調和について

我々の住む21世紀は恐ろしい時代である。20世紀は前例のない戦争の世紀であったが、世紀が変わっても人間の暗愚が改善される兆しはまったくない。この四半世紀はまさに暴力と不寛容が支配する時代であった。主な出来事だけ挙げても、アメリカの9.11同時多発テロ、世界中で起きた無差別テロ、イスラム国の狂気と破壊、極東独裁国家の恐怖政治、アフリカの貧困と悲惨、中南米を蝕む暴力と犯罪などがある。そして最後にやってきたのがロシアのウクライナ侵略、またイスラエルによるガザの破壊である。

こうした現実の背後には無数の社会的不均衡が存在している。現代世界を支配するのは技術革新によるグローバリズムと社会機能の非人間化である。その結果、冨の分配の不平等(例えばジニ係数)は極限値に達した。こうした時代には調和の実現こそが最も切実な課題であろうと思われる。だが悲しいかな、不思議なことに、ここ数十年を通して調和の実現が本気で議論されたことはなかった。代わりに人々は、現実的レベルでの対応、対症療法による暫定的解決で満足してきたようだ。何故なのか。理想社会を目指した共産主義の破綻への失望なのか、それとも現状に対して何もできない無力感から来るあきらめなのか。だがこのような時だからこそ、調和とは何か、いかにして実現されうるのかを考察し、実現へと踏み出すことが必要なのでないのか。

筆者はマヤ研究を通してマヤ二元論カバウィルを知った。カバウィルは「異質な二者の協働」による調和の思想であり、古代マヤ人はそれを基に理想社会を築こうとした。この思想はいまでもマヤ文化の中に受持されている。しかし日本にもまた類似の調和の思想が存在する。いわゆる「和」の思想である。聖徳太子『十七条憲法』第一条にある「和」の理念、「以和為貴」は日本の社会と文化を発展させる強力な社会規範、行動倫理となった。調和の思想はその他の世界の文化圏にも存在する(あるいは存在した)。ヨーロッパにおいても、インドにおいても、古代中国においても、古代ギリシャにおいても。またその基本理念は世界中の先住民族文化に存在する。

人間にとって調和とは何か。人間は長い歴史的経験の結果、各地で様々な調和の思想を創り上げてきた。どれだけの努力と情熱また渇望そして祈りが注ぎ込まれたことか。これらの思想の多様性を考慮して整理し、通貫する普遍性とは何かを考え、我々がいまどこにいるのかを確認しておくのは重要な作業であろう。ああ、過ぎ去った日々よ、人間とは無益な存在ではなかったはずだ。未来に光あらんことを!

参考

マヤ二元論カバウィル―マヤ民族文化における調和の思想と現代世界における意義.立教大学社会学部紀要「応用社会学研究」No.58.2016年3月.pp.213-232.

調和の思想―ギリシャ、マヤ、日本文化を比較する 2023年5月20日 新現代研究会発表