筆者がある時期に関心を持ったテーマにボリビア日系移民がある。以下にその輪郭を述べておきたい。
筆者はボリビア・アマゾン、モホス大平原の古代文明の発掘調査で、ベニ県トリニダードに滞在している時、日系ボリビア人社会を覗く機会を持った。ボリビアには2008年当時約一万五千人の日系人が住んでいた。現在でもあまり変化はないと思われる。ブラジルやペルーに比べると人数としてはそれほど多くはないが、すでに百年以上の歴史を持っている。二十世紀初頭のゴム景気の時期にボリビアに最初の日本人が移住した。その大半はペルーから移った人々で、北部、パンド県、リベラルタに居を構え、現地で日系社会を造り上げた。一時は町の人口の過半数を占めたこともある。その後、戦後になって、日本本土と沖縄から本格的な計画移民が実施された。その一つが西川移民に始まる、日本政府主導の移民であり、もう一つはGHQによる沖縄からの移民である。こうしてサンタクルス近郊に二つの日本人移住地が建設された。日本政府のサンファン移住地は1955年に建設された。GHQのオキナワ移住地は1954年に建設されている。
現在、日系ボリビア人の多くはサンタクルス、ラパス、コチャバンバなどの大都市、あるいはリベラルタ、トリニダード等の地方都市に住んでいる。彼らの大半はボリビア人と結婚してボリビア社会に溶け込み、多くはボリビア人としてのアイデンティティの方が強い。リベラルタ、トリニダード等に住む三世、四世の場合はすでに日本語を話せない。しかしサンタクルスの近くには戦後の日系移民が建設したサンファン、オキナワという二つの移住地があり、人々は日本人としてのアイデンティティを持ち、日本文化の伝統を守り続けている。サンファンにはまた日本語学校もある。筆者は2006年~2008年にかけて現地に住む日系人の方々の案内でこれらの移住地を訪問した。二つの移住地の訪問は筆者に強い印象を残した。多くの人々の話を聞き、また移民資料館を訪れた。移住した人々の新しい人生は過酷なジャングルの中に移住地を建設することから始まった。彼らの体験は想像を絶するものであり、その物語は現代の叙事詩とでも呼べるものである。
参照
この研究に関しては筆者の次の報告書がある。
- ボリビア日系移民―サンファン移住地を中心にして.佐久間孝正編「外国人児童・生徒の教育施策と自治体間格差の比較研究」(科学研究費補助金<基盤研究B>研究成果報告書)所収.2009年 3月.pp. 99-120.