Ⅱ-3.調和の思想

日本は幸福な例外とも言えるが、我々の住む21世紀は不幸に満ちた時代である。近年における中東の内戦と狂気、日常化したテロリズム、極東の独裁・恐怖政治、人権の略奪、アフリカの貧困と悲惨、中南米の暴力と犯罪はその象徴である。こうした現実の背後には無数の不均衡が存在している。こうした時代には調和の実現こそが最も切実な課題であろうと思われる。だが悲しいかな、不思議なことに、ここ数十年を通して調和の実現が本気で議論されたことはなかった。代わりに人々は、現実的レベルでの対応、対症療法による暫定的解決で満足してきたようだ。何故そうなのかはよくわからない。理想社会を目指した共産主義の破綻への失望なのか、それとも現状に対して何もできない無力感から来るあきらめなのか。だがこのような時だからこそ、調和とは何か、いかにして実現されうるのかを考察し、実現へと模索することが必要なのでないのか。

筆者マヤ研究の必然的結論として、マヤの調和の思想であるカバウィルを知った。カバウィルは優れたマヤ的弁証法であり、古代マヤ人はそれを基に理想社会を築こうとした。マヤ的理想社会は最後には破綻するが、しかしカバウィルそのものは深化された教訓と共に現代までマヤ社会に受持されている。ところで、調和に関して言えば、日本にも類似の思想が存在する。いわゆる「和」の思想である。聖徳太子『十七条憲法』第一条にある「和」の理念、「以和為貴」は遠く縄文時代に起源を持つと思われるが、日本の社会と文化を発展させる強力な社会規範、行動倫理となった。われわれの住む現代日本は、よい意味でも悪い意味でも、「和」の世界なのである。

調和の思想はその他の世界の文化圏にも存在する(あるいは存在した)。ヨーロッパにおいても、インドにおいても、古代中国においても、古代ギリシャにおいても。またその基本理念は世界中の先住民族文化に存在する。

この研究において、世界の主要な調和の思想を取り上げて比較考察を行い、また調和の視点から人間の歴史を俯瞰したい。その上で調和の成り立ちに関して、自然科学、社会科学、人文科学の成果を引用しながら解明し、最後にその実現はいかにしてなしうるのかを検討したいと思う。

調和の思想に関しての筆者の研究については以下の論文を参照されたい。

参照