当研究室では、精密分離分析法の一つである高速液体クロマトグラフィー(HPLC)の分離機構の解明に関する基礎的研究を行っています。
界面や表面は化学機能発現の作用場であり、
(2) クロマトグラフィー系の分離機構解析法の開発
現在、HPLCはハード面での技術開
できませんでした。クロマト分離挙動
そこで当研究室では、解析情報の種類や定量性の点で既往の理論よりも優れている『モーメント理論』に基づき、クロマトグラフィーの基本原理の解明とその本質的理解に資する解析基盤(解析理論と実験操作法)の構築に関する研究を行っています。"モーメント"というと物理学の力学分野で勉強したモーメントを思い浮かべますが、同様に一次絶対モーメント及び二次中央モーメントを定義し、クロマト溶出ピークを解析します(図1)。日本の分析化学関連の研究室の中で当研究室だけがモーメント理論に基づくクロマト分離機構の詳細な解析を行っています。
(3) クロマトグラフィーによる化学情報解析
上記の解析基盤を利用して、流通式分離(主にクロマトグラフィー)系における分離機構を解析しています。図2に示すように分離系に摂動(濃度パルス等)を加え、パルス応答曲線をモーメント解析して分離剤表面での分子間相互作用や多孔質材料内における物質移動現象を研究しています。
クロマトグラフィーはこれまで主に精密分離分析法として幅広く利用されてきました。当研究室では、クロマトグラフィーを単なる物質分離法としてだけではなく、各種分光分析法と同様に様々な化学情報を解析できる方法論へと発展させたいと考えています。解析基盤の構築によりソフト技術の面から分析法としてのクロマトグラフィーのポテンシャルを高め、独自の解析化学的研究の展開を図っています。
(4) 新規分離系や機能性化学材料の開発
これまで主流であった全多孔性球状粒子とは構造的特徴
また、分離場の僅かな化学特性の変化を積分増幅して分離能に変換できるクロマトグラフィーの特長を活かし、機
研究概要(追加説明)
現在のところ、高速液体クロマトグラフィー(HPLC)系が主な研究対象ですが、当研究室の現時点での研究テーマを大まかに分類すると次のようになります。
(1) 流通式分離法の分離機構解析法(解析理論と実験操作法)の開発に関する研究
(2) 流通式分離法の化学情報解析法への展開に関する研究
(3) 機能性化学材料や新規分離剤・系の開発に関する研究
各々のテーマは相互に関連しますが、基礎概念や方法論の異なる3つの方向からアプローチして「分析化学」や「分離化学」の進展に資する基礎的研究を行っています。各テーマの概要を以下に紹介します。
(1) モーメント理論を基盤とする解析的研究法(解析理論の構築・体系化と実験操作法)の開発
クロマトグラフィー挙動はこれまで『段理論』と『速度論』に基づき解析されてきました。これらはクロマト分離現象を理解する上で非常に有用な情報を与えます。しかし「段理論」と「速度論」には各々次のような問題点があるため、両理論ではカラム内における分離過程の特徴や機構を定量的かつ詳細に解析すること、そして分離の本質をさらにもう一歩踏み込んで探求することができません。
『段理論』--- クロマト分離挙動を解析する際に、カラム内における溶質分子の動きを全く考慮しません。固定相と移動相が接触し平衡状態になった時点での両相間における溶質分子の分配比率だけを数量的に取り扱います(この分配比がクロマトグラム(クロマト分離の様子を表わすチャート)上では保持時間に反映されます)。また、ピーク形状としてはガウス曲線形状を仮定し、そのピーク幅(カラムの分離性能に関連します)を表現するために現実にはカラム中に存在しない理論段の数(理論段数、カラムの分離性能を表わす)を設定します。
『速度論』--- 速度論として大きく分類される様々なモデルがこれまでに考案され、各々に対応する各種の速度式が提案されています。その多くは、カラム内における溶質分子の動きを、@多流路拡散(渦巻拡散やEddy拡散とも呼びます)、A分子拡散、及びB物質移動過程(固定相中と移動相中での溶質分子の動きを両方考慮します)の3つの過程で表現します(この点では段理論よりも進んでいます)。クロマトピーク幅がこれらの寄与によって広がり、ピークの分散の二乗(最終的はカラム理論段高の形で取扱います)がその和で表わされると考えます。そして、上記3つの各速度過程の移動相流速依存性の差を利用して、各々の寄与を分割・評価します。
実験的には、移動相の線流速(u)(体積流量とカラム断面積の比で、単位はm s-1)を変化させてパルス応答(溶出クロマトグラフィー)実験を行い、理論段高(H)(= カラム長さ/理論段数)を求めます。このHとuの関係(H−uプロット)は通常下に凸な曲線となりますが、上記の@多流路拡散、A分子拡散、及びB物質移動過程の移動相流速依存性が各々、uの0乗、-1乗、及び+1乗に比例するため、この差を利用して各々の寄与を分割・評価します。
クロマトデータの解析に利用する各速度式は多少複雑な形ですが、上記のような流速依存性に基づき、次のように簡略化された式も頻繁に利用されます。
H = A + B/u + Cu
この式の右辺第一項、第二項、及び第三項が各々、上記の@多流路拡散、A分子拡散、及びB物質移動過程に対応します。各々、A項、B項、及びC項と呼ばれます。
前置きが長くなりましたが、「速度論」の問題点は次の通りです。各種の速度式はランダムウォークモデルに基づいていますが、その式中には物理的定義が不明確な経験パラメータが含まれています。このため、H−uプロットを実験的にいかに正確に測定しても、カラム内での溶質分子の動きを表わす拡散係数や物質移動係数等の速度パラメータを具体的な数値として定量的に求めることができません。また、H−uプロットを上記の簡略化式で表現(フィッティング)してA、B、及びCの値を求め、その値からカラム内における分離剤の充填状況や物質移動特性等を議論する場合もありますが、このような議論には学術的な意味はあまりありません。
そこで当研究室では、より深くクロマトグラフィー現象を探求するため、「段理論」と「速度論」よりも優れた解析理論である『モーメント理論』を利用してクロマトグラフィー挙動を解析しています。「モーメント理論」についてその概要を以下に説明します。
『モーメント理論』--- 上記の「段理論」や「速度論(速度式)」と比較して、モーメント解析式はクロマトグラフィーのGeneral rate
modelに基づき数学的に誘導され、また式中に含まれる全てのパラメータはその物理的意味が明確に定義されています。実験的に求めたH−uプロットを解析するという点は「速度論」と同様ですが、「速度論」とは異なり拡散係数や物質移動係数等の値を定量的に求めることができます。
クロマト溶出ピークの零次モーメントは面積、一次絶対モーメントは保持時間、及び二次中央モーメントは分散の二乗に対応しますので、零次モーメントは定量分析、一次モーメントは定性分析や保持(分子間相互作用)の平衡論的解析に利用されます。ただ、この二つの解析は「段理論」でも同様に行います。一方、理論段数は一次モーメントの二乗と二次モーメントの比となりますので、理論段高(H)を一次モーメントと二次モーメントから求めてクロマト分離挙動の速度解析を行います。「段理論」ではカラム内における溶質分子の動きを全く考慮しませんので、このような速度解析は全く行えません。また、「速度論」では上記のように概略的な速度解析は行えますが、定量的な速度情報は得られません。このように、モーメント理論により得られる情報は、特に速度解析情報の種類や定量性の点において既往の「段理論」や「速度論」に基づく解析から得られる結果に比べて格段に優れており、分離系の化学的特性や分離機構を多角的かつ定量的に議論し、クロマト分離機構の本質を究明する上で極めて優位であると言えます。
現在我々が取り扱う流通式液相分離系の性能は過去に比べて桁違いに高く、既に超高性能分離と呼べる領域に達しています。また現在、分離の高性能化や高速化を目指して様々な構造的特徴を有する各種分離剤も開発されています(図4)。このうち、モノリスやコアシェル粒子は全多孔性球状粒子とは大きく異なる構造特性を持ち、高性能高速液体クロマトグラフィー用分離剤として近年非常に注目されています。もはや、クロマト分離挙動をオーバーオールで眺め、その分離性能を理論段数等の総括的な指標を用いて表現して分離機構を議論する時代は過ぎ去っています。しかしながら、上記のような問題点があるにも拘らず、半世紀以上も前から現在でも段理論と速度論だけがクロマトグラフィー挙動の解析法として一般的に利用されています。実験的に観測されるクロマトグラムの特徴が分離系内の動的挙動に関する多くの情報を提示しているにも拘らず、これまで私たちはその一部しか読み取ることができませんでした。それは「段理論」と「速度論」だけを使ってクロマトグラフィー挙動の解析を行ってきたからです。この状況は半世紀以上も前と同じままで現在でも変わっていません。私たちはクロマトグラム上に表われている重要な多くの情報を読み取るために必要かつ適切な手段(解析理論や実験操作用)を持っていませんでした。例えば、「段理論」と「速度論」では上記のモノリスやコアシェル粒子の特徴的な構造特性を考慮した上でそれらの分離機構を解析することができません。また、クロマト分離性能に大きな影響及ぼす『表面拡散現象』の特徴や機構(図3)に関する詳細かつ系統的な解析は他の研究グループでは全く行われていません。それは「段理論」と「速度論」では、表面拡散現象に関する化学情報が得られないためです。
高性能流通式液相分離技術がハード面で急速に進展している現在、その分離挙動を解析する基礎理論もまた従来の古典的な枠組みから脱却して新たな段階へと展開する時期にあります。勿論、クロマトグラフィーに関連する研究には様々な目的がありますので、分離機構の詳細を定量的に理解する必要がない場合もあります。そのような場合には、従来通り「段理論」と「速度論」から得られる情報だけで十分でしょう。一方当研究室では、モーメント理論を基盤としてクロマト分離の基本原理の解明とその本質的理解に資する解析基盤(解析理論と実験法)の構築について研究を行っています。
現在、様々な構造的特徴(形状と多孔性)を有する分離剤や反応基材(モノリスやコアシェル粒子等)が開発されています。当研究室では、それらの形状と多孔性を各々、球状、円柱状と平板状及び、全多孔性、部分多孔性と非多孔性に区分し(図5)、その構造的特徴に応じた新規モーメント式を系統的に開発してモーメント理論の体系化を推進しています。
この他にも、モーメント解析に関連して様々な物性値(分子拡散係数、液境膜物質移動係数、細孔拡散係数や表面拡散係数等)を測定するための実験操作法(Stopped flow法あるいはPeak parking法と呼ばれます)を開発しました(図9)。
日本の大学や研究機関には、分析化学関連の研究室が数多く存在します。クロマトグラフィーを始めとする流通式(分離)分析法は汎用性が高いため、それらの研究室では様々な目的に応じて使用されています。その中で、当研究室だけがこの「モーメント理論」による分離機構の基礎的解析を行っています。当研究室では、上記以外の構造特性を有する各種分離剤やクロマトグラフィー以外の様々な実験系に対応する新規モーメント式も開発し、モーメント解析理論の構築と体系化を図っています。
(2) 流通式実験−モーメント解析法による分子間相互作用や物質移動現象に関する基礎的研究
界面や表面は化学機能発現の作用場であり、その化学特性や機能発現機構の解明に関する研究が分光学や電気化学等の分野で進められています。一方、クロマトグラフィーを始めとする流通式分離法では、異相界面での分子間相互作用や物質移動過程の無数の繰り返しにより分離が達成されます。このため、流通式分離系は界面や表面における化学特性の微小な変化や弱い相互作用の検出と解析に適した実験系であると考えられます。そこで当研究室では、流通式分離系を化学情報解析の基本原理が他の方法(分光法や電気化学等)とは異なる積分型増幅検出系と見なし、これに摂動(濃度変動及び、温度、光や電場等の外部刺激)を加えて、それに対するステップ応答、パルス応答や周波数応答をモーメント理論に基づき解析しています。例えば、光学異性体分離系や逆相液体クロマトグラフィー系の分離挙動を解析し、化学機能の発現に対して重要な役割を果たす分子間相互作用や物質移動現象に関する化学情報を集積しています(図2)。
クロマトグラフィーは従来、物質分離法として、また分子間相互作用の平衡論的研究手法として利用されてきました。しかし、クロマトグラム上に記録されるピーク形状の特徴は、固定相(リガンド)−溶質分子間の「分子間相互作用」や溶質分子の「物質移動現象」に関する速度情報をも同時に示しています。上記(1)に記載した通り、これまで私たちはそれを読み取る方法論(解析理論と実験法)を持っていませんでした。実験データ(クロマトグラム)が重要な化学情報を私たちに提示しているにも拘らず、私たちはそれを読み取ることができませんでした。当研究室ではモーメント理論に基づきこの化学情報解析の方法論を開発し、それを基盤として分離化学の観点から機能性分子の化学特性や作用機構の解明に資する基礎的研究を行っています。流通式分離法(現在は高速液体クロマトグラフィー系が主な研究対象ですが)を物質分離だけではなく、各種の分光分析法(赤外分光分析法や核磁気共鳴法等)と同様に、様々な化学情報を解析できる分析法(クロマトスペクトル法とでも呼べるような方法)へと発展させたいと考えています。
(3) 機能性化学材料や新規分離剤・系の開発に関する研究
高速液体クロマトグラフィー(HPLC)は様々な分野で幅広く利用され、ガスクロマトグラフィーと共に実験系の学術研究や技術開発に必要不可欠な精密分離分析法の一つとして既にその地位を確立しています。しかし現在でも更なる高機能化とハイスループット化が求められており、これまで主に2つの方向から高性能高速分離技術の開発が推進されてきました。
一つは全多孔性球状粒子充填剤の微粒子化によるアプローチです。従来から直径約5 μmの粒子が分離剤として主に使用されていましたが、近年1〜2 μm程度の微粒子分離剤が開発・実用化されています。この場合、分離剤の形状や構造的特徴を維持したまま粒子サイズだけを微細化することにより、試料分子の粒子内拡散距離を短縮化してクロマト分離性能を向上させます。しかしその一方で、移動相が通過する粒子間空隙の流路径が小さくなるため、カラム部分の圧力損失が急激に増大します。このため現在の超高速(超高圧)HPLCシステムでは、最大送液圧100 MPa程度あるいはそれ以上の超高圧ポンプを使用します。つまり、HPLC装置のハード面の改良により、微粒子充填カラムの使用による高性能高速分離を可能にしています。しかしこの方式では、高圧・高速で送液される移動相と充填剤との摩擦で熱が発生し、カラム軸方向及び半径方向に温度分布が生じます。従来のHPLCではほとんど考慮する必要がなかったカラム内における摩擦熱の発生及び、クロマト分離性能に対するカラム内温度分布不均一性の影響が無視できなくなるという新たな課題が報告されています。
他方もう一つのアプローチは、モノリスやコアシェル粒子に代表されるような特徴的構造特性を有する新規分離剤の開発です。上記のように球状粒子充填カラムを使用する限り、分離の高性能化と高速化を同時に達成することはできません。そこで、モノリスやコアシェル粒子等、全多孔性球状粒子とは形状や細孔構造が全く異なる分離剤が開発されています。その中でもシリカモノリス構造体はメゾ孔を有するシリカ骨格と貫通マクロ孔から成り、細いシリカ骨格が試料分子の拡散距離の短縮化、メゾ孔が比表面積の増大、そして貫通マクロ孔が移動相の流通抵抗の低減化に寄与します。コアシェル粒子も基本的な概念は同様です。両者は、通常のHPLC装置を用いても高性能高速分離が行える分離剤として使用されています。
一方当研究室では、モノリスやコアシェル粒子とは異なる構造特性の分離剤を開発しています。分離剤の構造を制御して物質移動抵抗を低減化するという発想は同じですが、分離の高性能・高速化と共に、分離対象範囲の拡大も目指しています。また、分離系に外部刺激応答性、異方性や構造特異性を導入し、機能化学と分離化学の結合による分離特異性の発現や分離能の向上について研究を行っています。分離場の僅かな化学特性の変化を積分・増幅して分離能に変換できるという流通式分離系(クロマトグラフィーや電気泳動法等)の特長を活かした新規分離系の開発について研究しています。さらに、上記の特徴的な構造特性を有する化学材料を利用して、特異的な化学機能を有する反応系の開発についても研究を行っています。
当研究室の特徴と位置付け
当研究室では分析化学を基盤として、@これまで得られなかった化学情報に到達するための方法論(解析理論や実験法)の開発及び、Aその化学情報に基づき「化学」の本質を究明するための基礎的研究を行っています。勿論それは極めて大きな研究課題であり、当研究室が行えるのはほんの限られた方向からのアプローチに過ぎません。しかし、様々な方向からの情報や知見を組み合わせ、総合的に研究成果を考察して「化学」の真実に迫ることができます。立教大学理学部化学科には様々な観点からこの「化学」の本質にアプローチしようとする研究室が多数あります。当研究室はその中の一つとして「分析化学」の立場からこれに取り組もうとしています。