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2009年度全学カリキュラム総合B科目:
 「ESD-持続可能な開発と教育 <持続可能な世界はいかにして可能か>」

 

【第8回 開発教育(1)】
2009年6月10日(水)  担当:湯本 浩之


 本授業では、開発教育の始まりと展開について説明する。開発教育は「教育」という名がついていても、学校教育よりもNGO中心におこなわれていた。


1.今日NGOと呼ばれる民間ボランティア団体による活動は、国連が発足する以前からすでに始まっていた。こうした活動は戦争を機に始まることが多いのだが、それは戦禍に疲弊した政府に代わって、被災者・被害者に対する支援が草の根で行われるからである。また、1960年は「アフリカの年」と言われるように、60年代には多くの独立国が誕生したが、その一方でアジア・アフリカなどの「南」の国々の飢餓や貧困がクローズアップされるようになってきた。NGOだけではなく、欧米の各国政府も国際ボランティア派遣機関を発足させて、「北」の多くの若者が専門家やボランティアとして「南」の飢餓や貧困の問題に出会っていく。その時に出会った「南」の飢餓とはどのようなものであったか、視聴覚資料をもとに考える。

〔ビデオ:BS世界ドキュメンタリー〕
シエラレオネ出身のイギリス人ジャーナリストが、エチオピアの飢餓地帯の農村を訪ね、約1ヶ月間、飢餓を体験するという内容。

 このように、60年代以降、NGOをはじめ、政府機関や国連機関を通じて、「南」の苛酷な現実に直面し、開発問題に取り組む人々の数は飛躍的に増加した。しかし、その一方で派遣される専門家やボランティアには任期があるため、その多くは現地に長期滞在することは少なく、志半ばで帰国の途につかざるを得ない。しかし、母国に帰国した後、彼ら/彼女らは、自分の家族や友人、職場や地域の仲間たちの多くが、「南」で起こっている現実や国際協力に対して無関心であるばかりでなく、「南」に対する誤解や偏見を抱いていることに気づいていった。こうしたことから、問題は海の向こうだけではなく、自分たちの身の回りでも起きているのではないか。「南」に援助するだけではなく、自分たち「北」の人間の考え方も変えていかなければならないのではないかと考える人たちが出てきたのである。こうした問題意識の中から、開発教育という活動がNGOや国連機関の中から生まれてくることとなった。


2.1980年代末のベルリンの壁の崩壊やソ連解体などによって、東西冷戦の終結が期待されたが、実際には、90年代の「南」の各地では民族対立や宗教対立が助長される結果ともなった。その象徴的な事件が9.11事件である。ノルウェーの平和学者ガルトゥングは、70年代に「構造的暴力論」を提示している。彼は人の手による暴力である殺傷や破壊を「人為的暴力」と呼ぶ一方で、「南」の国々に顕著な飢餓や貧困なども人の命を奪う暴力であり、政治や経済や社会の構造が目には見えにくい暴力をもたらしている。人為的暴力のみならず構造的暴力をも無くしていかない限り、本当の平和は訪れないと主張した。開発教育は、ガルトゥングのいう「構造的暴力」に取り組んできたとも言えるが、9.11事件は、テロや暴力などの人為的暴力に対して、開発教育は何ができるのかという問題が突き付けることにもなった。
 また、90年代には、国連主催の一連のグローバル会議が開催される中で、地球規模の諸問題(global issues)が、それぞれ密接に関係していることが認識されるようになり、開発教育も開発問題と環境、人権、平和、文化などの問題との関係を論じるようにもなった。開発理論の面では、「開発=経済開発」とする従来の考え方から、人間開発や社会開発、そして持続可能な開発といった「もうひとつ(第三)の開発」論が議論されるようになり、こうした議論を踏まえて、2005年には「持続可能な開発のための教育の10年」が国連から提唱されている。こうした開発理論の移り変わりと並行しながら、開発教育では常に「望ましい開発のあり方」が検討されてきた。


3.次に、開発教育がどのようなものか、開発教育の先進国であるオランダの例を見てみる。

〔ビデオ:オランダの開発教育〕
-国の政策として開発教育が重要なものとして位置づけられ、国とNGOが連携している。
-「南」の途上国の視点を取り入れることを重視し、日常のあり方を理解させている。
-博物館と学校が連携して開発教育が行われている。

 それでは、日本の開発教育はどのような変遷をたどってきたのか。日本では、1979年に都内でおこなわれた開発教育のシンポジウムをきっかけに、その参加者によって開発教育協議会(現在の開発教育協会)が発足した(1982年)。1990年代には、ワークショップなどの参加型学習の手法が取り入れられるようになり、開発教育の方法論についても多くの議論と実践がなされるようになる。さらに、2002年から導入された「総合的な学習の時間」をきっかけとして、学校現場での開発教育の実践や、学校とNGOとの連携が模索されるようになっているが、「ゆとり教育」や「総合学習」に対する批判が高まる中で、学校現場で開発教育をどのように実践していくのかが課題となっている。  

 

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