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北欧にはまる
初めてスウェーデン、フィンランドを訪れたのは、96年3月のこと。きっかけは単純で、「インターネットの普及率が何故こんなに高いんだろう?」ということで、グローコムのアダム (Adam Peake) さんと一緒に調査に出掛けたのでした。3月はまだ日中でも氷点下の気候。厳しい自然環境の中で、力を合わせて豊かな市民社会を築いていこうという意識と、人々の暖かさが強く心に残りました。実際には、いろいろ問題はある(例えば、人種差別的な意識)ようですが、それでも北欧を理念的に捉えることで、日本社会のモデルができないかと考えるようになり、その後のわたしの研究の出発点となってます。
その後も2度ほど北欧を訪れる機会があり、すっかり北欧にはまってしまいました。
ストックホルム、ヘルシンキなど大好きな街ですが、唯一ちょっとなぁ、と思うのは食事です。これはもちろん自然環境を考えると無理もないところだと思います。ただ、2001年10月に、エストニア(バルト3国の一つ)、フィンランド、スウェーデンを経て、初めてイタリア・ミラノを訪れた時には、「あ〜〜、イタリアのご飯って、やっぱりおいしい!!!」と感嘆してしまいました。とくに生ハム(プロシュート)は、「これまで日本で食べていたのは一体???」と思うくらいに絶品でした。
これまでアジア欧州米州、十数カ国訪れる機会を幸い持つことができましたが、やはりそれぞれの社会は、それぞれ独自の歴史文化を背景にもっていて、いずれも独特の魅力をもっているとは強く感じます。日本社会は戦後幸運に恵まれて、豊かな社会になったの思うのですが、他の社会文化の人々から尊敬されるかというと疑問です。これから、やはり他の社会の人たちにも魅力を感じ、訪れたいと思ってもらえるようにできたらと思います。


フィットネスクラブ遍歴(2006年1月更新)
さて、普段の生活では、研究をのぞくと、「踊り、ドライブ、歌があればやっていける!!!」みたいなところがあります。

まず「踊り」なんですが、もともと、大学時代に演劇をかじったときに、体力づくりの一貫として、ジャズダンスやエアロビクスをはじめたのがきっかけで、踊ることへの興味が湧きました。

ところで、何故演劇をかじったかというと、野田秀樹・夢の遊民社の影響だったのです。これがまた偶然で、高校時代、わたしは大江健三郎が好きな根暗文学青年ぽかったところがあって、大江さんの講演会とかに行ったりもしていました。で、とある新潮社の講演会に大江さんの連続講演があり、それに通ってたわけです。その講演会は、大江さんのほかに新潮社から本を出した人も一人来て講演するという形式のもので、ある時、野田さんが「野獣降臨(のけものきたりて)」を出したことから、大江さんの前座に登場しました。
その日の会場は、いつもとはまったく違っていて、「こ、これはなんだぁ!」と思ってたら、除草した、じゃなくって、女装した野田秀樹が出てきたんです。まぁこの話は、この話で長くなるんで、またの機会にして、とにかく大学時代は地道に演劇を趣味とすることになりました。しかも遊民社ですから「芝居はスポーツだ!」のポリシーなので、体を鍛えるようになって、奈津ジャスダンススタジオなどに出没したりすることになってしまったわけです。

しかし、大学院に入って、すっかり体を動かさなくなり、博士課程1年の夏についに体を壊してしまいました。そこで一念発起、今に続くスポーツクラブ遍歴が始まります。 1990-1993のニューヨーク留学中は、ちょうどStep Reebokを使った "Step Aerobics" というのがはやりはじめた頃で、結構はまってました。
次にはまったのが、ヒップホップなFunk Aerobics!!! 1995年からティプネスに通いはじめたのですが、そこで出会って、見事はまってしまいました。音楽もR&B、HIPHOP系が好きで(ちょうど留学中にEnd of the Roadが大ブレイクし、いまや押しも押されぬ一流グループとなったBoyz II Menなど)、日本の音楽シーンも、Misia以来、ほんとに多様になりましたよねぇ。

ところで、国際大学グローバルコミュニケーションセンターに勤めていた頃、マイブレークしたのが、Salsa Dance!!!です。勤務先から徒歩でも歩いていける六本木のSalsa CaribeやSalsa Sudada に時々いって、ラテンのリズムに身をゆだねてました・・・ただ残念ながら忙しくて、ほとんど足を運ぶことができず。Salsaは男性がリードするので、ほんとは十分に練習して、女性をリードできるくらいまで上達できればいいのですが、その時間はありません(苦笑)。その代わりといっては何ですが、ラテンエアロビクスが気に入っていて、サンバステップやマンボステップを踏んでます。

さて、21世紀に入って、最初にはまったのが、Body Pumpです。これは、バーベルを使ったスタジオエクササイズで、筋力を結構鍛えます。マッチョとは無縁ですが、仕事柄机に向かって座っていることが多いので、筋力をつける必要性を感じてはじめたのですが、体が引き締まる感じではまってます。

そして、2005年末、たまたま冬休みに参加してみたのが、Power Yoga!!! のクラス。いま、完全にはまりつつあります。「ヨガ」って、瞑想、弛緩といったイメージで、ピンとこなかったんです。ところが、パワーヨガのクラスにでてびっくり。全身の細胞に喝が入り、疲れが汗と一緒に流れ出すような感覚。体がほんとに軽くなります。 

ということで、スポーツクラブ遍歴はまだまだ続きます。


ほんとに個人的な回顧録
東海道新幹線が開通し、東京五輪が行われし頃(1964年)、この世に生を授かりました。岡本太郎の「太陽の塔」を目の当たりにした大阪万博の頃は神童と呼ばれていましたが、武蔵中学に入る頃には秀才となり、Claude Levi-Straussの「野生の思考」を読んで人類学を志すにいたった頃にはやくざな高校生となっていました。
高校時代は疎外された生活で,大江健三郎の西武池袋店での連続講演会(月一回で六回連続)に受験生の身にも関わらず通い(未だに講演のテープを持っている!)、クリムトの絵を見て溜息を殺し、夢の遊民社の野田秀樹の女装にうつつを抜かしていたわけです。
しかし、悪運の強さは生来のものらしく、共通一次では1000点満点で959点(自己採点ですが)。気がつけば駒場小劇場の舞台に立っておりました(このころ上に書いたようにエアロビクスやジャズダンスに手を染めます)。駒場での疎外された生活は大学・大学院時代も続き、ナイヤガラの滝に修行をしに渡り、State University of NY at Buffaloの大学院人類学部に留学。BuffaloはアメフトのBuffalo Billsとナイアガラの滝しかないところなので、必然的にBillsファンとなりました。Billsは”Super Bowl”4年連続出場という偉業とともに、4年連続敗退という不名誉も持っているチームですが(最後に負けるのが一番ダメージが大きいのです!)、馬鹿な子ほどかわいい状態の阪神ファンのような感じになっています。でも、学生生活では、Buffalo時代の3年間が最も幸せでした!
さて、家庭の事情で三年で留学生活に終止符を打ち、日本学術振興会特別研究員を1年ほど勤めた後、縁あってGLOCOMに出入りを始める。GLOCOMでは、国際大学講師、主任研究員として、世界情報事情、情報通信研究会、電子公証プロジェクト、JMFプロジェクトなどを中心に、情報通信産業の動向、各国の情報通信政策、情報社会論の科学史的研究などに関わりました。
その後1998年4月に東京都立科学技術大学(TMIT:Tokyo Metropolitan Institute of Technology)、そして2001年9月から早稲田大学理工学部と異動し、現在にいたっています。


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(c) Tadamasa Kimura