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こんにちは、こちらは立教大学探検部公式ホームページです。

内容についてActivity Report

  • バンバア穴合宿活動報告

    はじめに 今回は古い文献から今では発見が困難とされるバンバア穴と呼ばれる姥捨ての穴を発見するというなかなかチャレンジングなものをしました。結果は姥穴を見つけ、姥捨穴は見つからずということになりました。一人で合宿に行くのは4年間してきた中で初めてのことでいつもより緊張を強いられました。ただ、探索するということに味をしめている自分がいることも今回の合宿の良かった点ではありました。姥捨穴を見つけることができずに悔いはあります。今度こそはと思うばかりです。ゴーストタウンでは背筋の凍る思いで何度も後ろを振り返り、探し、姥穴を見つけることができました。スキがきれいであったこともかえって無気味に感じる要因であったと思います。一人でいることにより仲間のいるありがたさも心から感じました。今度は大人数で探しに行きたいです。今回は一人だったので記録を詳細にとりました。4年間の探検部活動を締めくくる一大イベントになったと思います。冊子にできてしまうかも。最後に、富士宮の方々はいい人ばかりでした。(星谷) 

    日時 2002年11月1日〜11月3日
    場所 静岡県 富士宮市 人穴、篠坂地域(人穴、新穴、尻穴、姥穴、姥捨穴、コウモリ穴) 
    隊員 星谷  
    活動内容 洞窟探し、洞内調査 

    今回の合宿を進める上で元になった話し
     ここでバンバア穴のことに関していうと江戸時代、飢饉等で食糧がなくなったときに労力にならない老人を捨てに行くのがバンバア穴と言われていました。好きで捨てに行くわけではないが行かないと共倒れになるということでそういった習慣が会ったらしいです。そして置き去られて少しの間、洞窟で雨をしのぎ後に死んでいったというのが話です。姥捨て山の洞窟版と捕らえてくれればわかりやすいでしょう。というのが人穴にあるバンバア穴(現在姥穴)の言い伝えです。そして篠坂にあるバンバア穴は姥捨穴と呼ばれ、夫婦に対しあまりにうるさくなってしまった老婆を婿養子の男が竪穴に放り捨ててしまったというのがバンバア穴と呼ばれる由来です。当時の村人は人を見ると鳴く習性を持つ鶏を竹籠の中に入れて穴の中に降ろしてみたところ鳴いたということがあったらしいです。ちょっとした疑問を提示すると僕の聞いた話(授業)では江戸時代はそれほど食べるのに困っていたわけではない時代であったということを聞きました。税と取られるのはすごく厳しいという印象だけ与えているらしいとのことです。局地的に作物の取れない場所があるとはいえここが?と言いたくもなりました。その辺については特に調べているわけではないのですが。人骨等も見つかっているのですから一概に否定はできませんが。
     どちらもバンバア穴と呼ばれますが僕としては全く別物と捕らえても良いのではないかと思います。姥捨穴の方はいやな感情を持ち子供が親を捨て姥穴の方はいやいやながらに洞窟に置いてきたという状況です。この二つの状況を考えていくと興味深いと思います。
     そして、人穴。人穴は女の神として祭られています。というのも富士山は噴火ばかりしていたので男の神であるとされてきました。それと反対に考えられたのが人穴でした。富士講と呼ばれる人が管理をしているようです。
     新穴についていうとこれは昔鬼の住んでいた穴といわれています。というのは、昔、東北の方から移り住んできた人たちは住むところが無く洞窟に住んでいました。そして人里に来て物品を交換して生計を立てていました。その人たちは自分の言い分が通らないと暴力をふるってきたことから鬼と呼ばれました。新穴には鬼のマナ板やあばら骨と呼ばれる部分があります。鬼のマナ板では子供をさらってきてそこで調理をしたとも言われています。 

    タイムテーブル
    1日
       11:00  出発
       14:30  富士宮駅着
       19:00  平野さんのお家へ着く。夕食、平野さんとバンバア穴やツリークライミングについて話す。
    2日
       12:00  就寝
        7:00  起床、朝食、バス停まで映子さんに送っていただく
        8:15  白糸滝着 徒歩で人穴を目指す。
       10:15  人穴着、ベースキャンプを張る
       10:45  昼食
       11:30  姥穴等探索開始
       11:45  新穴着その後別荘分譲地のゴーストタウンへ姥穴を探しに行く、その後発見
       13:00  調査一旦終了
       13:20  BC着
       13:30  平野さんと共に人穴入洞
       13:50  人穴出洞
       14:30  尻穴調査開始
       14:50  尻穴発見
       15:10  BC着
       18:00  平野さんに連絡、尻穴には入洞しないほうが無難となる
              夕食
       18:30  一人ミーティング(明日、姥捨穴のほうへ行くかどうか)
              安心して就寝…とはいかなかった。

    3日
        6:00  起床、朝食、活動準備
        8:00  出発
        8:15  新穴入洞
        8:25  新穴出洞
        9:45  姥穴入洞、なぜか姥穴にたどり着くのに手間取ったため
        9:53  姥穴出洞
       10:25  BC着、昼食
       12:30  篠坂へ移動開始
       15:00  姥捨穴探索開始
       16:00  探索終了、幕営できそうにないので駅まで下りに行く
       18:00  三角屋バス停着
       19:00  バスに乗り富士宮駅を目指す
       19:25  富士宮駅着、そのまま家に帰ることにする
    詳細
     1日目
     雨が降っていて気は進まないがとりあえず富士宮市を目指して家を出発。今回は団装を自分で持ってき合流して時点で分担しようとしていた。僕のザックの許容量70リットルでは足りずサブザックにメットを入れ、銀マをナイロンの袋に入れて手で持っていく。こんなことしたのは瀬戸内海をアウトリガーで渡ろうとした時以来ではないかと思いながらも持っていく。あの時もひたすら重かった、チューブを何個も持っていったのだから。

    品川あたりからあとで合流するはずの隊員とメールのやり取りをしているとどうやら今回は来たところで意味がないのでは?ということになった。ちょ、ちょっと待ってくれといいたかった。一人でわけのわからないところを探し、しかも洞窟に入るのか?と不安が募りまくった。こんな怪しげな文献を頼りに探して取り留めのない方へ活動がいくのではないかと思った。そんななか平野さん(OB)ともメールで連絡をとり始め、熱海駅で乗り換えるときに初めて電話で会話。よければ家に来てもいいとの言葉にほっと一安心した。だがしかし活動自体は一人でしなければならないのは一緒。予習は大事なので電車の中で今回の合宿の元になった文献を何度も読んでいく。
    余りに早く着きすぎてしまったのか富士宮駅に14時半。因みに平野さんとの待ち合わせは6時。って3時間半ある。
    まあとりあえずこの辺の情報収集をすることにした。以外にも富士宮駅周辺は都会すぎた。計画の段階では富士宮駅で泊まることも考えていたのだが噴水のある広場はあるしロータリーも完備されている。これで駅寝ができるのか?というくらいだった。ここで寝ていたらレゲエ合宿になってしまう。それまでの身延線の駅は無人駅のようなのが多かっただけに正直びっくりした。この地域の足は車が主なのでレンタカーかタクシーで移動しないと無理といわれていたので足に関しても調べることにした。やはりこの時期では富士山へ向かうバスは少なくこれでは活動に支障が出てしまうと判断。レンタカーは三日借りると15000円くらいだしそれでは一人の負担ではまかなえない。ということでタクシーかもとなるがやはり高い。物流に関してほぼ何も考えていなかった。あほかと言いたいがそこまでとは思わなかったので考えなかった。
     仕方ないから昼でも食べて落ち着こうと軽食を買い、食べてから雨なので駅のベンチで座っているが時間がありすぎて駅員とたまに視線がぶつかる。あんなに大きいザックを観光地まで持ってきて怪しがられていたことは間違いないと思う。
    時間も段々と過ぎたのでまだ買っていない食糧を買いに唯一あるであろう大型(ほんとに大きい)スーパージャスコへ行く。
    大きくて売り場面積も大きいのだが同じ商品が多いのは無駄ではないかと思った。少し多いくらいに買って駅に戻ってみてもまだ時間がある。仕方なく駅に座っていろいろ考え事をしていた。その間警官は往復するし、かなりいずらかったのは言うまでもない。 で、6時半に電話がありもう少しとのことで待って駅から平野さんの車で平野さんのお宅へ着きました。車を降りるまでは一人暮らしであると思っていたのですが結婚なさっていました。メールである程度やり取りをしていたにしても僕とは初対面で、平野さんの家族がいるにもかかわらず泊まっていってもいいと言ってくれたことに非常に感謝しています。
     それから夕飯をご馳走になりながらも平野さんの探検部時代の話やツリークライミング、今回のバンバア穴の話をしました樹海で幕営していて夜に足音が外でして怖かったということや探検部でよく行っていた中華料理屋での出来事、前にあった部室での出来事などなどおもしろかったです。平野さんのお家はなかなかアートフルでした。プラス、夕飯もおいしかったです。それにしても平野さんも映子さんも僕が一人で合宿するということをおもしろがって一人を強調していました。確かに大変でした、特に夜中。というところで、来てみて結構ギャップを感じたので平野さんと計画の練り直しとなりました。どちらかといえば人穴地域のバンバア穴を攻めたほうが効率的とのことで人穴地域を先に行くことにしました。人穴にあるバンバア穴のある別荘分譲地は昔、悪徳な不動産屋がだまして投資させその上で逃げたため、道路が残っていてゴーストタウンと化していると聞きました。そこに一人で探しに行くのかー?しかも姥捨て用の洞窟だろ?なんか恨みが積もってそうだぞ。しかも入れそうだから洞窟にも一人ではいるし。ふううというところでした。一人で洞窟はいるのはリスクが高い、事故は起こせないし。足に関してはやはりバスとタクシー、徒歩をうまく組み合わせないと時間と費用、効率のバランスが取れないとなりました。
    お風呂に入らせてもらい、情報をできるだけもらいその日は就寝。12時を過ぎていました。

      2日目
    7時過ぎに起床。平野さんたちがあわただしそうにしているのを感じてから起きてしまいました。しかもよその家であるということを忘れていました、すみません。5時半くらいだとも思いました 。
    朝食をご馳走になり、バス停まで映子さんが送ってくださいました、本当にありがとうございます、殆ど知らない人間に。バス停では全然知らないおばちゃんが声をかけてくれてしかもバスに先に乗せてくれました。田舎は親切な人が多いと平野さんにお聞きしてましたが確かに。バスに乗って白糸の滝のそばで降り、そこからは徒歩で人穴へ。ここからだなと思い、気合を入れて道を歩いていきました。坂道で70リットルをフルにしてしかもメットやら食糧を外付けして歩くのはバランスの面からもけっこうきつかった。富士宮道路を歩いていきましたが車に抜かされっぱなし。の方が良かった。信号が近いと渋滞して渡れないという弊害があり苦労した。まかいの牧場等楽しそうなところを横目に黙々と二時間歩き、ついに人穴神社到着ぅぅ。
    どこにベースキャンプを張ろうか考えて最終的に駐車場から少し離れた草むらに幕営しましたが今考えればこれが正解。なぜかは後で分かる。足首には植物の種がまとわりついていた。しかも粘着力が強い。幕営したはいいがこれからすぐ行くのでは昼が近く昼食や水をその分持っていくのは面倒なので早くも食べてしまった。行動食なのでどうというわけではないがその間にも人穴神社を見ようという人たちが代わる代わる訪れていた。やはり、こういった場所で幕営するのは目立つらしくはっきりとは見ないが横目で遠くから見ていく。どっかの宗教団体とでも思われたのか。というわけでまずは近場の人穴の場所を把握しようと歩き出した。今日は洞窟を探し当てるだけで洞窟に入るのは明日にしようと決める。階段を上っていくと観光客が一組いたので避けるように裏側へといき多分人穴があると思われる右側へ歩き出した。歩いていくと次第にアスファルトでなくなり土の道を歩いた。いくつか分岐する道があるが少し迷い、やっとの思いで石碑のある洞窟までたどり着く。ん?確か石碑のある洞窟は人穴ではなかったはず。しかも人穴は「人穴」と書いてあると平野さんに聞いたはずなのだが。どうみてもこれは新穴らしいということが分かった。入り口には風車も挿してあった。ここからが問題のバンバア穴探索となるわけだが、はっきり言って気が進まなかった。まず、新穴から例のゴーストタウンに出るまで林道を抜けていくというらしいのだが道を外れること自体不安である。来たことがない場所であるし頼りは自分だけで迷ったら結構深刻なことになる。携帯電話が通じるが場所が特定できなければ時間がたたないと救助も来ないだろうし。だがしかし、自分は探しにきたのであって肝試しをしに来たのではないし多少入り組んだところで迷ったとしても出てこられる技術は十分に持っているはず。ひるむことに意味はないと思い新穴の横の林道からそれっぽい道をたどっていった。するとアスファルトの道に出た。これがゴーストタウン。確かにアスファルトが敷いてあり水路も完備されている形跡もある。人工的な感じがする。しかし植物が生い茂り人の手が入っているとは思えない。そういったことを考えながらバンバア穴がある方向へと歩き出した。アスファルトに出るときに左にいくということ。聞こえるのは上空を飛んでいる飛行機の音か鳥が鳴いている音、風の音ぐらいだった。人工的な感じがするだけに人がいないのは不気味すぎた。今こうして書いていても不気味である。歩いているときに、分かってはいるが自分と同じリズムで足音が遅れて聞こえてきた。途中何度も振り返り安心はする、まあ人がいたら怖すぎるしということからかつけられていたらさらに怖いし何が出てもおかしくはない雰囲気ではあった。なにせゴーストタウン、しかも目的は姥穴。って探検部員の書くことかぁ?とは言いたくなるだろうが人穴自体は信仰の対象であるし神がかっていても不思議でない。そこでおかしな人がいても不思議でないということだ。しかもゴーストタウンでは無法地帯に等しい、助けを呼んでも誰もすぐには来れないだろう。一人はかなり不安である。しかも日が差しているのにもかかわらず肌寒い、多分これはこの辺が寒いだけであろうが気分を加速させる。緊張しながらも歩き、バンバア穴があるであろう通りの曲がり角へきた。一応ここでいいのか地形図で確認。良いと判断しまずは通りの長さがどれくらいだろうと歩いて歩数で調べてみた。曲がり角から他の道と交差するまで大股で歩き400歩だった。平野さんの示した位置は奥から4分の1くらいのところだった。だから奥から100歩のところで真南にコンパスワークをするために植林地帯へ入っていった。僕のコンパスワークで二本目の木にたどり着いたときふと右の方を見ると岩の塊が見えた。もしかしてという気持ちといや、こんなに簡単に見つかるわけないという気持ちがありながらも近づくと岩が崩落していて土地がくぼんでいながらも洞窟らしいかんじではあった。近づいてみると崖面のようになっていて下の方は暗く穴があるように思えました。10メートルくらいの高さで、見た目の奥行きは4〜5メートル、横幅は30メートルくらいだろうか。そこで、もっと下りて暗い場所をヘッ電で照らしてみるということをしました。この時は洞窟というほど深くはなっていないかなという感じでした。今すぐには洞窟の装備を持ってこなかったのであまり深く入り込んで何かあるといけないと思い多少距離を保って見るだけにしました。ただ、形からいうと雨をしのぐような感じの空洞にはなっているなと感じました。しかし洞窟とはいえないとこの時は思いました。この場所は一応キープして次の日にしっかりと調査すればよいと思い、他にどこかないか探すことにしました。
    1回コンパスで抜けてみると一つの区画が割合狭いことに気づき、コンパスを使わなくても十分迷わず探していけると思い、縦横無尽に歩くことをしました。だがしかし、それ以降は洞窟らしいものはまったく見ませんでした。ただ、水路がコンクリートを使い、しっかりと整備されているのにはやはり不気味でした。 ここまで歩いて何もないようならまあ、あれであろうという推測はついたので今のところ探索は終了にした。
          そして、人穴のところを確認して通り、階段に差し掛かったときに一組の夫婦が怪しげな目で僕の装備等を見られていた。まあ確かにおかしいのだが。無事にベースキャンプに到着。今までのことと文献を照らし合わせ考えてみると初めに着いたのはやはり新穴で、例の別荘分譲地で発見したものは姥穴(バンバア穴)だったらしい。姥穴の方は洞窟ではなく単なる雨しのぎの場所が誇張されて洞窟といわれたのか洞窟自体が崩落したのかと思いました。事前に見た測図では入り口が不自然に広く入り口を中心に南北に走っていました。感じだけは似ているなと思いました。まだまだ時間もあるので尻穴(けつあなと読むまたの名を鶉穴)を探しにも1回ゴーストタウンに行こうと考えていると車でわざわざ来てくださったのは平野さんでした。人穴に一緒に入ってくれるというのでもちろん入りました。
          人穴は柵のような囲いに入り口のところに縄が張ってあってそこから急な階段。そこからすでにロウソク立てがありました。入って少し歩くと僕はあまりよく詳しくはないのですが何かが祭ってありました。そこで二人で手を合わせました。そこでどこまで念じてよいのか分からず少し困ったことは書いておきます。元々富士山は噴火ばかりしているので男の神とされてきました。そこで、富士山に近い人穴は女の神とされることになりました。確かに祭ってありました。踏み板の上を歩いていたのですが足場は良くないと思いました。天井から落ちてきたであろう岩が洞内にいくつも転がっていて歩きずらかったです。これは地震により落ちてきたのもだと考えられます。これが落ちてきたらまず助からないだろうと思いながらこれから入るであろう新穴やバンバア穴で用心すべきと決めました。最奥にも来たので帰り道に差し掛かりました。で少し歩いていると入り口の方でなにやら男の声で話し声が聞こえました。まさかなと思っていたのですが平野さんが僕に今何か話したかどうか聞いてくるので、ん?と思っているとやはり平野さんも話し声を聞いたらしいのです。これは冗談ではありません。少し歩を速めて洞窟の外に出てみても誰もいる様子もないし、いた様子もない。周りには誰もいませんでした。いったいなんなんだろうということになりましたが分からずじまいでした。明日からは自分だけで洞窟はいるのにこんなのが一人のときに聞こえてきたらどうすればいいんだろ?としきりに心配しました。
    出てきてからはまだ時間があるので尻穴を探すことにしました。というところで平野さんは車でまた仕事に戻っていってしまいました。あんなのを聞いた後でまたしてもゴーストタウンに行かねばならないのかと少し心配になりましたが別に肝試しをしに来ているわけではなく調査をしに来ているということを自分に言い聞かせ、再出発しました。
    新穴から同じアスファルトに出るのは同じでそこからさっきとは反対の右側へ行き、突き当たりまでいって曲がり、進行方向から見て右に牧草地がある。そのどこかに尻穴があるらしいということは分かっていたのだが情景だけを写した写真しかなかったのでそれを頼りに探し始めた。それは、富士山が真正面に見えるところで木が10本くらいか生えている写真だった。それと思われるものを目指して歩いていったが草が生い茂っていて歩くのには少し難があった。確かに木が生えているところにくぼ地があり富士山と向き合う感じで洞口が開いていた。もちろん近づいて洞内を照らしてみるがあまりよく分からない。
         水の滴る音やコウモリと思われる鳴き声や羽音がたまに聞こえてきた。尻穴は今回の洞窟の中でも複雑とされていてしかももしかしたら崩落するのでは?と文献に載っていたのでどうしたものか少し考えてしまった。一人ではいるにはリスクが高すぎるし何もしないのも問題であるし。ということを考えながら帰ろうとした。
    そして帰っていこうと歩きだしていたらどうも位置がおかしい。振り返って富士山を見るとやはりずれていた。危なくおかしな方向へと行くところだった。こういったところで迷うと出るのが結構面倒になる、来たことがない場所であるし。無気味に思いながらもゴーストタウンを歩きテン場へと戻ってきた。早い時間であるとは思ったが緊急のときに行動がとりずらいことを考慮して今日は活動終了。明日に向けてしっかりとした計画を練っていった。洞窟の形状や危険箇所。分岐のポイントなどを文献を頼りに考えていった。
    日も暮れそうになったので夕飯を作ろうと準備。はっきり言ってまともに自分だけで作るのは初めてではないかと気づいた。勿論ラジもつけられるし炒めたりもしたが1から10まで一人でするのは初めて。米をコッヘルに入れてとりあえずラジに火をつけようと頑張った。だがしかし、一回目は失敗。もう一度と気合を入れてつけようとしたが出口から出てきたのは灯油の膜であり十分に出てこない。お、おかしいと思っても後の祭り。学校で装備チェックしているときに灯油を足したはず。そして音が出ないくらいに満タンに入れたはず。だから重いだけで邪魔になる灯油は全く持ってこなかった。最悪のミス、事前の準備の悪さを露呈してしまった。まあ頑張っても仕方ないしEPIを使うのはロスだしガソリンスタンドに買いに行くことも遠くてできないのでその日はジャガイモをゆでてジャガイモスープの素を使いスープにして平野さんお宅で食べさせてもらった分浮いた食糧であるパンを使いまわしてその日はしのいだ。明日になれば灯油も買えるかなという希望をもちつつ。
    作りながらも考えていたことは洞窟に入るかどうかということだった。僕は一人で十分に入って出てこられるほど経験はない。しかも尻穴は複雑。計画書にも入れそうなら入るとなっている。ということで入るのもやめようかと思った。発見だけして次の機会に入ればいいじゃないかとも思った。割合簡単に発見したのだから篠坂のバンバア穴(姥捨穴)もいけるのではないかとの予想も立てた。人穴でのこともあるし。明日すぐに篠坂へ行けばと平野さんに相談したところ、入らないのはもったいないと言われ、篠坂に行くこと自体は悪くないとなった。自分としては一人で洞窟に入るかどうかで迷っていた。僕の場合、明日におきてから決めるというのが常套手段だったりするのでとりあえず考えるのはやめ、夕飯も早かったので6時半にはすることがなくなった。平野さんは星空でも見れば?と言っていたが今いるところは神社で薄暗くなったからもなぜだか人が来る。人穴での体験も恐怖を加速させたのでテントで休むことにした。もしかしたら大勢来たら大変だと思い、ダンロップを持ってきたが一人で使うには広すぎた。アルコールを少し飲み、今日の出来事を整理したりして考え事をしていた。10時には寝ようと連絡等でメールを使っているとみるみるうちに携帯のバッテリーが無くなってきた。三つ目盛りがあるうちの一つになったときに平野さんにこのことを伝え、携帯の電源を切ってしまった。平野さんのお宅で充電したはずなのに。明日から緊急時にはどうすればよいのだろうという不安を抱えながら途中ウトウトしながら結局ぶら下げたヘッ電を消して寝た。富士宮は防寒していないと寒かった。
    ところがところが、夜中に車が入ってくる音がしてライトはフライ越しに見えるし起きてしまった。って夜中の二時前だろ?なんだって車が来るんだよ?もしかして宗教集団か?見られたらやばいのでは?とかなり不安になった。こっちは一人、向こうは多勢だろう、絶対不利。おとなしくするだけだと思い息を殺していた。なにやらちょっとした奇声をあげてるし。精神自体がやばい集団かもしれないと思っていた。どのくらい時間がたったのか分からないがその集団は車で帰っていったらしい。多分肝試しにきた若者であると思われるが見たわけではないので分からない。その後もう来ないだろうと寝ていると代わる代わる車が入ってきて肝試しか?していた。それは4時くらいまで続いた。分かっただけで4〜5組は来ていただろうと思われる。その間一応何もなかった。襲撃されたらとか拉致とか心配したが。彼らは気づいていたのだろうか?まあ何もなくてよかった。というところでテントを駐車場近くに張らずに少し離れて張ってよかったということが言える。近くに張っていたら結構大変になっていたかも。

      3日目
          目覚ましを設定した時刻には起きず少し起き遅れた。何とか朝を迎えられたと思った。朝食をとりあえず食べ、考えることと言えば洞窟に入るかどうかだがここで決めた、入ることに。遊びに来たんじゃない、ちゃんと調査という目的で計画書も作ってきた。不気味だからといって引き下がって帰れるか、自己のリスク計算くらいはできるだろうと考え、はいることを決意。しかし富士宮は寒い。ということで出発時間をずらし日が少し出てからにした。草が凍り付いているのもあった。滑って怪我してもつまらないとは思った。で、その間に念入りに装備チェックをして準備をする。ないものがないと困る。命にかかわるし。携帯は安易に使えないし。      まずは新穴に向けて出発。新穴の洞口につく。朝であるため寒気がする。しかも静けさがあり不気味であった。たまに洞内から水の滴る音がする。何のために来たのかと自問しつつ入ることにする。洞口は低く少し頭を下げて歩く。やはり天井からの落石があるのか大きい石がごろごろしている。頼むから入っている間に地震が起きないでくれと思う。起きたら多分やばいかも。洞口のあたりは外よりも暖かかった。をして少し緩い坂になり、下りていくが足場が悪いのはここも同じであった。そしてこの洞窟もロウソク立てが何個もあった。
          坂の終わりくらいに見えてきたのは鬼のまな板である。なるほど、確かに平らになっていてまな板に見えなくもない。ここで数少ない合宿中でまともに活動している写真をとる。洞内でとったのはここだけだと思う。また少し歩くと分岐しているところに出た。右は行き止まりになるが石仏がいると言われるところ。左は本道。とりあえず右の道を行くことにしたで坂になっていて確かに石仏は見えた。だがしかし写真で見たものとは違うのではないかと思った。僕の見たのはお地蔵様で赤いちゃんちゃんこを着ているように見えた。ただ、近くに行って見るほど度胸もなくおかしいと思いながらも分岐している道へ戻ってきた。そして本道を進んでいくと鬼のあばら骨と呼ばれる床に出た。天井は低く歩きずらいがなんとか足早に歩く、寒いためヘッ電に照らされた息は白い。で最奥という又しても石仏のはずが赤いちゃんちゃんこのお地蔵様。おかしいと思いつつとりあえず逃げるようにして出る。入洞時間が短いのは一人がリスキーであったしかなりストレスのたまるものだったため。
    出てから冷静になって石仏がお地蔵様ということに気づく。だがしかしもう一回確認したくはないし姥穴の方もあるしということで確認はあきらめた。僕の見たものが正しいのか単なる僕の見間違えかは確かめに行く必要はあると思います。ただ、文献自体は古いため、(しかも入ったのは20年以上前だったと思う)変わっていても不思議はないと思う。しかし質の違うものを置くかは分からない。落ち着くまで新穴の前で時間を費やしバンバア穴に向かうことにした。
    昨日と同様ゴーストタウンに出る。特に変わった様子はないが日がまだまだ差していなかった。大体の位置は覚えているので小道に出ようと思ったが感覚の違いからかなかなかたどり着けない。仕方なく一旦確認してから曲がり、約300歩だと考え数え、歩いていく。だがしかし、昨日とは違う気がするのでもう1回曲がり角で確認。改めて300歩数えて植林地帯に入っていった。少し歩いてみてもあの洞窟は発見できなかったしアスファルトに出てしまったのでもう一回、今度は反対側から数えて100歩のところを入っていった。昨日も見た、猫が座っているような感じ木を通り少しして、バンバア穴を発見できた。この猫のような木片に昨日は初め、あまりの誰もいなさに近づいてしまった。近づいても振り返る気配も無いしもしかしてと思ったらやはり単なる木であった。しかし似ていた。
    すでに殆ど用意済みだったのでメットをかぶるだけでバンバア穴の北に伸びている方へ先に入ることにした。昨日思っていたところに空洞があるのではなく洞窟を正面に見て右端から3,4メートルくらいのところから奥につながっていた。入り口は低かった。そして、事前に平野さんに教えてもらった測図とは違う気がした。どちらかといえば直線的な形を想像したのだが歩いてみると結構曲がりくねっている気がした。測図が曖昧なのか僕の感覚がおかしかったのか良く分からないがそういう印象を持った。ここでの次への課題は最奥には行っていないと思うことから次に入るときは最奥まで行くこと。測図によると二股に分かれているはずだがもう最奥だと思った僕は中途半端に帰ってきてしまった。曲がっているだけだったのかもしれない。しかし、姥穴も新穴や人穴と同様に大きな岩が床にごろごろと転がっていた。ということは落石の危険もある。落ちてきたら一発で終わりだろうし救助も早くは来ない、連絡体系も十分とはいえずリスクは大きい。ということで早々出てきてしまった。もしくは分岐しているのに気づかずに進んでいたのかもしれない。分岐していること自体忘れていたし。
    次に休み無く南の方へと移った。こっちは洞口が傾斜していて少し下りていく。下りると結構横に広い洞窟だと感じた。ここでは最奥まで着いたと思う。こっちの方は昭和39年のときに人骨らしきものが出てきたらしい。というところでそれほど注意深く見てきたわけではないが一回りして出てきた。外の光が見えるときはやはりほっとするものだなと思う。
    外に出て少し休憩し、こんな感じでよいと思い、テン場に戻り篠坂に向かうことにしようと歩き始めたが洞口を写真にとっておこうと思い戻って写真に収めた。で、帰り始めたのだがテン場に着くには思っていたより時間がかかった気がした。人穴と新穴の通り道の分岐して、横道にそれると廃屋がありいつのだろうと思わせた。人穴の近くを通るときには参拝客に変な目で見られることもあった。そんなことは気にしてられないのだが。
    10時半ごろという早い時間に帰ってきてしまい、中途半端なのだが篠坂に行きバンバア穴を探そうとする。歩いていくには遠すぎるしバスも通っていないとするとタクシーなのだがここから呼ぶには費用がかかる。そこで白糸の滝まで戻ることにする。それには昼食を先に食べておかないと邪魔になるのでそのときに行動食を食べてしまった。水を汲みに行くために階段を上がると富士講と呼ばれる人(家族?)が来ていて神社を掃除していた。今日はお祭りの日であり来ていたのだろうと思う。篠坂へ向かう準備をすべく荷物をまとめ、テントをたたみ、向かうことにする。
    歩き始めたが食糧の分昨日ほど重くないと思ったが大間違い。昨日来た道とは違いあまり通行量の少ない方を歩いた。なんかバス停のようなものが見えると思い近づくと単なる小学校の看板だったりして落胆。やはりバスは通ってないらしい。自力でいくしかないので頑張っていく。何度か休憩をはさみ、白糸の滝に到着。駐車場の誘導の係りの人に聞いてタクシーの事務所のようなところに行き、交渉。少ししたら車がくるというので、灯油をガソリンスタンドまで買いにいった。申し訳なかった。灯油を入れるのに持っていったのは500ミリリットルのペットボトル。口が狭いため入れるのにじょうごのようなものを布巾で拭いてから入れてくれた。値段は22円。恐縮しながらお金を払いました、ありがとうございました。と、戻る前に何か買わなくてはと思っていたのだが携帯の充電器であった。思い出してよかった。それを買い、タクシーの事務所へ向かう。すでに帰ってきていて乗るばかりであった。
    篠坂に行ってくれといっても当然のごとくある程度の広さがある。なので地形図を見せて送電線のあるあたりだと言った。当然、何なんだと思っていたらしい。半分くらいまで行って初めて運転手さんがなぜ行くのかを聞いてきた。だから今回のことを少し話して、洞窟探しをしていると言うと降りるところより上の方にも洞窟があると言っていた気がする。それがバンバア穴を指していたのかもしれないしどうかはわからない。ただ、昔、確かに探しに来て発見した人がいるということはあるらしい。本にあるとおり、バンバア穴は話題にはなったらしい。しかも昨日人穴にテントを張っていたのを違う運転手の人に見られていたらしい。確かに昨日の昼間に、タクシーが入ってきたのは覚えているがネットワークがすごいなと思った。あんなところにテントを張っていたら確かに話題にはなるだろう。田舎だし。
    というところで篠坂の東電の送電線に着き降ろしてもらった。ちゃんと鉄塔もある。ここのあたりにあると確信し、準備をする。しかし、着いた時間が遅いので基本的な装備を持つだけで着替えはしなかった。これが間違いなのだが時間の方が重要だった。幕営している時間も無いし残す装備の置き場所を考えてる暇も無く植林地帯の少し入ったところに置いて来てしまった。

    こっちのバンバア穴(姥捨穴)は竪穴であり、穴自体は植物に覆われているとのことで足元を見ながら歩いていかないとうっかり落ちてしまう危険があった。その分探す範囲は限られてしまった。しかも時間が遅いので始めの方は道路から浅いところしか探してなかった。段々と深く入っていき、途中には棘の植物が多くあり迂回しながら奥へと入っていった。すると、いくつかの岩場はあるが洞窟と言うほどのものは見られなかった。一つだけ、傾斜して竪穴で下りれば横につながっているのでは?という感じのところはあった。これをコウモリ穴ではないかと思い込み(多分違う)、次に東へコンパスワークをし始めた。すると、林道というか東電の敷地からと思われるアスファルトの道路に出てしまった。この辺で、もう出ないと日が暮れて出るのが難しくなると判断して戻ることにする。一応さっきの穴の位置をはっきりさせようと穴からコンパスワークで進む。120度で5分、200度で1分行ったところで東電の敷地を示す白いテープとぶつかった。これでは話にならないのだが、多分ここから200メートルくらい行ったところに送電線と道路がぶつかっていると思う。棘が深すぎてそれを無理やりに行くから手に突き刺さるし服にも刺さったと思う。軍手もせずに着てしまったが時間短縮のため仕方なかった。帰り道でももしかしてバンバア穴があるといけないので足元には注意しながら歩いた。

    大回りをして、やっと道路に出る。そこからどうしようかと思い少し考える。ここで幕営するには難しいと考えた。というのも植林地帯は棘がありテントを張ると生地を傷めてしまう。道路沿いに張ると絶対リスクがある(警察がくるとか)。と考えると、どうせ明日の朝に帰るのだから今日のうちに富士宮駅に戻り、駅寝でもいいのではないかと思った。距離的にも8時くらいには着けるのではないかと楽観視して荷物をまとめ始めた。

    そして歩き始めたが篠坂を少し下りていったところに交差点がありここで少し迷った。もし、奇石博物館で寝るならそれほど歩かなくて済むし結果的には富士宮駅に通じるし、富士宮駅まで行くならまっすぐ行って細い道。細い道にはきっと明かりが無いであろう。歩くには不便かもと思い、奇石博物館へ行こうと右に曲がったが少し行ってみると坂が見えてきた。しかも細い道。歩く道ではないと思い、しかも上りであるときついと思われるのでやはり富士宮駅を直線で行くことにした。

    どんどん暗くなり、資材置き場に幕営しようかと思ったが持ち主が良く分からないし勝手にするのもなんだなあということで良さそうなところがあっても素通りして歩いた。次第に日も落ち、ヘッ電をつけて歩くことにした、万が一認識できなくて引かれるのもいやだったから。とそこへ一台のバスがすれ違った。行き先は篠坂。ってもしかして逆に帰ってくるんじゃん?となればなるべく早く歩いてバス停に着き、バスに乗れば問題解決じゃん。とはいえバス停はこの辺は全く無くかなり移動したところにあるはずだった。知っていれば篠坂で乗っていたのに。まあ歩くことにした。
    5時半前にさすがに休みを入れずに歩きつづけるのはかえって非効率的だと思い、休みを入れる。平野さんから連絡もあり、話しているとバスが通り過ぎた。富士宮駅行きの。もしかして今日はもう無いんじゃないか?と思って落胆。少し歩いてバス停があり、あと20分くらい早く出てればという感じではあったがそれ以上でもなく、後から来るバスもない。ということでひたすら歩きつづけることになった。
    6時前に三角屋の交差点に着き少し休憩。で、交差点の横断歩道を渡ったらバス停が見えた。もう無いだろうとは思ったが念のため見ておこうと思い時刻表を見てみると、実は本門寺から来ているバスが一台だけ7時に来るらしい。といってもこんなときに来るのかと半信半疑であった。1時間待った末に来ませんでしたじゃ通用しないだろう。しかし、待ってみるべきと待つことにした。歩いて又しても抜かされたんじゃあ仕方ない。
    待ってる間ははっきり言って寒かった。凍える感じであった。防寒具を着て、フリースの毛布を羽織っても寒かった。これで来なかったらと何度も思った。歩くのはきつくなるだろうし。人通りは5人くらいしかいなかったと思う。後は車が多く通るだけ。ここでは明かりが多少多いので昨日ほどではないが星空を見ることができた。することもないし、星座を当てはめたが間違っていただろう。といいつつもバスには置いてかれるわけにもいかないので通る車をチェック。方向的には分かっているつもりだが知らない土地だから変なところから来ると困るので一つ一つを見る。

    ようやくそれっぽいバスが来たが行き先がどうもおかしい。今、行き先を思い出せないがもしかして違うのではと思い、一応運転手さんに富士宮駅に着くのか確かめる。はっきりとは聞き取れなかったが行くようなことを言っていたと思ったので乗ることにした。乗っても別に何も言わなかったし。乗ってみると乗客は僕以外にいなく快適に乗っていた。バスの中は暖房が効いていて防寒具をそれほど着なくても良いのでフリース毛布はやめた。少し乗って考えてみると富士宮駅までいくのはかなり大変だったのではないかと思った。良くそんなことを考えたものだと思った。我ながら無謀だった、今回はそれの繰り返しの気もするが。乗客が少しずつ乗ってくるのを見るともしかして結構乗るのかと思ったがそれは無くみんな少ししたら下りていった。ただ、今日は富士宮市のお祭りであるため、若者はそこへ行くらしい。お祭りをしているのを横目に見ながらバスに乗って富士宮駅に到着。途中であまりにも着かないからもしかしてとんでもない方向へ来てしまったのではないかと思った。見なれた感じのところまで来たときにはほっとした。降りるときには運転手さんがザックも降ろすので少しバスをずらして乗る用の方から降ろしてくれた。やはり富士宮の人は親切である。富士宮駅といっても初めに来たときと同じ、結構都会なのでどこに泊まろうか迷ったが泊まるといえば駅だろう。で、いくらなんでもバスのいる方には泊まれず反対側の車のロータリーがある方へと来た。当然のことながら幕営はできないだろう。寝るなら寝袋のみでということなので屋根付のところにしようと思った。一応明日池袋で合流する松山さんと連絡をする。とこのなかで今日帰っても問題ないのではないかということを思いつき、なんとか帰れるだろうし帰ることを決意。話している間、変な奴らに眼をつけられそうになるが無視。まあからまれたらでその時はその時。帰りはかなり快適に帰ってきた。富士駅からは直通で品川に来れたし。東海道線ではさすがに寝てしまった。電車の中で今回の反省や感想などを書いて時間をつぶした。いろいろあったがそれは別途に書く。合宿自体も内容は盛りだくさんであるし初めてのこともあり、考えさせられることもあり、今までの考えの転換をしたこともあったし、決意したこともあった。苦労はしたがこの合宿は後々まで自分自身に影響を及ぼすだろうと思った。

     

    バンバア穴等の地図

    食糧

     

    1日

    2日

    3日

    朝食

     

    平野さんのお宅で食事

    パン、スープ

    昼食

    行動食

    行動食

    行動食

    夕食

    平野さんのお宅で食事

    パン、ジャガイモスープ、

         行動食

     

    今後の課題
      洞窟の調査  新穴では石仏があるがそれは文献が正しいのか僕が見てきたものが正しいのか
                尻穴には入りどうなっているのか(複雑らしい)。
                バンバア穴(姥穴)で人骨等を見つければよいと思う(過去に出てきた)。
      洞窟の発見  バンバア穴(姥捨て穴)と、コウモリ穴を見つけること
      なんにしても多人数でしなければ達成できない確率が高いと思いました、リスクが高いことが一番のネックだと思います。

    費用
      食費           2200円
      交通費 電車     5600円(2800円×2)
    バス     1000円(500円×2) 
    タクシー   3000円
      地形図  3枚      800円
      灯油             22円
           計       12622円
     
    反省
        装備を持っていき過ぎてかえって邪魔になった。
            →これは、事前にはっきりと隊員の人数を確認しなかったことにある。もしかして多く来たらまずいと判断しテントもコッヘルも多く持ってきてしまった。結果的にはもっと小さいテントでも良かったのだが。    物流に関してあまり考えてなかった。
            →まあ現地に行けば何とかなると思ったのが間違え。白糸の滝もあるし観光地なら平気だろうと思った。実際は車社会でありバスは使いづらかったしタクシーは思いのほか高かった。人数がいればレンタカーも可能ではあった。
        経験のなさにより洞窟に長時間いられなかった。
            →これは今回経験だけでなく初めて行くところで、一人であるし落石の多い洞窟であるというリスクが大きいということもあったがもう少しゆっくりと見てもいいとは後で思った。ただ、次にまた一人でできるかは不明、感覚的に忘れれば平気かなとは思うが。
        事前準備の悪さ
            →これは今回の合宿でどのことにも言えることである。これは僕特有なのかもしれない。いつも完璧にとはいかずどこかしら準備の悪さを露呈している気がする。今回の準備のよさは防寒具くらいかな。寝るときは寒くなかった。直したいものだがなかなか直らない、というか隅々まで神経を費やせないのだろうか。

        時間配分が悪い
             →これについては初めてのところであるし慎重になるのは仕方ないといえば仕方ないのだがもう少し手際よくしていれば効率よくできたとは思う。バンバア穴(姥捨穴)をもっと探せたのではと思う。

      ご飯が炊けなかった
             →これは完全に僕のミスです。事前にラジに灯油を満タンで入れたと思い込んだ僕が悪いと思います。
        しかもかさばるからと灯油ポリを持っていかなかったのも問題といえば問題でした。
        しっかりとした漏斗があれば良かったのですが、もう平気です。
        しっかりとした事前の意思疎通ができていなかったこと
             →きちんとメールで計画書を送っていなく、且つ合宿自体の目的をはっきりと伝えていなかった僕が悪かったと思います。時間が無いとはいえするべきことはしなければならないと思いました。

    感想
       発見するということ自体は楽しかった。しかし、バンバア穴(姥捨穴)を見つけることができなくて悔しいと感じた。
       いつかは見つけたいと思った。
       一人で結構大変だったがかえって人がいることの大切さを知った。
       富士宮の方々は親切であると思った。多くの人から暖かさを感じた。特に平野さんには影響を受けたと思います。
       OBになったときのことも考え直しました。この先どんなことがあっても、できるだけ合宿に出ることにします(東京配属ならばですが)。   テン場選びは文句をいえない。2日の人穴神社では夜中に相当ひどかった。もっと奥に張っていればよかったのかもしれないが。僕の探検部員としての転機になったとは思います。精神的な面に関しても強くなったと思いますし、どういうことが自分にとって探検部らしいのかとか、自分の新しい分野(探索)を開拓できたと思いますし影響は大きかったと思います。

    ただ、常に気をつけていかなければいかなければいけないと思うのはリスクに関する管理をしっかりとしていかなければならないと思います。そうでないとどんどんすることがエスカレートしていき事故につながりかねないからです。
    ですから、できることとしたら事故になるだろうということをはっきりと区別していくべきだとも思いました。
    少しでも事故になるのが分かっていながら事故になるのは重大な問題であると思います。

    合宿後
       家に帰って次の日に装備を入れに行き松山さんと待ち合わせをしました。そこでとりとめもなく話し、衛藤さんや島田さんと合流し飲みに行きました。とまあ色々と話した後で僕らが来るのをいやがる貞廣さんのお家で寝ました。貞廣さんにはご迷惑をかけたとは思います(特には謝っていないのですが)。ありがとうございました。

    終わりに
       詳細な報告でどこでも見かけたのが恐怖という感情だと思います。他者から見て「弱い」とは思うのだろうと思いますが
       書いたことは本当のことであります。事故が起こせない(普段でもあたりまえなのですが一人であるともっと冒険できなくなります、というのも少しの怪我でも歩けなくなったり連絡が取れないと長時間助けは来ないからです。)という状況がありプレッシャーともなりました。それに神をも恐れぬということをしているときもありますのでそれも僕を追い詰めたとも思います。
       長期間に渡ってパソコンで打っているのですが初めのうちはまだまだ合宿の余韻があり思い出しては空気が寒々としていたと
       思います。今でこそ客観視できるようになってきたのでなかなかいい経験をしたなどと思いますが合宿をしているときは   こんなこと二度とできるのかとは思っていました。   だが、僕の探検部の活動はまだまだ続きます(といっても留年するわけではないです)。今回を足場にしてもっと高みに登れたらと思います。それにもっと僕自身の装備を整えないといけないかなとも思いました。