【第9回 開発教育(1)】
2009年6月17日(水) 担当:石川 一喜
まず、ショートフィルムをみた-人々が不可解な、見知らぬものを前にしたときに持つ不安や葛藤を表現した内容。
私たちは常にどうやって生きるのか、ということを考えて生きている。そのことを念頭に置いてもらいながら授業を進めていきたい。開発教育は本質的に「生き方」「在り方」が問われるものである。
1.開発教育の始まりについて。これまで、「開発」という言葉の変遷や、「シャンパングラスの図」に示される格差世界の確認してきた。さらに100ドル~200ドルで暮らす人の割合を表して作成された「ゆがんだ世界地図」や、エコロジカル・フットプリントを見ると、地球が持続不可能になっていることがわかる。こうした問題に対して、教育の力を借りて、みんなが意識をもって取り組めば解決できるのではないか、ということから開発教育に取り組む人たちが出てきたのである。
開発教育の系譜の一つに、ブラジルの教育学者パウロ・フレイレの考え方がある。フレイレは学習形態を2つに分けて説明した。一つは、教師の説く内容をただ知識として詰め込むだけの「銀行型教育」、もう一つは、自ら主体的に問題を提起し考えていく「課題提起型教育」である。これは、人間をより人間らしくし、現代世界を変えていく教育だとする。 また、フレイレは農民に対する識字教育も重視して実践した。文字を持つことは一つの力であり、情報を発信するために必要だからである。開発教育も、知識を詰め込むだけではなく、ポジティブに情報を発信していくものである。その手法として一つの参加型学習が求められている。
2.スライドの視聴。
-2人の画家が描いたスライドを見て、日本についてのイメージがどのように描かれているか、また絵の描かれ方の違いを考える。
一方は日本に来たことがなく、見聞したことのみで日本について考えているのに対し、もう一方は訪日したときにとったスケッチをもとに描いている。実際に自分が見聞きするのでは得られる情報量が違うので、絵の違いも顕著である。情報(知識・知恵)を得ることにおいて、聞くだけではなく、見るという行為を加えることは、その質をより高めてくれる。
-老子の言葉に次のようなものがある。また、これらに学びの行動を加えてみる。
If I hear it, I forget it. (講義、スピーチ)
If I see it, I remember it. (スライド、パンフレット)
If I do it, I understand it. (ロールプレイ、実習等)
この老子の言葉にさらに「If I find it, I use it.」=「もし見つけた(気づいた)のであれば、実践できる」という言葉がいつしか付け加えられていく。参加型学習を重視することは、これらの言葉に裏付けられる。
コルブのモデル「わかりやすい学び方の四分類」や、「ちがいのちがい」のワークショップなどを通して考えてみると、学びの形や視点の持ち方の多様性がわかるだろう。ジェイ・ホールの、「グループが協力して導き出す結論は、各人が考える方法の平均値を上回るもっとも優れた個別のアイディアと比べてもはるかに優れた結果になることが多い」という言葉からも、知恵を出し合えば学びは深まっていく、ということが確認できる。
3.最後に写真を用いたワークショップをおこなった。群集の目の前でトラックの荷台のようなところから箱のようなものを投げ落とす男たち。このまわりはどうなっているだろうか想像して書き込んでみる、というワークであった。ここから導き出される学びは、私たちは見えている枠以外を知ることはないし、想像しようともしないということである。開発教育は、このように限られたものだけではなく、より物事を広く視点をもって考えることができる人へと促していく教育活動である。
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