第43回マルチスピーシーズ人類学研究会(オンライン研究会


桜美林ビッグヒストリー・ムーブメント共催


「COVID-19を分野横断的に考える」

 【7】
パラドクシカルな「共生」の技法
――歴史と神話の「あいだ」で問う共異体の形――

日時 2020年5月29日(金)20:00~22:00
形式 オンライン研究会(Zoomによる)
申し込み 受付:2020年5月27日(水)10:00~
定員:30名
定員に達しましたので、締め切りました。
申し込みフォームに必要事項を記入の上、お申し込みください。定員に達し次第、締め切ります。https://forms.gle/ta16dMFoqYsFRKFf7


【趣旨】

「この見知らぬ人はわたしにとって一般に愛するに値しない存在であるだけでなく、隣人はわたしの敵意を、むしろ憎悪を呼び起こす存在であることを正直に認めよう」(ジグムント・フロイト『文化への不満』中山元訳)

今日、新型コロナウイルスという人獣共通感染症の世界的な流行に際し、あらためて人類とウイルスとの関係性が問い直されようとしています。その中で、これまでは主に多文化主義の文脈において考えられてきた「共生」という概念が、人間的な他者のみならず「他生」をも視野に入れた多自然主義的な概念として、人々の関心を集めつつあります。「私たちはウイルスとも共生しなければならない」――こうした言説は、新型コロナウイルスの問題が世界的な関心事として取りざたされるようになった今年の3月以降、言論人、一般人を問わず、世界中で数多く紡がれてきました。語弊を恐れずに言うならば、その言葉はすでにありふれた、ひとつのクリシェにさえなっていると言っていいかもしれません。

しかし、当然ながら、そこで語られる「共生」とは、私たちがこれまでその語によってイメージしてきたような「共に認め合い、共に尊重し合う」といった類の、ともすれば牧歌的で、真なる意味での他者性を欠いた「共生」とは、明らかに異なるものでもあるはずです。少なくとも現状において新型コロナウイルスは、人間の身体、生命に対しては攻撃的な影響を及ぼす存在であり、「我々は平和的に共存できるのだ」と簡単に言い切ってしまうことには躊躇せざるをえません。あるいは、新型コロナウイルスではなくとも、世界には人類の安寧にとって敵性を持っているかのように見える他者が数多く存在しており、かつて精神分析家のフロイトがいみじくも「隣人愛」を批判したように、そうしたものたちとの平和的な「共生」は、私たちにとって「実行不可能な命令」のようにも思えます。すると、今にわかに語られ始めている新しい「共生」とは、一体なんなのでしょうか。その時の「共生」とは一体いかなる形のものであり、あるいは、それは本当に、私たちにとって「可能なこと」なのでしょうか。

ビッグヒストリアンの辻村伸雄は、人類とウイルスを必ずしも別個の敵対するものとして捉えるべきではないとした上で、平和的な「共生」ではない、対立的な「共生」の可能性を示しています。辻村はまた、地球が「ガイア」としての自己調節機能を持っているのだとすれば、人間もまたそのコントロールの対象であり、無軌道な拡張を続ける人間社会にとってはウイルス圏がまさにブレーキとして機能しているのではないか、とも問うています。

一方、芸術人類学者・神話学者の石倉敏明は、生命とも非生命ともつかぬウイルスの不確定性に向き合い、そうしたパラドックスを抱えた存在との「共生」を考える上では、ロゴス的な知性では不十分であると指摘します。その上で石倉が問うのは、生命と非生命の境界線を超え、さらには「人間的世界の終焉と再生」をも視野に入れた歴史と神話の対話の可能性です。石倉はまた、東アジア諸国の共存を唱える哲学者・小倉紀蔵の「共異体」概念を拡張し、人間と非人間の関係を更新する必要性を問うています。

グローブとガイア、歴史と神話のあいだを思考するお二人の対話から、敵対性さえも包摂する「共異体的共生」の可能性を学びたいと思います。

【プログラム】
対談:辻村伸雄(国際ビッグヒストリー学会)×石倉敏明(秋田公立美術大学)
司会進行:辻陽介(HAGAZINE 編集者)




マルチスピーシーズ人類学研究会のホームページへ

copyright © Katsumi Okuno All Rights Reserved.