1.はじめに
1月17日に立教大学池袋キャンパスにて、『島の色 静かな声』(監督:茂木綾子)が上映された。上映後には、石垣昭子氏と海津ゆりえ氏との対談、石垣金星氏による三線ライブが行われた。対談では、染織と石垣ご夫妻の日常生活をめぐって話が展開された。また、西表の生活、文化と関連した選曲がされた三線ライブでは、飛び入りゲストが金星氏の唄にあわせて踊る場面もあった。300人を超える来場者を数え、会場はイメージとしての沖縄だけではなく、生活する沖縄、西表島祖納にふれる時間となった。
2.ドキュメンタリー詩『島の色 静かな声』
(1)上映
私たちの多くが、「沖縄」に対して、何かしらのイメージを持っている。しかし、そこで暮らす人々の生活や培ってきた時間をどのくらい知っているのだろうか。『島の色 静かな声』は沖縄県西表島で暮らす石垣夫妻の日常の生活から、そのことを教えてくれる。映画でもなく、ドキュメンタリーでもない、ドキュメンタリー詩というのは、特別ではない日常の中にある「生」をめぐるストーリーなのかもしれない。石垣夫妻の日常の風景と沖縄民謡の音からドキュメンタリー詩は始まる。昭子氏の生活には小さい頃から芭蕉布があった。現在の西表での生活にも織物の風景が映し出される。音楽やお酒。根につくような生活を頂く「気持ち」が繰り返し映し出され、語られる。彼女はいう。染め織りは見えないプロセスによって出来上がる。だから、いい加減なことは出来ない。捨てられないように、ゴミにされないように、最後の最後まで着てもらうために、責任を持ったモノづくりが必要になると。一方で、責任を持ったモノづくりがなされている生活の合間には、西表の「ゴミ」の現状が映し出される。神さまが住むとされる「うなり崎」には、20数年前にリゾート化された廃墟が今もなお、その姿を残している。観光地としての「沖縄」イメージが消費されていくことに対して、「静かな声」として、西表で暮らす人々の「島の色」が顕在化していく。
(2)対談・ライブ
「地域というものは、地域にしかない。地域での生活を感じなさいよ」、海津氏が地域づくりとしてはじめて西表島へ調査に入った時に、金星氏からかけられた言葉である。昭子氏は、『島の色 静かな声』について「私たちの日常が映っている」と言う。この事は、自らの染織の仕事とは、集落の人々の暮らしが見える中での営みであると語っているように思われた。映像を撮った茂木氏も布や染織に着目し、暮らしの中で長い時間をかけて、生活の場を撮り続ける。昭子氏は「祖納の集落ではおばあちゃん、祭り、司などの文化が現在でも伝わっている。酒を飲んで、唄をうたって、三線を弾く。非日常の祭りでは、男・女・子供の役割分担がされている。祭りは、イベントではなく、神がいて、祭り事、のために布織りするし、奉納もする。みんな1人1人の役割が重要になる。小さな村の生活が、(2000年代の)現在もなお、続いているという意味では、若い人たちに伝えることが求められているのかもしれない」と言う。
沖縄の織物には、琉球芭蕉布という国から指定された代表的な織物がある。「芭蕉」じたいは沖縄・奄美にある植物である。だんだんと茂る芭蕉は、日常生活の中で重宝されてきた。また、芭蕉の繊維は「糸」となる。その「糸」は、女性の手仕事として、女性の嫁入り道具として、「うちくい」という風呂敷などへと生まれ変わる。しかし、これまで地域の文化として残ってきたものがだんだん無くなってきてもいる。そこで、昭子氏らは「うちくい」展という企画を2年に1度くらいの割合で開催している。このことは、伝統的な芭蕉布作りよりも、より生活に根ざした形で、テーブルクロスなどにも使ってもらったりすることを想定した取り組みでもある。
また、織物との生活を続けていくためには、島の環境が元気であることが求められる。例えば、ビーチ・クリーンなどがおこなわれてはいる。しかし、若い人たちがボランティアで、ペットボトルなどを集めてもゴミの行き場がない。そのため、台風が来たらまた、流されていく現実がある。これまでの文化や生活を残していくという試みは、伝統を残し続ける試みに加えて、環境の変化にあわせた動きも求められるようになるのだろう。金星氏のライブも、祖納での生活に根ざしておこなわれた。日本の教育を受けて、島で暮らしていく。そこには、それぞれの島の言葉がある。だから、結果として日本語が共通語となる。島の言葉が異なるように、島ごとの文化や歴史も異なる。金星氏は、背景にある八重山、西表島の生活・文化を話した後で、うたを唄う。
今回の催しからわれわれは、人々の生活の中に継承されていく文化やつながりの強さなど、ESDに連なる大切な萌芽を発見できたようにも思う。その萌芽を、どのように育てていくのかは、われわれ一人一人に委ねられているようにも思えた。
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