宗教について
筆者の研究活動は「宗教」への関心が出発点であった。いや、正確には「宗教的なもの」と言うべきかもしれない。何故なら筆者が関心を持ったのは整備された近代宗教ではなく、文化の源泉となった自然宗教、スピリチュアリティであったからである。このテーマは人間存在の根幹に関わるもので、単純明快に語彙として表現するのが困難である。しかしそれでは説明ができないので、ここでは一般的な意味で「宗教」という表現を使用する。筆者は人生の始めに一人の人間としてこの課題を突きつけられ、一生を通してその解答を探し求めてきた。また後年、より学問的な視点から考察を加えようとした。そして最後に再び一人の人間として出発点に回帰しようとしている。このテーマに関して、以下に、これまでの筆者の関心と探究の軌跡をスケッチ風にたどってみたい。
筆者が宗教あるいは宗教と関連したテーマにはっきりとした関心を待つようになったのは20歳頃のことである。ただ当時はキリスト教やイスラーム、仏教あるいは神道といった既存宗教にはあまり関心がなく、どちらかと言えば宗教の神秘主義的側面、現代風に言えばスピリチュアリティに大きな関心があった。カルロス・カスタネダ、シャーマニズム、禅、ヨガや密教、チベット仏教、スピリチュアリズム、ユング心理学、ゲシュタルト心理学、神智学、ニューエイジ、ニューサイエンス、はてはUFOや超常現象まで本を読みあさったのもそのためである。この中で最も大きな影響を受けたのはカスタネダである。筆者はカスタネダのドン・ファン三部作、『ドン・ファンの教え』、『分離された現実』、『イクスランへの旅』を読んだが、アメリカ・インディアンのシャーマン、ドン・ファン・マトゥスが語るシャーマンの世界の精神性、その叡智にただ圧倒された。これは日本社会の中で窒息しかけていた筆者には天啓に等しいものであった。ドン・フアン三部作はこうして試行錯誤を繰り返していた一青年にとっての『聖書』となった。
カスタネダの影響もあり、筆者はその後アメリカに留学することになる。アメリカでの体験は言語的・文化的次元での、いわゆる異文化体験であったが、それはまたある意味で宗教的体験でもあった。何故なら筆者の精神がそこで作り変えられたからである。新しい言語で暮らすことは既存の精神に根本的な変化を強いる。シャーマンのトランスのことを意識の変換状態と呼ぶが、筆者の体験もまた疑いもなく意識の変換状態であった。強烈な体験であった。筆者は最初の数ヶ月で急速に日本語を忘れた。語彙だけではなく、日本語で考えることも。そしてその快復に長い時間を要することになる。筆者はやがて帰国し、再度日本語と日本社会に引き戻される。その後の十数年、筆者は英語と日本語の世界でバランスをとりながら、日常に埋没して生きる。この期間、宗教的なこと、スピリチュアルなこととは無縁であった。しかし折に触れて本を読み、何人かの印象的な作家、神秘思想家と出会った。コリン・ウィルソン、グルジエフ、ルドルフ・シュタイナーなどが記憶に残っている。なかでも霊的存在としての人間性を説くシュタイナーには大きな感銘を受けた。
1990年に筆者は大学に職を得て宗教を学問として研究する機会を持った。筆者はかつての自分自身に戻ってネイティブ・アメリカンの伝統と再会した。そしていろいろ模索するうちに、メキシコ、中米マヤ、さらには南米アンデスの先住民族文化に関心を持つようになった。その結果、90年代始めから四半世紀にわたって筆者はマヤ地域、アンデス地域またアマゾン地域の先住民族のシャーマニズム(宗教伝統)を調査研究することになる。これについては別項(過去の研究)で詳述したのでそちらを参照されたい。
同時にまた筆者は現代の新宗教現象にも関心を持った。1992年~1993年にかけて日本とアメリカの新宗教、カルトの比較研究を実施した。奇しくもその直後にアメリカのカルト、ブランチ・デヴィディアンの集団自爆事件、そして日本のオウム真理教の地下鉄サリン事件が起きることになる。また1995年~1996年にかけてグアテマラ共和国のマヤとカトリックのシンクレティズムの調査研究を行った。
世紀が変わり中南米における調査が一段落つきつつあった頃、筆者は次なる目標として中東地域を調査地に選んだ。筆者は以前から古代中東の宗教に関心があり、現代に伝わる古代の伝統の調査の準備を始めた。だが2001年9月11日に、アメリカでアルカイダによる同時発生テロ事件が起きた。そのためこの計画は中止せざるをえなかった。だがこれを契機としてイスラームへの関心が深まり、その教えと実践、またその思想を研究した。さらには2008年 ~2012年にかけて中南米諸国におけるイスラームの状況に関するフィールドワークを実施した。なかでもグアテマラのアフマディーヤ教団に関して調査を行った。
筆者は2013年に立教大学を定年退職するが、思うところがあって仏教(とりわけインド仏教)を学び始めた。またそこから日本仏教、神道を学ぶことになる。日本は神仏習合(神仏融合とも言うが)の文化である。古代神道が日本文化の源泉であるとすれば、仏教はそれを深化発展させた外来宗教である。仏教は神道(及びその他の伝統)と混じり合い土着化することによって、日本文化の骨格となった。
日本人にとって宗教とは何なのか?現代世界において宗教はどうなっているのか?筆者はまず日本文化における宗教の役割を考えさせられることになった。さらにはまた現代において宗教と呼ばれるものの状況を考えないわけにはゆかなかった。これらの問いかけは2010年代後半に開催された二つの宗教に関するシンポジウムとして現実化する。
『日本人のスピリチュアリティ―キリスト教、仏教、イスラームからみた日本文化』 2014年6月14日開催シンポジウム
日本人のスピリチュアリティ : 仏教、キリスト教、イスラームからみた日本文化 (<特集>日本人のスピリチュアリティ)
『宗教の再創造―人間の精神性の根源を考える』 2017年11月25日開催シンポジウム
公開シンポジウム「宗教の再創造—人間の精神性の根源を考える」
立大で公開シンポ「宗教の再創造」 宗教の本質と役割を多角的に考察 2017年12月25日
最後に、筆者は2018年4月から5年間にわたり現代研究会を主宰した。(これについては別項を参照されたい。)この研究会における最大のテーマは宗教であった。そして2023年2月にその総決算として 『現代宗教論―歴史の曲がり角におけるスピリチュアリティ』三恵社 を出版した。
以上が宗教の研究に関するこれまでの筆者の軌跡のあらましである。筆者がこのテーマをいかなる問題意識を持って探究してきたのかを理解されると思う。
参考
日本とアメリカの新宗教現象.南雲堂『見つめあう日本とアメリカ』所収.1995年3月.pp.97-120. 「日本人のスピリチュアリティ―仏教、キリスト教、イスラームからみた日本文化」 論文解題.「立教大学異文化コミュニケーション学部紀要」第7号.2015年3月.pp.153-163.
日本人のスピリチュアリティ : 仏教、キリスト教、イスラームからみた日本文化 (<特集>日本人のスピリチュアリティ)
カルロス・カスタネダ「ドン・ファン三部作」.私の一冊.「国際行動学研究」第10巻 2015年 10月.pp.137-148. 日本の新宗教(戦後編).2020年度現代研究会前期発表3.2020年 6月6日.
日本の新宗教(戦後編)2020年度現代研究会前期発表3 2020年6月6日.
「宗教的なもの―個人的体験と私の宗教論」現代研究会 実松克義編『現代宗教論―歴史の曲がり角におけるスピリチュアリティ』 第1章 pp.9-46.
宗教的なもの―個人的体験と私の宗教論.2021年度現代研究会前期発表1. 2021年 4月 17日.
2021年度前期発表1 宗教的なもの―個人的体験と私の宗教論―
シャーマニズム再考―「古きものども」の現在.2021年度後期現代研究会発表3 .2021年9月4日.
2021年度後期現代研究会発表3 シャーマニズム再考―「古きものども」の現在―
アメリカのカルトとニューエイジ運動―戦後アメリカ精神史.2021年度後期現代研究会特別発表.2021年11月 6日.
2021年度後期現代研究会特別発表 アメリカのカルトとニューエイジ運動―戦後アメリカ精神史―
「存在としての宗教―シャーマニズムはいかにして日常となるか」現代研究会 実松克義編『現代宗教論―歴史の曲がり角におけるスピリチュアリティ』 第13章 pp.365-400.