外国語について
能力はあまりないのだが、これまでの人生において何故か筆者は外国語に興味があった。外国語を学ぶことで新しい世界への扉が開くように思えたからである。二十代の初期の頃に、英語を始めとして、ドイツ語、フランス語、ロシア語を学んだ。このうち継続して学んだのは英語だけである。ドイツ語は英語に次いで熱心に学んだが、継続する理由が見つからなかった。フランス語は学びやすかったが、やはり中途半端に終わった。ロシア語は1年間やっただけである。その後筆者はアメリカに留学することになり、英語の世界に埋没する。帰国後は企業と専門学校で実践的な英語を教えた。
中年になり、40を過ぎて大学に職を得ると、時間的余裕もあって外国語熱が再燃した。最初に学んだのはスペイン語である。中南米の先住民族の宗教文化を調査するためである。スペイン語とはこの後ずっと付き合うことになる。またグアテマラ滞在中に現代マヤ語の一つであるキチェー語を学んだ。その後しばらくして中東の宗教文化に興味を持ち、世紀が変わる頃にアラビア語を始めた。『クルアーン』がやはり印象に残っている。しかし9.11テロの影響で中東情勢が不穏になったためやがて諦めてしまう。
大学を定年退職する頃になって筆者は仏教に興味を持ち、65歳でサンスクリット語(及びパーリ語)を習った。10年近くやっても進歩は遅遅としていたが、そのおかげで古代インドの原典を読む機会を得た。『涅槃経』『法華経』『バガヴァッド・ギーター(マハーバーラタ)』『唯識二十論』『ブリハット・アーラニヤカ・ウパニシャッド』等である。その後筆者は、西洋的調和(harmony)の起源を知りたくて、70を過ぎてからギリシア語を始めた。プラトン『クリトン』『ティマイオス』、ソフォクレス『アンティゴネ』、ヘラクレイトス『断片』、『ギリシア哲学者列伝』、『ヨハネ福音書』などを読んだ。そして現在はラテン語を学んでいる。
いくつかの外国語は必要に迫られて、ほかは興味本位に学んだだけである。進歩という点からは恥ずかしい限りだが、それでも学んだということは良かったと思っている。もしそうでなかったら筆者の世界はずっと小さなものになっていただろうからである。