東南アジアにおける民衆主体による持続可能な社会づくりの実践は、これまでのさまざまな経験が蓄積されつつある。開発課題の当事者である住民が、参加型の学習プロセスを通して社会参加を実現することで、自らの課題を解決に結びつけている実践例である。
本研究会では、アジア各地での参加型開発の取り組みとその理論や技術(スキル)を、日本の地域の文脈で活用する可能性を議論したい。日本のESD実践者による持続可能な開発の実現への取り組みに、どのように活かされうるのか、ということが大きなテーマである。そして、持続可能な社会像とは具体的にどのようなものであるのか、またその実現のプロセスはどうあるべきなのかということを共に考えたい。
1.自己紹介
ジョ・ハン:前日に池袋に到着し、多くの野宿者を目にした。貧困は東南アジアだけの問題ではない。マレーシアでは、日本と言えばお金持ちの国であり、そこに野宿者がいるという話を信じてもらうことは難しいだろう。日本と東南アジアの共通する課題を見出し、相互に学び合うことができると考えている。
2.アクティビティ:力をあわせるということ
誰か一人に椅子に座ってもらい、椅子ごとその人を、皆で持ち上げてみる。一人、二人では持ち上げることができないが、四人で力をあわせると、楽々持ち上げることができた。
ジョ・ハン:これが力を合わせるということである。お互い知らない者同士なのに、想像以上の結果になった。このように、東南アジアの人々は協力して問題解決をはかろうとしている。
3.ビデオ「Grassroots Voices(民衆の声)」上映
ビデオの内容
さまざまな環境の中で自分たちの力で困難を克服している住民の5つの事例の紹介。
【インドネシア・マルク諸島】
1999年初頭、マルク諸島内で激しい内戦が勃発し、何千もの命が失われた。多くの人は、この紛争がイスラム教徒とキリスト教徒との宗教戦争であると信じていたが、選挙で敗北した軍部が新たな政権を揺さぶろうと、この紛争を仕掛けたという主張もある。
住民組織であるネン・マス・イル・ファウンデーションは、紛争が起きた直後、被害者のための難民救済所、食料、衣服、薬などの配給に乗り出した。彼らは、マルクの中での争いはマルクの人々自身が解決していかなければならないと考えていたため、キリスト教徒とイスラム教徒のグループが互いによく話し合えるようにと働きかけた。例えば、それぞれのグループが相手の地域を訪ねたり、一緒に釣りや畑仕事をしたり、若者たちのスポーツ大会を企画・開催した。これらの活動によって、人々が互いに会う機会が増えると共に、共通の話題もでき、意見交換が出来るようになった。その中で彼らは次第に、心から謝罪の気持ちを伝え合うようになっていった。
紛争が激しくなり、最悪の事態を迎えたとき、この地域で伝統的に尊敬されている王が、人々に彼らの共通文化の歴史を思い出させようと、人々に古くから伝えられている教え「ケン・サファ」を説き、イスラム教徒とキリスト教徒のそれぞれの代表者や幹部リーダーの人々に参加を呼びかけて“和解の儀式”を行った。2つのコミュニティーの間で争いが二度と起きないように約束を交わし、平和が確立される証に黄色いココナッツの葉を使い“サシ”という儀式を行った。それ以来、マルクのケイ諸島から紛争がなくなった。
この成功は、人々の中に根強く残っていた伝統的な慣習法と、地元NGOの戦略の組み合わせによって、もたらされた。紛争が解決に至った3つの重要な要素がある。1つ目は、人々が平和を強く願っていたこと。2つ目には、和解に向う過程に、人々が直接参加してきたこと。そして3つ目は、マルク諸島に残る慣習法の伝統を人々が強く尊敬していたことだ。
【カンボジア】
1970年半ば、ポル・ポト政権下でたくさんの女性たちが、父親、夫、兄弟、息子たちを失い、自力で収入を得て、家族を養わなければならなくなった。
UPWDは、プノンペン市とその周辺で都市貧困女性の生活向上のために働きかけをしている地元のNGOである。重要な戦略として、住居強制立ち退き問題、経済面での改善、生活に必要な基本的施設の建設事業を利用して、女性たちの自信と、能力向上に努めている。UPWDは、トレーニングを受けた女性たちなら、問題を積極的に解決していけると確信している。ほとんどの女性たちは読み書きが得意ではないため、UPWDは、写真や絵を使用したり、ゲームなどを取り入れて、参加型のグループ討議やワークショップを行っている。
たとえばUPWDが活動している村のひとつである近郊のトメイ村は、スクウォッター(不法占拠人)地域であり道路やトイレ、下水道、そして飲み水などの基本的な設備が整っていないため、健康や経済面など生活の様々な面に悪影響を及ぼしている。問題が持ち上がってきたとき、村の女性たちはその地域にいるすべての女性と男性を集め、問題に関しての提案、請願書などの書類作成、会議の準備、会議の進行役などすべての仕事を分担して話し合いをした。その後地元政府機関に出向く日を決めて、政府の役人に会う前に、どのように話し合いを進めるかなども練習し、話し合いに向かう。問題が解決に至るまで繰り返される。
行政機関の人のほとんどが男性なので、女性を、最低限の教育しか受けていない力のない人と見ているため、訴えを真剣に聞こうとしない。役所が要求を拒絶すると、女性たちは地域の人々全員にそれを伝え、より多くの人を集めて、政府への交渉を続ける。彼女たちはこうして、自分たちで道路建設の要求の実現を達成した。この事業終了後、政府の代表者、基金提供団体、他の地域の人々が招かれて、祝賀会が行われた。これは道路問題を通して、他にもたくさんの問題があることを地元政府の役人たちに訴える戦略の一部だった。
トメイ村女性リーダーの一人は、地元議会の議員に当選した。彼女は、これまで女性たちは行政に参加することをいつも怖がっていたが、女性は男性よりも地域の活動にたくさん参加しているのに、なぜ、政治に参加することを恐れなければならないのか、ということに気づいたという。
【タイ・チェンマイ】
クワイ運河の川沿いに住むアカ族のコミュニティーの生活は、“ナイトバザール”に出している小さな店の収入に支えられている。ある日、彼らは地元の芸術局から立ち退きを突然言い渡された。このコミュニティーの居住地、運河周辺は文化遺産の敷地だったためである。
参加型住民協会POPは、都市貧困者の問題解決を支援している団体である。彼らは写真やビデオなどを活用したグループ討議を通じて、人々の意識を高めようとしている。また、地域住民の一体感を育むため、運河の水路の清掃や住民共同による信用・貸付制度事業の確立といった活動を行っている。POPは、人々が自分たちの問題を自分たち自身で解決していくことが大切で、NGOは人々に考える機会を与え、一緒に仕事をしていくだけの外から来たサポート役に過ぎないと考えている。
立ち退き問題の話し合いを行った結果、3組の家族が運河沿いの堤防の上から、堤防の下へ移動するという結論に達した。また、芸術局との話し合いの中で、彼らの抱える問題や、その問題を解決するために、土地共用計画書を提案した。その結果、土地に残ることができたと同時に、運河とその周辺の環境整備が行われることになった。
現在、POPは運河周辺に住む17のグループからなる「チェンマイ都市貧民層ネットワーク」と一緒に、ゴミ収集、住宅、貸付計画、そして地域住民のための浄水工場建設といった事業に取り掛かろうとしている。また、国内の4箇所の地域に住むスラム住民が協力してネットワークが結ばれ、“スラム法”の制定を訴えた。5万人分もの署名を集め、陳情書をつけて、議会に提示した。
【フィリピン・コーディレラ】
コーディレラ山麓の高原は、先住民イゴロットの保護区である。1998年、フィリピン政府がここにサン・ロケ多目的ダムの建設を決めたことで、突然彼らの居住が脅かされた。ダム建設資金は日本からの資金だった。
コーディレラ住民同盟CPAは、住民と一緒にこの破壊的なプロジェクトの反対キャンペーンに乗り出した。また影響を受ける地域の住民に対し、問題解決に必要な知識を高めるための支援もしてきた。住民が公共の場で話をしたり、広い範囲での関係性をもっと理解できるよう問題分析をしたり、報道機関から聞かれるであろう質問に答えられるように、トレーニングを行っている。それにより、彼らは自分たちで準備し、自信をもって話すことが出来るようになる。
活動の結果、地元政府はプロジェクトの承認を取り消した。評議委員会は人々からの要求を受け入れた。日本の国際協力銀行は貸付を延期し、ダム建設によってそれが人々の生活にどのような影響を及ぼすかという調査を始めた。
文化もまた、人と人の結びつきを強めるための重要な役割を果たす。先住民族は、彼らの豊かな文化に誇りを持っている。権利を守るための活動に、自分たちの文化を利用することは有効な方法である。しかし現在、特に若い人々の中では、西洋からの影響をたくさん受けているため、若者向けに文化の復活を意識したプログラムの実施に力を入れている。
【マレーシア】
ここ20年間、マレーシアの経済は著しく伸び、人々の所得も向上している。しかし1990年代終わり、経済危機が東南アジアを襲った際、マハティール首相は一般市民に対して抑圧的な政策を取るようになった。一般に、公共の場で声を出す社会運動に参加することをマレーシア国民は、とても恐れている。人権に関する小さな会合を開くことでさえも、大変難しい。人権尊重を訴えるNGOスワランの活動は、そんな国民たちに、彼らの生活に直接かかわる人権について、伝えようとしている。マレーシアのように、いろいろな民族が存在し、また、さまざまな宗教を信仰する人々がいる社会での人権啓発は、まったく違う言語や文化のことも考慮しなければならず、たくさんの難しい問題に直面する。人権活動が、人々の生活に関わりがあるということを、人々にどのように伝えていくかは重要で、スアランはロールプレイを使って実際の生活で起こりうる人権侵害がどのようなものかを、具体的に見せている。スワランは、芸術を通して、人々に情報を伝えることを目的に、舞台で活躍するグループとも一緒に活動をしている。多くの人々は人権問題についてあまり理解していないし、また、人権について語ることにさえ疑問を持っている。人権についてもっと多くの人々が関心を持つような工夫が必要だと考えるためだ。
4.まとめ
上記の事例紹介をふまえ、各活動を見てみると、それぞれ異なる戦略が使われていることがわかる。問題解決へのアプローチは、その時々の状況によって異なる。人々が困難に直面し、時に権力者などから嫌がらせや危険な目に合う可能性があるにもかかわらず、力強く活動している姿は印象深い。
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