学ぶということ
シャーマンの学びの道
筆者はこれまで機会あるごとに学び(Learning)とは何かについて書いてきた。その発端は二十代におけるカルロス・カスタネダのドン・フアン三部作との出会いである。『ドン・フアンの教え』『分離された現実』『イクストランへの旅』は筆者の人生を決定した。これに関しては何度も書いているので簡潔に述べる。主人公のドン・ファン・マトゥスは年老いたメキシコ・インディアンの知者(Man of knowledge、シャーマンのこと)である。いかにして知者となるのか。学びの道(Path of learning)を歩むことによってである。しかしそれは試練に満ちた茨の道であり、志す者は遭遇する敵を不屈の意志で撃退しなければならない。四つの知者の敵がある。恐れ、明晰さ、力、そして老いである。いずれも恐るべき敵である。この闘いで多くの者が落伍するかあるいは命を失う。しかし最後までやり遂げる者は自らの道を見つける。ドン・ファンはこの道を心ある道(Path with heart)と呼んだ。ドン・ファンの言葉は知者の修行についてであるが、比喩的に語られており、普通の世界でも意味を持つものである。
異文化体験
たとえば外国語の学習は一つの「学び」である。この「学び」には幾多の壁が立ち塞がるが、それを乗り越えて前進した時、新しい世界が広がり人間性はより豊かなものとなる。(筆者の外国語学習については「外国語について」を参照されたい。)外国語学習の究極の段階は異文化体験(Culture learning)である。筆者はそれをアメリカ留学によって経験した。この体験は恐るべきものであった。自分自身が変わってしまったのだ。異文化体験は個人の価値観、世界観、また性格でさえも変えてしまう。意識の変換状態(Altered states of consciousness)の経験と言ってもよい。三年間のアメリカ生活を終えて日本に戻ってきた時、筆者の精神は以前の日本人ではなくなっていた。その時に起きた逆カルチャーショック(Reverse culture shock)は異文化体験よりも辛いものであった。
社会生活と学び
異文化体験とは特殊な環境における「学び」であるが、「学び」はまた一般的な形で社会生活の至る所に存在する。教育においては学びそのものが目的となる。若者は何故大学に行くのか。もちろん知識と教養、また資格を得るためだ。だがそれは表面的な理由に過ぎない。勉学の過程で様々な学びがあり、人間として成長するからだ。仕事においても同様である。現実のオアシスのような大学とは異なり、営利を目的とする企業で働くのは容易ではない。新人はまず仕事を覚え、努力をして実績を上げ、職場の人間関係にも対処しなければならない。毎日が試練の連続で、問題解決への不断の努力を必要とする。しかしその試練を退ける時、大きな学びが生じる。学びは日々の生活、家族関係、また趣味やスポーツ、あるいは友情や恋愛においてさえ存在する。人生のあらゆる場面また段階において問題あるいは課題が存在する。そしてそれを超克するための学びが存在する。
ただここで注が必要だろう。学びはいつも成功体験であるとは限らない。失敗も挫折も断念もまた学びである。人生において成功体験はまれである。不成功に終わることの方がはるかに多いだろう。だがそれで人生が終わるわけではない。新たに出発すればよいのだ。新たな出発とはそれ自体が学びである。それは往々にしてより大きな結果をもたらす。言葉の本来的な意味で人間として生きるとは継続して学ぶということである。
学問と学び
「学び」とは個人的体験だけに限られるわけではない。「学び」の本質は学問研究の中にもある。何かを研究するということは何かを学ぶということである。文化を研究するということは文化を学ぶということである。筆者は宗教人類学を専門とし、主に中南米において様々な民族宗教を研究してきた。いかにしてこれらの伝統を調査するのか。いかにしてその内容を知って理解し、その本質を解明できるのか。対象とする伝統を「学ぶ」ことによってである。ではいかにして「学ぶ」ことができるのか。その伝統を生きている人々とその社会を知り、様々な儀式や行事に参加することによってである。また個々の人々と直に付き合い話すことによってである。これらの行為はフィールドワークと呼ばれるが、人類学特有の方法論である。フィールドワークの目的は直接体験によって異文化を知ることにある。したがってその本質は「学び」そのものである。
学びの舎「現代研究会」
最後に筆者が近年において行った学びの実践に触れる。筆者は2018年4月から2023年3月にかけて5年間にわたり現代研究会を主宰した。研究会という名称ではあったが、研究者と一般の人々が混じり合った自由ゼミナールであった。上下関係も制約も規則も何もなく人々は自分の職業・分野を超えて対等な立場で発表し、議論を行い、また人間的な交流を行った。最後に執筆プロジェクトを実施し、『現代宗教論』の出版を待って解散した。現代研究会は前例のない試みであった。この学びの舎で人々はお互いに学び合い、知識を研鑽し、人間性を涵養した。(詳しくは「現代研究会」の項を参照されたい。)
参考
Man of Knowledgeとは何か―Carlos CastanedaのDon Juanの思想におけるlearningの概念について―.立教大学研究報告「人文科学」第51号.1992年2月.pp.62-80.
帰らざる道―外国体験と精神の許容量について 雑誌「立教」Summer’92 第142号 1992年7月 pp.60-63.
中南米と私―フィールドワークと「心ある道」 「立教大学ラテンアメリカ研究所報」 No.36 2008年3月 pp.57-61.
カルロス・カスタネダ「ドン・ファン三部作」. 私の一冊.「国際行動学研究」第10巻 2015年 10月.pp.137-148.
フィールドワーク―人類学の方法論とその課題.「国際行動学研究」第12巻2017年10月.pp.31-71.