「和」について
現時点において「和」は筆者にとって最も重要なテーマである。「和」について考察するきっかけとなったのはマヤ文化の調和の思想(カバウィル)である。筆者は日本人である。したがってその後、自文化の調和の思想を考えるのは当然であるが、思った以上に大きなテーマとなったのには理由がある。一つは2024年にスロバキア人学生を対象に「和」の講義をしたことである。(この講義を基にしたエッセーが近く刊行される予定である。)もう一つは近年における日本社会あるいは日本文化についての評価を巡る矛盾撞着である。はっきりと言えば、現代の日本人は日本人であることに迷いがあるのではないだろうか。自らの理想と現実の乖離があまりに大きいために、考えに揺らぎがあり、一種の思考停止に陥っているのではないだろうか。それを払拭したいと思ったのである。
残念なことだが現代日本は物質的にも精神的にも停滞した社会である。90年代初期のバブル経済崩壊以降、日本経済は低迷の一途を辿っているが、人口減少、人口構成の老齢化、また出生率の低下が著しく、復活するのは容易ではない。物質的現実は精神的状況にも影響を与える。日本人そのものが自信を失っているように思える。そのためであろうか、日本人の「和」について否定的に(あるいは自虐的に)論じた著作が多い。それによれば「和」とは自由のない日本的集団主義を意味する。(本当にそうだろうか。)時折り「和」を賛美した著作があると、右翼的思考、危険なナショナリズムだと批判される。あたかも自己否定することが最高の美徳でもあるかのように。
しかし現代日本には同時にまた相矛盾する奇妙な現象がある。近年において急増しているインバウンド観光である。いまや日本は外国人観光客だらけである。電車に乗っても、通りを歩いても外国語を聞くのが多いほどだ。彼らは何故日本に来るのか。日本が世界でも最高に魅力的でかつ安全な国であるからだ。ここでは日本は最高の賛美をもって語られる。すると今度は日本人が日本文化を見直すのだ。すなわち「和」の文化はやはりすばらしい「おもてなし」の文化であると。あたかも奇跡が起きたかの如く、理由も分からず、評価が一気に反転する。なんとも奇妙なことではないのか。
結論から言えば、日本文化はすばらしいものだ。しかしそれは外国人が評価するからではない。日本文化が本来的にすばらしいからだ。そしてその根幹を支えるもの、それが「和」の精神である。だがすでに「和」を否定する多くの人々がいるのではないか。そうだ、だがそれは彼らが「和」を低級な慣行とみなし価値がないと考えたからだ。なぜ考えたのか。おそらくは日本的なものが生理的に嫌いだからだ。この否定的感情は知識人を自称する人間であればあるほど強いように思う。戦後のアイデンティティ崩壊の名残でもある。
日本文化を肯定することは「和」に価値を見出すことである。「和」とは何か。「和」とはただの心地よさ、おもてなしの心だけではない。「和」が調和の思想であるのは間違いない。だがそれだけでもない。「和」は同時にまた矛盾に満ちた現実を反映する。したがって「和」はうまく作用する場合もあるが、停滞の原因となることもある。調和と抑圧は紙一重なのだ。だからこそ「和」は強い意志を持って勝ち取るべきものである。良きにしろ悪しきにしろ日本文化と社会は「和」の思想によって形成されてきた。建設的な視点からの「和」の究明と再創造が不可欠である。
このテーマに関して筆者はすでに何回かの発表あるいは講義を行い、また論文を執筆している。そして現在はより広範な資料を参照してこのテーマに関して本格的な考察を行い、理解を深めようとしている。そしていつかその結果を著作としてまとめたいと考えている。「和」の理念の発祥とルーツ、歴史的発展及び現状を実証的に論述した上で、「和」とは何かについて結論を出したい。
参考
「和」―日本的調和の思想の起源と本質.立教大学社会学部紀要「応用社会学研究」No.60.2018年3月.pp.171-190.
「和」の思想とその可能性.2018年度現代研究会前期発表1.2018年 4月 14日.
「和」―日本文化の見えない力 Japan Foundationオンライン特別講座 日本の現代社会 スロバキア コメニウス大学 2024年11月 8日
「和」―日本文化の見えない力 Japan Foundation―スロバキア・コメニウス大学共編『日本の現代社会』所収 2026年春出版予定