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イベントレポート

【2009/2/19(木)第4回ESD研究会 国際協力と開発教育:援助の近未来を探る 】

R.A. 浅井優一(ESDRC)
日時: 2009年2月19日(木)18:30~20:30
場所: 立教大学池袋キャンパス太刀川記念館3F多目的ホール
題目: 第4回ESD研究会「国際協力と開発教育:援助の近未来を探る」
主催:

立教大学ESD研究センター

講師:

田中治彦(ESDRC/文学部)

コメンテーター:上平泰博氏(NPOおおもり子ども交流センター館長)
       磯野昌子氏(かながわ開発教育センター理事
司会:

湯本浩之(ESDRC/文学部)

    

1.はじめに
 ESDRCアジアチームでは、昨春3回にわたって「持続可能な地域づくりとファシリテーターの役割」というテーマでESD研究会を開催した。その第4回目の研究会となる今回は、「国際協力と開発教育:援助の近未来を探る」と題し、ESDRC運営委員である田中治彦によって執筆された『国際協力と開発教育』(明石書店、2008 年 7 月)の出版を記念して開催された。田中治彦による発表の後、コメンテーターに上平泰博氏、磯野昌子氏を迎え、今後の国際協力、開発援助の在り方について活発な議論が為された。

2.講演「国際協力と開発教育:援助の近未来を探る」レジュメ資料
 自著『国際協力と開発教育』に依拠しつつ、過去約30年間の開発教育の歴史、変遷について、自らが取り組んできた活動、課題を紹介しながら概観し、今後の開発教育の展望について語った。以下は、その発表の概略である。

1)本書執筆までのいきさつ
 前著である『南北問題と開発教育』(亜紀書房)を執筆した1994年頃は、NGOなどの社会的存在感が日々増していた頃であり、「国際人」、「国際理解」などの言辞と共に、「開発教育」が脚光を浴び始めていた。しかし、その出版後、途上国においては、「貧困の悪循環」といった「問題」だけではなく、「良い面」が多く存在していることを強く意識するようになり、自らの視点自体への問い直しをするようになった。1年間を過ごした北タイでの経験が、その思いを後押しした。実際、北タイは「貧しい」、「問題」も数多存在する。しかし、そこに生活している人々は生き生きしている。「なぜ、こんな生き生きした北タイに、我々は援助をするのだろう」と考えるようになった。また、日本から援助にやって来る人たちよりも、地元のNGOの方が「援助」について、より深い理解を有していることに気付く。つまり、「援助される側」の方が、「援助する側」よりも、「援助」に精通しているという、逆転現象を目の当たりにした。こうした経験がきっかけとなり、『「援助」する前に考えよう』というワークショップ本を執筆するに至った。そのワークショップ本を文章化したものが本書『国際協力と開発教育』である。

2)本書:前半(1~5章)について
 本書の前半は、「参加型開発」について論じている。これまでの開発プロジェクトを振り返ると、概ね、【慈善型】à【技術移転型】à【参加型】へという変遷を辿ってきたことが理解できる。
慈善型は、寄付されたお金や物資などを、遠くの途上国へそのまま届けるという援助形態である。こうした慈善型の援助形態は、援助の原点であると言える。技術移転型は、外部の技術を、それが普及していない地域へ導入する、という形態である。例えば、途上国での村におけるニーズを把握し、それに従って農業センターを設立、そこで研修生を受け入れ、半年から1年ほど作物を栽培する技術トレーニングを行い、村の収入構造を創出する、といった援助形態である。JICAなどが行っている開発プロジェクトの大半がこの形態にあたる。しかし、こうした外部からの技術資金援助といったサービス提供型のプロジェクトでは、資金が途切れると村の活動も途切れてしまい、村が自立していかないという問題に直面した。そうした中で、参加型開発が注目されて来た。
 参加型開発は、外部から物資や技術を導入する手法ではなく、村に元来存在している資源を使用して、それを使って村人たち自らの手による村づくりを支援してゆくという形態である。外部から途上国の村にやってくる者は、通常、その村に存在していないものを探しがちである。しかし、参加型開発の考え方は、「村には何かがある」という視点をスタートラインとする。PRA(Participatory Rural Appraisal)やPLA(Participatory Learning and Action)は、参加型の代表的な手法であるが、こうした手法に則って、実際に村人と共有される情報は、長い月日を費やして得られた村の調査データよりも、その有効性、信頼性は比較的高い。こうしたアプローチの重要性は、「与える」、「教える」という「トップダウン型」のアプローチではなく、村人が自分たちの村の解決方法を見つけられるように「助ける」という、「ボトムアップ型」である点に見出される。

3)本書:後半(6~9章)について
 当初、開発教育は、青年海外協力隊などの国際協力活動を通じて、アジア、アフリカなどの途上国の現状を目の当たりにしたものが、その窮状を先進国の人々にも伝えるべく、自国で行っていた啓発型の活動が主であった。その後、そうした世界の現実について、より良く学ぶための教材が必要になって来る。初めは、特にイギリスのワークショップ教材などについて学び、それを翻訳的な形で日本に導入していた。しかし、その後、日本的コンテクストにおいて、より有益だと考えられる日本独自の教材が少しずつ作成され始めた。こうした試みを通じて、世界の問題と日本の地域、つまり、自らの「足もと」にある問題を繋げようと試みる視座、両者の関係性に目を向ける志向性が芽生え始めた(例えば、地域を歩くアクションリサーチなど)。そうした過程を経て、最近では、2002年から施行された「総合的な学習の時間」の中で、国際理解などの教材としてDEARが作成した教材が活用されるに至っている。
 参加型開発が有効である理由は幾つかある。通常、援助のために外部からやってくるものは、現地の生活を省みず、あるいはそれに対する知識が乏しいため、訪問の時期を利己的に決定してしまう。例えば、気候条件が最も厳しくなる時期を外したり、働き手である村人が通常外出している昼間に訪問したりする。その結果、村の本当のニーズや、実際の生活の在り方を見誤りがちである。参加型アプローチでは、こうした一方的な援助の在り方を止めて、村人と共にワークショップを行い、共に活動を創ってゆくため、村のニーズ、一年を通した生活の様子を効率良く把握することが可能となる。こうした参加型開発(学習)によって、開発教育は直接的に世界の問題と繋がるようになった。国際協力が援助型から、参加型へと変化してゆく中で、開発教育も、啓発型から参加型学習へと変化していった。

3)本書の意義と今後の抱負
 これまでは、「北から南へ」という一方通行、ないし二分法によって開発が志向されてきたと言えるが、参加型学習という視座を得たことによって、様々な人、組織、地域が連携し共に開発を考えてゆく地平に立つことが出来た。本書の主人公である「あいこ」は、慈善の気持ちを心の底で保持しつつ、しかし、単純に援助をするという行為が、何を意味するのか、どのような帰結を生んでしまうのか、ということを自己反省的に考えるものであり、「昔の自分を今の自分が批判する」という形で進行する。従って、本書は、仔細な情報、知識は持っていないが、「援助をしたい」と思っている多くの人が、自分自身の目線から読めるものである。こうした活動、あるいはワークショップなどを通して、若者たちが世界に目を開きながら、一方で、自分自身の足下を見つめ直す、自らの「場所」について再考を促すことが出来る教育、「開発教育の虹」として提示した、繋がりを意識した教育の在り方を模索していきたいと考えている。

3.コメンテーターによるレヴュー
 田中治彦氏の発表の後、コメンテーターである上平泰博、磯野昌子両氏から、本書についてのコメントが述べられた。

上平泰博氏レジュメ資料
 本書は、歴史の研究と、「あいこ」が体験する実際の現場での事例が、バランス良く混合されており、書物を読みながら映画を見ているような気分になった。現場に赴くものは、その前段階として、現場について、あるいは、自らが行う取り組みについての歴史について十分な理解、認識を持っていなければならないという感を強くした。私自身、アジア(ないし世界)との繋がり無しに、我々の生活自体が成立し得ないという今日、まず自らの足下である日本を見なければいけない、と考えていた。自らの地元の問題から出発し、アジアの問題へと繋がってゆくべきであると考えていた。しかし、本書を読んで、どちらが先か否かという議論自体がナンセンスであることに気付かされた。始まり、きっかけは、何でも良い。大切なのは、自らの足下、日々の生活と、世界が同時代的に繋がっていることを認識することにある。
 一方で、実際の開発現場は「理屈」通りには行かない。参加型やアクションリサーチの手法など、日本で行えないものは、他の国においても機能しないだろう。現場の論理、そして、参加型開発教育(学習)の理論、その両方を把握しておかなければならない。場当たり的な実践論、あるいは、絵に描いたような机上の空論では、何も機能しないだろう。実践の場に身を置きながら、一方で、それを理論的に把握する、といった両側面からの思考、認識の深化を促すような教育が求められているのではないだろうか。
<参考>
大田区・大森子ども交流センター
http://homepage3.nifty.com/kodomo-kouryuu-c/

磯野昌子氏:発表資料
 「途上国の教育状況を改善するためには何が必要か?」と問われると、多くの人が「学校建設」と答える。しかし、学校建設は一番人気であるにもかかわらず、その運営は最も難しい。例えば、ネパールの事例では、比較的多くの観光客などの往来があるトレッキングルート沿いなどに、援助による学校が建設される傾向がある。得てして、そうした場所の学校数は足りていることが多い。余分に建設された学校は、政府から学校として認めてもらえないケースが多く、その後、資金援助に頼りっ放しになる事例が散見される。学校建設は、最初は上手く行くが、その後の運営は、困難を極めるのが現状である。
 本書が紹介している「あいこ」の事例は、行われた開発を、その後から訪問したものが評価する、という視点で書かれている。また、古いものを、後から否定して進む議論形式が一般的な中、本書は、古きを批判の対象とするのではなく、それぞれの開発形態の良し悪しが理解できるように描かれている。専門用語を一切使っておらず、また、現場の話に特化し、その他のネットワークなどに関連した事柄にも触れられていないため、援助をしたいと考える一般の人が、援助について学ぶための良書となっていると言える。また、国際協力と開発教育の融合が試みられており、欧米の手法を輸入するだけであった形から、地元、現場を基盤にした独自の視点を提示している。ネパールでは、参加型開発は、村などのコミュニティーレヴェルでは発達しているが、学校では、依然としてトップダウン型が主流となっている。今後は、そうした場において、参加型学習を提案していきたい。
 一方で、参加型開発のみでは、グローバルに進展する資本主義的格差の拡大を止めることが出来ないのではないか。参加型開発・援助から、より大きな社会運動への展開を模索しなければならないのではないだろうか。慈善型の援助形態の失敗例から、新たな具体的なアプローチを、開発教育から提案できればと考える。
<参考>
かながわ開発教育センター
http://kdec.npgo.jp/

4.グループディスカッション/質疑応答
 その後、会場の参加者が4~5名で1つのグループを作り、自己紹介も含めて感想や疑問に思ったことなどを話し合った。その後、全体で質疑応答、コメントなどが共有され、最後に講師、コメンテーターからの応答が行われた。

Q. 慈善型は、一般人が国際協力に参加する効果的なエントリーポイント。それはそれで継続してゆく必要があるのではないか?また、慈善型、技術移転型、参加型という開発の変遷は理解できたが、海外協力隊も、参加型へ変わってゆくべきなのか。
A. 参加型開発の問題は、援助側が面白くないということ。つまり、地元の村が活動を決め、実行するため、支援者にはその効果が見えにくい。もちろん、慈善型、技術移転型を通しても積極的に国際協力活動に関わるべきであるが、それを通じて援助される相手のことについて学ぶことを怠ってはならない。そして、それぞれの援助形態の善し悪しを知っておくべきである。また、参加型開発・学習は、広義の「国際交流」であると言える。日本人が1〜2年、現地に行って、開発活動を行ったところで、何も変わらないのは自明である。そうしたことよりも、それらの活動を通して交流が盛んになり、日常の中から自然発生的に「助け合い」が生まれてくることを期待している。援助しっ放し、されっ放しという関係では、未来に繋がっていかない。(田中)

Q. 開発援助から社会運動へという提案があったが、社会運動とは具体的にどのようなものか?また、高校生の立場として、援助の一つのツールとして募金などを実行しているが、その他どのような形で貢献できるのか。
A. NGOが連携してネットワークをつくり、政府に働きかけてゆく社会運動を起こしていきたい。また、慈善といっても、個人が思いつきで行うものと、組織的に行われるものは異なる。組織で、エイズセンターなどを建設するために募金活動などを行っている事例があるが、そうした事例は評価に値するものであり、積極的に参加が促されるべき。高校の授業などで、「NGOコンペ」を開き、自分ならどのNGOに援助するか、といった大会を開いてみると面白いと思う。(磯野氏)

Q. 日本とタイの教材の共同開発は可能か?
A. 双方にとって価値のあるものを作成するのは、両者の文脈が異なるので難しいのが現状である。しかし、アイデアの交流は盛んに行っている。(田中)

Q. ことばの問題をどのようにクリアし、現地の人をトレーニングするのか?
A. 援助を行うことによって、援助された側の「文化」が破壊される可能性もあるだろう。そうなってしまっては、逆効果である。そうした、危険性を認識しておくこと、自らの行為が意味することを批判的に認識しておくことが、開発教育が未来の若者に対して育むことの出来る、最も重要な視点なのかも知れない。 (上平氏)

 

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