンにおいて、都市化にともなう食肉の需要増加を受けて、牛の屠畜をめぐる設備計画や機関の整備が進むなか、政治に一定の発言権をもつ仏教僧院が強い反対を示していることを論じる。現代のブータンでは、これまで秘匿されてきた屠畜が公の議論の場に上がることで人々の間で様々な葛藤を生んでいる。 石倉敏明は、東北日本における種間宇宙論を論じ、「シシ」、「ムシ」といった民俗語彙をたよりに考察を進めていく。米食と肉食の文化を併存させる東北日本における儀礼は、命の死と再生をめぐるエネルギー循環への配慮に基づいている。石倉は、東日本大震災後の放射能汚染という状況を踏まえつつ、「朽ちる肉」の物質性に迫る。 近藤宏は、パナマ・コロンビア国境地帯に居住する先住民エンベラの人々によるブタ飼育を取り上げる。人間に管理されながら、その支配を抜け出すこともできるブタは、シャーマニズムや動物の主に関する観念の源泉となるのみならず、意図しない他種との関係性や収奪的な権力関係を飼育者にもたらす媒介者でもある。
< 近藤祉秋(北海道大学) >

キーワード 生業、動物の権利、食の安全、国家、宇宙論

【プログラム】
15:45~15:55 趣旨説明(近藤祉秋)
15:55~16:10 狗権でも人権でもない(シンジルト)
16:10~16:25 獣肉の「ジビエ」化(近藤祉秋)
16:25~16:40 越境する牛の屠り(宮本万里)
16:40~16:55 「朽ちる肉」への問い(石倉敏明)
16:55~17:10 ブタをめぐる生政治と死政治(近藤宏)
17:10~17:20 コメント(岸上伸啓)
17:20~17:30 発表者によるリプライ
17:30~17:45 全体討論


第19回研究会レポート

 

まず趣旨説明では、動物の権利、動物福祉、食の安全などをめぐる混沌とした状況が言及された後、2018年3月に出版された『肉食行為の研究』(野林厚志編)が先行研究として紹介された。とりわけ第4部「肉食行為のグローバリズム」の論点を①食肉生産の産業化・グローバル化に関する学際的研究、②動物福祉・動物の権利論への日本からの応答としてまとめ、これらの問題系を更に深めていく際に、産業・科学技術における複数種の関係や複数種の関係における倫理の問いを追究してきたマルチスピーシーズ民族誌の視点が役に立つ場合があるのではないかと問題提起があった。各発表の論旨は上記の研究会趣旨で言及されているので割愛する。

コメンテーターの岸上伸啓氏は、各発表が「多層的で複雑な人と動物の関係性の中から立ち現われてくる肉をめぐる諸問題」を扱っているとまとめた上で、アラスカ先住民イヌピアット社会における捕鯨に関して紹介した。農耕が不可能な環境下で生きるために、イヌピアットの人々はクジラを余すところなく利用し、クジラへの感謝と再生の願いを祝宴を通して表現してきた。このような関係は「生の循環の思想」と呼ぶべきものであるが、近年捕鯨実践は欧米由来の「動物福祉」、「動物の権利」の論者から批判されるようになった。岸上氏は、各発表者に各自の研究によって「人間とは何か」や「人類の肉食」についてどのような新しい主張が可能であるか、および、それぞれの研究がどのように問題解決につながるのかを問うてコメントを締めくくった。

その後、発表者による応答やフロアとの討議では、マルチスピーシーズ民族誌では微生物などのこれまで生業研究では扱いづらかった種との関係も扱われるようになったこと、狩猟文化の再活性化に関する取り組み、動物の死後も「肉」に残る霊魂といったさまざまな論点に関して活発な議論がおこなわれた。


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