【田中治彦氏挨拶】
ESD研究センターは、2007年に発足しました。立教大学の環境教育専門の阿部治先生と開発教育専門の田中を中心に立ちあげてから、1年がたつところです。アジアチームでは、ESD研究センターの設立に先立ち、東アジア環境問題研究所の時代から開発教育協会とともにタイ・チェンマイでの活動を行っています。チェンマイのNGOの農村コーディネーターや若手スタッフの養成を手がけているISDEP(持続可能開発促進研究所)という団体がアクション・リサーチを行い、人材養成のためのプログラム開発を行うにあたって、日本の参加型学習の内容や手法がどのように役立つのかということを試行錯誤しています。
そのような経緯で、日本の地域づくり・まちづくりと途上国をつなげる活動をされている長畑誠さんを講師にお招きしました。
【長畑氏】
私がこの数年、あいあいネットの活動を通じて身をもって体験したテーマが〔地域〕、ぼくらは〔地域コミュニティ〕といいますが、これについてお話していきたいと思います。
あいあいネットの活動は、「いりあい(自分たちの暮らしを発展させるために必要な『みんなのもの』をみんなで維持管理する)」、「よりあい(ともに集まり、じっくり話し合い、知恵を出しあい、みんなで合意し、行動していく)」の考え方をもとに、世界各地の地元で活動する人たちによる『まなびあい』を生み出し、それによって住民主体の「地域づくり」の促進に寄与することを目指しています。
【ワーク(参加者による作業)】
(カード・ペン等配布)
お題は、みなさんのご自分の地元のことについて考えてください。どこでもいいです。みなさんの地域コミュニティで一緒になってやっていることを書いてください。ある程度グループを作ってやっていること、これを何でもいいので、できるだけ具体的に書いてください。たとえばラジオ体操のように地域全体を巻き込んでやっているものでもいいですし、数人でやっているものでもいいです。できるだけ出してみてください。
(カードに書き込み作業)
できるだけ数をあげていってください。どれだけ書けるかというのはどれだけ地域に関わっているということにもなるかもしれません。過去に行っていたというものも入れましょう。書けたらホワイトボードに貼り、並べてまとめていってください。
各グループから発表していただきます。
- 私たちのところはゴミ出しとフェスタ系のものが多かったのでそれで分けてみました。あとのところはどう分けていいのかわからなかったのですが、社会教育というカテゴリーで作ってみました。
大学と地域の連携ということで、農工大の環境研究室と町をつなぐ試みです。
- 私たちのグループは、マンションの中と、マンションの町内会的なものと、町内の広いものと、場所で分けてみました。
- 私たちのグループでは、ゴミ出しはすぐに出てきました。子ども会は前からあったと思うのですが。
おもしろかったのは、何かあったときの反対運動というのがありました。しかし、行政側が開催した集会で、ビールとおすしが出てきたら、懇談会のままで終わってしまったという経験が語られました。子どもの頃、親たちによる校庭作りというのがありました。親たちがみんなで池を作ったりしてくれた経験は忘れられないですね。
<長畑>
ここで二つの考え方がを提示します。
- みんなが集まって暮らしているから、やらなければならないことがある。
- やらなければならないことがあるから、みんなが集まっている。
どちらだと思いますか?
たとえば、田植えのときには近所の人たちが集まってやる、このときには賃金が出ないです。なぜでしょう。これは「お互いさま」ということで成り立っているからです。助け合っていかないと、田植えはやっていけなかった。水を引くのでもそうです。
昔の生活でいうならば、燃料は薪あるいは炭でした。原料は木ですが、多くの場合、里山からとってきました。近くの山からは木を、遠くの山からは炭を持ってきました。でも、これを誰かがたくさん切ってしまったら禿山になってしまったでしょう、これが日本はずいぶん長い間そうならずにきました。これは、持って帰れるだけにしよう、とか大きな木は切らないようにしよう、という皆で守る決まりごとがあったからです。生存のためには、みんなで集まって何かすることが必要で、だから集まって住むようになったのではないでしょうか。
【あいあいネットの活動について① インドネシアとのいりあい交流】
私は、シャプラニールというNGO団体で14年間働き、6年前に退職しました。その頃は今日のようなお話はしませんでした。協力先であるバングラデシュに行って仕事をしてきたが、そこに暮らしている人たちの地域やメカニズムについて、自分が目を向けていなかったとういことに気づいたのは、やめた後でした。一例として、シャプラニールはバングラデシュで成人識字学級を行っていました。お父さん、お母さんがわかるようになると、勉強の大切さがわかり、子どもたちにも勉強させようとする。これで就学率があがるようになるという仕組みです。しかし、勉強するようになると、農村から都市に人口が移動し、農村に帰って来なくなります。はたしてこれでいいのだろうか。このような中で、自分の活動がわからなくなり、地域について考えるようになりました。そこで立ち上げたのがあいあいネットです。「いりあい」は、みんなで管理しなければならないもの、「よりあい」は合意形成のしくみ、地域に暮らす人々が主役・主体であるということを指しています。
具体的には、いりあい交流という活動をやっています。おそらく昔はどんなところにもいりあい地がありました。しかし明治維新以降、所有権を明確にしなければならなくなりました。いまだに山形県、福島県などではいりあいの慣習が残っています。そのようなところと、インドネシアの山村の人々との出会いの場を作っています。インドネシアでもジャワは違うかもしれませんが、多くの地域では、人々が山の恵みを受け、海のものをとり、共同して生活していたところが突然国有地になり利用できなくなってしまったという状況があります。
私たちがこういう活動をしてきて見えてきたこと、課題は次のようなことです。
① (インドネシアの課題)制度的に村人たちが自分たちで管理するということが難しい。日本のいりあい の試みが参考になるだろう。
② 森のめぐみを生かしながら、森から離れないで暮らしていくにはどうしたらいいか。
食べ物はなんとかなっても、現金収入がない。若者が出て行く。森にいながら少しでも収入を得るに はどうしたらよいのか。どうやったら村に合うものを生かしながらお金にしてくか。これが実は日本の 山村でも(例えば限界集落という形で)大きな問題になっています。
③ 山の中の暮らしというのは、人の心の問題にも関わってきます。たとえば、いつ山を切り開くのか、い つ植えるのか、いろんなしきたりがあり、山の恵みを受けながら生きているということです。そういう文 化的伝統的なものの継承とともに、代々培われてきた長年の技術、どうやって調理するか、家を直す か、こうした山村の技術をどうやって残していくかも課題の一つです。
【②スマイル・りんくの活動】
スマイル・りんくの活動は、日本とインドネシアの市民特に若者同士の交流です。インドネシアのゴロンタロ州で地域づくりをしているリーダーを招聘し、日本の地域づくりの現場を訪問します。これをきっかけに、学生ボランティアを中心に、ゴロンタロ大学の学生と、インターネットを使ってテレビ会議などをして、学生自身がトピックを設定し、身振り手振りや通訳を入れながら対話を行いました。
ボランティアの学生は、開発援助のNGOに関わってきた学生たちで、インドネシアという発展途上国の学生と同じ目線で交流できるのが新鮮で楽しいといってくれました。先日、その学生たちをつれてインドネシアに行ってきました。どんなことをしているかとか、山の生活はどんなものか、見てきました。
【③日本の地域づくりの動き】
JICA研修制度を使い、いくつかの地域を訪問しました。
【水俣の例】
地元学、という考え方あるいは実践があります。
水俣病という負の遺産においては、被害は健康だけではありませんでした。漁師さんたちは自分のとった魚を食べて発病してしまった。でもここには、チッソの工場の恩恵を受けていた人もいた。地域の中で対立が生まれてぐちゃぐちゃになってしまった。吉本哲郎さんという方は、ご自身のお母さんもチッソから患者さんたちが保障金をもらったりしていることに否定的な気持を抱いていたけれど、患者さんと直接知り合って、そういった偏見がなくなっていった様子を見て、お互いにきちんと知り合うことがいかに必要かということから地元学をあみだした人です。水俣のマイナスのイメージから、つまり、「ないもの探し」から、「あるもの探し」へというのが吉本さんの視点でした。
土と風の協働作業
外から来た人が地域に来て、あれは何か、それは何かと地元の人に対して質問をする。それに基づいて地図を作ってもらう。その絵地図を使って、水俣の良さを表現する。水俣の人自身がこういうものを作り、外の人から、「すごいですね」という言葉をもらうことによって、誇りを取り戻すというストーリーです。地域人材マップ、絵地図、どんなことができるか、などが地図に載せられています。
水俣の頭石(かぐめいし)地区の集落に、村丸ごと生活博物館が作られました。博物館といっても建物はなく、看板だけ。村人が地域を案内します。地元学のフィールドワークを一緒に行う生活学芸員が8名いて、昔ながらのお堂や石づくりの棚田などを案内してくれます。外の人が関心をもってくれることによって、村の人が気づいていなかった良い点に気づいたり、地域の食材だけを使って作ったお弁当を作り、販売したりする中で、新しい農産物を作るようになったりするなどの動きが生まれています。
そういう地域に、JICAの研修生を連れていきます。研修生は、途上国のNGOでコミュニティ開発に関わったり、行政の職員として地域開発に携わっている人たちで、異口同音に、今まで途上国の村に行くと、その村の問題は何か、といい続けてきたのですが、頭石に来て、問題ばかり探していてはいけないのだ、ということに気づくのです。問題があるからなんとかしてくれ、あるいは問題があるから駄目だ、というのではなく、自分たちが持っているものから始めることを覚えます。但し、宝探しに終わってはいけないという注意点もあります。
【④インドネシアでの活動】~西部バリ国立公園での住民と公園との協働関係構築プロジェクト
国立公園職員と知り合ったあいあいネットのメンバーが、そこで起こっている様々な課題を知ることを通じて生まれたプロジェクトです。国立公園ができたことによって、そこに住んでいた人々は、自らの生計をたてるために国立公園内の自然資源を利用する必要に迫られていました。自然資源の保護と人々の生活をどう両立させるかということを背景に両者の協働プロジェクトが始められました。
●あいあいネットの活動を通じて見えてきたもの
- コミュニティ開発という点では、日本と途上国のキモは同じ
- あるもの探し=地域資源を掘り起こし、やれるところから始める。
- 自分たちの暮らす地域に誇りをもつこと
- 地域共有資源の共同管理(いりあい)と相互扶助を含む地域の自治力(よりあい)が大事
●共通する問題性
- 農村の過疎と都市に過密
- 近代化による伝統的コミュニティの崩壊
- 少子高齢化
- 経済のグローバル化の影響
- 公的機関の機能不全
●ファシリテーションという考え方と実践
外から入っていく人間が、問題指摘を行い、青写真を描き、決めていくというのはよくない。そうならないために何をしたらいいか、というのがファシリテーションであると考えている。自然や地域の恵みを持続的に活かしながら暮らしをたてていくにはどうしたらいいか。地域コミュニティの新たな再生、すなわち自治力をいかにして取り戻すか、地域で暮らす人たち自身の力がついていかなくてはいけない。
日本の場合は特にこの自治力を取り戻す作業をしなければ次はないと思う。また、途上国ではそれが切れかかっているのをくい止めなければならない。コミュニティのつながりと私たちの自治力を取り戻すことが必要である。
【質問】
① ないものねだりからあるもの探しの話が興味深かった。今回の研究会のタイトル。ファシリテーションというところに触れられた部分に共感。ファシリテーターとして具体的にどう入られていくのか、というところをもっと聞いてみたい。
② 日本のたくさんの地域と関わられている。この地域と関わる難しさがあると思う、この難しさや、共通点はあるのか。そしてなぜインドネシアで活動されるのか。
③ 自分が東京の郊外で育っていることもあって、いかに地域と付き合っていくのか考える。ばらばらになってしまったものをつなぎ合わせた、といううまくいった事例はあるのか。
④ インドネシアの人が日本の村を見ておもしろがったところはどんな点があるのか。
⑤ 制度的な面。制度的な働きかけ、取り組みがあれば教えていただきたい。
⑥ 中学校以来、地域とのかかわりがない。自分の地域でも活動されて、その他の地域で
活動されることはすごい。自分もそうありたいが、なかなかできない。どうやったらできるのか。自分の 地域と関わるきっかけ作りは。
⑦ NPOに興味、この会に参加。 団塊の世代。会社人間から地域に関わるということがなかなかできな い。従来の戦後戦前を通じて町内会、国が定めたルールの中での制度。価値観の多様化による、本 来の自治の変化を再考する必要がある。都市と農村をいかにつなげていくのか。
⑧ 普段は子どもたちに関わる仕事。これからの社会、地域は子どもたちが主体になってくる。子どもた ちにはどのような体験が必要なのだろうか。
⑨ 目指しているのはグローバリゼーションに対してあわせていこうとしているのか、あるいはなんらかの 形で押さえていこうとしているのか。
⑩ 地元学ということで水俣の取り組み、その視点を活かせないか、と思った理由。
また、インドネシアの人が日本の村に行って、交流できたと。そのことへの予想や考えがあったのか どうか。
【回答】
*ファシリテーションについて
(山田)(国立公園のプロジェクトで)国立公園を守るというミッションは、周辺に住む人たちの協力がないとできないということ。自然を守ることと経済を発展させることの両立、これは皆わかっているが、具体的にはどうしたらいいのか。ここに私たちが入ってきて何ができるのか。「ここに何があるんだろうね」ということを外からの視点、国立公園の人の視点、そうしたいろんな目をもって考えてみる。子どもたちが自然にこれを守りたいと思えるようなしくみを考えている。
ファシリテーターという視点:あるもの探し、いいものを探していくことを大事にしている。「この村のこの植物は何か」「村の人たちが守っているものってなんですか」。
自分は一人の日本人として、国立公園の人と話をした。私に何ができるかわからないけど、一緒にやってみない?という視点でやっている。
(長畑)相手が出してきたものをうまく利用して、何かに活かしていく。相手を受け入れて、否定しない。
我々が入っていく場合は教えてください、という立場を貫いている。
*さまざまな地域とどのように出会うのか?
(インドネシアや村々との出会い)多くの場合はたまたま。
日本の地域でどのように関わっているかということは、地元学のように取り組んでいるネットワークがあるので、それに関わることでつながっている。
入っていきやすいのは、研修生を受け入れてくださいという言い方をして、お互いに学びあいという形にするから。
*インドネシアの人の反応
日本の農村に行って一番彼らから出てくる反応は、若い女の子がいない、子どもがいないということ。
どこにいってもおじいちゃん・おばあちゃんしかいない。そこで村の人たちに対してどうやってこの村を守っていくの?という問題提起がなされる。日本の集落の課題に目が行く人もいるし、地元学のような取り組みに自分たちを反映させる人もいる。同時代性を持っていると感じる。
水俣に途上国の人を連れて行ったとき、今は必ず何か学ぶものがあると思って連れて行く。最初は半信半疑だった。ぼくらの目に触れる地域には、必ず何か活動がある。
*グローバル化について
何をグローバル化というかの定義が必要。ただ、自分たちの活動はグローバル化に対抗して閉ざしていくということはない。自治体の復活、NPO、いろんな形があるが、とにかく人がつながって、外に開かれたものであることが必要だと考えている。
ローカル・ジャンクション21という取り組みがあり、都市と農村の人・モノを通じた交流を行っている。
*子どもの活動
インターネットを利用したテレビ会議のように、相手の顔が見えるものはいい。
子どもたちは意外に軽がると国境を越えるので、こうしたことはいいのかなと思います。
山田)阿部元首相のときに、中学生の海外交流の政策が始められ、その一環として、インドネシアの子どもたち100人の受け入れ事業に携わったことがある。子どもたちを見ていて思ったことは、自分と同じくらいの子どもたちと会うと、話したい、写真を撮りたいとどんどん交流が進み、本当に簡単に国境を越えていっている。簡単に出来ることではないけど、少しずつでもこうした受け入れができるといい。子どもたちの豊かな経験となるだろう。
【田中氏挨拶】
ESD研究センターで行っているタイのNGOスタッフと農村リーダーとの交流で、日本を訪問したいという希望があるが、先ほどの話を聞いて、日本に連れて来ても学ぶべきことはたくさんあるのだということが確信できました。まずは立教のよいとこ探しをしてみたいと思います。今日はありがとうございました。 |