タイ・チェンマイのピン川保全協力協会と霞ケ浦の再生事業を行うアサザ基金は、タイと日本という地理的には離れた場所だが、川の流域や湖の周囲をひとつのエリアとみなし、環境保全のみならず文化、地域づくり、環境教育のカリキュラム開発など統合的な取り組みを行うという点でその目的を共有している。本シンポジウムでは、それぞれの取り組みについて紹介いただきつつ、共通するESDの視点の検討を行うことを目的としている。
1.シンポジウムの開催経緯(田中治彦氏)
北タイ・チェンマイにあるピン川保全協力協会は、環境保護および環境教育を行うNGOであり、過去5年にわたり、環境教育のカリキュラム開発に取り組んできた。このカリキュラムは、北タイの各県でモデルカリキュラムとして広がりを見せている。
過去3年間、チェンマイでセミナー(開発教育協会主催)を開催し、カリキュラムの交流を行ってきた。4年目の今年(2007年)は、9名のメンバーを招聘し、環境教育の実態、アサザ基金や小学校の環境教育の見学、多摩川のせせらぎ館などを見学し、立教大学でも授業において講演をいただいた。
2.北タイ環境教育カリキュラム「私たちのピン川」
(1)ピン川保全協力協会の活動紹介
ワサン・チョムパクディ氏(ピン川保全協力協会理事長、チェンマイ大学教授)
タイでは、川のことを母親のようなものだと考えている。人体の90%は水で出来ているということからも、水の重要性は理解できる。タイには雨季と乾季があり、3ヶ月しか雨が降らないので、水は非常に貴重である。持続可能な幸福は、開発だけではダメで、生活や産業など必要不可欠な水の再生が重要であり、それを若い世代の人々に伝えていくこと、子どもたちから理解を始めてもらい、それを全員に広げてもらうこと、水に対する感謝、水のサイクルへの理解を深め、物質としての水だけでなく、水の全体像を理解してもらうことなどが大切である。ピン川は、北タイでもっとも長い川で、北タイの山に源流があり、中央の平原(バンコク)を通り、海にそそぐ。流域面積は約3万平方キロメートル、全長740キロメートルのピン川には多くの支流がある。60年前のピン川は、清らかで水質もよく、自然環境が残っており、住民のライフラインとして機能していた。4月の新年のお祭りでは、川の水をかけあい祝うという習慣がある。水車を用いた灌漑を行っており、年間を通して豊かな水をたたえていたのは、周囲の森林が健全だったからである。
ピン川は人々の足でもあり、船で1ヶ月かけてバンコクまで下っていた。人々の生活様式は、川と水によるところが大きかった。洪水もあったが、大雨が降ったあと3~5日後に洪水になったので、避難する時間的な余裕があった。現在のピン川は、過去と比べて病いに伏せる母の姿であり、森林伐採などの影響や、堆積物が川に溜まる問題、浚渫の問題、川岸を不法侵入し居住地にしてしまうため川幅が狭くなるという問題などがある。93年にCCPE(Committee for the Protection of the Ping River Basin and Environment:ピン川保全協力協会)という組織をまず作り、環境保護の協力委員会を立ち上げた。ボランティア、学者、教師、学生、僧侶などから成り、保全、保護、水辺再生を活動目的とした。知識を醸成して水の管理をきちんと行い、セミナー開催、環境保全のためのキャンペーン、さまざまな分野の関係者との協力などを行ってきた。CCPEは、政府関係者、NGO関係者、自治体などとの会議を行っている。特に、問題解決のためには次代を担う若い世代が重要だということから若者に焦点をあてており、そのためメンバーのほとんどが教師である。
<ビデオ上映>
タイの問題について:森林伐採の結果起こった洪水により、小さな山の近くの町が浸水している様子。突発的に洪水が起こり、土砂崩れも頻繁になっている。(過去10年間。今では毎年のように起こる。)水管理がきちんと出来なくなった結果であり、これまでになかった国家規模の問題である。
(2)ピン川カリキュラムについて
サワット氏(チェンマイ県ユパラットカレッジ教師)
ピン川の中学校、高校向けのカリキュラムでは、8つの教科に基づいた領域-国語(タイ語)、理加、保健体育、職業、外国語(英語、中国語、ドイツ語、フランス語)、社会、数学、技術すべてにピン川を軸としたテーマが組み込まれている。
例えば、水質の問題がある。下流の水は汚く、上流はきれいだということは、その間に汚れる原因があるということで調査をする。微生物や生物学的な指標を用いて何が問題かを調べ、問題がわかったら、関係者に対して説明会を行い、問題提起を行っている。多くの人に働きかけることで、参加してくれた人が、積極的に活動に加わってくれるという循環を生み出している。時間軸(タイムライン)をテーマにした活動では、現在、過去、未来のピン川をそれぞれ検証し、未来に向けて活動していく。タイの人々は信仰心が篤く、あらゆる活動は地域の人との協力関係の中で行われるため、寺院に協力要請なども行う。
ピン川には大きなダムが建設されており、これにより、堆積物、沈殿の問題、ひいては洪水の問題が発生している。学生たちは、ペットボトルに入った水を飲むことに慣れ、水質に関して意識があまり高くない。そのため、まずは川の流域の土地の使われ方を地図におとす活動を行なったり、水辺の生き物をつかまえて生息状況を調べ、ハンドブック(テキスト)と照合するなどしている。ある特定の生き物(トンボの幼虫)がいる場合、高い酸素の含有率を必要とする生き物なので、それらが生息しているということは水質がよいことをあらわしている。生徒たちは自分で感じたり、身体を使って学ぶことを楽しんでいる。日本では、総合学習で環境教育を行っているが、タイの場合には、各教科の中で学ぶというクロスカリキュラムの形をとっている。
3.霞ヶ浦・アサザプロジェクトの紹介
飯島博氏(NPO法人アサザ基金)
【アサザプロジェクト】
霞ヶ浦の流域は日本で2番目に広く、約2200平方キロメートルあり、複数の湖を含めて霞ヶ浦と呼んでいる。それぞれの取り組みが自己完結せず循環する仕組みになっている。交通、水質保全、生物多様性保全、観光、漁業、地場産業、農業、環境教育、公共事業、林業などが総合に関連しあっている。代表的な事業は、国と協働で行う霞ヶ浦の再生事業である。水源地の再生は、企業や地場産業と協働で行っている。新しいモノと金の流れで湖に自然を再生するというビジネスモデルの展開と位置づけている。逆水門の柔軟運用、水位運用など開発事業の見直しを求めている。もう一つの大きな事業は、子どもたちの感性を生かしたまちづくりで、流域全体を使った総合学習である。霞ケ浦周辺には100年前の日本近代化に伴う有名な公害事件、足尾鉱毒事件の被害を受けた地域がある。公害をきっかけに日本で最初の環境保護運動がおこり、そのリーダーが田中正造であった。霞ケ浦は28の市町村、3県にまたがり、縦割り化した状況下で、霞ヶ浦の環境は非常に悪化した。1970年代には、水資源開発による環境破壊があり、死の湖と言われ、皆があきらめかけていた。
私は1990年代に湖を歩いて調査した。1周250キロを、4周して調べた時、アサザという水草を出会った。アサザの群落があると、波を弱めてくれ、葭原にあたるのを防いでくれる。そこで、アサザの種を集め、流域に配ることを始めた。何千人、数年後には何万人規模の取り組みとなった。種を家や学校で育て、育てたアサザを湖に植えに来てもらう。波が弱まれば自然が回復するのではないか、という仮説をたて、それが皆の共感を呼んだ。アサザを育てた子どもたちが、湖に入って植えたいと言い出し、「良い子はここで遊ばない」という看板の横で湖に入って植えたりした。子どもたちの刺激を受け、漁師、PTAの協力が得られるようになり、今では延べ14万人の人たちが参加するプロジェクトになった。霞ヶ浦の環境問題は、社会問題を反映しているといえる。何よりも総合化が困難な状況を示している。
【自然環境、人、社会のネットワークを取り戻す】
霞ヶ浦の水質汚染、生態系の悪化などの環境問題に対して改善の見通しが示されない背景には、湖全体を視野に入れた取り組みを実現できない行政、組織の縦割り化、湖全体を捉える研究が実現できない研究機関、大学、学問の専門分化などがあると考えている。アサザプロジェクトは、自然環境のネットワークを取り戻すと同時に、人や社会のネットワークを取り戻すことを目指している。総合化は「する」ものではなく、「起きる」もので、場の創出が必要であり、そのためのネットワークということができる。その特色は、中心に組織の無いネットワーク、つまり今まで中心にあった行政が、ネットワークの一員として参加していることであり、組織は具体的な事業を通して結びついている。ピラミッド型社会の中の市民参加から、ネットワーク型社会の中に行政が参加するという形を作っていきたいと考えている。従来の縦割りの組織を壊すのではなく溶かす、壁ではなく膜を溶かし、ピラミッド型からネットワーク型へ価値創造をしていくという発想である。これは、100年計画である。霞ヶ浦は悪化しているが、10年ごとに指標をたてて、100年後には絶滅してしまったトキが普通に見られる環境を作っていきたい。トキなどの生き物は、これからの私たちの社会システムの指標を表す生き物だと考えている。
総合学習、環境学習との連携では、毎年1万人を超える小中学生が参加し、夢を共有している。子どもと大人の互いの持ち味を活かす、つまり子どもの感性と大人の知識である。170を超える小学校が参加しており、まんべんなく流域を覆っている。日本の小学校は、半径が1.5から2キロくらいに学区が設定されており、子どもが歩いて通うことを前提としている。つまり子どもの日常空間と言える。こうした小学校の持つ特質に着目し、地域コミュニティのネットワークを作り、地域全体を覆い、連続した空間を作ることで、様々な生き物が戻ってくるのだと考えている。カエル、トキ、渡り鳥などの生き物の生息空間の広がり、移動の広がりにあわせた学習展開を行っている。他には、企業の先端的な技術開発を共同で行っている。NECと協働でネットワークセンターを開発し、地域コミュニティ機能を生かした宇宙開発事業を研究共同企画で、子ども参加の企画として行っている。生活知(経験知)、科学知の協働の場である。
【子どもと大人の協働による自然再生事業】
子どもと大人の協働で行う国の自然再生事業、これは公共事業である。自然が失われた湖にどのようにして自然を取り戻すのか?昔の景観が完全に失われてしまった湖。自然再生に必要な過去の記録がない。そこで子どもたちがお年寄りから昔の湖岸の様子を聞き取るという事業が、湖の自然再生事業と福祉事業をからめて、私たちのアイディアで実現した。お年寄りと一緒に絵を描いてもらうといろいろな生物が生息していたことがわかり、たくさんの情報が得られた。このデータをもとに自然再生の計画をたてていった。湖の再生を行う公共事業が、子どもとお年寄りの出会いの場となりました。公共事業に参加したからこそ実現した事業である。お年寄りのデータをもとに、ミニ霞ヶ浦を校庭に作る。すなわち学校ビオトープである。子どもたちが生き物の暮らしを設計し、霞ヶ浦にもともと生えていた植物を植える。そこで増やした水草を湖に植える。こうした学校ビオトープのネットワーク(100以上の学校)をさらに作り、ここから次の展開が生まれてくる。それぞれのビオトープでどんな生き物が生まれてくるかを情報交換し、それらの生き物たちがどこからどうやってきたのか、という素朴な疑問に答える形で学習を進める。学校から半径500メートル=カエルがやってくる範囲と想定している。小さなトンボも1.5キロから2キロの半径から集まってくる。子どもたちの徒歩で活動している範囲、つまり学区範囲である。大型のトンボは、市町村単位、半径約4キロ。複数の小学校で生息を共有している。トキは、霞ヶ浦の流域でネットワークを作ると、トキの生息がわかる。大型の渡り鳥は、関東地域の学校のネットワークで生息空間を共有できる。東アジア、タイなどともネットワークを作ることができる。
実際に生き物の道を、学校の外に出て探す。カエルの生息の場所を見つけ調べて地図を作る。水田地帯や市街地なども調べる。生き物たちの道がだんだんわかってきて、学習が進むと、生き物たちの道が荒れてしまっている状況を知る。その荒れてしまった場所を元に戻せば、湖から川を通って学校の近くまでいろいろな生き物が来ることができるのではないかと考える。荒れた場所を具体的にどんなふうに再生したらいいか。昔田んぼやため池があったことを調べ、それらを復元していくための細かな計画をたてる。そして計画を実際具体化するためには、どういう手続きが必要かということを市役所から担当職員をゲストティーチャーとして呼ぶ。自分たちの計画を他の学年や地域の人に説明して、了承を得、そして様々な人たちの意見やアドバイスをもらい、より具体的な計画をたてていく。この学校の子どもたちは4年生だが、学期末に市長への提案会を開いた。その場で市長に役所の事業として採用するということを言ってもらい、非常に喜んだ。市の事業として採用されたので、子どもたち自身で測量をしたり、書類作成を行い、困難な経験がありながらもみんなで話し合って乗り越えた。コンクリートの水路を壊して池や田んぼに生き物が自由に出入りできる道を作りたい、ということの許可を得る手続きが大変だったがこれも実現した。田んぼも湧き水を使い、田植えを行い、完全無農薬のおコメを作っている。再生された場所は、さまざまな生き物が生息している。調査は下の学年の子どもたちが引き継いで実施している。地域ぐるみで子どもたちを育てる体制が、まちづくりを実現させたのである。流域の複数の地域で同様の取り組みがなされている。
【森の再生事業】
霞ヶ浦に流れ込む川と湖、水源地から湖までを網羅した範囲で、休耕田、水源地の田んぼなどの自然再生、森の保全、すべてが連携して動いている。水源地谷津田の再生が、NECとの協働で実現し、これまで3000人以上の社員が参加して、地域住民と一緒に稲刈りをしている。都市住民と農村地域の人たちの交流の場にもなっている。採れたコメを使ったお酒の地元ブランドも作っている。今年で4年目になり、地場産業育成の視点も育っている。同じような取り組みを三井物産環境基金や損保ジャパン環境財団CSOラーニングとも行っており、湖の中の植生の再生事業も提案している。木の枝を沖のほうに埋めて、植生を再生させている。江戸時代に作られた古い農業技術書があり、それを参考にしている。国土交通省と漁業組合、NPOとの協働で水草を植え、葭原の再生をし、荒れ放題の森林に管理の手を入れ、資材を公共事業の資材として活用するという提案をした。里山の自然がよみがえり、オオタカやふくろうが戻ってきた。湖では外来魚が増加している。これを循環型事業の中で解決していこうとしており、毎年2つの漁協から100トンの外来魚を買い取り、粉にして流域の農業で肥料として使ってもらい、農産物を生産してもらう。
【CO2削減への取り組み】
CO2の削減の取り組みも、独自のアイディアで取り組んでいる。牛久バイオマスタウン構想で、農水省の指定を受け、CO2の削減を通して、地域のさまざまな問題を同時に解決していこうとしている。環境教育を通して、地域のさまざまな問題を総合化していこう、温暖化の問題や生態系保全の問題、地域コミュニティの再生、福祉の問題を総合化して、地域の政策を実現させていこうという中で、子どもたちの学習が原動力になっているところが特色である。秋田県で八郎潟では、アサザプロジェクトをモデルにした事業を行っている。たくさんの子どもたちが毎年プロジェクトに参加して、これからの未来の霞ヶ浦を作ろうとしている。これらがどのような変化を社会に及ぼしてくれるか、活動の成果を多くの研究者にきちんと評価をしていただきたいと考えている。
4.コメント(阿部治氏)
タイに初めて行ったとき見た新聞に、死神が鉞を持って木を切っている絵を見た。今日のお話は、そのことがますます大変になっているということを実感した。毎年のように日本でも洪水災害が起きている。世界的には70年代から90年代にかけて、洪水の数は約7倍に増えた。伐採だけでなく、気候変動、温暖化の影響があるのだろう。
まず、ESDと環境教育がどう違うのか?ということだが、従来の環境教育は、環境問題だけに焦点をあてるものだった。80年代に地球環境問題が顕在化していく中、開発、貧困、人権、ジェンダーなどいろいろなものと関係しあっているということが見えてきた。環境問題を解決していくためには、低開発、経済などの問題を総合的に見ていかなければならないということが国際的に認識されてきた。従来の自然体験をベースにした環境教育、ライフスタイルをベースにした環境教育、地球全体を視野に入れた環境教育、自然系、生活系、地球系の大きく3つの流れがあり、それぞれ別個に行われてきた。開発教育、国際理解教育、平和教育などは、自然系の環境教育には関与しない、ということが相互にあったが90年代に入ってくると、相互の歩み寄りが見え始めた。同じ根っこを持つ問題という認識が生まれ、これを総合系としての環境教育、つまりESDだと考えている。持続可能な開発は1980年代に提起された概念で、環境、経済、社会のバランスをとっていく生き方、社会のあり方を示している。ESDは環境保全だけではなく、経済、生活の問題、同時に社会的公正の問題をトータルに見ていく活動がESDであり、広い意味での環境教育であると考える。今日出された問題提起は、ピン川の事例においても、アサザの事例においても、従来の狭い環境問題だけをテーマにしたものではなく、地域の活性化やさまざまなセクターをつないでいくという広い意味での環境教育になっている。特にアサザの事例ではそれが顕著である。環境保全、経済の活性化、地域の活性化、市民型公共事業、そうすることによって、放棄された荒れた里山が復活していく、そうした里山を手入れすることで雇用が生まれていく。あるいは外来魚も経済活性化につながり、環境保全につながっていく。社会の問題としてみたときに、過去、現在をつないでいくという意味で世代間の交流、さまざまな地域間をつなぐ人々の交流、日本と世界をつなぐ、そういった社会的な役割がある。ピン川の場合には、河川の管理が非常に重要な課題になっている。日本の場合も河川管理は非常に大きな課題である。従来、治水、利水の管理のため、流域においてはコミュニティが存在していた。農業用水の利用は地域ごとの決まりごとだったのである。滋賀県の近江八幡市などでは、お祭りを通して水の管理をしていたユニークな歴史がある。しかし、戦後、このような仕組みが壊れ、今日、水の利用に対する畏敬の念、水を大事にするという考え方が、日本人から薄れてしまった。
日本では水を買って飲むことが普通になってしまった。日本で最初にペットボトル水が販売されたのは1985年で、六甲の水であった。当時は、ガソリンよりも高い水が売れるはずがないと言われたが、その後、水を買って飲むことが普通になってしまった。そして日本の河川はどんどん悪化していった。河川管理への住民参加が、タイと同様重要なことである。アサザプロジェクトでは、水系としても重要な霞ケ浦の再生というものに子どもたちが関わっていく、これはとてもチャレンジングなことで、住民主体の新たな管理の形が目指されている。
今日環境教育、ESDの重要な手法として注目されているのが、地元学というものである。これは熊本県水俣市から始まった運動だが、水俣は川がたくさんあり、水がおいしい場所である。そういう場所で水俣病が起きた。そのときに、水俣病によって崩壊したまちを再生していくために、健康、環境、福祉のまちづくりというのが環境教育を軸に始まった。水俣を流れている川を書き出していくことで、現状を知ることから始めた。支流があればあるほど川は健全であるが、日本の多くの川は支流がなくなり、川が直線化している。自分たちが飲んでいる水が来る川の流域を知っていくことは非常に大事なことだと思う。飯島さんが霞ヶ浦流域を歩いていく中でさまざまなことに気づいた、特にアサザの意味に気づいた、ということは、まさに地元学である。
次に、ローカルとグローバルという視点である。ピン川の問題も霞ヶ浦の問題もローカルな問題であり、そこからグローバルな問題につなげていこうとしている。洪水の問題は、木を切ってしまった結果でもあるが、同時に気候変動が影響していることは間違いない。ローカルな話からグローバルな話にどうつなげていくか、ということが非常に大きな課題だと思う。生活知と科学知の協働という話が出たが、かつては生活に根ざした総合知といものがあった、いわゆる生活の知恵だが、そういったものを近代化の中で捨て去ってきた。総合知の価値は、色あせることはない。ローカルナレッジを活用していくことが大切である。
政治的な問題も重要で、ブルントラント委員会報告のSDの4つの視点にも入れられている。民主主義の問題である。タイの事例でもアサザの事例でも、子どもたちを含めた市民が主体的にプロジェクトに関わる、社会参加というものが非常に大きなテーマになっている。社会参加は、政治の問題、民主主義の問題であり、環境と経済と社会と政治・民主主義の問題をバランスをとって考えていくことが大事である。参加型学習というのは、まさに自分自身が一人の当事者として、責任をもって考えていくということであろう。
【会場からの質問をふまえて講師よりひとこと】
ワサン氏
ピン川の話から始めると、バンコクは大きな都市で、廃棄物もたまりやすい川の状況で水路も汚れている。協会の活動を、地域からタイ全国に広がることを期待している。タイ国内では、同様の活動をしている他地域の団体ともネットワークを持っているので、それを活用していく必要性を感じている。持続可能な環境教育は、すべての人の義務だと思っている。特定の科目だけで責任を負うというのではなく、すべてに関わる。毎日の生活の中で、実践していくべきだと思っている。世界であらゆる人がこのようなことに責任を持ち、自分の問題として取り組んでいく必要があると思っている。
飯島氏
アサザプロジェクトの課題としては、NPOの人材育成に時間と活動資金がかかるということである。日本のNPOは資金力がない。アサザ基金のスタッフは10人で、それでも日本のNPOとしては大きい方だと思う。まだまだプロジェクトに見合っただけの人材は得られていないのが現状である。課題や問題に対しては、独自のアイディアでプロジェクトを展開する、今までのやり方とは違う、自分たちで考えた、地域にあったプロジェクトの設計をしていることでうまく対応している。プロジェクトに参加している農家や企業、地域の人たちが、それぞれの得るもの、得するものがあるということである。これも大変重要なことである。環境の取り組みをしながら同時に地域を活性化させていこうという私たちの提案が地域に受け入れられているのだと思う。
私たちの取り組みはローカルだが、そこからグローバルな環境とつながる。子どもたちの学習意欲、好奇心に合わせてネットワークを広げていくことで、霞ヶ浦の子どもたちが様々な国の子どもたちと生き物を通して自然につながっていくだろう。それが世界全体を覆っていくようなことをイメージしている。大人の役割は子どもたちのネットワークを広げていくことだと思っている。
阿部氏
日本の三大自然保護団体は、WWF、自然保護協会、野鳥の会である。会員数は全部足しても8万人くらい。欧米から見ると信じられないくらい少ない。このような状況の中で、NGOが環境保護、保全、持続可能な社会の一翼を担うには弱い。企業、行政、NGOという対等な関係を作ることができない。これは大きな課題だと思っている。
アサザ基金の場合、キーパーソンのコーディネイト能力が非常にすばらしいということがある。アイディアを具体化していくために人をつないでいったり、見える形にしなければならない。多くの企業が環境、経団連の中に自然保護基金があり、環境教育に熱心に取り組んでいる。日経エコロジーという環境系の経済紙に、環境に関心のある企業が参加している。企業の環境教育への取り組みは様々である。本業として環境教育に取り組む、あるいは自社の社員に対して教育していく、あるいは社会貢献活動として、学校への出前授業や助成金など、いろいろな活動がある。欧米では、企業とNPO、NGOが緊張関係にあって、互いに切磋琢磨している。日本の場合は、NPO、NGOが相対的に小さいので、本来NGOがやるべきことを企業が補完している。企業は自分の都合のいい環境教育が多いので、批判、あるいは新たな価値の創造は、企業には少ない。これがひとつの問題構造である。
ESDあるいは環境教育を考えるとき、ピン川もアサザもグローカルなイシューであると思う。一人一人の子どもたつながっていき、それらが連動していく。日本でもタイでもつながり、地球全体に持続可能な社会を作っていく、チェンジエージェンシーが広がっていくことを考えていきたい。ネットワークをより強固に、日本もタイも同じ土俵で同じ目線で未来に向けて考えていける一人一人になっていきたいと思う。 |