I-1.マヤ宗教文化

筆者がマヤ地域を最初に訪れたのは1991年のメキシコ旅行であるが、本格的にマヤ文化の研究を始めたのは1994年である。1994年の夏、筆者は約一か月にわたりグアテマラ・マヤ・キチェー地方に滞在し、初めてのフィールドワークを行った。以後現在まで四半世紀にわたりマヤ地域を訪れ、調査研究を行った。訪れた地域はグアテマラ南西部キチェー地方及び北東部チョルティ地域、ペテン地域、メキシコ南西部チアパス地域及びユカタン北部地域である。とりわけグアテマラにはこれまで25回以上も滞在し、調査を行った。

筆者のマヤ研究は大きく四つの時期に分けられる。第I 期(1994~2000年)、第II期(2001~2003年)、第 III期(2004~2007年)、そして第IV期(2008~2016年)である。以下に略述したい。

第I期(1994~2000年)マヤ・シャーマニズムの研究

マヤのシャーマン(アッハキッヒ)

1994年から2000年にかけ、足掛け6年にわたりグアテマラ南西部高地のマヤ・キチェー地方をベースにフィールドワークを行い、現代に伝わるマヤの宗教文化を調査した。また現代に残る古代マヤ文明の伝統を発掘した。マヤの伝統文化は通常「マヤの宇宙観」と呼ばれる。(スペイン語でLa Cosmovisión Maya マヤ・キチェー語ではLe K’aslemal Mayab’と言う。)古代マヤ文明に起源を持つ、神秘的かつ極めて理知的な文化的伝統である。
グアテマラでの主な調査地はケツァルテナンゴ、オリンテペケ、ナワラー、モモステナンゴ、サン・フランシスコ・エル・アルト、トトニカパン、スニール、チチカステナンゴ、サンタ・クルス・デル・キチェー、サンティアゴ・アティトラン、サン・アンドレス・イサパ等である。これらの地域で数多くのマヤのシャーマン(キチェー語でAjk’ij<アッハキッヒ>と言う)、文化的指導者、教育者、知識人等に会い、調査を行った。

第I期(1994~2000年)マヤ・シャーマニズムの研究

マヤ宗教文化の研究を始めて間もない頃、筆者のフィールドワークは試行錯誤の連続であった。だが多くのマヤのシャーマン、また一般の人々との出会いを通じて徐々にマヤ文化に馴染み、よりよい方法を学んでいった。そして数年もすると、現代マヤ宗教文化についてかなりの情報を収集することができた。だがそれですんなりと研究が進んだわけではない。何故ならこれらの情報は系統だったものではなく、場所や人によってかなり違ったものであったからである。それは現代マヤ文化の状況を反映しているように思えた。そうした時に出会ったのがマヤ・キチェーの哲学者、ビクトリアーノ・アルバレスとその研究組織IMAGUAC(Instituto Maya Guatemalteco de Ciencia)である。ビクトリアーノはケツァルテナンゴ、サンカルロス大学の教授を長年務めた学者であったが、同時にまたマヤのシャーマンでもあった。ビクトリアーノの理路整然とした講義によって、筆者は初めてマヤ人によるマヤ文明とその文化の解釈を知ることができた。この貴重な体験は筆者のマヤ研究を決定的に方向づけることになった。
同時にまた筆者は本物のマヤ文化を知るためには民族言語の学習が必要なことを知った。そこで1998年10月~12月の約2ヵ月間マヤ文化の中心地の一つである、モモステナンゴ(キチェー語ではチョツァーク)に滞在し、キチェー語を学んだ。

筆者のマヤ研究の調査項目は多岐にわたるが、羅列すれば、マヤのシャーマンとシャーマニズム、シンクレティズムの神サンシモン(マシモン)、死の神サンパスクアル、マヤの十字架、マヤ・カレンダー(とりわけマヤ神聖暦)、マヤ時間の神ナワール、マヤ時間思想、マヤ二元論カバウィル、マヤ・キチェー神話『ポップ・ヴフ(Pop Wuj)』、マヤの世界観等がある。
これらの中でも、初期の段階で、とりわけ筆者の関心を惹いたのは、マヤの十字架とカレンダーである。マヤの十字架は物質としての世界を、またカレンダーは精神としての世界を表象している。言い換えれば前者は空間を、後者は時間を意味している。また両者は独特なマヤ二元論カバウィルを構成している。
カバウィルはマヤ思想の根本原理である。Kabawilはキチェー語で「二つのヴィジョン」という意味だが、「異質な二つの存在の協働による創造」という原理を表す。キチェー神話『ポップ・ヴフ』の中では、カバウィルはテペウ(天空の神)とグクマッツ(大地の神)による宇宙創造、ツァコル(建設者)とビトル(形成者)による世界と生命の創造、フナプとイシュバランケによるマヤ文明の建設等として現れる。カバウィルは現実の文化と社会の中にも存在し、その根本原理として働いている。カバウィルは西洋の弁証法に類似しているが、あくまで調和的関係に根差した思想である。
最初の現地フィールドワーク、文献調査の結果を分析し、総合して考察したのが、2000年に刊行した『マヤ文明 聖なる時間の書―現代マヤ・シャーマンとの対話』(現代書林)である。

モモステナンゴ

第II期(2001~2003年)マヤ神話『ポップ・ヴフ』の解読

拙著の出版後、次の課題となったのは、古代マヤ思想のより深い理解と解明である。そのためカバウィルの思想を体現したキチェー神話『ポップ・ヴフ』を歴史的に解読するという作業を行った。これは一外国人の手に余ることであったが、筆者はビクトリアーノの文化的解釈を指針とし、多くの文献資料を参照して理解をさらに深め、独自の見解を交えて、そこに象徴的に描かれたマヤ古代史の復元を試みた。筆者の考察の結果は『マヤ文明 新たなる真実―解読された古代神話『ポップ・ヴフ』』(講談社)として2003年に刊行された。

第III期(2004~2008年)

中だるみの期間である。この期間筆者はボリビア・アマゾン古代文明プロジェクトで忙殺され。マヤ地域には時折訪れる程度であった。

第IV期(2009~2016年)マヤ時間思想の研究

筆者のマヤ文化の研究はこれで一段落するが、すべてが終わったわけではない。その後に現れたのはより大きなテーマである。
現代マヤ文化の根幹を成すのはカレンダーとして表現された時間思想である。だがこの思想はマヤの歴史の中でいかに展開して来たのか。言い換えればマヤ時間思想はいかにして古代マヤ文明を成立させ、現代まで続くマヤ文化を形成して来たのか。こうした問題意識をもって、筆者はマヤ文化をより大きな歴史的視野で考察するという課題に取りかかった。
マヤ長期計算法は4アハウ8クムク、つまり紀元前3114年8月11日に始まる。これはマヤ世界創造の日として知られるが、神話的時間を表すものと見られている。しかしマヤのカレンダーが非常に長い歴史を持っていることは事実である。とりわけマヤ太陽暦とマヤ神聖暦は極めて古い起源を持ち、メキシコ南西部の遺跡、パソ・デ・ラ・アマーダでは紀元前1600年頃にはすでに使用されていた形跡がある。マヤのカレンダーとその時間思想はその後のマヤ文明の発展の推進力となった。そしてそれは数千年を経た現在でも、マヤ社会の中で重要な文化的機能を果たしている。
この研究目的のため、2008年以降、筆者は再び定期的にマヤ地域を訪れるようになった。このテーマは2010~2012年度にかけて、文部科学省の科研費プロジェクトになり、3年間の調査研究の後2012年度に終了した。グアテマラ、マヤ・キチェー地方だけではなく、メキシコ、チアパス州、サンクリストバル・デ・ラスカサス一帯、さらにはユカタン半島、メリダ地域にも滞在し、現代に残るマヤの伝統の全体を調査した。また日本、グアテマラ、及びアメリカにおいて、テーマに関する広範な文献調査を行った。

キリグア遺跡、長期計算法マヤ世界創造の日(紀元前3114年8月11日)

その後これまでのマヤ研究の集大成に取りかかり、数年の準備期間を経て、2016年に『マヤ文明―文化の根源としての時間思想と民族の歴史』(現代書館)を出版した。マヤ民族の文化と歴史をマヤの時間思想という視点から俯瞰して論じたものである。

参照

筆者のマヤ研究に関しては、前述の著作のほか、以下の論文、サイトを参照されたい。