立教大学 ESD研究センター
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イベントレポート

公開シンポジウム
「今求められる『ESDカリキュラム』とは?」

 P.C. 小西 美紀 (ESDRC) 
日時 : 2010年12月11日(土) 14:00~17:30
場所 : 立教大学 池袋キャンパス 10号館 X104教室
講師 :




司会:

石川一喜氏(拓殖大学国際開発研究所)
小貫仁氏(拓殖大学国際開発研究所)
藤原孝章氏(同志社女子大学)
永田佳之氏(聖心女子大学)

田中治彦氏(立教大学ESD研究センター、上智大学)
山西優二氏(早稲田大学)

主催 :

立教大学ESD研究センター

    

1.挨拶 田中治彦氏(上智大学、立教大学ESDセンター・アジアチーム)
  本シンポジウムの趣旨は、「持続可能な社会」の言葉が定着しつつある現状で、新たなESDカリキュラムを考えることにある。最近、開発教育協会から『開発教育で実践するESDカリキュラム-地域を掘り下げ世界とつながる学びのデザイン-』(学文社)が、また日本国際理解教育学会から『グローバル時代の国際理解教育―実践と理論をつなぐ―』(明石書店)が発刊され、今後のカリキュラム研究に大きな示唆を与えている。
 今日だけで提言できるかどうかは分からないが、今後のESDカリキュラムとはどのような方向に向かい、どのようなものになるのかの青写真を描けるとよいと思っている。

2.ワークショップ
  石川一善氏(拓殖大学国際開発教育研究所)

 1)ESD/ESDカリキュラムのイメージ
   → 今日参加者がそれぞれどんなイメージを持って
      いるのか共有していく。
  Q ESDと言う言葉を聞いたことがある。
    → 参加者の全員
  Q ESDと言う言葉の意味がわかる
    → 分からない参加者が1人
  Q ESDの実践、ワークショップを受けたことがない
    → 4人
  Q ESDと銘打って、実践発表したことがある。
    → 10人
  Q 私は、日本にESDは定着したと思う。
    → 0人

 2)ワークショップ(グループワーク)
  ①自己紹介
    名前、自分を補足説明するもの(所属、趣味、性格
     等)、参加動機
  ②私の知っている(聞いたことがある、やったことのあ
   る)ESD ブレインストーミング
   ・上記について、ポストイットを1人5枚くらいまでで、キ
    ーワードなどを書く。
   ・書いたポストイットを各自が紹介していく。
    →模造紙の上に、仮ではあるが、配置していく。
  ③出されたアイディアについてのコメントの付け足し
   ・模造紙の中央部にポストイットを集め、余白に出されたアイディアにコメントを書き込んでいく。
    →書き込まれたものに、ESDカリキュラムの要素が書き込まれている
  ④コメントについての吟味とESDカリキュラム
   ・書き込まれたコメントからESDカリキュラムに関するキーワードが読み取れるのではないか。












3.パネルディスカッション
司  会:山西優二(早稲田大学)
発題者:小貫仁(拓殖大学国際開発教育研究所)
     藤原孝章(同志社女子大学)
     永田佳之(聖心女子大学)

1) 各発題者からの発表の前に
山西:  ESDの長期的課題、その時間とその内容について各パネリストにお聞きたいことがあります。
      「ESDの認知度を広める-ESDそのものの進化」のどちらを取っていきますか。
小貫:  共同性を生み出すことを重視します。いろいろ
     な対立をどう乗り越えていくのかが重要です。
     ESDは利害対立の結果、生まれてきました。
      ただ、世界とのつながりをどうするのかが問わ
     れます。あくまで実践のレベルで、ESDあるい
     はSDのビジョンを考えています。開発と持続可
     能な開発の対立では、その解消のためには、
     メタ認知が求められるでしょう。
      今日の経済の動き、社会が持続可能性に向
      けて進んでいるときに、そのとき、どのような「共同性」を持って語られるのか。コミュニティにおけ
      る横のつながり、たとえばイギリスの協同組合などのパースペクティブをもった持続可能な社会
      構築など、普遍的な事柄に向かう共同作業をイメージしていくことが必要です。「新しい開発の
      枠組み」をどう捉えているのか。この問題と経済、地域を掘り下げていき、世界とつながる。その
      枠組みで、経済/社会という水準では、低炭素社会に向けてどのように取り組んでいくのか。
      もう1点は、3脱(脱所有、脱物質、脱貨幣)と言われる考え方が必要と考えています。すなわ
      ち、心のゆたかさ=つながりのゆたかさという価値観の転換が重要でしょう。ここに、インクルー
      ジョンの契機を見出したいと考えます。SDというビジョンの捉え方をめぐっての論点となるでしょ
      うが、それを捉えずにESDは語れないと思います。
藤原:  工学的アプローチか羅生門的アプローチかは、実践レベルでは分けにくい。今後の課題として、
      学びをどう記述していくか。経験のパブリッシングが大事ではないか。
      地域とは何か、コミュニティ論が必要となるのではないだろうか。批判的な視点が大切になるで
      あろう。地域を掘り下げて、いかに世界とつながるのか。1つのことをもっと広げてゆくのか。キー
      ワードは、コミュニティにあるように思う。
      もてはやされた総合的学習は、今、跡形もない。ESDも文科省がリードしているときはよいが、
      後はどうなっていくのか。心配になる。しっかりした実践を作っておくことが、今後の課題であり、
      ESDを継続する鍵である。具体的には、「ESD」の概念は教科書に載るだろう。それが、一人歩き
      することの危機もある。リベラルな個人性、個人が選択することが必要であり、その点はイギリ
      スのシティズンシップが参考になるかもしれない。
永田:   「ESDの10年」以前から「サスティナビリティと教育」というテーマは論じられてきた。ESDの10年
      のジレンマがここにある。これまでは、プログラム化すればよいと思っていた。また、広めるなら
      ばプログラム化だと思ってきた。しかしそうすると、多様性や独自性をどのように取り扱えるかが
      課題となる。大切なのは、手法と枠組みである。そしてコンテンツは、地域が決めてゆくことが大
      切なのではないだろうか。
山西:   イデオロギーよりは、価値にサスティナブルな視点を見ていくことが大切でしょう。

2) 各発題者からの発表
【小貫 仁氏】
≪はじめに≫
 開発教育カリキュラムの背景ですが、まず1980年代初頭に国立教育研究所内に「開発教育カリキュラム研究会」が発足し、人類社会の均質な発展をめざして、カリキュラムのスコープ(領域)とシークエンス(系列)を整理しました。続いて、1990年代には「開発」概念の見直しが進み、開発概念は今回考えているESDの開発概念と近い総合的な概念となってきたわけですが、1998年~2000年の「開発教育カリキュラム研究会」で、それまでの研究を発展させて、社会の課題解決をテーマとした総合学習の実践に向けた展開例と教材が整理されました。
 今日の課題は、この「2000年カリキュラム」の評価と発展であり、次に「ESDの10年」に対応して、ESDのビジョンとESDの地域を重視し、総合的で、参加型のアプローチを共有すること、そして第三に、地域の共同性をもって世界とつながるカリキュラムを地域と共に構想すること、この三つを課題として、カリキュラムを考えています。

≪テーマに関する確認事項≫
 前提として、確認しておきたいことがあります。”S(Sustainability)”は持続可能性ということですが、いまだに環境と同一視することが多い。もちろん環境は重要ですが、環境だけではないことに注目することが重要です。持続可能性とは、貧困・人権・平和・民主主義などを含む総合的な規範概念と考えるべき概念です。
 ”D(Development)”はいろいろな捉え方がありますが、いまもなお、経済開発と同一視する混乱があります。そもそもDevelopmentは、言葉の原義を確認すればDe+Envelopmentですから、状況を乗りこえて、解放されていくという意味です。これを基準とすれば、開発と持続可能な開発の対立も解消するはずです。
 さらに、”SD(Sustainable Development)”については、私たちは用語として、一般に使われている「持続可能な開発」で統一し、「環境と開発に関する世界委員会」の定義をカリキュラム研究の基本的前提としています。このいわゆるブルントラント委員会の定義もあいまいに解釈されがちですが、ここで私たちが考えているコンセプトは2種類の「公正」です。ひとつは、将来の世代のニーズとしての「世代間公正」。もうひとつが、現世代のニーズとしての「世代内公正」です。この2種類の公正をどう捉えるかということが問われるのです。私たちは、本来のESDカリキュラムと思われるカリキュラムのデザインを提案したいと思います。
 ところで、「カリキュラム」ですが、これは学習指導要領ではなく、「教師が組織し子どもたちが体験している学びの経験総体」です。つまり、今日のカリキュラムは、知識の領域と系列の学習から、学びの「プロセス」としてのカリキュラムへと変化してきました。この「カリキュラムの転換」を前提とします。

≪「持続可能な開発のための教育」をどう捉えるか、どう実践するか≫
 ESDをどう捉えるのかについては、キーワードとして「公正」という概念が出ましたが、公正に疑問のある状況だとすると、それは持続可能とは言えない。この状況を克服する課題として、先の「世代間公正」と「世代内公正」に対応する諸課題があります。もう一つはユネスコの「ESDの10年国際実施計画」が2005年に出されましたが、そこでの環境課題、社会課題、経済課題、横断的な課題と分類された諸課題が重要です。ESDのカリキュラムは、「知識の系列」でなく、地域と世界の課題群である「課題の系列」となります。持続可能な社会の形成に向けた総合的な学びです。
 次に、どう実践していくのか。ESDはまず自分から始まると思います。自分の居場所を確定して、そこから当事者性を伴って地域課題に取り組みます。こうして、まずは足元を掘り下げる。地域を掘り下げるアプローチが世界とつながるということを本日は共有したいと思います。
 要するに、これまでの開発教育では世界の問題を認識し、それから自分との関係を考えてきた。今日ではグローバリゼーションの進展で内容が違ってきています。地域の課題がグローバルな課題と同質化し、グローバルな課題は地域の課題と同質化している。自分たちの足元の課題について、知り、考え、探求することではじめて世界についての学びも深まるわけです。世界の開発問題より先に「日本の開発問題」の重視ということになります。これが「地域を掘り下げ、世界とつながる」学びの基本的考え方です。

≪地域を掘り下げる5つの視点≫
  地域とは課題に向けて協働する場と考えていますが、地域をどのように掘り下げることが重要でしょうか。私たちは次の5つの視点を考えています。
  ①地域を掘り下げる
  ②人とつながる
  ③歴史とつながる(local wisdom)
  ④世界とつながる
  ⑤参加する
 大枠で解説すると、地域の課題に向けて、ゆたかな人間関係を築くこと、地域の歴史に学ぶこと、住民主体の参加を得ながら課題を克服すること、これらが地域を掘り下げる根本であり、ここには新しい開発の枠組みがあります。私たちはコミュニティの共同性を生み出すことで、持続可能な社会の構築を展望しています。それによって、自分たちと地域がいきいきとなり、他地域や世界の持続可能な社会づくりにつながっていくことを重視したいものです。

≪ESDを通して「学習観の転換」を確かなものに≫
 もう一つ強調していきたいのは「学習観の転換」です。
 これは新学習指導要領で「持続可能な社会の形成」としてESDが描かれ、それを総合的に実践して行くことで、学校教育特に社会科などで「学習観の転換」が実現するのではないか。教え込みの教育ではない、主体的な「主題 → 探求 → 共有」のプロセスの学びが実現するのではないかと思います。これらがゆたかな学びにつながると考えています。公正・共生といったコンセプトを重視しながら、単なる「参加型の学び」から「参加の学び」の教育となるでしょう。そのためには、PLA、地元学、アクションリサーチなどの手法が検討されてよいと考えます。

≪開発教育で実践するESDカリキュラム≫
 具体的なESDカリキュラムには3つの要素があります。開発教育カリキュラム・デザインの共有、カリキュラムの実践、さまざまな実践に学ぶことです。本日は、カリキュラム・デザインについてお話しています。そして、カリキュラムは教育実践のプロセスそのもの。
 さまざまな実践では、アサザプロジェクトに連動する小学校のESD実践から、大阪府西成区の「反貧困」を軸にした高校での人権総合学習までさまざまな事例をあげてあります。もちろん、反貧困はESDの重要なテーマです。

≪持続可能な社会形成のビジョンのポイントは?≫
  ここまでが、開発教育協会「カリキュラム研究会」での研究内容の大枠ですが、SDにはビジョンが含まれています。「持続可能な社会の形成」に向けてのビジョンについては、次の事柄を補足したいと思います。
  ①環境・社会・経済の調和
  ②活力ある公正な社会の形成者を育てる
  ③新しい開発の枠組み:連帯経済の可能性 → 市場経済ではない共同のあり方
  ④因果の関係性の克服と国際協力 → 元々の開発教育、世界との関係性
  ⑤課題の共有の関係性と相互協力
  学校教育全体を通して、モチベーションを高める、意思決定能力を高めることを基礎として、地域課題に正面から向き合う学びをどう築いていくかだと思います。

≪おわりに≫
  低炭素や脱物質の方向性や、モノのゆたかさから心のゆたかさを問うことなどを含めて、持続可能な未来を探求していくことが重要です。今後も、共同性ゆたかな地域と世界とのつながりを実現していくカリキュラム実践と協働していきたいと考えています。

司会: DEARが今まで、色々なカリキュラムについて議論し、研究の活動もやってきました。その約20数年の成果を10~15分で語るのはとても難しい。地域を掘り下げることと世界とつながるというコンセプトの中で、どういうカリキュラムがあるか、開発教育からいろいろと提言しています。

【藤原孝章氏】
 国際理解教育学会の立場から、今日のテーマについてご説明したい。
 この本『グローバル時代の国際理解教育―実践と理論をつなぐ―』は今年(2010年)に、学会設立20年の記念として出版されたもので、ESDを特に意図したものではありません。国際理解教育として、今後カリキュラムはどうなるかという観点から執筆されたものです。本カリキュラムの特色と意義ですが、今までの国際理解教育は、国際交流や外国理解、そういうものだと思われていたと思いますが、そうではない。もっと中身があるものだということとを示したものです。
 本の構成では、理論的枠組みから、具体的な授業実践を示したあと、国際理解カリキュラムを示していくという内容構成になっています。また、実践的枠組みとして、実践をどう基準化するかなどにも力を入れており、実践フォーマットなどを示しています。
  『グローバル時代の国際理解教育』では、目標を設定しています。一つは「体験目標」というものです。国際理解教育というとやはり、文化体験があります。しかし、文化体験も含めて、最初から体験すること以上の具体的な目標やコンテンツ(教育内容)が存在するわけではありません。これは「経験型カリキュラム」、いわゆる「羅生門的なアプローチ」です。
 つぎに、系統的な目標として、従来の教科型のカリキュラムに対応する、知識・理解、技能、態度の目標を掲げています。
 学習領域とキーワードとして、学習領域を4つ示しています。学習指導要領の中の言葉を、多文化社会、グローバル社会、地球的課題、未来への選択に合わせて、分類しています。また4つのアプローチとして、異文化理解、相互依存(関係発見)、問題解決能力、行為選択というキーワードに分類しています。このアプローチは、ESDとテーマ的に関係があり、内容的にカバーできることが多いと思います。
 しかし、小貫さんの発表にあるような、地域という意識はこの本ではあまりなくて、学校で行う実践・カリキュラムがメインになっています。
 国際理解教育のカリキュラムの要素ですが、3つの相克があります。その3つとは、系統型カリキュラムと経験型カリキュラム、教科教育と総合学習、最終的に国民育成型国際理解と市民育成型国際理解です。
 実践のためのフォーマット(開発)では、子どもの活動を広げるような展開計画を意図してできるようにしています。それから、できるだけ教員の実施案の中で、苦労した点を記入できるようにしてあります。例えば、15番にある「学びの軌跡」ですが、授業の中で、学習者の変容(make a differenceですが)、つまり授業を受けた後の子どもの違いとか、そういったことを文章で記述するようにしてあります。課題は、構成主義的な学びをどういうふうに記述していくかだと思います。もちろん、ビデオクリップ、デジタルカメラで記述することもいいと思います。これは、今後の課題になると思います。このフォーマットは「羅生門型アプローチ」の記述であって、教授・学習型ではありません。

≪グローバル教育の展開≫
 これは個人的な考えなのですが、1970年代には、いわば「Perspective」ということが重視されていました。これにはホリスティックなもの、「全体的な視野」という意味があります。70年代から80年代に言われた、国家中心的な世界観から、一つのシステム的な世界観への変化を表現するものです。地球的なものの見方(global Perspective)から、人間の可能性や、グローバルなシティズンシップを育成しようというものです。その中にグローバリゼーションという現象があります。実践ではAwarenessという言葉が使われているのですが、これもHolisticの世界観の考え方です。
 80年代にかけては、それだけではだめで、具体的なことしなければならないことになってきました。アメリカでは「スコープとシークエンス」を持つ独自の包括的なカリキュラムと授業の事例がありました。対して、イギリスでは数多くの参加型実践事例があります。Global教育の中で、コンテンツでやる教育になっています。現在は、これは私の解釈ですが、Active Citizenshipの「活動的な市民性」という方向性になっています。
 『グローバル時代の国際理解教育』が提案したことの特徴としては以下の通りです。
  1.英米のグローバル教育にならって、パースペクティブ論を一歩進めたのではないか。
  2.学習内容を具体化し、概念をしっかりとする。つまりコンテンツ、教科教育的な発想で取り入れた。
  3.実践フォーマットを使って参加する学び、構成する学びを記述できるようにする。そういう記述の仕
    方を出来るよう、またそういう学びをできるだけ広げるようにフォーマットを作った。
  4.シティズンシップ論を踏まえて、特に「未来への選択」(アプローチの4)におけるオルタナティブな
    視点を示した。
  5.単なる交流、異文化理解、文化紹介、外国理解ではない、欧米的な文脈ではグローバル教育で扱
    われている、「国際理解」ということが重要だと示した。
  6.そして、この本自体はESDを目的したものではないということです。
 2008年の、最新の学習指導要領では、「総合的な学習の時間」はかなり具体的に書かれています。また、解説編も初めて作成され、その中では羅生門的なアプローチの過程がわかりやすく書かれています。それから、解説編では、探求的に探索する手法の例も掲載されており、構成主義的な学びの記述例もあります。この点では、『グローバル時代の国際理解教育』と共通項が多いです。

≪議題≫
 課題を3つほどあげておきます。
 課題①として、カリキュラムづくりは工学的・羅生門的のような二者択一ではない、ということです。実践の記述にあったように、経験のパブリッシュイング、学びをどう記述するのか、という課題があると思います。
  課題②として、文脈づくりです。ESDカリキュラムには、隠れたカリキュラムがあります。コミュニティを掘り下げると言いつつ、地域を平板に取り上げているのではないか、と思われます。地域を掘り下げる場合、今の若者の内向き志向からすれば、世界を閉ざす志向の助長に成りかねないのではないか。本当に世界とつながるのだろうか、と疑問がわきます。また、保守的なコミュニタリアンの育成になりやしないか、という疑問がわきます。
  課題③としては、カリキュラム、授業の実践です。ESDは社会科と理科の教科書に掲載されていますが、これが一人歩きするモデルにならないか。しっかりとした実践をつくる必要があります。また、今は国策ですが、2015年からESDをどうするのか。お金に頼らない実践をつくる必要があります。
 私が個人的に提案したい課題として4つ目を上げておきたいと思います。最終的にはESDのEよりはSD、やはり市民社会と民主主義をもっと考えないといけないと思っています。リベラルな個人が社会を選択する、コミュリタリアンの視点とリベラルな視点がESDには必要と考えています。

【永田佳之氏】
 大学に勤務する以前は、ユネスコの共同センターの研究所に12年ほど在籍していた。現在もユネスコとの関係は続いており、先月ユネスコのESDの会議にも出席してきたので、今日はユネスコとESDについてお話ししたい。
 ユネスコはESDの主導機関とされているが、ユネスコのメッセージを権威として受け止めるのではなく、時には批判的に捉えることがESDと考えている。どのように受け止め、何をやっていくかが肝心だと考える。

≪ユネスコ内部のESD推進組織について≫
 ユネスコはESDの主導機関だが、ユネスコ本体の中では、非常に多様な構成でESDは進められている。
 まず、「DESD事務局」という「ESDの10年」の事務局がある。ちょうど今月に組織替えがあったばかりで、peaceとsustainabilityという二つの非常に大きなテーマを冠した、大きな組織になった。ユネスコスクールなどはここに入ってきている。
 つぎに、組織としてESDのことを提言、提案していくという組織「ハイレベル・パネル」というユネスコへの諮問機関。事務局にも関わる私からすると、雲の上の組織のような印象を受けるが、頻繁に開かれている会合ではないようだ。
 3つ目として、私が重要だと考えている「レファレンス・グループ」。DESD事務局への助言をしていくような団体で、例えば、地球サミットでも教育の方で活躍したチャールズ・ホスキンスなどの重鎮がこの中に入っており、ESDの方向づけを提言する。 
 4つ目は、MEEG(モニタリング評価専門家グループ)と呼ばれるグループ。定期的にESDの世界的動向をモニターしている。私も参加しているので、今日はここでの話を中心に行う。
 5つ目として、UNITWIN/ユネスコ・チェア。例えば大学ではユネスコ講座というのがあるが、ユネスコから認証された先生や幾つかの大学がそのネットワークを組んでESDをテーマにやっていく組織。
最後に、ユネスコ国内委員会、これは各国に存在し、もちろん日本にも存在する。各国国内委員会は、ユネスコの動向そのものに対して提言をして進めていくという立場にある。
 こういう多様な組織がユネスコの中にあり、その中で「ESDの10年」が進められている。

≪「ESDの10年」におけるESDの変化≫
 「ESDの10年」は、締めくくり会合とも呼ばれる、DESD最終年会合が2014年に開かれる予定。世界中の人がESDの成果を持ち寄って日本に集まるが、それに向け、評価事業がすでに始められている。
 3つのフェーズがあり、第1フェーズが2009年。これはもう報告書も出ている。諸活動の文脈と構造について、各国においてどういう構造でESDが進められているかなどが、この報告書で分かるようになっている。日本では、国立教育政策研究所のホームページからダウンロードが可能。
 現在は第2フェーズで、来年2011年に報告書を出す予定。この第2フェーズは今日のシンポジウムのトピックに合致しているテーマで、ESDに関するプロセスと学習である。2014年の最終会合開催地が日本であることはすでに国際的に決定済み。
 第3フェーズでは、DESDのインパクトと緒成果がまとめられる。この報告書をもって、DESDのレビューを終えるというミッションになっている。
 第1フェーズの特徴については、報告書からではなく、国際実施計画という、各国が翻訳し、ESDを実施時に指針としているIIS(International Implementation Scheme)の特徴から明らかにしたい。
 この実施計画の分析では、2004年度版を使用する。正式なものは、2005年度版だが、各国の思惑もあり、コアメッセージが明確な2004年度版ドラフトを用いる。
 2004年度版の中では、ESDの特徴が挙げられており、
  ・学際的かつホリスティックであること。
  ・価値指向であること。
  ・批判的思考と問題解決を重視していること。
  ・多様な手法。
  ・参加型、学習者の意思決定に学習者自身が参加するということ。
  ・地域が重視されていること。
 この6つの特徴の結果、ESDが目指すことは、価値観/行動/ライフスタイルを持続可能な未来に向けて変容させていくと書かれている。
 日本のESD実践では「知る」ことが重視されがちだが、その先の「深化」が求められていることがわかる。
 2009年にドイツで行われた会議から、第2フェーズが始まる。この会議から、ESDの特徴として言われていたことが変化してくる。リーマンショックの影響などから、不確実性の時代を迎えて、それらへの対応を求められるようになったためと考えられる。また、複雑な課題に対応できる創造的・批判的アプローチが求められるようになった。Critical とCreativeという言葉がここでも使われているが、複雑な課題に対応できるようにしよう、ということになった。3つ目が、短いスパンで物事を見ていくのでなく、長期的に見ていく、そういう思考をESDには培って欲しいということ。最後に、伝統的な知恵、先住民の知恵、ローカルな知恵ということが求められている。これらはまだドラフトの段階なので決定事項ではないがが、恐らく今後の会議では、こういう議論が熱く交じり合っていくと思われる。

≪第1段階と第2フェーズの変化と、今求められているもの≫
 第1フェーズと第2フェーズを比較してみると、最初は、ESDには複雑性の理解とか、民主的意思決定への参加などを相対化しよう、というような能力が求められていた。
 これが、第2フェーズではもう少しシンプルにされて、Futures Oriented Thinking、未来の思考と呼ばれるようになった。この場合の「未来」は複数形で、幾つかの未来を描いていく、そういう思考を指す。恐らくユネスコ本部では、自分たちの未来を想像していく、そういう力を養って欲しいと考えている。
 そして、全てが繋がっているというシステム思考、複雑性への理解を重んじている。また、複雑性を受容する新たな文化を重んじてほしいと考えている。要するに、リーマンショック以降、近代的な直線的な思考ではなかなか捉えられない事態が想定されているのだと思う。直線的な思考で捉えられないものに直面した際、パニックに陥っては困るわけで、それに対応できるよう、まず複雑性を受容する。それを受容する新たな文化を作っていく。つまり、予期せぬものとの遭遇にいかに応じるか。理解し得ないものに直面しても、きちんと対応していこうということがESDでは意識されている。
 そして批判的態度。これは一方的に批判するということではなくて、冷静沈着に、物事を客観的に見て判断していくという能力。
 最後に価値観の明確化。今、議論されているのが、自身の価値観を明確にしようということ。そして自身の価値観を明確にするだけではなくて、他者の価値観も受容していく、そういう力をESDで身につけて欲しいということが期待されている。
 手法としては、ロールプレイ、ビデオ。写真・新聞記事等多様な教材、ディベート、重大な場面を設定し、状況判断を問うというクリティカル・インシデント、ケース・スタディ、批判的なリーディング&ライティング、問題に基盤をおいた学び、フィールドワーク及び野外学習などが求められている。

≪新しい教育としてのESD≫
 ここまで考えてみると、ESDというのは、教育のあり方そのものを捉えなおす、そういう大きなチャレンジのように思えてくる。世界の見方そのものを変えましょうというのが、ESDのチャレンジなのかなと思っている。価値観の変容が求められているのではないか。
 ユネスコの本では、ESDは根幹、あり方そのものを説いていく、スライドでは「パラダイム変換」と表現しているが、ということも時々表現されている。新たな教育ビジョンとしてのESDであり、そこでは複雑性とか相互関連性に対応していくということになる。国際自然保護連合では、ESDは新たな教育学であると言っている。学習に対する新たなアプローチであり、教育者はファシリテーターとなるということも述べている。
 先ほどのグループワークでは「生き方、生き様を学ぶのがESD」、「人間としてのあり方を学ぶのがESD」という意見が出てきていたが、これは非常に重要な視点。では、求められるのは何か。

≪どのような変化が求められるのか≫
 実践レベルでは、例えば学習、学びに関しては「深化する学び」。価値観を揺さぶったり、または新たな価値観を創成したりする、そういう学びが求められるのではないか。
 カリキュラムレベルでは、一つのESDという科目を確立するのではなくて、どの科目にでもsustainabilityというトピックを入れていくというインフュージョン・アプローチが求められている。
 学校運営レベルに関しては、ホールスクール・アプローチ。要するに、カリキュラムを変えたり、校庭を変えたり、緑を植えたり、それだけではESDではないということ。

≪ESDの具体的なアプローチ インフュージョン・アプローチとホールスクール・アプローチ≫
 ここでは、インフュージョン・アプローチとホールスクール・アプローチの2つについて具体例を紹介する。
 インフュージョン・アプローチはユネスコも推奨しているが、ESDがカリキュラムに入らない、入れようとしても詰まっているという状況は各国共通の現象である。それに対して、ESDという新しい科目をするのではなくて、各科目の先生が意識してSustainabilityを学び、学校全体としてsustainableな学びを確立していくということが求められている。どの科目等を担当していても色々なやり方があるのである。
 イギリスでは、例えば、開発教育に関しては社会科と外国語で扱う、環境教育に関しては理科と体育で扱うなど、総合的な学校全体での取り組みをやっている。そして科目だけではなく、スタディ・ツアーや野外学習、フェア・トレードなどのエコロジカルな試みを行い、それらが繋がって学校全体がよりsustainableなコミュニティになっていく、こういう実践がイギリスなどで行われている。
 つぎに、ホールスクール・アプローチだが、イギリス政府は、それを一度に実現するのは無理だということで、ブレア政権の時にSustainable School Projectというのを始めた。その中で、「8つの扉」という提案が為された。学校で取り組みやすい「扉」からまず入ってもらい、その結果少しずつ「扉」を増やしていき、学校全体がsustainableになればいいということだった。2012年までに全ての公立学校で実施するというプロジェクトだったが、政権が変わってこれはなくなってしまった。しかしその知恵は共有しておきたい。
 例えば「食事と飲み物」、「エネルギーと水」、「旅行と交通」、「購買と資源(ゴミ)」、「建築物(校舎)とグラウンド」、少数民族や障害者の方などを排除しないでコミュニティを作るという「インクルージョンと参加」、「地域の幸せ」、そして「地球的な国際協力」。これは開発教育にも関わるが、地球的視野なもの。その結果、学校全体が地域と結ばれるという構想が描かれていた。これはホールスクール・アプローチのイギリスの例でもある。
 その他、ナミビアなど、ホールスクール・アプローチは、各国で行われており、学校全体の取り組みが必要だと言われている。
 もう1つは、タイ。「ゴミの分別」、「教室でのエコロジカルな学び」、「肥やし」などに色々な工夫がある。タイでは、政府でなく民間機関が7つの活動を提案している。
 例えば気候変動を教える。または地域社会での学習リソースを重視する。生物多様性の保全と意識を各学校で考える。学校でのゴミの管理を自立的にやっていく。タイの国王の哲学である「足るを知るライフスタイル」を学ぶ。そしていのちを大切にした製品を学校でも作る。最後に資源の効果的な利用をする。こういうような7つの活動を掲げてやろうという提案がなされている。

≪まとめ≫
 こうしてみると、ユネスコは色々なことを提唱しているようでありながら、幾つかのキーワードにまとめられると思う。
 学びに関しては、やはり創造的、批判的な思考、higher order thinkingと言われているが、高次の思考。私は「深まりの学び」と考えているが、これがESDに求められていること。
 もう一つは、インフュージョン・アプローチ。各科目全体に少しずつ持続可能性という概念を染み込ませていくことで、学校全体を変えていこうということ
 あとは学校運営、または経営として、ホールスクール・アプローチということ。カリキュラムだけではなくて、または校舎とかグラウンドなどのハード面だけではなく、生徒と先生の人間関係も含めて変えていきましょうということ。例えばイギリスでは、4つのケアを挙げていて、他者へのケア、地球へのケア、自然へのケア、そして自身へのケアをsustainableな学校でやっていこう、ということが言われており、そこで挙がっているキーワードとしては、caringな関係、お互いを思いやるというようなことになる。
どうしてもESDとなると、日本だけではなく環境が重視される傾向にあるが、このように社会面だとか、または経済的な側面も入れてやっていくということが少しずつ出てきて、定着しつつあるということを、中間点を過ぎた現在感じている。

4.全体ディスカッション
Q.1: 藤原先生の話についてですが、家庭教育におけるESDに関する議論はあるのでしょうか。
Q.2: 藤原先生の提案についてですが、福祉教育としてのESD、学校におけるシャドウカリキュラムと暗
   黙の掟について、詳しく聞かせてください。

A.1 & A.2
藤原: 家庭においては、民主主義についてキチンと語る必要があるのではないかと思います。本では、
    家庭教育について述べられてはいないので、次の課題になると思います。
永田: ESDの10年の中間年を過ぎて、初期の幼児教育、就学以前の教育が重要ということが強調され
    ています。幼稚園、保育園だけではなく、家庭教育もESDにおいて非常に重要であるという認識は
    高まっています。
藤原: 就学前教育におけるグローバル教育というのは確かに強調されていて、スーザン・ファウンテンも
    理論化し、4歳から7歳からグローバル教育が可能であるといっています。
小貫: 家庭教育というのは、判断力・価値観をどのように培っていくかというのに尽きます。学校では道
   徳教育はできません。教え込むことしかできないのです。国連も、人権に関する判断を鍛えるのは、
   ディスカッションを通じてであると述べています。全ては、結局、ディスカッションを通じて培われてい
   くものです。
     ただし、地域を掘り下げる場合、課題の共有によって、地域は作られていくのですから、対立の解
   消も含めて、そういうことに関する学び、教育に重きが置かれるべきです。学校教育において、課題
   教育をしようとすると、あまりに安易な解決にいたってしまいます。しかし、そういうのは課題解決で
   はありません。課題解決自体がさまざまな学びを含んでいるのです。それはシステム思考の考え方
   でもあります。そういうのがアクションリサーチ、地元学でもあります。
     小学校の先生は全教科を受け持つので、総合的な学習を自然にできています。そういう実践は児
   童にも響きます。私はそういう教育が重要だと思います。
永田: 課題解決に関連しますが、ESDのチャレンジは、問題解決にとどまってはいけないということで
   す。地域のごみ問題、海外援助の問題なども流行っていますが、問題を解決したらそれで終わり
   か、ということです。課題解決の結果、価値の変容、行動の変容・ライフスタイルの変容が起きると
   いうプロセスを引き起こすのがESDです。問題解決だけでは事は済みません。
山西: 1980年代の初頭に、南北問題に関する「人を食うバナナ」という教材がありました。非常にリアル
   な教材でしたが、この問題をどのように解決するかについての方法は当時全く見えませんでした。
   そうした「もやもや感」は、そのあとずっと引きずっていくものです。やっと10年経って、こういう解決
   策もあるという風になります。そういうプロセスの中で、自分たちの価値が揺さぶられるというのも大
   事です。
藤原: デモクラシーの話を深めていきたいのですが、変容の問題は、意思決定や社会選択の問題と関
   わると思います。課題学習の問題は、旧態依然の課題学習ではなく、課題から見える世界、課題か
   ら世界と繋がるということが重要であると思います。そういうものがなければ本当の意味でのESDに
   はなりません。自分と世界とのつながりが見えなければ、ESDではありません。あらゆる問題が世界
   とのかかわりを持っているということ、それが今のグローバリゼーションの時代の特徴なのではない
   でしょうか。だからこそ、ローカルからの変容が大事だという議論にもつながります。世界が突きつけ
   ている問題は、直感的には子供でも理解できます。そういうつながりが見えると、子供たちの中にも
   自分たちの足元から何とかしていこうという意識ができてきます。自分が変わることによって世界が
   変わりうるという可能性の認識、例えば、コミュニティレストランなどを通じて、世界中にそういうもの
   があるという認識へと繋がります。どうやって変わるのか、という問題もあり、ユネスコの最初の発言
   はどんどん薄まっていってしまうのですが、それでも、課題解決に関して、ユネスコは旧態依然では
   ない課題解決が重要であるという主張を残しています。
山西: これまで、地域を掘り下げるということにあまり焦点があたってきませんでしたが、開発教育の中
   で、そのアプローチを提示していこうという点で、この本は重要だと思います。

Q.3: コミュニティ教育が必要で、学校教育だけではどうしても足りないと思いますし、もっと広くコミュニ
   ティの人たちが入った学びの機会が必要だと思います。その点についてお考えをお聞かせ下さい。
Q.4: 永田先生の話にありました「包括的アプローチ」をした場合に、教師としての役割というのは何にな
   るのでしょうか。ファシリテーターとしてなのか、どういうふうに対応しているのか。藤原先生の話に
   は、評価計画というのがありましたが、教師の立ち位置によっては、評価というのもいらなくなるので
   はないかと思います。評価そのものはいらないと私は思うのですが、いかがでしょうか。
Q.5: 地産地消のレストランの話がありましたが、そこでは舌の感覚や味覚が重要になると思うのです
   が、人の感覚について、例えば、芸術という視点を取り入れることもできると思うのですが、いかがで
   しょうか。

A.3, 4 & 6
藤原: 評価については、教師だけが評価するのではなく、子ども自身が自分を評価するというのもあり
    ます。学校の教員が、子供との関係だけではなくて、広く開かれた関係を持っていくことが重要だ
    と思います。
永田: 学校運営協議会のような存在は重要だと思います。ESDに関して言えば、ガバナンスという点で
    も重要で、学校の場合、政治という側面、「隠れたカリキュラム」というのが非常に重要になります。
    学校に関わる人すべてが、自分が持続可能なコミュニティづくりの主体であると感じられること、変
    化の担い手になれるのだということが大切だと思います。ロジャー・ハートが述べる、本格的な参
    加ということ、学校を変えていくプロセスに参加していくということです。
     昔からの、教師の役割は知識を伝えることだという教育観がありますが、ファシリテーターとして
    の教師に期待しすぎる傾向にも疑問があります。
     ESDの享受にとって大切なのは、知識の伝達ではなく、教師のあり方、生き方そのものが、何か
    を伝えるということ、人間として深まるということだと思います。一つの存在として、教師のあり方を
    示していくということです。東アジアの問題として、父権的な教師主導の文化があり、その点を変え
    ていくことは東アジア諸国のチャレンジではないでしょうか。
小貫: 学校運営協議会の問題としては、形式的になってしまっているという面も実情としてあると思いま
    す。今は、形を整えるだけで精一杯、学生の参加はほとんどありません。 
     あらゆる実践が、先生だけではなく、多くの人、地域の人とのつながりにおいて、成り立っていい
    ます。先生は、それらをコーディネートする、ファシリテーターだと思います。重要なのは、①生徒
    主体、②地域との連携、③身のまわりから世界とつながる、ということです。生徒が見つけるのか、
    先生が与えるのか、という問題がありますが、先生の主体性も重要です。生徒が学ぶことへの支
    援としては、先生自身が持っている深い課題を生徒にいかに提示できるか、ということも大切になっ
    てきます。そうすることによって、生徒もより深い問題へと発展させていくことができます。たいてい
    先生が用意するものよりも、生徒が出すもののほうがよっぽど面白ですが。今、世の中が求めて
    いるのは、問題の発見です。それは社会、企業が求める人材でもあり、自ら問題を発見していくこ
    とが重要であると思います。
山西: 芸術や感性については、「ことばと国際理解教育」というシンポジウムがありましたが、ことばの中
    にある「身体性」の視点を盛り込むことによって、国際理解教育に寄与するものがあるのではない
    でしょうか。感性、身体というものの重要性です。地域の問題を語るときには、祭りなどのアートの
    要素が必ず入ってきます。そういうことをどのようにこれから語っていくのかが重要だと思います。
    ESD、SDというものが今後どのように展開していくのか、という点において、今日の議論は最先端
    のことが出てきたと思いますので、今後どのような社会を作っていくのかというプロセスに、皆さん
    が参加していくことになるのだろうと期待しております。
田中: 今日は長時間ほんとうにありがとうございました。






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