筆者はこれまで数十年にわたり英語教育に携わり、その間多くのテキストを執筆し、また教授法の改善に努めてきた。さらには立教大学において全学共通カリキュラムの立ち上げに関わった。1991年、文部省「大学設置基準の大綱化」をきっかけに、教育改革の波が日本の大学を襲った。筆者が赴任した立教大学でも旧カリキュラムの空洞化が議論され、抜本的な改革が模索された。その結果、一般教育カリキュラムは廃止され、1997年4月に全学共通カリキュラムがスタートした。この改革において筆者は言語教育を担当し、制度の改革、新カリキュラムの立案、教材開発、FDの実施等を行った。またその経験を通して言語学習に関心を持ち、様々な教授法及び第二言語習得理論を研究した。
第二言語の学習において進歩はどうして起きるのか。筆者が特に興味を持ったのは言語学者、ケネス・L・パイクが論じた核化(Nucleation)の概念である。核化は自然界において存在している現象である。例えば、雨滴が形成される際の一連のプロセスを指す。雨滴の形成にはその中心となる塵の存在が不可欠である。大気中の塵が核となり、周囲の水分を吸着して成長したものが雨滴である。パイクは同様のことが言語学習においても起きると考えた。すなわち学んだ外国語の知識はバラバラに存在していたのでは進歩はなく、言語として成長するためには知識の核化が不可欠なのだ。核化はまた結晶化とも呼ばれる。(水晶の結晶化においても類似の現象が見られるからである。)
日本における英語教育、外国語教育が成功を収めていないのはカリキュラムに根本的な問題があるからである。基礎教育における英語カリキュラムは第二言語学習における核化、結晶化の原則を無視したものである。言い換えれば進歩の原則を無視したものである。その目標は「英語についての知識(Knowledge about English)」の勉強である。学習者は膨大な知識を獲得するが、それは眠ったままの状態で放置される。英語に上達するためにはその知識を血肉化し、「英語の知識(Knowledge of English)」に進化させなければならない。
これは日本の英語教育の目標が試験のための教育、大学入試のための教育であることによる。英語教育の全面的な改革は文部科学省の為政者にしかできない。だがそれでも大学レベルでの改革はできる。立教大学全学共通カリキュラムはそうした理念の下に実施されたものである。現状の改善を求めて、筆者は第二言語学習における知識の結晶作用についての研究を行った。また結晶作用を容易にする効果的なカリキュラム、教授法の研究を行った。
参照
このテーマに関しては以下の論文・著作を参照されたい。
- 言語学習の謎―知識の結晶作用のプロセスとその彼方にあるもの.立教大学「研究教育フォーラム2」.1997年3月.pp.65-81.
- 大学外国語教育に未来はあるか―立教大学における英語教育改革の経験.「大学教育学会誌」第20巻第1号(通巻第37号).1998年5月.pp.16-20.
- 『立教大学<全カリ>のすべて―リベラル・アーツの再構築』(共著)編集委員会編;言語教育カリキュラムの項目担当) 東信堂 2001年2月.
![]()
全カリの遺産―立教大学における言語教育改革とその彼岸.実松克義最終講義.立教大学異文化コミュニケーション学部.2013年2月25日.