Diary

ハーバードからこんにちは


たきかわ at ハーバードの滞在記です。
不定期に更新する予定です。
知的な内容をお求めの方は、お願いですから、他のサイトを当たってください(笑)

★目次★


★「こんにちは」シリーズ

☆それはスパシーバから始まった…

日本から飛行機を乗り継いで17時間、やっとのことでボストンに到着した9月1日のこと。
なんとかホテル(Harvard Square Hotel)に到着し、飲み物を買いに行くべく街に出た。
運良く、7-11(セブンイレブン)を発見。そこで水を買うときのレジでのこと。
どのコインがいくらのコインなのかわからないながらも、なんとか支払いを済ませたら、

店員「スパシーバ?
瀧川の心の内「えっ、なに?」
店員「スパシーバ?
瀧川の心の内「えっ、なんで? ここはアメリカなのに? なぜロシア語で『ありがとう』? もしかしてこの店員さんロシア人? そうは見えないけど。 アメリカでロシア語が聴ける、これが冷戦終結ってやつなのか? でも、なんでこっちがロシア語分かるって分かったんだろう? 俺ロシア人に見えるか〜? しかも、なんで、『ありがとう』と言いつつ疑問文なんだろう? 『ありがとう?』っておかしくないか? どうなってるんだぁぁ…」

こうして、重苦しい敗北感と共に店を立ち去りました。
後になって、店員さんが言っていたことがようやく判明しました。
彼は「a plastic bag? (袋いる?)」と言っていたのだと。

この出来事は、英語力の不安を如実に晒し、今回の滞在の困難さを予想させるものだった…


☆ハーバード・リス

ハーバード大学のメインキャンパス(Harvard Yard)を歩くとすぐに気づくのは、
そこに美しいリスが生息しているということだ。
体の大きさは日本のリスト同じくらい。
けれど非常に特徴的なことに、非常に神々しい銀色の羽のような尾がついている。
その尾の動きには、思わず立ち止まって、みとれてしまう。
ナッツを持ち歩いていようものなら、なんとか手から食べてもらおうと努力してしまう。

でも、もっと驚かされるのが、ハーバードの誰も、このリスたちに関心を示さないことだ。
最初は、心のきれいな人だけに見えるリスなのかとも思った。
けれども、彼らにもリスは一応見えているようだ。
ということは…。いろいろ考えて得られた結論。

彼らにとって、リスはハトなのだ…


☆ダライ・ラマ

新学期早々に、ダライ・ラマがハーバードにやってきた。
「ダライ・ラマ来る!」の情報を得たので、生ダライ(?!)を見るべく、
ハーバードのチケット・センター(Harvard Box Office)へと向かった。

しかし、時既に遅し。
発売間もなく完売(といっても無料)、徹夜組も出たという。
ダライ人気を、まざまざと思い知らされた。

当日は、ダライ・ラマがいるMemorial Churchには行かず、
Science Centerで、講演の同時放送を見ることにした。
こっちのほうもスゴイ人で、立ち見で満員だった。

ダライは、赤い袈裟を着てメガネをかけたおじいちゃんだ。
基本はチベット語だけど(一応英語通訳付き)、英語も話す。
でも、英語と思って一生懸命聴いていると、
いつの間にかチベット語になってる、ちょっと変な講演だった。

ダライは、結構お茶目でよく笑う。
自分で面白いことを言って、自分で笑っていた。
もちろん、ありがたそうな話もしていたのだが、
一番印象に残ったのは、出だしのつかみの部分だ。

ダライは、講演の冒頭で、招待者である学部長たちにひとしきり挨拶した後、
学生達に向かって、こう語りかけた。
「新学期ということで、みなさんの学業が成就するように、お祈りいたします。
 といっても、そんなに御利益ないんだけどね〜(笑)」(翻訳:たきかわ)

こうしてダライは、みんなのハートを鷲掴みにして、話を進めていった。
一流というのは、つかみが一流なのだということを思い知らされて、
会場を後にした…


☆右を見て、左を見て、右を見てから渡りましょう

言わずとしれたことだが、アメリカは車両が右側通行だ。
頭で分かってることだが、これが意外と厄介だ。

日本で育った人なら、子供の頃に、
「右を見て、左を見て、右を見てから渡りましょう」と習ったはずだ。
しかし、この教えは、左側通行の国でしか通用しない。

哀しいかな、「雀百まで踊り忘れず」。
一度身に付いた習慣からは、なかなか抜け出すことができない。

アメリカだと、右を見て、左を見て、右を見てから、もう一度左を見る必要がある。
こうして、横断行動がワン・テンポ遅れる結果、
何度か危ない目に遭うことになった…


と、考えているうちに、大発見をしてしまいました。
これが、嘘のような本当の話なので、心してきいてください。

先に書いたように、日本で育った人は、道路を横断する度に、
「右を見て、左を見て、右を見る」という動作を行っている。
つまり、右を見るのは2回なのに対し、左を見るのは1回なのだ。

こうした長年の習慣の結果、
左を向くより右を向く方が簡単にできるようになっている

逆に言うと、
右を向いたときより、左を向いたときの方が、首の突っ張り感があるのだ!!!

読者諸君には、是非試してみてもらいたい…


○道路横断 その2

道路横断に関する、小ネタをもう一つ。

ハーバード周辺では、信号無視が頻繁に行われる。
もちろん車両は信号を守るけれど、
歩行者は、赤信号が存在しないかのごとく、道路を横断する。

この現象は、アメリカで一般的なのだが、
ハーバード周辺では特にひどいそうだ。

その理由は、一説によれば、ハーバード大学生の意識にあるという。
つまり、ハーバード大の学生たちは、
「運転手さんよ、もしおいら(あたい)をひいたら、損害賠償額は高いよ〜。」(意訳)
との意識の下、信号無視をして道路を横断するらしい。


☆骨折

ハーバードのキャンパスを歩いていて気づくのは、
ギプスをしている人の多さだ。
ほぼ毎日のように、骨を折った人に出会う。

これは別に、骨を折ったある特定の人に、毎日出会うということではない。
毎日別の、骨を折った人に出会うのだ。
ある時は、脚の骨を折って松葉杖をついている男子学生に、
またある時は、腕の骨を折って腕をつっている女子学生に。

そして今日は、私の受け入れ教官であるスキャンロン教授が、
右手小指にギプスをして、講義に現れた。

この頻度はおかしい。
どう考えても、骨折しすぎだ。
普通の人間は、そう易々と骨を折ったりしないはずだ。
ハーバード・キャンパスには、なぜこんなに骨折者が多いのか?

あれこれ考えて、得られた結論:

  ハーバードの教授・学生といえども、
  きっと勉強には骨が折れるのだろう


お後がよろしいようで…


○松葉杖

前回骨折について書いた翌日、
松葉杖の三連荘(れんちゃん)を見てしまいました。
というわけで、松葉杖関連のちょっとしたお話を一つ。

家の近く、歩いて70歩くらいの所に、薬屋さんがある。
その薬屋さんがかなりクールだ。
普通の薬屋と同じように、いろいろな種類の薬や、
ビタミン剤、ティッシュペーパー、電球なんかも置いてあるのだが、
特筆すべきは、「松葉杖(crutch)」だ。

なんと店には行ってすぐ左、ショウウィンドーの一番目立つところに、
いろんな種類の松葉杖が、陳列されているのだ。

日本でいえば、ダイコクやマツキヨの入り口に、
松葉杖がずらっとおいてあるところを想像すれば、
それがどれだけ奇異な光景かおわかりいただけるだろう。

アメリカの懐の深さを知った出来事だった…


○リス、その後

クリスマスが近づいて、ボストンは暖かくなってきた。
おかげで、一時60センチくらい積もった雪もだいぶ溶けてきた。

そんなわけで、家の近くに散歩に出てら、大量のリスに遭遇。
喜び勇んで、ピーナッツをあげることに。

でも、警戒心の強いリスは、なかなか食べようとはしてくれない。
そんななか、一匹のリスが一目散にこちらへ。
「やった、ピーナッツを手から食べてくれた」と思った瞬間、
右手人差し指に激痛が!
思ったよりずっと鋭い前歯で、ざっくり噛まれました…

それでもやっぱり、リスが好き☆


○道を聞かれる

とても頻繁に道を聞かれる。

こちらに到着した翌日から、道を聞かれた。
その後もひっきりなしに道を聞かれている。

何を隠そう、私は日本にいるときから、
道を聞かれやすいタイプの人間だった。
では、道を聞かれやすいタイプとはどんなタイプなのか。

こういう問いを考えるときは、
「自分が道をきくとき、どういう人に道を聞くか」を考えるのが常道だ。
そうして浮かび上がってきたのが、次の3要件だ。

まず第一に、道を知ってそうなこと。
その場所のことを知ってそうな、nativeな人に聞くのが普通だ。

第二の要件が、親切に教えてくれそうなこと。
道を知ってそうでも、足早に通り過ぎていきそうな人には、尋ねにくい。

第三に、正確に教えてくれそうなこと。
道を知っていて、親切心がありそうでも、
正確に道を教える能力に不安がありそうな人には、尋ねないものだ。

こう考えると、どうやら私は、

第一に、Harvardの地理に通じた地元民で、
第二に、やさしさの固まりみたいな顔で街を闊歩していて、
第三に、的確に説明する堪能な英語力を持った人間として、

ここらの人々には見えているようだ。

こういう「見せかけ」は大事にしていきたいものだ…


☆道を聞かれる2

それは、夜9時頃、図書館から家路を急ぐ途中のことだった。
寒くて暗い道をとことこと歩いていたら、
背後から、車のクラクション。徐行して接近してくる気配を感じた。

まさか自分に近づいてくるわけではないだろうと思っていが、
その車の目標が自分であることに気づくのに、時間はかからなかった。

「こんな夜遅くに、まさか薬(ヤク)の売人(バイニン)?!」
関わり合いたくなかったが、運転手の女性はおもむろに窓を開け話しかけてきた。

「空港まで行きたいんだけど」

うわぁ、車に乗ってる人にまで道を聞かれたよ!
それにしても、こんな時間に車で空港? 道も知らないのに?
しかも、ここから空港までは自動車で30分はかかるのだ!

というわけで、「空港は基本的にはこの方角だけど、
車で30分から40分はかかるよ」と説明した。

だけど、彼女は納得しようとはしない。
「どうやっていったらいいか、教えてくれ」という。

そんなこと言ったって、道は複雑なのだ。
自宅から空港まではいつもタクシーを使っていたが、
ボストン名物の一方通行を抜けるために、何度も右折・左折が必要だった。
だから、「基本的にはこの道まっすぐの方向だけど、そこからの道は複雑で、
途中何度も曲がる必要があるから、簡単には説明できないんだ」と伝えた。

それでも、彼女は納得しようとしない。
なんとか道を聞き出そうとしている。

しかたがないので、こう告げた。
「とりあえず、この道をまっすぐ進みなさい。
 それで次に出会った人に、道を聞きなさい。」

彼女は不満げな表情を浮かべて、車を走らせていった。
でも、ベストは尽くしたと自分を慰めつつ、家に向かった…


○グアンタナモ Guantamo

こうして米国に約半年滞在してみると、
米国自体が一つの世界(world)であることに気づかされる。
広大な国土、そこに住まう多様な人々。
これは、米国人が諸外国に無関心であることにつながっているだろう。

先日のアカデミー賞授賞式では、司会者が、
巨大スクリーンに映しだされたサダム・フセインの写真を指さして、
「こいつは穴が大好きなんだ」といって会場を笑わせていた。
趣味の悪い冗談だ。
だが、フセインが穴にいるところを捕らえられたということ以外に、
戦争の背景などに関心を持っている一般的な米国人はほとんどいないようにみえる。

先日、ボストンのに本領事館から、メールが届いた。
在留届を出しているため、渡航情報などの情報を時折メールで送ってくるのだ。
文面は、米国におけるテロに気をつけろという。
アルカイダがテロ声明を出したことに関するものだ。
そのメールに書かれたアルカイダの声明は、私の目から見ると、
それほど過激な主張に思われなかったが、次の文面が目を引いた。

「米国人や米国兵の父母は、息子や米国兵の死体が戻ってきたら、
 イラク、パレスチナ、アフガニスタン、チェチェン、カシミール及びグアンタナモ
 米国が犯している犯罪を思い出すがよい。」

イラク、パレスチナ、アフガニスタン、チェチェン、カシミールはわかるとして、
グアンタナモ(Guantanamo)?
恥ずかしながら、この言葉を見るのは、このメールが初めてだった。

調べてみたら分かるが、恐るべき話だ。
キューバ南東部にあるグアンタナモ空軍基地で、アメリカは、
国内の法律に拘束されず、テロ容疑者を無期限で拘束している。
でも、この手の情報は、普通に暮らしていれば流れてくることはない。


☆ダイエット・コーク

昔は、コーラなんて飲まなかった。
日本にいたとき、多分少なくとも10年は飲んでないと思う。
マクド(マックともいう)で飲み物を頼むときも、
やっぱりウーロン茶か爽健美茶だった…

去年の9月にアメリカに向かう飛行機でのこと。
となりに座ったのは、旅慣れた感じの台湾人の青年だった。
フライトアテンダントが彼に、「飲み物はいかがしますか」ときくと、
彼は間髪入れずに、「Diet Coke」と答えた。
単なるコークじゃなくて、ダイエット・コークなのか、と
不思議な印象を持った…

月日は流れた。
今や、毎日ダイエット・コークを飲んでいる自分がいる。
レストランとかに行って、「飲み物は?」ときかれると、
喜々として、「Can I have Diet Coke?」と言ってしまう。
冷蔵庫にはもちろん、どっさり買い置きがあるし。
風邪を引きかけたときには、コークを飲めば治るという、
アメリカの民間療法を信じつつある。
これって、やばいんでしょうか?


○イラク人質事件

たまには硬派な話題ということで、イラクでの邦人人質事件。
きっと日本ではかなりの報道量だったと思うのだが、
アメリカでは、ほとんど報道がなかった。
せいぜい、小泉首相とチェイニー副大統領の会談で人質事件が話し合われたことくらい。
(テレビで、アメリカ人の60%は、アメリカの大統領はブッシュと思っているが)
 90%のアメリカ人は、チェイニーが大統領だと思っている、って茶化していた)

アメリカの国際ニュースは、基本的には、
アメリカが海外でどのような活動をしているかを報じていて、
純粋な海外のニュースはほとんど報じられない。
それもあって、イラク人質事件の報道量には圧倒的な落差があった。

で、このネタを持って、受け入れ教官であるScanlon教授に質問に行ってきた。
解放前だったので、質問はズバリ、「自衛隊は撤退すべきか否か」。
Scanlonが提唱する契約論では、この問題は難問だ。なぜなら、
「テロに屈すると更なるテロの脅威に晒される」という議論は、彼の理論枠組では使えないはずだからだ。

彼の部屋へ質問に行ってまず驚いたのが、彼がこの事件の存在を知っていたことだ。
大半のアメリカ人は知らないにもかかわらず、さすがに彼は知っていた。

Scanlonは、イラク戦争には反対だったが、戦争が起きてしまった以上、
イラク再建のために米軍も自衛隊も必要だという一般論を述べてから、
イラクが危険と知って行った以上、自衛隊を撤退する必要はないといった。

Scanlonの議論は、単純な「自己責任論」とは違う。
「自分で選んだんだから責任を負え」とは彼は言わない。
「責任を負わせることがfairだと言えるほど、われわれが手を尽くしたか」を問題とする。

さらに続けて、テロの脅威増大論を付け足し始めたので、
その議論は、あなたの議論枠組では使えないはずだと釘を刺しておいた。

結局、Scanlonは、「日本政府が退避勧告を出していたか否か」が重要だと言っていた、
と、思う…
「と、思う」というのは、彼の英語はアメリカ人の中でもぶっちぎりのスピードで、
今回もこっちにお構いなしでまくし立ててたからだ。

最後に、私自身は、退避勧告の有無より、テロの脅威が増大する方が問題だと思うと言っておいた。
そういう意味では、功利主義的であり、Scanlonの議論とは相容れない。
でも、退避勧告を発していたか否かが決定的に重要だとは、やはり思えないのだ。


○ボストン・マラソン

4月19日、晴れ。最高気温27℃。
この時期にしては異常な暑さの中、ボストン・マラソンが行われた。

というわけで、見に行ってきました、ボストン・マラソン。
ゴールラインのあるコプリー・スクエアまで地下鉄で行こうとしたら、
当日は停まらないとのこと。やむなく一駅手前で降りて、歩いて向かった。

同じ考えの人もいっぱいいて、みんなでぞろぞろと歩いていった。
ゴール地点のボストン図書館前に着いたときに、ちょうど女子の一位がゴールイン。

実はマラソン観戦は初めてだけど、これが意外と盛り上がった。
選手が近づいてくると、アナウンサーが選手を紹介して盛り上げる。
観客はそれに応えて、拍手と口笛でお出迎え。

このアナウンサーが、盛り上げるのがうまい。
地元ボストンの選手を紹介するときは、ひときわおおきく紹介する。
合間に、レッドソックスがヤンキースに勝ったことまでアナウンスしていた。

さらに驚くことに、日本人選手には、日本語でお出迎えだ。

「スズキセンシュ、オメデトウゴザイマス。
 ボストンニ、イラッシャイマセ。」

「いらっしゃいませ」はなんかお店に入ったみたいでおかしい気もするが、
たぶんご愛敬だろう。
来年こそ走ってみようかな〜(嘘)


○トラブった…

海外生活で一番避けたいのは、トラブル。
にもかかわらず、思わぬところでトラブってしまった。

法哲学だけじゃなくて英語の勉強もしないとと思い、
ハーバード・エクステンション・スクール(Harvard Extension School)で、
火曜と木曜の夜に、英語のスピーキングのクラスをとっていた。

講師はリンダ(Linda Elizabeth Manning)という名の40才くらいの女性。
おもしろくないことを言っては自分で笑って、よけいに場の空気をさますタイプの人だ。
で、ほとんど自分一人か特定の生徒とだけしゃべっていて、
肝心のスピーキングの時間がほとんど与えられなかった。
他の生徒と話しても、これじゃあだめだよなという結論だったので、
リンダに直接提案することにした。

授業が始まるちょっと前にクラスに行って、「提案があるんだ」とリンダに話しかけた。
couldやwouldを駆使した丁重な言葉遣いで、
もうちょっと生徒のみんなが話す時間を増やしてくれないかと言ってみた。

ところがだ。
驚いたことに、彼女は不機嫌そうな顔で話を聞いた後に、
「てことは、あんたはこのクラスが大嫌いってことね、フン」と言い放つと、
その後は授業の間中、私を無視するに至った。

おまえは子どもかと思ったが、話しかけても無視されるので、
彼女の上司にメールを送ってみた。

しかし、音沙汰なし。
仕方がないので、ハーバード・エクステンション・スクールの委員会に、
こういうことがあって辞めことにしたから授業料を返してしてくれとの申し立てをした。

ということで、結論が出るのを待っていたら、なんと請求却下の連絡。
文面によれば、その委員会がリンダに話を聞いたところ、そんな事実は全くないと言ったとのこと。
しかも、クラスでテロの話をしているときに彼(私のこと)が突然怒りだしたのが原因だと言ったらしい。
なぜテロの話で怒り出すのか不明だが、なんと委員会は彼女の証言を信じたのだ。
しかも、委員会は、リンダの上司に話を聞いていた。
当然、その上司はリンダを擁護する発言に終始したとのこと。
もし、生徒に話を聞いたら、クラスがどんな雰囲気かわかったろうに。

中立の委員会ということで甘く見ていたことがよくなかったのかもしれないが、
結局、内輪の問題はなかったことにして済ますのが、
ハーバード・エクステンション・スクールの流儀のようだ。

ということで、私怒っています。
怒りはパワーの源になるということで、
長文のクレーム・レターを英文で書いて送りつけておきました。

でも、学生からの意見には、謙虚に耳を傾けなければならないということを
改めて学ぶことができて、僕の人生にとってはよい経験になったかもしれない。


○同性婚

2004年5月17日深夜0時1分

なにげなくテレビを見ていたら、ケンブリッジ市市役所から生中継。
アメリカで最初の合法的な同性婚カップルの誕生だ。
テレビ画面では、年の頃50才を過ぎた婦人が二人、
書類(婚姻届)にサインしている。

事の起こりは、昨年11月17日マサチューセッツ州最高裁の判決だ。
4対3の僅差ながら、同性婚の禁止を州憲法違反と判断し、
州議会に180日以内に措置を取るよう命じた。
しかも、今年の1月に議会が裁判所にその趣旨を確認したところ、
単にシビル・ユニオン方式を認めるだけではだめで、
法的婚姻を認めなければならないといったから、さぁたいへん。
マサチューセッツ州議会で、連日侃々諤々の議論が繰り広げられた。
結局3月に、同性婚を禁止する州憲法改正案を可決して決着が付いた。

ところが、州憲法を修正するためには、次の会期の議会での承認と、さらに住民投票が必要になる。
予定通りいったとしても、州憲法が修正されるのは、2006年以降のことになる。
そこで、半年経って最高裁判決が効力を持ち始めたために、
2004年5月17日から、同性婚が合法化されるに至ったというわけだ。

ケンブリッジ市は、ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学などを抱え、
リベラルなマサチューセッツ州の中でも、革新的な土地柄で知られている。
マサチューセッツ州の他の自治体は、17日の通常の午前8時30分から受け付けるのだが、
気の利いたケンブリッジ市長は、午前0時1分から、受付を始めたのだ。

ということで、家からケンブリッジ市役所まで、走って行って来ました。
家から市役所までは、走って(車じゃなくて足で走って)10分くらい。
途中、こちらに向かってくる人の波を見て、
もう盛り上がりは終わったんじゃないかという不安を抱えながら走っていくと、
ライトアップされた市役所と、たくさんの観客とポリスが待ち受けていた。

バンドまで繰り出して、それはもうお祭り騒ぎ。
周りを見ると、僕のような野次馬もたくさんいるけれど、
同性のカップルもたくさんいた。
男性同士、女性同士で、喜び合い、抱擁し、口づけを交わしている。

人垣であまりよく見えないのだけれど、
同性カップルが市役所に入ったり、市役所から出てきたりするたびに、
大きな歓声が巻き起こる。
意外なことに、女性のカップルのほうが多いくらいだ。

なんとか前のほうに進んでみたら、
市役所から届けを終えて出てきた同性カップルを見ることができた。
みんながおめでとうの大合唱。
本人たちも、満面の笑みを浮かべている。

なんであれ、結婚とはいいものじゃないかと思わされた。


○ビザが取れない…

ビザ。査証ともいう。
外国に入国するために必要となる書類。
短期の旅行なら免除される場合が多いが、長期滞在となると必須だ。

一時帰国するに際して、ビザの更新が必要となった。
昨年7月から、アメリカのビザ制度が変わり、
ビザの申請に際して面接が要件となったのは、ニュースでも報道されたとおり。
でも、同種のビザなら面接は不要。
具体的にいうと、私の場合はJ1という研究者のビザなのだけれど、
次もJ1のビザを申請する場合には、面接は不要。

のはずだった…

7月2日。
おととい帰ったばかりだというのに、時差ボケをおして、
大阪の淀屋橋にある米国総領事館にビザの申請書類を出しに行った。
書類を、領事館の中にあるポストに入れれば完了。
のはずだった…

領事館の中へ入ろうとすると、警備員に止められる。
「え〜と、ビザの申請書類を提出に来たんですけど…」
「あっ、これ見て」
渡されたのは、一枚の紙。
読むと、昨日(7月1日)から制度が変わり、ほとんど全員に面接が必要になったという。
もちろん、私も面接が必要に。

ちょっと待ってくれ。
その告知自体は6月24日にあったらしいが、そんなの聞いてないよ。
「何とかしてくれ」といっても、
とりあえず面接予約をネットで取れという。

仕方なく急いで家に帰り、ネットで面接予約を取る。
が、案の定、面接は混み混み。一番早くて、8月4日。
しかも面接から、ビザ発給まで2週間近くかかる。
これじゃあ、7月中にアメリカに戻る予定が狂ってしまう。

土日と独立記念日を挟んでいたので、7月6日にまた領事館へ。
なんとか今日中に面接してもらうべく、
座り込みとかハンストも辞さない構えで向かった。

領事館の前で、入れろ入れないの押し問答(ほんとはもっと紳士的)。
約1時間くらい粘ったのだが、どうしても入れてくれない。

仕方なく、領事館を後にして、
領事館の電話番号を調べて、領事館に直接電話したり、
東京の米国大使館の情報ダイヤルに電話したりするも、らちが明かない。
結局、大量の汗と徒労感とともに帰宅。

最終手段として、領事館査証課へファックス。
こっちの事情を事細かに説明。A4で2枚くらいに。
さらに、大学の事務局へ行って、もしやばい場合には、
領事館に学長名のファックスを送ってくれるようお願いした。

と、米国領事館から、運命のファックスが!
4日後の日付けで、面接確認書を送ってきた。

あとは、当日朝9時に面接に行って、しばらく待ったら呼び出されて、
「写真の背景が青はダメ、白で取り直してきて」といわれ、
領事館近くの写真屋に写真を撮りに行って、
結局3時間待って、アメリカ人のおばちゃんに面接受けて、無事終了。
発給は面接から2週間以内といわれたけど、結局3日で到着。

やればできるじゃん。

長かった夏が終わった。
でも、こうしたごたごたのせいで、いろんな予定がお流れに。

それから、入国審査でも、いい気持ちはさせられなかった。
今のアメリカのやり方は、多分アメリカのためになってない。


☆シンポジウム後記

7月1日。
帰国報告に大学へ行くと、ファックスが届いていた。
シンポジウムでの講演依頼だ。
内容を見ると、あの江川紹子(後に山口正紀さんに変更)と高橋源一郎を脇に従えて、
「自己責任論」について、メインで講演しないかという話だった。

こんな面白そうな話に乗らないわけがないでしょうが。
有名人に会える、またとないグッドな機会だし(結構ミーハーだったりする)。
相手の気が変わらないうちに、翌朝早速、承諾のメールを打ちました。

それからというもの、
「ビザが取れない…」でも書いたビザ取得問題のせいで、順調とは言えなかったが、
イラク人質事件の「自己責任論」についての資料を、こつこつ検討していった。
そうこうするうちに気づき始めたのが、
どうやら自己責任論を単に批判するという話にはならなさそうだということだった。

「イラクから帰国された5人をサポートする会」主催という趣旨からすると問題かもしれないが、
代表(?)の東大経済学部の醍醐先生(大学時代に会計学の授業をとったことあり)から、
「会の趣旨にとらわれず自由に話していいよ」という有り難いお言葉をいただいていたので、
自分の信じるところに従って、講演の準備をしていった。

シンポジウム当日。
東京はほんとに暑かった(たしか最高気温36℃くらい)。
そんな中を、御徒町から、湯島天神を通って、会場の東大まで歩いていったものだから、
(わかる人にはわかると思うけど、ゆうに30分はかかる)
東大経済研究科の会場に着く頃には、すっかりいい具合に茹で上がっていた。

会場について確信した。

これは浮く!
来場者は、「自己責任論って、ほんとうにひどい議論ですね〜」という話を聞きたがっている様子。
自己責任論批判から立ち上がった団体主催なのだから、当然といえば当然だが、
ここまでそういう空気が立ちこめているとは、予想していなかった。

と、シンポジウムの初めに、予定外に、あの高遠菜穂子さんが登場。
実は写真でもあまりみたことがなかったのに、間近で「生高遠」を見てしまった。
近くで見ると、意外と若く見える。しかも、格好がジーンズに革のベルトと、ちょっとイケてた。
2日前のテレビでは泣いていたのだが、その日は元気そうに話していた。

で、講演。
なにしろ、1年間講義してないものだから、大勢の人前で話すのはほんと久しぶり。
しかも、日本語(かといって、英語で話せといわれたら、断っていただろう)。
まずは形から入ろうと、ダークスーツで身を固め、
「自己責任」の複数の意味を区別しなければならないこと、
自己責任論の批判は意外と難しいこと、
自己責任論を批判する際の論理として、挑戦という理念が重要であること、なんかを話した。

はっきりいって、会場の反応は重め。
後で話された山口氏の読売新聞批判や高橋氏の日本国憲法擁護論には、
会場からやんやの喝采があったのと比較すると、
どう受け止められたのかは明らかだった。

しばしの休憩の後、会場を含めた全体討論へと移った。
案の定、フロアーから、いっぱい弾が飛んできました。
多分、普段の僕を知ってる人が見たら僕のことを不憫に思ったであろうほど、叩かれました。
(このシンポジウムの模様は、ネットでも公開されているのだけれど、
 実際の質問の口調は、もっとどぎついものだった)。

でも、正直言って、そういった批判は「痛くない批判」だった。
なぜなら、私の議論を内在的に批判するのではなく、
完全な誤解や、外在的批判にとどまっていたから。
どうやら、アンケート結果から見ても、
「自分の聞きたくないことは聞こうとしない」態度の人が少なからずいたようだ。

しかしこの点では、講演者3人の意見は一致していたように思う。
高橋氏は、「言葉」の重要さについて力説していたし、
山口氏は、私の問題提起を批判するにしてもまず受け止めるべきだ、と強調していた。
つまり、3人とも、言葉=論理=ロゴスに対する信念のようなものを共有していた。

それに対して、私の意見を批判する人は、「論理じゃない」といった感情的反発に終始していた。
でも、それでは、ほんと話にならない

シンポジウムの後の打ち上げにも参加させてもらった。
大学教員や大学生・院生をはじめ、ハープ奏者とか渋谷のCD屋の店長といった、
普段会わないようなメンツが集う打ち上げは、かなり面白かった。
多分、こういう文化祭的雰囲気が、人々を動かすのだろう。

最後に、なにより心残りなことが一つあります。
それは、高橋源一郎さんにサインをもらい損ねたことです。
せっかく大阪からサインをもらいに出かけていったのに〜


○アテネ五輪

異国でオリンピックを見るというのは、結構新鮮だ。
まず、テレビでやっている種目が全然違う。

柔道なんかは、一滴たりとも目にすることはなかった。
アメリカにいると、柔道は五輪種目ではないみたいだ。

意外なのが、飛び込みとビーチバレー。
どちらもゴールデンタイムに延々とやっていた。

それから、面白かったのが、水泳の北島問題。
アメリカのハンセンが100メートル平泳ぎで北島に負けたときには、
ターン後の北島をスローモーションで繰り返し映して、
「これはルール違反の疑いが強いですね〜」とやっていた。
何日か後には、北島は「明白なルール違反で金メダルを取った男」として扱われていた。

でも、男子体操でアメリカのハムが、審判のミスで総合の金メダルを取ったときには、
一生懸命この金メダルは正当だということを言い立てていた。

こういうのって、どこの国でも、あんまり変わらないよな〜。


○ホエール・ウォッチング

ボストン近郊の海は、クジラが見えるので有名。
ニューイングランド地方は、昔は捕鯨産業が盛んだったのだ。

ということで、ホエール・ウォッチングに行ってきました。
第一回目は、6月。
100人くらいの人を乗せて、ホエール・ウォッチングの船が港から出発した。

陸地ではかなり暑かったのだけれど、予想通り海上はかなり寒い。
最初は、最上階デッキで海を走る風を楽しんでいたんだけど、
そのうち寒くなって、下の船室に降りていった。

30分しても、1時間しても、船はクジラを探して走り続ける。
どうやらクジラがみつからないみたい。
しかもあいにくなことに、海上の天気は悪く、波も高くなってきた。

案の定、船酔いが始まった。気分悪くて冷や汗が出る。
急いで船内で売っていた乗り物酔いの薬を買って飲む。
でも、かなり後の祭りっぽい。

船室内では、老若男女が船に酔っていた。
屈強なアメリカ男性も、船酔いに苦しんでいた。
一人が吐くと、どんどん連鎖していった

でも船はものすごい勢いで走り続ける。まだ見ぬクジラを探して。
そのせいで、人々の気持ち悪い指数はどんどん上がっていく。
最後には、船室内に阿鼻叫喚が広がっていた。

乗り物酔いの薬を連続で投与したおかげで、
強烈な眠気と引き替えに吐かずにすんだんだけど、
結局、クジラは全く見えずじまい。

「クジラ保証」付きだったので、次回のチケットをもらって終了。

ということで、9月に行ってきました、2回目。
日曜日だったということもあり、船は満員。

しかも運良く、その日は波もとっても穏やかで、
クジラへの期待もぐんぐん高まっていった。

でも、結局3時間の航海で一匹のクジラにも会えずに終了。
単にボストン近郊の海をクルーズしただけで終わってしまった。

ということで、再び次回のチケットをもらった。

あれやこれやのうちに、ホエール・ウォッチングは10月31日をもって終了。
もはや使えなくなったチケットと苦い思い出だけが、後に残った…


☆道を聞かれる3

相変わらず道を聞かれる。
しかも最近の特徴として、中国語で道を聞かれることが増えている。

そんなときは、「すいません、中国語しゃべれないんです」と
中国語で答えることにしている。

それでも相手が納得いかないときは、「実は中国人じゃないんです。日本人なんです。」と
中国語で付け足すのも忘れない。

そんなやりとりをしたときの、相手の当惑した表情を見るのが好きだ…


☆リス釣り

リス釣り(squirrel fishing)。
なんと甘美な響きを持つ言葉だろうか。

リス釣りについては、下記のサイトが詳しい(ゼミOBゲンヂ氏の紹介)。
http://www.eecs.harvard.edu/~yaz/jp/risu.html
こうした先達たちの英知を受け継ぎ、果敢にリス釣りに挑戦してきた。

◆用意したもの
 ピンク色の毛糸(近くの文具店 Bobslate で購入。$2.49)
 ピーナッツ(近くのドラッグストア CVS で購入。$0.99)

◆場所
 1 公共図書館 Cambridge Public Library 前の公園
 2 大学のキャンパス Harvard Yard の中の Emerson Hall 前

釣りといっても、これといったコツがある訳じゃない。
むしろ、相手(=リス)の個性に依存する。

一口にリスといっても、いろんな子がいる。
野生のリスは、非常に警戒心が強い。
リス釣りがうまくいくのは、その中で、果敢に向かってくるガッツのある子だ。

一つのメルクマールとして、「手食べ」するかどうかがある。
「手食べ」とは、人間の手から直接ピーナッツを食べることだ。

リスの中で、手食べする子は、だいたい3割くらい。
手食べしない子を釣り上げることは、ほとんど不可能だ。

手食べする子でも、たいていは「つな引き」で終わってしまう。

リスとのつな引き


だけど、手食べする子の中で、まれに「リス釣り」が成功する子がいる。

リス釣り


こうして釣り上げた後は、ちゃんとピーナッツをあげるのが、
釣り人のマナーというものだ。

ピーナッツを食べるリス


☆IVR PRIZE

IVR = Internationale Vereinigung fuer Rechts- und Sozialphilosophie
  = 法哲学・社会哲学 国際学会連合
  = http://www.cirfid.unibo.it/ivr/

IVRは、日本法哲学会の親玉みたいな存在らしい。
「らしい」というのは、実はまだあんまりよくわかっていないからだ。

うちの師匠から、IVRの懸賞論文に応募してみないかと誘っていただいたのが、2004年の1月。
IVRの世界大会は、2年に1度開かれる。2005年の世界大会は、スペインのグラナダだ。
世界大会に際して、世界各国の若手研究者を対象にして懸賞論文が募集される。
厳正な審査の上、最優秀論文に授与されるのが、IVR Prizeだ。
受賞すると、世界大会に招待され、本会議場で講演する栄誉が与えられる。

で、師匠には二つ返事で「応募します」と返答したものの、
実はIVRに未加入だったため、まずは加入の申請を行った。

一時帰国だ、ビザだ、人質事件の講演だ、なんだかんだで、あっという間に9月。
10月の締め切りに間に合うかな〜と恐れつつ、論文執筆に取りかかった。

募集テーマは、「グローバル社会における法と正義」だ。
生まれて初めて書く英語論文だし、
「グローバル社会」についてこれまで論文書いたことないし、
ということで、参加=応募することに意義があると考え、とりあえず完成を急ぐ。

とりあえず、執筆テーマを「グローバル時代における福祉国家の正当性」に設定。
あくまで、シンプルにクリアーにを心がけ、一応書き上がったのが10月の半ば。
早速、親友にnative checkをしてもらって、ドイツの事務局へ無事提出。
めでたし、めでたし



クリスマス直前のこと。
IVRドイツの事務局が差出人の電子メールが舞い込んだ。
メール本文なし。ワードの添付ファイル。
外観は明らかに、ウィルス・メールの様相を呈している。

でも、恐る恐る添付ファイルをクリックしてみた。
そこには、次のような簡単なメッセージが。
「貴兄はIVR Prizeを受賞しました。詳細はスペインの事務方からすぐに連絡があります。」

ええっ、まじっすか?!
正直、半信半疑。というか、三信七疑くらい。
文系の学問で、特に哲学の分野で、外国語で対等に渡り合っていくのは、
かなり厳しいと感じていたからだ。
しかも、英会話も片言の私が、native speakerを差し置いて、受賞できるだろうか?

その疑いは、日に日に増大していった。
スペインからの連絡は来なかった。
1日経っても、来ない。
3日経っても、来ない。
1週間経っても、来ない。
そうして、とうとう年が明けた。

年が明けても、来ない。
正月三が日が過ぎても、来ない。

やっぱり、ウィルス・メールだよな〜。
と思っていた1月8日のこと。
来た、来た、来ました。スペインからのメールが。
そこには、次のような文面が。

「この度は受賞おめでとう。
スペイン語に翻訳して印刷するために論文を送って欲しいんだけど、
君の受賞論文のタイトルは、『×××』だよね。」

はい〜、アウト〜〜〜!
『×××』のところには、私の論文とは全く異なるタイトルが書かれていた。
そりゃそうだよな〜。中学生程度の英語しか書けない研究者が
国際学会から賞もらえるなんていう話、なかなかないよな〜。

でも、仕方がないので、金の斧を差し出されても正直に否定する木こりのように、
私の論文のタイトルは、『×××』ではありません、と書いてメールを送った。

そのメールに対する返答が来ない。
一日経っても来ない。

きっと、どうやってミスター・タキカワに弁解すればいいか、話し合ってるに違いない、
と思っていた二日後に、スペインからメールが。
ぱっと見ると、「私のミスでした。ごめんなさい、ミスター・タキカワ…」の文字が。

ああ、やっぱりダメだったか。
でも、一瞬でもいい夢を見せてもらえてよかったよ。
みんな、ありがとう!



と失意の淵で、メールをよく読むと、
「私のミスでした。ごめんなさい。ミスター・タキカワがいっているタイトルが正しいです。」
どうやら、ドイツの事務局がスペインの事務局に間違えてタイトルを伝えたらしい。


ということで、ほんとに受賞しちゃったみたいなんですけど。
もうこれ以上、どんでん返しないよね。


☆そして、さようなら、ハーバード

こうして、いろいろな思い出に満ちた約1年4ヶ月のハーバード生活も幕を閉じた。
ここで、ハーバード大学と大阪市立大学の違いを、簡単に表にまとめてみよう。

ハーバードと市大の比較
ハーバード大学大阪市立大学
地質一面の芝生一面のアスファルト
植生紅葉ヤシ
動物リスネコ
気候寒すぎて外へ出れないので
勉強以外することのない冬
暑すぎてクーラーも効かないので
なにもやる気が起きない夏
運動施設アイスホッケーリンク南国ムードの屋外プール
図書館そこら中に無数にある
真夜中過ぎまで開館
立派なのが一つある
日曜・祝日閉館
日本食pricyな日本食レストラン1杯150円〜のそば

というわけで、どちらも一長一短なんだけど、
図書館は、圧倒的な差があるよな〜。
あれだけのためにでも、もう一度行きたいくらいです。

それでは、ここまで読んでくださったみなさん、ほんとうに、スパシーバ!



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